腹ペコ毒蟲【新版】   作:アンディライリーのうさぎ

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七章で一応このお話は一区切りにします。


七章
41話 人生は色々


「検視の見解では、死後硬直からみて、灰原は昨晩には亡くなったと考えられるってさ」

 

「おつかれ」

 

「おう、五条もな」

 

 硝子は長椅子に座る五条の横にぼすんと座った。横に幅を取っている足を、邪魔だと言わんばかりに手ではらう。長い足は渋々と閉じられた。

 

「解剖を見てる時ってさ、どんな気分なワケ?」

 

「いいもんじゃないよ。でも、見なきゃいけない。私がやる側になるんだから」

 

 反転術式を五条のように自分に使うならともかく、他人に使う場合は人体への理解も必要になってくる。タバコをふかす硝子の顔は、お世辞にもいいとは言えない。

 これは呪術師としての、家入硝子の覚悟だった。

 

「まぁ、殺したのが呪霊なのは確かだ。()()()()()なら、灰原の遺体はもっと小さくなっていたよ」

 

「………」

 

「失われた臓器や肉は思ったよりも少なかった。それでも、縫合した時の腹は随分とへこんでたけどさ…」

 

「………」

 

「なんか言えよ、五条」

 

 硝子は唇を噛みしめる。

 五条は閉口している。検視にまわす前の灰原の遺体と面会した夏油も、言葉を失っていた。

 

 そして、彼ら以上に灰原と任務をともにした二人の状態は悪かった。

 

 七海はケガは治ったものの、心因性によるもので声が出せなくなっている。

 安倍は────心が、壊れかかっている。あるいはもう、壊れてしまったのかもしれない。

 

 硝子が現場に着く間際で灰原の殉職を知り、急いで向かった時。

 安倍は頭を地面にこすりつけて七海に謝り、死体の灰原にも謝っていた。ごめんなさいと、ただひたすらに。

 

 

「等級違いの任務で、おまけに()()少女が行方不明になって、1級呪霊が少女が()()持っていた呪物を取りこんで特級になりましただって?」

 

 

 蔵に残されていた残穢と、少女の遺体の近辺にあった残穢が一致している。呪物、または呪具で転移した可能性が高いが、その『もの』は発見されなかった。

 一方で少女の遺体にはその『もの』とは異なる残穢もあった。五条が()たかぎり、この特徴は倒した呪霊と部分的に一致している。

 

 以上から、その『もの』の中に、呪霊が急激に強くなった呪物が保管されていたのではないかと推測されている。

 

 まるでだれかが仕込んだようではないか。

 硝子が言いたいのは、そういうことだ。

 

 

「なんか、知ってるんじゃないの?」

 

「パイセンがお前のこと、☆1で評価してるってのは話したろ。ちなみに俺は☆4」

 

「五条」

 

「つーかタバコの銘柄変えた?」

 

「五条!!」

 

「そんなに叫ぶなよ、硝子は俺のオカンかよ」

 

「反抗期なお前のオカンは夏油だろ」

 

「ケッ」

 

 五条は立ち上がる。反抗期らしく出て行きますよ、と。

 硝子は五条を睨んだ。五条悟はこういうところがある。ひとりで重いものを抱えようとする。その姿は彼が『最強』になってから、より顕著になった。隣には自分もいるというのに。

 

「おい、反抗期」

 

「んーですか」

 

「あんま、背負いすぎるなよ」

 

「…へーい」

 

 五条は軽く手を振り、気だるそうに去っていく。

 硝子は鼻を鳴らしてから、込み上げるものを誤魔化すように、制服の襟で目元を拭った。

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 2級術師灰原雄は、呪霊により殉職したとみなされた。

 

 腹の傷については呪霊に食い荒らされたのだろうと推測されている。同様の方法で、行方不明になった少女や、ほかの村人も肉体の一部を食い荒らされていた。

 一方で2級術師七海建人のように、ケガを負わされそのまま放っておかれた例もある。準1級術師安倍櫻についても、似たような呪霊の心理が働いたのだろうと考えられた。

 

 安倍が灰原を食らった事実を知るのは3年と七海のみ。彼女の手足の欠損については、補助監督と合流する前に完治している。

 

 

 櫻は高専から「入院が必要」と判断された。精神状態も危ういが、食べものを完全に受け付けなくなった。肉以外も食べることができない。水がギリギリという具合だ。

 

 鼻からチューブを出している彼女に、見舞いにきた歌姫が表情を歪める。体はかつての、義母に食事制限をさせられたあの頃に戻っている。

 細かった。歌姫が親指と人差し指で輪っかをつくったら、そこにすっぽりと手首がおさまってしまう。

 

「……櫻」

 

「………」

 

 櫻は歌姫から視線をそらす。彼女が病室に入ってきてから、一度も視線を合わせていない。

 

「……後輩のことは、残念だったわね」

 

「………」

 

「どうしよう。アンタのために、いろいろ食べ物を買ってきちゃったのに…」

 

「………」

 

