腹ペコ毒蟲【新版】   作:アンディライリーのうさぎ

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39話 急転直下

 事態を知った補助監督が高専へ連絡を入れている間、櫻は七海の手当てをしていた。えぐれた箇所はシャツの近辺をべっとりと血で赤く染めている。重傷ではあるが、硝子の反転術式ならば問題なく治せるだろう。

 

「七海くん…」

 

 手当てを受けたのち、七海は気を失ってしまった。櫻はその手を強く握り、手のひらから伝わる脈の音を感じる。大丈夫だ。七海は生きている。寝息もきちんと聞こえる。

 

「ハァ……」

 

 七海のことは心配だ。しかし、今は現状にも頭を回さねばならない。

 

 

(行方不明が一人…か)

 

 

 行方不明になっているのは少女で、補助監督が理由をつけ村の人々を避難させていた場所で、ほかの子どもと遊んでいたらしい。

 

 避難場所は、村の人間が普段からつどいの時に使う小ぢんまりとした会館である。その近くには公園や蔵があり、子どもたちは公園の方で遊んでいたようだ。

 

 本来なら一か所に留めておくべきだったが、そうすると時間が経つにつれ、ストレスの溜まった子どもが予期せぬ行動を取る。そしてそれが原因で、内部で問題が生じやすくなる。

 

 今回は準1級の安倍がいるならと、補助監督は安全圏の範囲でおとなに許可を出した。帳の場所から距離が比較的離れていたことも、大丈夫だろう、と判断する理由になった。

 自分の考えが早計だったと、補助監督は櫻たちに頭を下げた。

 

 

(調べたところ、蔵の裏手の開口部に侵入した形跡があった…)

 

 

 蔵の中には集会で使うようなものや、村の古い文献などが納められている。要は、物置ということだ。その鍵自体は村の責任者が管理している。

 開口部はそもそも二階部分にあり、子どもの背丈ではまず届かない。だが、側にある木を伝えば十分に侵入可能で、開口部付近の白い壁には子どもの滑ったような足あとが残されていた。

 

 櫻もその場を確認し、何らかの呪いの痕跡を確認した。あの呪霊の残穢とは異なる。仮説になってしまうが、蔵にあった呪物か、あるいは呪具が作動して少女を神隠しした可能性が高い。

 

 

「僕……やっぱり、探してきます」

 

「ダメだよ、灰原くん」

 

「安倍先輩は虫を操れる状況じゃない。任務を引き継いだ五条さんが来るまで、その女の子を一人にしておけっていうんですか」

 

「もう少し回復したら、虫で捜索できるようになると思うから」

 

「僕は……待てません」

 

「灰原くん」

 

「僕は安倍先輩や七海と違って大きなケガもない。動けます」

 

「もし君一人であの呪霊と遭遇したらどうするの?」

 

「今この時、泣いているかもしれないんです。怖くて、ひとりぼっちで」

 

 灰原は拳を握りしめる。彼には妹がいる。だからこそ、行方不明になっている少女のことが、人一倍心配だった。

 最悪、あの呪霊に遭遇して食われてしまったかもしれない。子どもの成長を見守るといわれる産土神であろうと、相手は呪霊。呪霊である以上、それは人間に害をなす。

 

 

「僕は、今自分ができることを精一杯やりたい。後悔…したくない。だから………ッ」

 

「……わかった。じゃあ、私が探しに行く。君はここで待っていて」

 

「安倍先輩もかなりのケガじゃないですか!!」

 

「大きな声出さないで! 七海くんが起きちゃう!!」

 

 うぅ、と七海がうなった。二人が固まった後、再び寝息が聞こえ始める。

 

「とにかく、一人では絶対にダメ。確実に探せる坊ちゃんを待つか、私が虫を出せるようになるまで待つか」

 

「いやです」

 

「はいばらく〜ん?」

 

「僕は絶対に譲りません」

 

 まっすぐに自分を見つめる目に、櫻は肩を落とす。灰原の心情もわかるが、しかし彼に万が一があれば七海が傷つく。自分よりもよっぽど。現に彼は、身を挺して呪霊の攻撃から灰原を守った。

 

 七海建人にとって灰原雄は、五条にとっての夏油のような、大切な友人──いや、親友なのだ。

 

 

「………わかった」

 

「!!」

 

「ただし、私も行く。二人で探せば、一人で探すよりは安全でしょ?」

 

「でも、安倍先輩はケガが……」

 

「これが私にできる譲歩。断るなら、無理やりにでもあなたを気絶させる」

 

