腹ペコ毒蟲【新版】   作:アンディライリーのうさぎ

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47話 「好き」とは言えないが、

 櫻は困惑した。「伏黒くんはもうすぐ夏休みかー」と話していたのは記憶に新しい。

 しかして、気づけばカレンダーが『9月』になっているではありませんか。

 

 しかもガラケーだったはずなのに、スマフォに変わっている。いつか買い換えようとは思っていたが、買い替えに行った記憶はない。

 

 

 最後の記憶にあるのは、恵を任務に連れて行ったこと。それから帰って────やはり、思い出せない。

 

 呪い化の影響で、記憶まで飛ぶようになってしまったのだろうか? 起きた時には、側に硝子もいた。パソコンに何か打っていた彼女はベッドの軋む音に気がつくと、たばこを咥えたまま振り返る。テーブルの灰皿には無数のひしゃげた吸い殻がある。硝子はキャスター付きの椅子に座ったまま、デスクを蹴やり、ベッドの側にきた。

 

「櫻先輩、体調はどうですか?」

 

「『ありのまま、今起こったことを話すぜ…!!』な気分」

 

「うん、いつもの先輩だ」

 

「………私、どうしちゃったの?」

 

「薄々察してるかもしれませんが、呪いの進行で記憶が抜け落ちていたみたいですね。久しぶりに会った五条が先輩の呪力の異変に気づいて、ブン殴りました」

 

「ぶ……ブン殴った??」

 

「えぇ。それはもう、嫁入り前の顔に思いっきりブン殴って、櫻先輩を昏倒させました」

 

「………ひ、ひどい」

 

「それがショック療法になって、呪力が正常に戻った感じです」

 

「人を、映りの悪い昭和のテレビみたいに……」

 

「まぁ、記憶は無いだけで普通に生活していたので、私も五条に言われなければ気づけませんでした」

 

「…ありがとう、硝子ちゃん」

 

「いえ、先輩が戻って、よかったです」

 

 珍しく、硝子が心からうれしい時の笑みを作った。

 櫻はそれを見て、目を丸くする。その笑みを、久しぶりに見た気がした。

 ──いや、ずっと自分が力を求めてろくに硝子と会わなかったのだ。会っても、意図的に視線を逸らしていた。

 

 櫻はシーツを握りしめる。

 

「……ごめんね、硝子ちゃん」

 

「何で、先輩が謝るんですか」

 

「…今さらだけど、たくさん迷惑かけちゃったなぁ……って」

 

 不思議と脳がスッキリしている今、周囲への罪悪感が湧いてくる。

 灰原への償いとして、そして傷つけてしまった七海への罪滅ぼしとして、突っ走っていた。力をつければ、灰原のように仲間を死なさずに済む。

 その姿に五条や硝子はおろか、ひとまわり以上年下の恵にも心配をかけさせてしまった。

 

 なんと、愚かなのだろう。

 

 

「いいんですよ、先輩。後輩だろうと迷惑をかけて」

 

「……でも」

 

「五条なんて、伊地知の胃に穴が空くほどこき使ってますから」

 

「………」

 

「…いや、違う。『頼って』いいんですよ」

 

 硝子は櫻の手を握った。ニコチンは確か血管を収縮させる作用があるんだったか。体内の熱が逃げにくくなる一方で、皮膚の表面が冷たくなる。

 硝子の手はひんやりとしていた。熱い体温の櫻には、その冷たさが心地よい。冷たさ以外にも、包まれる感覚が脈を落ち着かせる。

 

「……じゃあ、何か困ったことがあったら、頼っちゃおうかな」

 

「いくらでもいいですよ」

 

 お互いに顔を見合わせて、二人は笑った。

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 一応と、硝子に身体検査をされたのち、櫻は自室に向かった。記憶がなくなった間の自分の行動を把握する必要がある。

 向かう間にスマホの中身を確認しようとしたところ、パスワードの4桁にぶち当たった。

 

(七海くんの誕生日じゃない…!!?)

