腹ペコ毒蟲【新版】   作:アンディライリーのうさぎ

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 五条に頼まれ──と、いうより押しつけられ、伏黒を任務に連れていく機会が増えた櫻。

 時間は次第に流れ、恵は小3になった。身長もぐんぐんと伸びている。

 

 恵の同行はあまり喜ばしくない。彼がいると、櫻は呪霊を捕食することができない。近ごろ、ペアを組む任務も増えた。彼女は学長になっていた夜蛾に、なるべくなら単独任務を増やしてほしいと頼んだ。

 

 だが、夜蛾に首を横に振られてしまった。単独の仕事はその分リスクも高まる。できるなら2名ほどのペアを組むのが望ましい。

 

「お前は働きすぎだ。少し休んだ方がいい」

 

「でも、呪霊を倒すのが呪術師じゃないですか」

 

「無理をして倒れたら本末転倒だ。お前には自己管理能力がいささか足りん」

 

「失礼ですね。私は生まれてこの方、風邪ひとつ引いたことがありません」

 

 真っ赤な瞳が夜蛾を見つめた。その瞳の彩度は年々上がっている気がする。今にも血がこぼれそうだった。

 

 側から見て、1級術師安倍櫻はイかれている。そのイかれ具合は数年前ならその食欲だった。とにかく異常なまでに食べる。だが、最近は一般的な量しか食べない。彼女が一桁近い年齢の時から知る夜蛾は、その異常を人一倍感じている。

 

 今の彼女は呪霊を倒すことに執着している。任務ばかり請け負い、任務の入っていない日でも「ちょっと山へ柴刈りに行ってきます」などと行って、ハイキングの格好で出かけていく。あれは単なる山登りではないだろう。山とは人の目が少なく、呪霊も発見しにくい場である。虫に探らせ、呪霊を討伐している可能性が高い。──いや、まぁ、本当に柴を土産に持ち帰ったこともあるのだが。

 本当に退治しているなら、高専に報告する義務がある。それをしていないのも問題だ。

 

 ともかく、今の安倍櫻は呪霊の討伐に執着している点でイかれている。

 彼女の変化はまず間違いなく、灰原の死と、高専を辞めた七海が影響している。

 

 

「…もしかしなくとも、五条悟って人が手回ししてませんか?」

 

「さてな」

 

 

 夜蛾もまた、彼女が何かを隠していることは気づいている。失踪した彼女の義父や、児相に引き取られる前に森の中で暮らしていたという点。ほかにも気にかかるところを挙げたらキリがない。

 

 しかして彼もまた黙認を選ぶ。誰にしも、秘密の一つや二つはある。

 

 もちろん万が一を考え、裁く覚悟もある。教え子だった夏油傑へ抱いたものと、同じ覚悟だ。

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 自給自足では力の成長も限度がある。やはり任務が呪霊の質も、栄養価も高い。

 

 食べるなら美味いものがいい。人間の、それこそ女子どものような。

 

 女子どもの肉は思い返せば食べたことがない。

 

 櫻は持っていたフォークで自分の手を刺し、テーブルに縫いつける。虫があふれ、倒れたカップ麺の中で溺れた。自室の中は薄暗い。食べる習慣はきちんとつけている。でないと、うっかり1か月何も食べていません、になりかねない。人に不審に思われてはならない。これ以上は。

 

 結局食欲にばかり思考を取られている。任務の中で見る悲惨な人間たちの死に対し、何の感情も抱かなくなっている。灰原雄の死を思い出すと、今でも鮮烈な罪悪感が湧き起こるのに。

 

 

 

 

 

 その日は恵も同行する任務だった。

 

「安倍さんは、どうして呪術師になったんですか?」

 

「え?」

 

「言いにくかったら、いいんですけど」

 

「……そうだね」

 

 櫻は苗字をそのままにすることと、衣食住の保障を条件に呪術師の提案を呑んだ。

 苗字のことを話すと過去の件にも触れなければならなくなるので、端的に「食費のためだよ」と話した。

 

「……本当に大食いだったんですか?」

 

