腹ペコ毒蟲【新版】   作:アンディライリーのうさぎ

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38話 『赤』も『紅』も同じ

 灰原と座って話していた時に遭遇した、特級術師・九十九由基。

 それから九十九の目的に対し、夏油の出した考えは「非術師の抹消」だった。それに対し、九十九は肯定した。夏油の考えは、「アリ」だと。

 

 

 その夜、夏油はまた眠れなかった。

 闇の夏油は非術師を猿だと見くだし、善の夏油はそのような野蛮な考えをする自分を否定している。

 

 タイマーをセットしていたエアコンが止まり、気づけば汗で長い髪がうなじに張りついていた。中よりもよっぽど外の方が涼しい。眠れない夜、彼の足は自然と外に向かう。闇夜は不思議と野蛮な考えを持つ自分でも、受け入れてくれる感覚がある。少しだけ呼吸がしやすくなる。

 

(……あっ)

 

 夜の散歩中、夏油はベンチに座る人影を発見した。その人物の手には炭酸ジュースが握られている。

 こうして安倍と遭遇することは幾度かあった。少し会話することもあれば、どちらかが気配を察して避けることもある。

 

 今日の夏油は話したい気分だった。昼間の九十九とも会話もあったためだ。

 

 

「こんばんは、安倍先輩」

 

「やぁ、夏油くん」

 

「今日はアルコールじゃないんですね」

 

「明日は七海くんたちと任務だからさ」

 

「…あぁ、灰原が遠出をすると言っていた任務ですか」

 

「さすがに、後輩の前で二日酔いにでもなったら、目も当てられないから」

 

 炭酸の他にも、コーヒーやオレンジジュースなど、色々と並べられている。夏油はその中のひとつを取り、封を開けて口をつけた。

 

「今日は例のあの人が来ていたみたいですよ」

 

「名を言ってはいけないあの人みたいな言い方だね…」

 

「私と五条に挨拶をしにきたついでに、興味がある安倍先輩にも会いに行ったみたいですけど」

 

「その人なら不法侵入して、勝手に酒を飲んでたわ」

 

「ははっ、そうですか」

 

 安倍の苦い顔からして、九十九とはあまりいい邂逅ではなかったようだ。

 

「どこまで聞いた? 彼女から」

 

「あなたが、宗教組織出身だというのは聞きました」

 

「…そっか」

 

「その組織が、非術師により運営されていたことも」

 

 これは九十九がかつての信奉者を探す中で得た情報だ。正確には、アオムシ様に()()()()()()。不幸だった中で、アオムシ様に救われる。

 この過程で、九十九は安倍の術式が「呪霊を食らう」ものであることはわかっていた。

 それらの情報の正確性を図る上で、あえて知らぬテイで安倍から情報を聞き出したのである。

 

「あなたを生み出したのも、非術師なんですか?」

 

「違うと思う。私を作った人、あるいはその人たちの中には、必ず専門の知識を持った人間──術師がいたはず」

 

「望んでもいないのに、非術師を救っていたわけですか。呪霊を……食わされて」

 

「あの人そこまで言ったの? つーか、知ってたのかよ……」

 

「いえ、そこは私の推測です。ですが、あなたのイかれた食欲や「非術師を救う」方法、それと私の特異性を踏まえれば、なんとなくですが想像がつく」

 

「君まで鎌をかけたってことか。…まったく、困っちゃうね」

 

 櫻は飲み終えた炭酸ジュースを置き、少し迷って白濁色のジュースを手に取る。買ってからそこそこ時間が経ち、少し生ぬるくなり始めている。

 

 

「でも、私が望んで人助けをしていたかもしれないよ?」

 

「だったら、逃げ出さないでしょう」

 

「……それもそうだね。まぁ、話はもっと単純だよ。私という子どもはね、ただ外を見てみたかっただけだから」

 

 クシャ、と音がした。夏油の持っていたスチール缶がひしゃげている。幸い中身はすでに空だったため、夏油の服に被害はなかった。

 

