腹ペコ毒蟲【新版】   作:アンディライリーのうさぎ

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36話 ありじごく

 自販機の側にあるベンチに座る二人。頭上の街灯には虫が群がっている。

 酒を飲む櫻に対し、夏油も酒を飲んでいた。向こうの目的もアルコールだったらしいが、すでに『売り切れ』の表示になっていた。そこから酒を大量に抱えている彼女に視線が向き、流れでともに飲むことになった。

 一応夏油には「未成年でしょ」とジュースを勧めたが、「でも、硝子の喫煙は容認してますよね?」と言われてしまうと、何も言い返せなかった。

 

(気まずいなぁ……)

 

 櫻は家入についで五条とはそこそこつるむ機会がある。ただし夏油とはあまりなかった。特に二人きりになる、というのは滅多なことではない。だからこそ気まずい。

 

「えっと……特級昇進、おめでとう」

 

「……ありがとうございます」

 

「………ダイエット始めた?」

 

「夏バテですよ」

 

 夏油のひとみの下には深い隈がある。星漿体の事件以降、その隈はなかなか消えずにある。

 彼女も内心では心配しつつ、そこまで親交のない自分が励ましても仕方ないだろうと、見守るに留めていた。五条から時折「アイツ元気ねぇんだよ」と言われることがあったので、遊びに連れてってはどうか、などと勧めたりはしていたが。

 

「こうして安倍先輩と話すのは、久しぶりですね」

 

「うん、そうだね」

 

「………」

 

 夏油は暗闇をじっと見つめている。その瞳もどこか虚だった。

 

「…大丈夫?あんまり眠れてないんじゃない?」

 

「先輩も似たものじゃないですか?」

 

「……うん、まぁ、そうかもだけど…」

 

 缶ビールの水滴が大きな玉となって、櫻の太ももに落ちた。静けさの中に虫の声が聞こえる。

 

「安倍先輩の好きなものって何ですか?」

 

「……?七海くん」

 

「…いや、人ではなく」

 

「あっ、食べ物ってこと?食べ物だったら何でも好きだよ。嫌いなものはないかな。そういう夏油くんは何が好きなの?」

 

「ざる蕎麦…ですね」

 

「お、いいね蕎麦。私は蕎麦だったらわんこ蕎麦がいいかな」

 

 あの、食べても食べても無限に出てくるところがいい。彼女の食べるスピードは投入される速度を凌駕し、一度店でやっていたわんこ蕎麦記録に挑戦した時は、二人がかりで蕎麦を投入していたほどである。

 

「嫌いなものはないとおっしゃいましたけど、一時期肉を食べられなくなっていたのでは?」

 

「ん?あっ、あー………うん、たまにはそういうこともあるよ」

 

「たまには、ですか」

 

「お肉……ちょっとね。あの時は食べられなかったね。でも、今は大丈夫だよ」

 

「どうして?」

 

「どうして……って?」

 

「嘔吐するほどダメになっていたものが、どうして再び食べられるようになったんですか?」

 

「それは……うーん?」

 

 肉は無性に食べたいと思うようになってから、普通に食べられるようになった。たとえ赤ん坊を食べようとしてしまった件を思い出し吐き気を感じても、肉の匂いなどを感じるとその思考が吹き飛び、「たべたい」と、その欲求に駆られる。そうして食べるとその美味さに満たされる。肉が美味い。美味くて美味くて────しかし、どこか物足りなさも感じる。

 

 思い出すと喉が鳴った。腹が急速に減る感覚がして、それを誤魔化すように酒を飲む。隣に彼女がナンバーワンに美味そうだと思う夏油がいるのもよろしくない。櫻はあまり夏油に視線を向けないようにした。

 

「あまり飲まれると、明日に障りますよ」

 

「大丈夫。許容量は見極めてるから」

 

「そうですか」

 

「……考えてはみたけど、気づいたらまた食べられるようになってた感じだよ」

 

「失礼ですが、食べられなくなっていた理由をお聞きしても?」

 

「……色々。精神的な問題が一番大きかった」

 

「…すみません。無粋な質問でしたね」

 