「……ねぇ」

 

 歌姫の手が、櫻の手を包む。櫻の手は冷たかった。反対に、歌姫の手は温かい。

 

「アンタの異常な燃費の悪さじゃ、24時間チューブで栄養を流しても、やがてミイラになっちゃうわよ」

 

「………」

 

「…アンタが死んだら、私だっていやよ」

 

「はなして」

 

「アンタが私の持ってきたもの全部ドカ食いして気絶するまでッ、絶対に帰らないわよ!!!」

 

 歌姫はパンパンになったレジ袋を10袋も持ってきている。廊下を歩く彼女とすれ違った病人や看護婦が、白昼夢かと思ったほどだ。

 

「食べたら吐きますよ」

 

「なら口に突っ込んで気絶させる、を繰り返せばいいわ!!」

 

「正気の沙汰じゃない…」

 

「そうよ。でも、アンタよりは正気よ」

 

「………」

 

 ちょうどそこに入ってきた看護婦が、大量のレジ袋を見て絶句した。そしてこの病室の患者の状態を確認し、歌姫の抵抗虚しく一旦すべて没収された。

 うなだれた歌姫は、手で顔を覆いながら櫻を見る。向こうは外を見つめていた。

 

「……私じゃ、ダメってことね。アンタの役に立てない」

 

「ちがっ」

 

「あ、やっと目が合った」

 

「………」

 

「ほら、もう一度こっちを見なさいよ。この美人な先輩の顔を」

 

「………」

 

「…冥さんも心配してたわよ。時間が空いたらお見舞いに来るって」

 

「………」

 

「私もまた来るわ。アンタが元気になるまで、何度でも」

 

「………」

 

「この庵歌姫は、アンタの友人であり先輩であり、あと……こう、結びつきの強い何かしらの……アレだから!」

 

「………」

 

「……笑いっ、なさいよ、バカッ…」

 

 唇を震わせた歌姫は、背を向けて病室を後にした。舞ったしずくが櫻の手のひらに落ちた。彼女が手を持ち上げると、その水滴が甲をつたい、シーツの上に落ちる。

 櫻はぐったりとベッドに体を預けた。

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 任務に派遣された夏油傑が100名以上の村人を殺し、逃亡した。

 

 

 

 紅茶をすする女性が、ふふと吐息をこぼす。今日は冒険心から、普段はあまり飲まない味を嗜んでいる。カップを傾け、口につけるその姿は洗練されている。

 

『計画は順調のようだね』

 

 そう語ったのは女の前にいる黒い虫だった。芋虫の形をしたそれは、うぞうぞとうごめく。お世辞にもティータイムに視界に入れたいものではない。

 

『いずれ手に入れるなら、ぜひとも腕の一本くらいは味見したいね』

 

「『呪霊操術』の使い手は、君にとってそんなにご馳走なのかい?」

 

『強さ=美味いというわけではないのだよ、羂索。まぁこの感覚は、今後も君にはわかるまい』

 

 ちなみに、と虫は続ける。

 

『アイヌ料理は食べたことがあるかね? 私はまだないのだ。残念なことに』

 

「ホォ、何か食べたいものでも?」

 

『アイヌ料理にはチタタプというものがある。君なら知っているだろうが、食材を細かく刻んで調理する料理のことだ。魚や獣の肉、内臓、そして脳みそなどを──』

 

「えいっ」

 

 虫は蚊でも叩くように、女の手によって潰された。グチャと音がした後、黒い糸が引く。テーブルの上でピクピクと、虫の息な虫が動いた。

 

「おっと、蚊を仕留めたつもりだったんだが、まさか友を亡き者にしてしまうとは」

 

『死んで、ないわい…』

 

 虫が徐々に液体のように溶けていく。女は届いたケーキを口に運んだ。

 

『いつか不死の肉も味わってみたいものだ』

 

「ハハッ、絶対に腹を壊すぞ」

 

『…その可能性もあるかもしれない』

 

 では、と言った虫の形が崩れ、黒い血がテーブルに広がる。

 女はその血をナプキンで拭きとり、手の中で丸める。

 

 

くだらないもの(愛とやら)に興じるその精神性が、相も変わらず私には理解しがたいな」

 

 

 女の笑みには、嘲笑が含まれていた。

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 夜、櫻の病室の戸が開いた。その音に目を覚ました彼女は、暗闇から現れた人物へ視線を向ける。

 

「こんばんは、安倍先……いや、もう「先輩」ではないから、安倍さんかな?」

 

「ちょっと太った?」

 

「家族が心配して、あれこれと食べさせてくるからですかね」

 

 夏油は細くなった安倍の姿を見た。胃に穴が空けられたんだぜ、と向こうは病院服をめくろうとしている。夏油はその手を止めさせてから、側の椅子に座った。

 

「私が来たこと、驚かれないんですね」

 

「何となく、来るんじゃないかとは思ってた」

 