「…なんか怖いよ、夏油くん」

 

「……すみません」

 

 潰れたスチール缶がベンチの上に転がる。夏油は頭を押さえ、大きなため息をつく。

 九十九との会話から今にいたって、夏油の安倍への認識は「ハングリーな(ヤベェ)先輩」から、「非術師に利用された術師」に変わった。

 

「無理…しないようにね? 私明日任務だから、そろそろ寝るけど…」

 

「………えぇ」

 

 安倍は残った飲み物とゴミを回収し、立ち上がる。途中、普通ではそんな潰れ方しないだろ、と思わせるスチール缶を手に取った際、ポツリと「ゴリラだ…」と呟き、夏油の鋭い視線を食らった。そうだ。ゴリラだったらもっとプレス機にかけたような芸当ができるだろう。つまりゴリラという比喩は誤りだった。

 

「じゃあおやすみ、夏油君」

 

 そう言い、立ち去る彼女。夏油は遠ざかる背を見つめ、気づけば立ち上がり、尋ねていた。

 

 

「あなたは……非術師をどう思っていますか?」

 

 

 夏油は非術師を「猿」だと考えてしまう。なぜ彼らのために術師が尽くさねばならないのか、わからなくなっている。弱者のために強者が消費されるのは間違っている、と。

 

「非術師………非術師、か。そうだね」

 

 黒く長い髪が夜風にさらされ、闇の中に溶け込む。うーんと、うなるような声が聞こえた。

 

「私は君のような、非術師を守るという大義はない」

 

 救えれば救うが、自分の命を賭してまで守りたいというわけではない。

 曖昧な自分の存在を術師という善側に置くことで、悪側から逃げている節もある。

 

「憎んでいますか? 自分を利用した者たちを」

 

「憎むという感情を、あの頃の私はまだ明確に持ち合わせていなかったように思う」

 

「………」

 

「かく言う夏油君は、非術師をどう思っているの?」

 

「私、は…」

 

 夏油は視線をさまよわせた。その間も、紅い瞳はじっと彼を見つめる。

 

 

「………非術師を救う価値があるのか、わからなくなっている」

 

「正直に答えてくれてありがとう。…そっか。君はずっと、そのことで悩んでいたんだね」

 

 やっぱり君は優しいねと、彼女は続けた。一方で夏油は力なく首を振る。非術師を猿と思う自分の、どこか優しいというのか。

 

「優しいよ。非術師を嫌っているのにそれでも悩んで、その考えは間違っていると思える君は、善人だ」

 

「………」

 

「でも、優しすぎるかもしれないね」

 

 彼女は苦笑する。きれいすぎる人間は汚いものに触れた時、その身を汚してしまう。今の夏油のように。

 

「私にはね、愛する人間がいる。一番はもちろん恋人だけれど、非術師の中にも愛する人間がいる」

 

「…そうですか」

 

 夏油は瞳を伏せた。夏油にとっても、非術師の中で大切な人間はいる。家族や、中学時代の友人など。その者たちの顔が脳裏に浮かんでいく。

 

 

「でも私は、ニンゲンが嫌いだ」

 

 

 静けさの中で、冷えた声が響いた。

 

「じゃあ今度こそおやすみ、夏油君」

 

 微笑んで去っていく彼女の後ろ姿を、夏油は佇んで見つめる。

 嘘偽りのない嫌悪が、嫌いだ、と言ったその表情に滲み出ていた。

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 久しぶりの七海たちとの任務。等級違いの任務でも、多少の差なら上の階級の人間が割り振られることも多い。これは呪術界の人手不足も相まって顕著だった。

(さすがに特級が2級、3級の任務に割り振られることはない)

 

 

 

 そして、任務の朝。安倍はグロッキーだった。七海の視線が冷たい。灰原は苦笑いしていた。

 

「任務前日に、飲んだんですか」

 

