腹ペコ毒蟲【新版】 作:アンディライリーのうさぎ
「硝子ちゃん、久しぶり〜」
「ドモ」
医師免許を
歌姫は色々とした事情で京都校の教師をやっている。そのため今回の飲み会は不参加になった。
「髪が伸びたね。白衣を着てるから、なんだか保健室のミステリアスなお姉さんって感じ」
「櫻先輩は変わらないですね」
「そうかな? あっ、すみませーん」
通りがかった店員は、色々とデカいお姉さんに生唾を飲みつつ、注文内容を聞く。
生ビール2つに、つくね20本──と頼んでいくデカいお姉さんに、店員は唖然とし、慌てて注文を聞き返す。厨房は今から戦争となるだろう。
「ではでは…」
「かんぱ〜い」
グラスとグラスがぶつかる。
「本当に、今年は例年と比べて異常なまでの
「数年前も初夏を過ぎても忙しい時期があったけど、その比じゃないね、今年は。歌姫ちゃんの方も忙しいみたいだよ」
「五条のやつは結局、何連勤まで行ったんでしたっけ?」
「52。現在も更新中。そして、合間に教職もやっている」
「ブラック過ぎるな………私の職場」
五条本人がケロッとしているのがまた恐ろしい。
ちょうどそこで、頼んだ焼き鳥が届き出した。皿に盛られた焼き鳥は1本ずつ、お上品に、しかし異常な速さで食べられていく。
「櫻先輩、美味しいですか?」
「うん!」
「ふふ、そうですか」
硝子は口元に笑みを浮かべ、ポケットからタバコとライターを取り出す。
炎が揺らめく。白い煙が居酒屋の頭上に漂う白いモヤと混ざり合った。
「やっぱり、先輩のいっぱい食べる姿を見るのはいいですね」
「食費がまたかさむようになったけどね」
「以前は味がわからなかったんでしょう?」
「気づいてたか」
「そりゃあ、気づかない方がおかしいですよ」
櫻は食べる時、うまそうに食べる。頬を赤らめたり、時には辛さのあまり眉間に皺を寄せたり。
食事の量が減退してから、それが一切なくなった。その原因も、五条と情報を共有していた硝子は見当がついている。呪霊の食べ過ぎによる、体質の変化だ。
「ちょっとテストしてもいいですか?」
「……まさか、反転術式?」
「いえ、味覚テストです」
硝子はポケットから白い包装に包まれた飴をいくつか取り出し、机に並べた。包装にはバラバラのマークが描かれている。におい自体は無臭で、それぞれ異なる味がついている。今からこれを一つずつ食べてもらい、味を当ててもらう。
「………」
飴の一つが手に取られ、包装を解かれる。すんと、においを嗅ぐ音。たしかに飴のにおいは無臭だった。
手の中で転がされていたそれが今度は、口の中で転がされる。この味は────、
「にっっが!!!」
「不正解です。「苦い」は苦いでも、正式名称を答えてもらわないと」
「えっ? 苦いじゃないの? ……うっわ、にがっ」
口の中の苦痛を和らげようと、焼き鳥に手が伸びる。すると、苦さと甘いタレがぶつかり合い、えもいわれぬ新たな苦しみが生まれた。硝子は愉快そうに笑っている。
そうだった。夏油と五条という
「………ゴーヤチャンプルー」
「おっ、正解。じゃあ次の飴をどうぞ」
甘い味はともかく、酸っぱいのと辛い飴も悶絶するものだった。硝子は笑いながらスマホで写真を撮り、酒を飲み進める。途中で追加のビールも注文していた。
「ハァ……」
忌々しき五条悟の毒牙にかかった彼女は、テーブルに額をつける。領収書をもらい、五条に叩きつけてやろうと考えた。そのくらいは当然許されるだろう。彼女はさらに追加で焼き鳥を頼む。こうなったらあの男の財布をすかんぴんにさせる。いや、それはさすがに無理か。
「アイツ、櫻先輩のこと気にかけてたみたいですよ。………夏油のことも、あったから」
「…知ってるよ。私の仕事に口を挟んだりしてたんでしょ。それと、少年のお守りについても。あれは単純に、仕事が忙しいから伏黒君にまわす時間がなかった──ってのもあるでしょうけど。でも……だからって、私に………」
「手、出しちゃったんですか?」
「その字面だけだと、犯罪臭がすごいな…」
「冗談ですよ」
伏黒恵には確かに、食欲をそそられた。子どもの肉だ。そして呪力も多い。
だが当然、食べたら必殺仕事人のメロディーを携えて、五条に殺される。いや本当になぜ目にかけている少年を自分に託したのか、正気を疑う。
「でも実際、櫻先輩は手を出さなかった」
「………」
「それが、すべてなんじゃないですか?」
自分を見つめる黒い瞳。その色は亡くなった灰原と似ている。それ以外はまったく違うタイプだったが。──いや、犬っぽいところは似ていたかもしれない。灰原はなつきやすいタイプで、恵は警戒心が強いタイプだ。
恵は時折、『呪術師』について尋ねた。その、少しひねくれながらも純朴な子どもの質問は、櫻に呪術師としての在り方を考えさせた。
罪悪感に囚われ、強さを追い求める自分。このままで私はいいのだろうかと、再考させる機会を与えた。
同時に恵も櫻を通して、呪術師となる自分の在り方というのを、幼いながらに考え、悩む様子も見受けられた。