 本当なら、有無を言わさず灰原を気絶させるべきだ。手負いでもそのくらいは彼女にもできる。それをしないのは、灰原の意思を尊重しているからだ。何より、もし少女が死んでしまった時、灰原は櫻ではなく自分を責めて苦しむ。そうして、夏油や自分のように眠れない日々を過ごすことになる。

 

 夜は、灰原雄には似合わない。まぶしい笑顔を浮かべるこの青年には。

 

「約束して。万が一危険になったら私が敵を引きつけるから、その隙に逃げるって」

 

「………」

 

「灰原雄」

 

「……わかりました」

 

 二人は部屋に七海を残し、少女の捜索に出た。日が沈み、時刻は夜になろうとしている。

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

「何だろう、これ?」

 

 村に出された避難警報。何が何だかわからぬまま集会場に連れて行かれた子どもたちは、暇を持てあました。幸い周辺なら遊んでよいと許可が出て、少女もまた遊びの輪に加わった。

 

 かくれんぼの最中、誰にも見つからないようにと訪れたのは蔵の裏手。そこに隠れるつもりだった。しかしふと、声が聞こえた。だれかが自分を呼んでいる。それも倉の中から。恐怖心と好奇心の狭間で、なぜか「行かなければ」と使命感に駆られた。なぜそう思ったのか、少女にも分からなかった。

 

 蔵には木をよじ登り、上の窓から侵入した。窓といっても、この窓はいつも開きっぱなしになっている。中へは近くの木の棚に飛び降り、それをハシゴがわりにして下に降りた。

 

 中は開口部から光が入っているが、薄暗い。電気を探したがなかった。

 ホコリっぽさや古い紙のにおいに鼻を押さえつつ、少女は声のする方へ近づいた。

 

「……?」

 

 するとそこには黒い箱のようなものがあった。振ってみると、カラカラと音がする。

 これを開けなけれなならない。そう思った。

 

 そして、少女は箱を開けた。中に入っていたのは布に巻かれた小さな物体だった。触ってみると固い。においは何というか木のような…あるいはスパイシー? 少し甘いにおいもした。

 その物体に夢中になっていた彼女は、布を解こうとした時、風の音を聞いた。

 

「……え?」

 

 顔をあげたその場所は、倉の中ではない。いつの間にか、森の中に少女はいた。

 混乱する彼女は、そこでまた気づく。持っていた黒い箱が消え、手の中に布に巻かれた小さな物体だけが残っていた。

 

 途端に、恐怖が全身を覆った。少女はわけもわからず走り出した。

 

 走って走って、走り疲れた先で、とうとううずくまる。きっと自分がいなくなったことに気づいて、大人たちが探しているはずだと、両手を強く握って祈った。

 

 そこで、彼女は握ったままだった物体に気づいた。走っている最中に解けたようで、布が中途半端にめくれている。

 少女はそれを取ってみることにした。

 

「黒い……石?」

 

 瞬間、少女は嘔吐した。胃の中のものをすべてぶちまけ、地面に這いつくばった。体の機能が狂い、粗相をしながらまた吐く。とにかく気持ちが悪い。

 地面をかきむしって、その場から這いずりながら逃げた。原因があの黒い石にあることはすぐにわかった。

 とにかく、とにかく逃げて────、

 

「!」

 

 茂みをかき分け、こちらへ近づいてくる音がする。

 大人が自分を探しにきてくれた。これで助かる。少女はそう思った。

 

 

『ァ  ア』

 

 

 何かの声が聞こえた直後、少女の体が転がった。首から上が消え、血が吹き出る。

 肉を咀嚼する音があたりに響く。ソレは────呪霊は少女を食らい尽くすと、黒い石に目を留める。

 それから感じられる、呪力の気配。呪霊は口角をあげ、黒い石を平らげた。

 

『ア、アゥ』

 

 呪霊の姿がぼこぼこと音を立て、変容していく。

 

 

 ────この時、推定1級だった呪霊が、特級相当に変わった瞬間だった。

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 一瞬のことだ。灰原はその姿をとらえることすら叶わず、櫻はギリギリで察知して、灰原をつかみ避けた。

 灰原の目が見開かれる。先ほど自分たちがいた場所が雑草一つ残さず消し炭になった。

 

「安倍っ、せ…」

 

 灰原の言葉が途中で止まる。鮮血にしては黒い(虫が混ざっている影響だろう)血が、安倍の肩から流れていく。肩口からその先がない。ぼとりと、腕の一部が地面に落ちた。

 