「……夜中にジュースを買いに行って、それを冷やそうと冷蔵庫を開けたら、買った覚えのないお酒が入ってて…」

 

 安倍櫻はお酒をよく飲むらしい、と聞いていた九十九からの手土産だった。瓶の銘柄を調べるとそこそこ値の張るものらしく、飲まないと決めていた彼女は興味本位で少し飲んでしまった。

 

 飲んでみると意外と美味しく、あれよあれよという間に一本飲み終えて、その手はそのまま別の酒へと伸びていった。

 結果、二日酔いとまではいかないが、シャワーを浴びてもお酒の匂いが残ってしまった。

 

「飲み過ぎは体に悪いです」

 

「…はい」

 

「任務にも支障をきたします」

 

「おっしゃるとおりです…」

 

「まぁまぁ、七海、安倍先輩にも飲まなきゃやってられない! ──って日があるんだよ」

 

「だとしても、節度を守るべきです」

 

 七海は恋人ではなく母親のように櫻を叱る。櫻は七海の背後に義母と院長がスタンドのように浮かびあがった気がし、目をこする。すると、「聞いていますか?」と怒られてしまった。

 

 

 

 任務の目的地はかなりの遠方で、電車と車を乗り継いでの移動だった。

 灰原は気が早く、土産を何にしようか悩み、七海に注意された。

 

「夏油さんに甘いものを買って行くって約束したからさ。…ごめん」

 

「土産は帰りに考えればいいですよ」

 

「一種類ずつ、全部買っていけばいいんじゃない? そうすれば迷わないし」

 

「安倍さん……」

 

「いいアイディアですね! 安倍先輩!」

 

 帰りは大荷物になりそうだった。七海はため息をつく。大食いコンビがセットだと、話が予期せぬ方向に転がることが多い。3年の二人がセットの時よりははるかにマシなのだが。

 

「そういえば、2年生は9月ごろに姉妹交流会があるんだね」

 

 櫻は交流会のことを思い出した。運動会と同じ時期に開催される例のアレだ。

 

 東京校は3年が出禁を食らっている。特級術師二人は過剰戦力うんぬん──と、話し合いで出たためだ。よって、今年の東京校側からは1年が参加させられることになった。

 

 

「夏油さんや五条さんの分まで、僕らが頑張らないとね!」

 

「…そうですね」

 

「私も、許可が出たら観に行くね。出なくても行くけど」

 

 活躍できれば二人の準1級への道筋も見えてくる。着実に強くなっている彼らに、櫻は思わず微笑む。今の3年(硝子除く)にはなかった感情だ。先輩として、応援したいと思わせる。そしてその姿を見ていると、自分も強くならなければな、と向上心が湧く。

 

「まぁ、無理はしないようにね。向こうは去年とおととし、五条くんと夏油くんに蹂躙された分、今年こそは勝つぞって燃え上がっているだろうから」

 

「「………」」

 

「二人なら、きっと大丈夫」

 

 櫻は二人の背を叩き、歩き出す。七海は頭を押さえ、灰原は「はい!」と笑顔で返した。

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 2級案件のはずだった任務。しかして中身は1級案件。それも、ある者が生まれた場所を守る土地神──産土神だった。

 

 2級の七海と灰原では手に余る。櫻はすぐにサポートから攻撃役に切り替えた。その間に隙を見て、二人に指示を送る。彼らは頷くと、彼女のサポートに転じた。その動きを呪霊が認識し、攻撃の手を櫻へ集中し出した。

 

 現状優先すべきは自分たちの命。そして撤退&高専への連絡だった。確実なら、五条や夏油の手を借りたい。

 櫻は呪霊を相手取りつつ、撤退の経路を考える。

 

「安倍先輩!!」

 

「ッ……」

 

 櫻は準1級。1級ではない。1級の呪霊を単独で祓えるかどうかは場合による。幸い虫の毒は効いたようで、最初と比べて動きが鈍くなっている。彼女は見極める。その、タイミングを。