五条はリスクもあるが、それ以上に相互に良い影響を与えると判断したのだろう。
いやしかし、だからといって、ニンゲンの味を知っている女の元に置くなよ普通。恵の将来に期待しているんだったらなおさら。
「ちょっとさ、紙一重なところがあると思わない? 五条君の考えって」
「帳を張り忘れた件は一生イジれますよ」
「………ふふっ」
口もとをナプキンで拭いながら笑った彼女に、硝子もフッと笑う。
飲み会は順当に進み、深夜になる前に終わりを迎えた。
◇◇◇
『私はね、「運命」だと思ったんだ』
張りついていた天井からテーブルに着地しようとして、うっかり紅茶にドボンしてしまった黒い虫が語る。
紅茶が顔にかかった女は、にっこりと笑っていた。
「すみませーん、虫がカップに入ったんですけど」
「えっ? ……あっ、たいへん申し訳ございません!」
新米と思しき店員に回収されたカップから、「羂索ゥ──!!」と悲痛な声が聞こえた。
女に代わりの紅茶が出される。黒い虫が息を切らしながらテーブルに戻ってきたのは、20分後だった。
「それで君が、「運命」を感じたという話だったね」
『………そうだ』
黒い虫はフンと腹を鳴らす。もちろん、本当に鼻を鳴らしたわけではない。そういう虫の心情ということである。
『そもそも、なぜ「ナナミン」なる「七海建人」が器の情報にあったのかがわからん』
「私に聞かれても、そこはさっぱりだ。興味深くはあるが」
この女が作った、黒い虫の
『まぁ、何が起こるのかわからないのが呪いか』
「あぁ、そうだね。壊れた君の人格……いや、虫格と言えばいいのか──が、戻ったように」
『壊れたのではない。
「虫の姿なんてしてるから、蠱毒の壺に入れられてしまったのさ。あぁ、お気の毒に」
『ニンゲンに取り憑く前だったのだ! 仕方なかろう……』
お気の毒、と言うわりに女は愉快そうに笑っている。黒い虫は、また紅茶で泳いでやろうかと思った。
『ともかく、私は運命だと思ったのだ。七海建人が、私の────否、
「これは話が長くなりそうだ」
『芋虫のように生まれ、生まれながらにして捨てられたこのわが身!』
「そんな君が呪霊を食らい生き延びて、最終的に祀られた後に、至高の一品として人間たちに食われたって話ね。もう聞き飽きている」
『そうである! 死んだ私は呪霊となり、時が流れ倭国に流れ着き────がぼぼっ』
「すみません、新しい紅茶ください」
虫は………今度は戻ってくるのに30分かかった。女はそろそろ店を出ようと立ち上がる。彼女はなにぶん、黒い虫の長話に付き合っていられるほど暇ではないのだ。
『………』
「仕方ない。君に免じてあと10分だけ時間を取ろう」
『ほぼ貴様のせいだからな?』
黒い虫はむっすりしていた。いや、表情は虫なのでわからないが……。
『期待していたのだ』
「愛が彼女の人生を、そして運命を、覆すと」
『しょせん、
「くだらないものに期待などするからだよ。君はずっとそうだ。求めている。渇望している」
『愛はくだらないものではない。尊いものだ。それをどうやったら、貴様に伝えられるのか』
「必死になっていた君と、色々やったのは面白くもあった。懐かしいね」
『私は君を友人だと思っている。君も私を「友」と呼ぶ。しかして君の辞書に友愛は存在するのだろうか。その「とも」は、文字どおりそのままの「友」なのだろうか? …まぁ、ここは考えても仕方ないことだ。君が私で実験をしている以上』
カップの中身はすっかり空になっていた。
空になったそれを、女の手が手持ち無沙汰に揺らす。
『運命は、運命ではなかった』
「あぁ」
『ゆえに、君の計画を手伝おう』
「片棒はすでに担いでいるけどねぇ」
女は黒い虫を手に乗せ、立ち上がる。
「親の愛を知らぬまま神として崇められ、最後は体をバラバラにされ、人間に食われていった芋虫」
黒い虫は愛に飢えている。愛というものを知りたがっている。
女はそれを、バカバカしいと思う。
しかし。
その愛とやらが、この芋虫を羽化させる鍵かもしれない。
女は友愛を与えたが、それでは芋虫を育てることが叶わなかった。
この虫が羽化した時、はたしてどんな姿になるのか。
女は興味がある。
虫がこれまで
生得領域である真っ赤な血の海は、黒い虫の胃の中でもある。
実に、興味深かった。
ゆえにこそ、女がくだらないと思うものに、黒い虫を溺れさせなければならない。
もっと深く沈めて、殺すように。
「おっと」
女に握り潰された虫は、液体となり床に落ちた。
「手が、滑っちゃった」
崩れかかっている虫が文句を言う。
今のところ、『探しもの』に虫を借りるくらいかな、と女は言った。
どの道まだ、動き出す時期ではないとも女は語った。
虫は、グルメの旅に出ようかな、とひとりごちた。
虫は矛盾している。ニンゲンを嫌いながら、そのニンゲンが織りなす愛を尊く思っているのだから。
「ではまたね、
女にとってこれは────ひと夏の、自由研究のようなものだった。
あるいはもっと深い、研究なのかもしれない。