 

 彼女は衝撃を受けつつ、ならばと自分の誕生日を打ち込む。しかして、これも失敗した。だったら、銀行の暗証番号はどうか。試してみたが、これも違う。

 幾度かそうして試していると、ロックがかかってしまった。一定の時間を空けなければ、パスワードを打ち込むこともできない。

 

「探せばパスワードのメモがどこかにあるかもしれないか…」

 

 ひとまず、スマホの情報は後にすることにした。

 触っているうちに気づいたが、スマホカバーの裏に空間がある。パスワードがわかったらそこにメモを……いや、それは不用心か。

 ちょうど良さげなスペースなので、そこに過去のプリを貼ろうと考えた。

 

「………」

 

 自室に向かっていたはずなのだが、気づけば彼女は食堂にいる。

 お腹減ったな、と思った時にはすでに、目的地が変わっていた。

 今はなぜか、無性に食べたかった。自分のおぞましい食欲に抗いたい。しかし、腹が減った。

 百面相をしていると、高専時代から顔見知りのおばちゃんが「今日は何にする?」と笑顔で尋ねてきた。

 櫻はまた気づけば、「ありったけを」と頼んでいた。

「ありったけ?」とおばちゃんは聞き返す。

 櫻は頷く。

 おばちゃんの目が、老兵のそれに変わる。歴戦のたたかいを生き抜いた者が持つそれだ。

 おばちゃんの指示を受け、料理人たちが動き出す。若い者の中には、「俺、死にたくないよぉ…!!」と涙をこぼす者もいたとか、なんとか。

 

 

「美味しいっ!」

 

 

 この日、安倍櫻は保管されている食料をすべて食べ尽くし────、「さすがに限度を知れ」と、学長に怒られることになった。

 

 この後、彼女は買い出しの手伝いを命じられた。

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 買い出しだなんだと行っていたら、時刻は夜である。

 昼間は汗だくになるが、夜は秋を感じさせる涼しさだ。

 

 彼女はがんばったご褒美に、酒を飲むことにした。味覚が戻っていたのはうれしい限りだ。力への求心は相変わらずある。しかしそれで周囲に迷惑をかけ、さらにご飯を楽しめなくなるならば、節度を守るべきである。

 

 彼女は一度止まることにした。止まって、焦らず一歩ずつ、進むことにした。

 

「お酒ないじゃん!!」

 

 冷凍庫に一本も入っていない。櫻は仕方なく、自販機へ買いに出かけた。

 

 そういえば、最近──といっても記憶が抜け落ちる前の話ではあるが、未成年者を考慮して、高専内におけるアルコールを撤去する話が出ているとか。

 彼女としては勘弁願いたい。酒がなくなった時の頼みの綱なのだ。あの自販機は。

 

「そういえば、おつまみはあったかな? 家に……うーん、確認し損ねたぞ」

 

 今から作るのはちと気力がない。記憶が抜け落ちた衝撃から始まって、買い出しの手伝い。精神的な疲労が溜まっている。

 

 おつまみおつまみ…。

 

 悩んでいた彼女の耳に聞こえる、虫の声。たしか地方によっては虫を食べる習慣があったはずだ。虫のサイズだと、おつまみの大きさにピッタリかもしれない。

 なら問題は酒との相性だ。

 

 茂みに入った櫻は、コオロギを捕まえて食べた。久しぶりのコオロギである。

 

「うーん……却下」

 

 酒には合わなそうだった。なら、セミかトンボあたりか。しかし見つける手間がかかるし、だったら普通におつまみを作った方が──、

 

 そこで、櫻の肩が跳ねた。自分を凝視する五条がすぐ側にいたからだ。音もなく近寄るとか忍者じゃなかろうか? 宇宙人と遭遇したような顔をしている五条に、櫻は仕留めていたもう一匹のコオロギを差し出す。

 

 

「要ります?」

 

「要らねぇよ…!!」

 

 五条は頭をかき、何か言いたそうな顔をする。彼女はこの男にぶん殴られたのだ。胡乱な目をする櫻に、五条もまた胡乱な目をした。

 

「いくら人を正気に戻すからって、普通あり得ないですよ。私だって一応乙女なのに…」

 