「いや、いいよ。それより君の方も、あまり抱え込まない方がいいよ。五条くんなり硝子ちゃんなり、眠れないほど追い込まれてるなら、相談した方がいいよ」

 

「それは…先輩もですね」

 

「……そうだね」

 

 夏油にそう言われたが、彼女の悩みは五条にしか相談できない。それこそ、五条にバレなければずっと一人で抱え込んでいただろう。安倍櫻の秘密とはそれほど重い。己がバケモノであるという、秘密は。

 

「まぁ、あまり君とは仲良しこよしって間柄じゃあないけど、私でもいいなら相談に乗るよ」

 

「…そう、ですか」

 

「その隈、なくなるといいね」

 

「………なら、一ついいですか?」

 

「うん、いいよ。これでも2コ先輩だからね。後輩の悩みを聞くさ」

 

 虚空に向いていた夏油の瞳が彼女に向けられる。まっすぐに。

 

 

「あなたは、人間ですか?」

 

 

 櫻は持っていた缶ビールを、地面に落とした。ゴロゴロと転がっていくそれは、転がりながら地面にアルコールをばら撒いていく。

 

「……あ、手が滑っちゃった。まったく夏油くんったら何言ってるのさ。どこからどう見たって、私は人間でしょ」

 

「肉が食べられるようになったのは、星漿体の任務以降ですよね?」

 

「そうだよ。それが何だというんだ」

 

「安倍先輩は覚えていないでしょうけど、あなたは禪院甚爾に黒井さんと同様に──あるいは一まとめに()()()()()後、駆けつけた私の肩に食らいついた」

 

「………」

 

 落ちた缶ビールを拾おうとした櫻の体が小さく震える。これまで、夏油が到着した時にはすでに、真っ二つになった自分の傷は治っていたのだと思っていた。あるいは、思い込もうとしていた部分もあったのかもしれない。

 

 しかし夏油は、彼女が人ならば確実に死ぬケガを追っていた姿を目の当たりにしていた。さらには肩に食らいついたのだという。

 櫻が無意識のうちに食いついたのかはわからないが、どのみち、食いついた事実は変わらない。

 

「思い返すとあなたは、よく私を見ていた」

 

「……そうだね」

 

「その理由が食指が理由だとは、まさか想像もつきませんでしたが」

 

 一時期、夏油は安倍が自分に気でもあるのかと疑っていた。事実、夏油は女性から同様の視線を受けることが多かった。

 ただ、入学してきた七海に向けるものと自分とではその熱が明らかに違う。その正体がわからないまま時間が流れ、星漿体の一件で夏油は真実を知った。

 

 あの視線が、「お前、美味そうだな」のものだったのだと。正直、背筋が凍る。自分を──いや、きっと彼女から見た人間すべてに言えるのだろう──食い物と認識されているのは。

 

「この件はおそらく、悟も気づいているんですよね?」

 

「………」

 

「沈黙は肯定と受け取ります」

 

「……彼は1年の頃には気づいてた」

 

「…そうですか」

 

「……夏油くんたちに言わなかったのは、五条くんなりの優しさもあるのだと…私は思ってる」

 

「それと純粋に、あなたの抱えるものが、相当重いものなんですね?それこそ悟が私たちにも言えないような内容であると」

 

「………うん」

 

 蠱毒など、それから生まれたバケモノなど、それだけで秘匿死刑ものだ。櫻は本来生きていることも許されない存在である。

 そしてその事実を知りながら高専に隠している五条も、危ない橋を渡っている。

 

「呪霊に反応するはずの高専の結界を踏まえると、あなたは人間と定義できる。しかし私はあなたの肉体から蟲が這い出て、それが肉体をつなげる姿を見た。あれは……あれは、術式を持った人間が起こす程度を超えている」

 

「バケモノだと、言いたいのね」

 

「……そこまでは」

 

「いいよ。人を食うやつは、『バケモノ』よ。私はそう──────バケモノだよ」

 

 櫻は力なくベンチに座り込み、下を向いた。長い髪が彼女の顔を隠す。不思議と涙は漏れず、自分を飲み込む大きな絶望感や虚無感が彼女の全身を支配する。

 

「夏油くん」

 

「……何ですか?」

 

「七海くんに、言わないで」

 