 時間が止まったかのような感覚さえした。しかし時は1秒ずつ刻む。それどころか、0.1秒の判断ミスがそのまま自分たちの命を奪う現状である。

 

 櫻は出血部位から虫を確認する。少なくない血が体外に流れているため、虫にまわす分の血が足りない。呼吸をして、回りの悪い酸素を無理やり脳に届ける。

 

(灰原くんを守らなきゃ──)

 

 櫻は灰原の背を押し、呪霊と相対する。数時間前に逃げていったはずの呪霊は、元の面影を残しつつもさらなる進化を果たした。

 この短期間で脅威度を上げている。その理由はわからない。今すべきことは死にものぐるいで逃げること。五条が一刻も早く現場に着けばよいのだが。

 

 

「安倍先輩ッ!!!」

 

「っ……!!」

 

 ふざけるなと櫻は思った。相手の動きが1級ではない。これでは特級だ。2級が1級でもなく特級になったというのか?

 防戦するもハンマーを握るには片手だけだと安定せず、簡単に弾かれてしまう。ならば素手でと思うが、単純に相手の動きが速すぎる。あの口元に傷のある男ほどではない。しかし、それでも速い。

 

 腕に続いて足を吹き飛ばされ、彼女は倒れた。1分もかからずこの有様だ。これでは灰原が逃げる時間も稼げない。

 

(どうして、私はこんなにも弱い)

 

 呪霊を食べるだけ強くなる術式を持っているのに、彼女は弱い。特級相手にこのザマだ。きっと五条や夏油、九十九だったら簡単に倒せてしまえるのだろう。

 

(立て………立っただろ。もっと限界だったあの時は。あのクソ男に刀で滅多刺しにされた時は)

 

 櫻は残っている手足を動かし、芋虫のように地面を這う。

 

(いやだいやだいやだ)

 

 灰原は逃げていなかった。櫻の前に立ち塞がる。灰原の体は震えることなく、特級呪霊と向き合う。

 それは愚行だと、彼女は思う。勇敢さではない。力の差をわきまえなけれなばらない。しかしそれは彼女も同じだった。

 灰原を殴ってても気絶させて、少女の捜索を待つべきだった。後悔後あと先に立たず、とはまさしくこれか。結局少女もまだ見つかっていない。

 

「なんでっ……!」

 

「すみません……安倍先輩。

 

 

 ────()()()()()()の前だと、格好つけたがる年頃なんです」

 

 

 櫻の目が丸くなる。灰原はイタズラっぽく笑った。

 呪霊の攻撃が迫る。灰原雄は動かない。

 

 

 

 血が降った。裂かれた灰原の腹から、内臓がこぼれ落ちる。どこまでも真っ赤な色に、櫻の目が釘付けになる。美味そうな赤色だった。こんな時にも空腹を感じる頭は狂った思考をもたらす。

 

 しかし、それ以上に激情を抱いた。

 

 灰原は友人で、何よりかわいい後輩だった。先輩を「女の子」と称するのはちょっとどうなのだろうとも思う。ガールではなく、レディだろう。櫻の年齢的にも。

 

 倒れた体を不ぞろいの体で抱きとめる。

 彼女の体にも激痛が走った。呪霊が大口を開け、足に食らいついている。

 

(あぁ……)

 

 ハングリーな己の結末(ラスト)は、呪霊の腹におさまって死ぬのか。

 なんたる皮肉だろうか。次第に彼女の意識は遠ざかっていった。

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 細い指が指し示す。エサのある場所を。

 進化を果たしたばかりの呪霊は飢えている。同時に、己が生物の頂点に立ったような全能感を抱いている。

 呪霊は示された場所へと向かい出す。己の腹を満たすために。

 その命令をすんなりと受け入れていることに、何の違和感も持たずに。

 そこには人間がたくさん集まっている。実にうまそうだった。

 

 

「七海建人を殺してはいけないよ」

 

 

 綺麗なその笑みに呪霊は頷く。ナナミケント、ナナミケント……自分を狙った呪術師の一人だ。金髪の、前髪を7:3に分けている人間。

 呪術師は呪力が多い。きっとナナミもおいしい。よだれを垂らした呪霊はしかし、自分に向く微笑みにハッとする。

 命令はそう、絶対だ。逆らう選択肢はそもそも存在しない。()()()()()()して、呪霊は進化しているのだから。

 

「では、行ってらっしゃい」

 

 日が明るみ始めた中、呪霊は進行を始める。

 

 今朝はお肉まつりだった。

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