「文句言うなよ」

 

「人の顔をぶん殴るとか…」

 

「ちょっと待て、顔は殴ってない」

 

「……腹パン?」

 

「…首トンだ」

 

 櫻はくま吉へ向けるうさみちゃんの目で五条を見つめながら、一歩一歩自販機の方向へ後退していく。

 

 

「あっ、そうだ」

 

 そこで、彼女は五条ならパスワードがわかるのではないかと、スマホを取り出した。

 事情を聞いた五条は「さすがにわかんねぇわ」と返した。

 

「そういや恵の件、助かった」

 

「いえいえ。………これって、ショップに行ったらどうにかなるのかな…」

 

 ブツブツと喋りながら歩く彼女の後ろを、五条がついてくる。

 持って行くなら、買った証明証も持って行く必要があるだろう。早めに行かないと、任務で困ることになる。

 考えながら硬貨を入れ、ビールのボタンを押す前にガタン、と音が鳴った。我にかえった彼女は、隣でいかにも甘そうな飲み物を飲む五条を見やる。

 

「僕ってかわいい後輩でしょ?」

 

「あなたのどこがかわいいんだか………あれ?」

 

「『待って、私さっき五条悟にお礼を言われた?』」

 

「………待って、私さっき五条悟にお礼を……ン?」

 

「どっからどう見ても五条悟でしょ」

 

「……六眼はとうとう人の頭を読めるようになったんですか?」

 

「お前がわかりやすいだけだっての」

 

 そうか…そうなのか?

 櫻は眉を寄せつつ、今度こそお目当ての酒を買った。

 五条は彼女が食堂の食料を空にし、夜蛾に叱られたことをネタにしてくる。

 

「まぁ、呪霊を食べすぎるよりはマシか」

 

「そうですよ」

 

「だからって食い尽くすのは信じられねぇわ…」

 

「お腹が空いてたんですよ。…あと、美味しかったから」

 

「……そう」

 

 櫻はズズッと酒を飲む。片手ではスマホに触れていた。

 そこでふと、五条や夏油とはプリクラを撮ったことがなかったことを思い出した。灰原とは七海と三人で撮ったことがある。

 今の時代、プリクラは古いかもしれない。ただ、自分たちの青春を彩るものだったのは間違いない。

 

 

「いつか、何かの集まりがあった時にでも、硝子ちゃんや歌姫ちゃんを交えてプリクラを撮ってみたいですね」

 

「僕も頭数に入れられてる感じ?」

 

「はい。夜蛾学長は難しいかな、さすがに。……いや、頼めばいけるか…? 伊地知くんは誰かさんのせいで忙しいかも…」

 

「パイセンさ、一つ聞いてもいい?」

 

「えぇ、なんでしょう」

 

 五条は夏油がまだ高専にいた時、悩んでいる彼と何か話したことがあるか尋ねてきた。

 櫻は少し考え、夜に遭遇したことを思い出す。そのことを五条に話した。

 

 彼女に「非術師をどう思っているか」と尋ねた夏油。そこまで櫻が話したところで、五条が口を開く。

 

 彼女はそれになんと答えたのか。いや、安倍櫻は非術師──もっといえば、ニンゲンをどう思っているのか。

 

「……人は苦手だと思います。良くも悪くも自分の容姿は目立ちますから。特にこの、血のような目は」

 

 自分たちの都合のよい神様として崇めていた人間たちに、自分を気味悪がった子どもや、陰口を言っていた施設の職員。そういったものが積み重なり、彼女は人との関わりを拒み学校へ行かなかった。行きたくなかった。

 

 ただ、彼女を愛してくれる人はいた。

 彼女をバケモノだとは知らなかったが、愛を注いでくれた。

 

 それに、バケモノと知りながら、変わらない笑顔を向けてくれる変わり者(ニンゲン)もいる。

 

 

()()()()()()()()────ですかね」

 

 

 彼女のその答えに、五条は静かに口角を上げた。




・未描写
櫻がガラケーをいじっている時に、ムスッとしている伏黒恵くん(8)。
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