 

 ケガをした部位は回復が遅い。受けた痛みを噛みしめて堪え、攻撃を続ける。巨大なハンマーの動きを呪霊は警戒する。当たれば大ダメージになるが、大振りな動きは逃げやすくもなる。

 櫻の攻撃が当たった回数はわずかだ。向こうはかなりすばしっこい。前に与えた傷もすでに治ってきている。信仰のある呪霊は人間たちの呪いを受け、その負傷も回復しやすい傾向にある。ホームグラウンドなら、なおのこと。

 

(もう少し────)

 

 傷口から流れる血に、虫たちが凝固させる前に押し流され、虫の姿から血液へと戻る。息がだんだんと荒くなってきた。

 それでも柄を握りしめる。そして、彼女の攻撃を呪霊が避けたタイミング。そのできた後ろの木々の死角から、七海が降り立つ。

 

 

「────『十劃(とおかく)呪法』!!」

 

 

 対象の弱点を強制的に作り出すことのできる、七海建人の生得術式。

 これは正確に打ち込むことができれば、格上相手だろうと大きなダメージを与えることができる。それが1級であろうともだ。

 

『ァ ア ァ……!!』

 

 呪霊は倒れ、木にぶつかった。

 

「七海くんカッコいい!!!!!」

 

「言っている場合ですかッッ!!!」

 

 ど正論パンチを食らった櫻はしゅんとしながらハンマーを握る。

 

 急場の作戦だったが、予想以上にうまくいった。本来なら負傷させその間に撤退する手筈だったが、これならば討伐も視野に入る。

 櫻が相手の気を引き、その隙を見て七海の術式をぶつける。灰原の的確な妨害も生きていた。どれかひとつでも足りなければ、死人が出ていた可能性が高い。

 

「よし」

 

 トドメを刺すべく、櫻はハンマーを振るう。その動きの、一瞬のうちだった。倒れていた呪霊が動き、攻撃を放った。その先にいたのは────、

 

 

「灰原ッ!!」

 

 

 とっさに七海が動いた。二人とも仲がいいなぁと思っていた灰原は、飛び込んできた七海に瞠目する。

 攻撃は七海を掠め、木々をなぎ倒し蒸発した。驚いていた灰原は七海の左肩がえぐれていることに気づき、顔を青白くする。

 

「七海……七海!!!」

 

「………耳元で叫ばないでください」

 

 目尻に涙を浮かべる灰原に、七海はため息をつこうとして、肩に走った鋭い痛みにうめき声をあげる。

 

 

 直後、ガァンと、派手な音がした。

 

 見れば、地面にクレーターができている。その中心でハンマーを引きずる安倍は、無表情に灰原のもとへ近づく。顔や制服にはおびただしい量の呪霊の血が付着していた。

 

「……安倍、先輩?」

 

「ごめん。気を取られて逃げられちゃった。半分は潰せたんだけど」

 

 七海の傷をじっと見つめた彼女は、感情を押し殺すように小さく謝った。

 

「私がもっと強ければ、七海くんはケガをしなかったのに……」

 

「……安倍先輩は悪くないですよ。僕が、隙を晒したから…」

 

「反省会は…っ、後にしませんか?」

 

 七海にそう言われた櫻と灰原は、暗い表情でうなずく。

 今は一刻も早く帳を出て、高専へ連絡する必要がある。弱った呪霊の残穢を追い討伐するにせよ、すでに三人は満身創痍である。

 七海のことは灰原が背負い、彼らは帳の外へと向かった。

 

 外に着くと、補助監督が何やら険しい顔で電話しており、戻ってきた三人を見るなり駆け寄ってくる。

 呪霊が1級相当だった件を話す前に、補助監督は語った。

 

 

「実は、かくれんぼをしていたらしい子どもが一人、行方不明になっているそうなんです…」

 

 

 遠くでゴォと、風の吹いた音がした。

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