「食費だけで、月100万を超えたこともあるよ」

 

「ハ?」

 

 恵の目が引いている。櫻も今の食費と比べると、「ヤベェよな…」と感じる。

 

「恵くんの方は、いろいろと込み入った事情があるよね」

 

「…はい」

 

「あまり気乗りしないみたいだね」

 

「………」

 

 恵は高専から資金援助を得るかわりに、将来呪術師になることを決められている。

 

 

「伏黒くんは、非術師を守りたいとか、そういう考えはあるの?」

 

「…今のところはないです」

 

「そっか」

 

「安倍さんは…あるんですか? そういう……呪術師をやる上での指針、みたいなものが」

 

「『指針』なんて難しい言葉、よく知ってるね!」

 

「バカにしてんですか…」

 

「いやぁ……だって、私は10歳くらいまでかけ算すら怪しかったから」

 

 恵は学校でも成績が優秀らしい。テストで取った点数を褒めると、いつも顔を逸らして、少し耳を赤くしながら「まぁ、津美紀の方が頭がいいですよ」と言う。

 

「…おっと、そうだった。私の指針の話だったね。うん、そうだな………もし叶うなら、五条くんみたいな強い呪術師になることかな」

 

「………」

 

「ものすごく、イヤな顔をしているね」

 

「この間、あの人にイタズラされたのを思い出しました」

 

「五条くんって、精神年齢が8歳のままな時があるんだよなぁ…」

 

「………安倍さんが強くなりたいのは、非術師を守りたいからですか?」

 

「うん、そうだよ」

 

「本当に?」

 

 黒い瞳が、じっと彼女を見つめる。最近やたらと目を逸らすことが多くなっているが、今は彼女の瞳に視線を合わせている。

 伏黒恵は時折、本当に8歳なのかと疑うほど鋭くなる。

 

 

「…ちょっと、暗い話になるけどいい?」

 

「……はい」

 

 櫻は、以前後輩が目の前で死んでしまったことを語った。

 そして、その死が自分の弱さが原因だったがゆえに、強くなりたいと願っているのだと。

 

「力が必要なんだ。それこそ、他人から「バケモノ」って言われるくらいの」

 

「…それってつまり、安倍さんは五条さんのことをバケモノだと思ってるわけですか?」

 

「力で言えばね。彼はバケモノだよ。誰もかないっこないさ。ただ、力がバケモノってだけで五条悟は人間だから、『バケモノ』ではないんだ」

 

「……なるほど?」

 

「私に足りないのは、力の方のバケモノってこと」

 

 すでに、彼女は『バケモノ』ではあった。もう一つのバケモノを揃えて、完全なバケモノになる。

 

「それって、辛くないんですか?」

 

「辛いとか苦しいとか、言ってられないよ」

 

「じゃあ、辛くは感じてるんですね」

 

「いや、感じてないよ」

 

 櫻はニィッと笑って見せる。恵の眉間に皺が寄った。子どもらしくない皺である。

 

「俺でも……なんとなく、アンタが無理してるのはわかってる」

 

「……困ったな」

 

「死んだ後輩のことを後悔して、そのために強さを求めるのは、きっと辛い」

 

「でも、それが私にできる罪滅ぼしだから」

 

「………」

 

 恵は瞳を伏せて、口をへの字にした。8歳にとってはだいぶ重すぎる内容だ。

 櫻は「ごめんね」と言って恵の頭を撫でる。──が、すぐに逃げられてしまった。

 

「急に撫でるっ……撫でないでください!」

 

「ツンツンしてる割には柔らかいよね」

 

「撫でるなって言ってんだよ!!」

 

 伏黒恵は思春期らしい。櫻はほのぼのとした。

 力に求心する中でも、彼のような存在は眩しい。

 

 しかし、途中で彼女は手を止めた。

 

 そういえばこの手は、バケモノの手だったと。

 そう思った瞬間、恵に触れるのが恐ろしくなった。

 

 

「……?」

 