「………」

 

「彼にだけは………言わないで」

 

 人一番“正しい”ことに敏感なこの男に、自分のような“正しくない”存在が消されても仕方ない。そこは諦めるしかない。死にたくないといくら願えども。

 ただ、七海にだけは知られたくない。醜いバケモノの自分を見られたくない。絶対に、死んでもそれだけは嫌だった。

 

「すみません……そこまで追い込むつもりはなかった」

 

「………」

 

 自分を「バケモノ」と呼ぶ女が、本気で愛する人間に向ける情。その感情はそれこそ、本当のバケモノだったら織りなせぬひとの情だ。

 謝罪した夏油に、それでも櫻は微塵も動かなかった。ただ、その長身の体を丸めて、小さく震えるばかりで。

 

 

「ずっと、先輩に確かめなければならないと思っていたんです。ただ、今日まで聞けないままになっていた」

 

「………」

 

「硝子も、度外視した再生の件と、私の肩の件は知っています。その上で、先輩が何か隠している事実を黙認している」

 

「……ッ」

 

「今のところ私も、高専に報告するつもりはありません」

 

 それは、五条や家入、そして安倍自身の意思を尊重してのものだ。この判断が正しいのかはわからないが、今の哀れなほど震える安倍の姿やこれまでの彼女の姿を見てきた夏油は、彼女がバケモノではなく、人間に見えている。

 

「その代わり、先輩が何者かは知っておきたい」

 

「……高専にバレたら、首が飛ぶかもしれないよ」

 

「理子ちゃんの時にも、その覚悟はできていましたよ」

 

「………あぁ、そうだったね。君らはまったく…」

 

 ため息をついた櫻は、周囲を探る。ここは高専内だ。どこに目があってもおかしくない。悩んだ彼女は携帯を取り出し、メモ欄に文字を打ち込む。それを夏油に見せた。

 

 

【蠱毒により、人と呪いを混ぜ合わせたバケモノ】

 

 

 瞬間、夏油の表情がこわばった。目がこれでもかと見開かれる。櫻はさっさとその文字を消した。

 

「仔細は長くなるし、私でも自分の生い立ちに関してわからない部分が多いから伏せるけど、こうして生まれたのが私」

 

「………」

 

「後悔しちゃったかな、さすがに?」

 

「……笑えない、冗談だ」

 

「笑い飛ばしてよ、こういう時こそ」

 

 一応ね、と櫻は続ける。自分が人の道理を外れたその時は、五条が殺すと契っていることを。

 櫻も五条も、すでに覚悟してあることを知った夏油は瞳を伏せる。自分が余計に場を荒らしてしまったと後悔し、また謝罪の言葉を口にした。

 

「いや、君に知る権利はあるよ。私が知らず知らずのうちに、夏油くんを食べ……………食べ……?」

 

 どんな味だったか、櫻は覚えていない。それが非常に悔やまれた。よだれを飲み込む姿に、これ以上ないほど夏油にドン引きされているが、食欲を前にすると彼女は理性が吹き飛んでしまう。致し方ない。

 

「硝子には伝えるんですか?」

 

「………酷なことを言うね」

 

「アイツも、知りながら黙っている立場だ」

 

「………私の覚悟が決まってからかな。今は正直、これでもキツいんだよ。精神的に」

 

 知る者が増えるほど、彼女の秘密も七海にバレやすくなる。なるべくなら隠しておきたかった。それが自分を思い、黙認を選んだ硝子だとしても。

 

 

 ただ、本当にこれから隠していくことができるのだろうか?現に夏油にはバレてしまった。

 自分がいずれ大きなやらかしをし、その過程で七海にバレてしまうかもしれない。そう考えるだけで手が震える。

 

 

「ねぇ、夜遅いしさ」

 

「安倍先ぱ…」

 

「今日はもう、おやすみ」

 

 櫻は缶ビールを抱えて立ち上がり、夏油に背を向ける。

 夏油や硝子が五条と同じように秘匿を選んでくれたことに感謝する裏で、重たい感情が腹の底に渦巻く。

 

 結局、自分はバケモノに変わりなく。

 あがけばあがくほど、底なし沼に沈んでいってる気がした。

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