 櫻はあの任務の前日、夏油と話したことを思い出す。

 非術師を救う価値があるのかわからなくなっていた夏油。その『答え』を導き出したのが、今の夏油の姿だ。

 彼女は非術師の宗教団体に利用された立場だ。要は勧誘だろう。

 

「一応、土産は持ってきたんですが…無理そうですね」

 

「……お酒!!」

 

 櫻は手を伸ばしたが、避けられてしまった。さすがに人を大量に殺しても、病人に酒を飲ましてはならない、の常識は残っているらしい。

 

「私は、非術師のいない世界を作るつもりです」

 

「お酒!!!」

 

「………」

 

「あっー!!」

 

「アルコール依存症になってるんじゃないか? アンタ?」

 

 酒は夏油の腹に入った。櫻は絶望の目で一連の様子を見て、ベッドに沈んだ。

 

「犯罪者がここに何の用?」

 

「一応、勧誘活動に」

 

「……私が、非術師を殺して喜ぶような人間だと思う?」

 

非術師(ニンゲン)は、お嫌いなんでしょう?」

 

 背を丸めた夏油の距離が近づく。マンバンにしていたはずの髪は、団子だけ残して後ろに流され、奔放に跳ねていた。

 

 思わず彼女の喉が鳴った。ゆるい服から覗く首元に、視線が釘付けになってしまう。そのことに自分で気づいてから、目が不自然なほどに泳ぐ。強烈なまでの飢えが、彼女の理性とは別に襲う。胃の中のものが競り上がってくる感覚がし、口もとを押さえた。しかし、手の端から垂れて落ちたのは、胃液ではなく唾液だ。ボタボタと流れてくる。滝のように。

 

 

「灰原は、美味しかったんですか?」

 

「フッ……、ッ」

 

「泣くほど、美味しかったんですか」

 

「違うッ!!!」

 

「でも、あなたは泣いてらっしゃる」

 

「食べたくて食べたかったわけじゃない!!!! わたし、私は………」

 

「じゃあなぜ、灰原を食べたんですか」

 

「…………やめてよ」

 

「──安倍先輩」

 

 彼女を見つめる夏油の瞳は冷たい。闇色の瞳の中に、怒りを感じ取った。しかし、別の感情もあった。

 櫻にはしかし、その怒りばかりが自分を突き刺す杭になる。ごめんなさい、と彼女は謝る。

 

「私が……バケモノだから」

 

「………」

 

「バケモノ、だから………食らったの」

 

「………」

 

「死のうと思ったの。生きてちゃいけなかったの。私はだって、バケモノだから。でも、死にたくない。死のうと思ったら死にたくないって思うの。おかしいよ。死んだ方がいいのに。死ぬべきなのに。私は…………私は、生まれてくるべきじゃなかった」

 

 虫の忌々しい本能は、彼女を殺すまいとする。しかし理性の部分は、どうしようもなく罪の意識に苛まれ、死にたがっている。

 

 

「あなたは確かに、ひとの味を覚えた獣だ」

 

「………」

 

「でも、人の肉を食らうだけなら、もっとイかれた思考をした呪詛師はごまんといる。それこそ────私のように」

 

「……非術師を、消すんだっけ」

 

「えぇ。猿どもをこの世から消します」

 

「………確かに、イかれてるや」

 

 その狂った考えを示すように、夏油は満面の笑みを作る。

 櫻はとうとう、目の前にある首元から視線を離せなくなった。

 

「味は覚えていないんでしたよね」

 

「……こないで」

 

「感想を聞いてみたくもあるんですが」

 

「おねがいだから」

 

 櫻はギュッと目をつむった。自分の手を強く噛みしめる。血の味がした。

 まぶたの裏に義母は院長の姿が浮かぶ。義母は非術師だった。義兄の顔も浮かぶ。

 非術師の中の、愛した人たち。

「非術師をどう思っているか」に対する彼女の答えが、彼らだ。それをこの男に以前、伝えたはずなのに。

 

 肉がうまそうだ。思考が狂っている。

 

 ブチリとちぎれた音がした後、数本の指がシーツに落ちる。転がった虫たちが、滑らかなその上を無駄な抵抗をしながらすべり落ちていく。

 

「私は受け入れますよ。私の家族も、あなたを」

 

「………私は、心までバケモノにはなりたくない」

 

「…そうですか。残念だ」

 

 夏油は体を起こし、距離を置く。櫻は「殺さないの?」と尋ねた。夏油は苦笑いする。

 

「殺しにきたわけではないので」

 

「……このこと、坊ちゃんに話しても殺さない?」

 

「お好きにどうぞ」

 

「………わかった」

 

 ペタペタとサンダルが床とついたり離れたりする音が病室に響いた。戸が音を立てて開く。

 夏油は最後に彼女の方を見た。

 

 

「七海、術師を続けるかどうかのところまで、追い込まれていましたよ」

 

 

 おやすみなさい、の声とともに、戸が閉められる。

 

 櫻はしばし閉められた戸を見つめ、それから月を見た。

 

「………満月だったんだ」

 

 

 

 彼女は考えた。

 これからの、自分のことを。

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