 不自然に距離を置いた彼女に、恵は首を傾げた。

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 行く当てのない焦燥感と、罪悪感と、後悔と、嫌悪感と────。

 

 やり場のない感情をぶつける先がない。ギターやりてぇんすよ、と魔改造(防音)した自室の小部屋で、ロックを流す。周囲に張られたビニールですべては完璧だ。ギターは正直まったく上手くなっていない。そもそも触れるのは掃除の時だけだ。

 

 B級映画を怪演して、終わるとうつ伏せに倒れてそのまま虚無の時間を過ごす。眠れないのは相変わらずである。こんなことに時間を使うなら任務に行って呪霊を食べ、少しでも強くなれるように努力すべきなのだ。クソッ、忌々しいぞ五条悟──と、彼女は頭の中でセリフにする。声は出せなかった。怪演に力を使い果たした。最近起こった大災害の余波で、呪術師は初夏を過ぎても忙しい。だのに、自分に割り振られる仕事はペアばかりだし、そもそも少ない。出張ってる五条は30連勤くらいしてるかもしれない。さすがに最強だからって無理が来るだろう。私に任せろ坊ちゃん、と彼女はしゃべった。喉からは「ゴポポ」と異様な音がした。

 

 もういっそこのままミイラになってしまおうか。名案かもしれない。涙が流れる。肉が食べたい。赤ん坊の丸焼きか、灰原の内臓は美味しかった。気持ち悪い。世界が回る。自分で作った真っ赤な海で溺れる。本当だったら風呂場の方が処理が簡単だったが、風呂となると改造もしにくいし、そのまま怪演していると音が響いて、最終的に殺人容疑をかけられるかもしれない。

 

 死にたかった。しかし死ねなかった。灰原の肉を食べて七海を傷つけた自分は、自分の犯した罪のために生きて、呪霊を殺さなければならない。彼らの分まで戦い、殺さなければ。呪霊を。

 自分の肉は美味しくない。償わなければならない。目の前で大切に思う人が死ぬのはイヤだ。灰原が死んで、何より一番怖かったのは七海が死ぬことだった。連想してしまった。灰原への罪悪感よりその感情の方が大きかった。自分の最低の人間だと彼女は思った。罪を、償わなければ。

 

 七海を傷つけた。自分はどこまで行ってもバケモノで。一番恐れたことだった。灰原の美味しい肉を七海の前で食べた。七海は人間のお肉を美味しいと思わない。七海は人間だから。彼女はバケモノだった。ただただ傷つけて、死にたい。しんではならないつみを

 

 つぐな

 

 

 

 

 

「いきたく、ない」

 

 

 

 彼女は床をひっかいた。誰かに救いを求めるように。

 

 しかし、義母も院長も、七海もいない。彼女がいっとう大切に思う人間はもういない。誰にも縋れない。彼女は溺れた。血の海で溺れた。だれもいない。だれも────

 

 

 

「たす、けて」

 

 

 あふれた水滴は赤い色を吸収して、赤い液体になる。

 櫻は救いを求めた。

 

 誰もいない中で思い出した、絶対の存在に。

 

 

 

「なな、みん」

 

 

 

 幻覚かもしれない。今までずっと現れなかったイマジナリーフレンドナナミンが、彼女の前に現れた。

 櫻は子どものように顔を綻ばせて、ナナミンに抱きつく。

 ナナミン、ナナミン。

 彼女を裏切らない、絶対のフレンド(味方)

 櫻はナナミンのスーツに顔を埋める。世界で一番大好きな────いや、七海のことも同じくらい愛しているから、世界で同率一位に大好きなナナミン。

 

 

 

「いっしょにしのうよ、ななみん」

 

 

 

 イマジナリーフレンドナナミンは微笑んだ。櫻はその微笑みに首を傾げる。記憶の中にあるナナミンとは、笑い方が少し違う。

 でも、些細な問題だ。彼がナナミンなのは間違いないのだから。彼女がナナミンを見間違えるはずもない。

 

 イマジナリーフレンドナナミンは、いいですよ、の代わりにこう言った。

 

 

 

 ──────おやすみなさい。

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