腹ペコ毒蟲【新版】 作:アンディライリーのうさぎ
五の個人的な像が、後天的自己完結型で生来の気質は「ウエーイ!」になっているので、五√と言い張っておきながら攻略できない可能性もあります。タスケテ…。
1.空の蒼さを知った虫
どこもかしこも真っ赤なえほん。
じごくは、『わるい』ことをしたひとが行くんだって。
そこでわるいことをした人が『つみ』をつぐなうの。
『わるい』ことってなんだろう?
さくらにはちょっぴり、むつかしい。
「人に迷惑をかけたり、やってはいけないことをするのを、『悪い』ことと言うんですよ」
キズモノのじょちゅーがそう言った。
このじょちゅーは、えほんをよむのがじょうずなの。
「キズモノのじょちゅー」ってよんでるのは、あたまにキズがあるからなの。
ながいから、「キズモノ」ってよぶこともある。
「たとえば櫻様がこの間、障子に穴を空けましたよね。それもすべての障子に」
「うん、たのしかった!」
「障子を張り替えるのに、午前中を使って、使用人が総出で直したんです。櫻様は私を含めて彼らに迷惑をかけた。あれは櫻様の『悪い』こと────つまり、『罪』なんですよ」
「わるい…つみ?」
「さあ、絵本の続きを読みましょうか」
じごくは8つもあるんだって。
1.いきものをころしたり、いじめたひとが行く『とーかつじごく』
2.うそをついたり、ひとをだましたひとが行く『こくじょーじごく』
3.ひとのものをぬすんだひとが行く『しゅーごーじゅーたく』
4.おさけをたくさんのんでめーわくをかけたり、やくそくをやぶったひとが行く『きょーかんじごく』
5.きょーかんじごくより、もっとわるいことをしたひとが行く『だいこーかんじごく』
6.わるいことをたくさんしたひとが行く『えんねつじごく』
7.えんねつじごくよりもわるいことをしたひとが行く、ちょーファイヤーな『だいしょーねつじごく』
8.おやをいじめたり、
ほかにもじごくはあるみたいだけど、おもにこのじごくが、「すごいじごく!」ってところ。
ノコギリできられたり、いわにつぶされたり、かまでにられたり。
かまは、ごえもんぶろみたいなのかな? このおうちも、ごえもんぶろ。
おふろにはいるときは、じょちゅーもいっしょ。いっしょにゆでだこになるの。
「どーしてじごくがあるんだろ?」
「要は、「悪い事をしたら自分に返ってくるから、清く正しく生きよ」──ってことですよ」
「キズモノのじょちゅーは、じごくにいっちゃう?」
「そんなものがもしあったら、阿鼻地獄でしょうね」
「そんなにわるいことしたの!?」
「冗談ですよ。人間の死後はそもそも……いえ、これは櫻様にはむつかしすぎるお話ですから、やめておきましょう」
それにしても──と、キズモノのじょちゅーはおはなしする。
ふわっと、くさのにおいがした。
おにわのほうから、そよ風さんが、こんにちはってしてた。
◇◇◇
さくらのせいだ。
◇◇◇
キズモノのじょちゅーのだっこ、あったかくて、すきだった。
でも、しんじゃった。
さくらが、わがままだったから。
さくらがおそと、行きたいっていったから。
おうちをさがしたけど、みんないなかった。
いろんなとこがじごくみたいに真っ赤だったけど、だれもいない。
みんな、どこに行っちゃったんだろ。
キズ◻️ノのじょちゅーも、どこに行っちゃったんだろ。
ナナミンをよんでも、出てきてくれない。
いっぱいないてたら、ねむくなっちゃった。
がんばっておしいれからおふとんを出そうとしたけど、さくらにはおおきかった。とっても。それに、とってもおもい。
おしいれの中でねた。
もうおひさまが出てる。
このままじゃ、さくらはおなかがすいちゃう。
おなかがすくとさみしい? かなしい? ……ちがう、おなかがすくと、「いや」になっちゃう。
おそとに出なきゃ。
かべをこわして、おそとにはじめて出た。
これが森のにおい? おにわのにおいとにてるけど、ちょっとちがう。
それに、いろんな音がきこえる。
なんだか、とってもたのしくなる。オラわくわくすっぞ!
いっぱいはしったら、つかれちゃった。
おなかもすいた。おひさまも、どこかに行っちゃった。
木のそばでうずくまってたら、音がした。
とおくからだ。そっちの方にしずかにちかづいてみたら、草をもしゃもしゃたべてるどうぶつがいた。
シカさんだ。キ◻️◻️ノのじょちゅーがよんだえほんでみたことがある。
……くさ、おいしいのかな?
でも、シカさんの方がおいしそう。
おなががなった。その音にきづいたシカさんがかおをあげる。
ぴょんととびはねたシカさんは、しげみの中にはいって行った。
さくらはおいかけてた。だって、とってもお腹がすいたから。
つかまえたシカさんのお腹に食いついて、はで皮をはぐ。
シカさんはジタバタとあばれた。でも、食べているうちにうごかなくなった。
シカさんのおにくはおいしかった。
もっと食べたいとおもった。
でも、まちにも行かなきゃ。
まちにはおいしいものがたくさんある。これも、◻️◻️◻️ノのじょちゅーがよんだえほんでしった。
「うーん」
どっちに行ったら、まちに行けるだろう?
ナナミンがいたら、まちのばしょをおしえてくれるかもしれないのに。
ナナミンまでいなくなっちゃったのかな?
………。
また、なみだが出てきちゃった。
でも、しょうがない。さくらひとりでなんとかしなきゃ。
木によじのぼって、えだを折った。
それを手にもって、ブンブンとふりまわす。
「ヤッ!!」
それを竹とんぼみたいにとばして、えだの先がむいた方にあるくことにする。
「…こっちか」
ほうがくはきまった。
あとは、たくさんあるくだけ。
「………」
さいごに、さくらがあるいてきた方をみた。
さくらがすんだおうち。
◻️◻️◻️◻️のじょちゅーとすごしたおうち。
また、なみだが出た。
「ばいばい」
◇◇◇
おひさまがのぼって、しずんで。
それをなんかいもくりかして、ひとがいるところにきた。
やさいをとっていたおじちゃんは、さくらをみるとびっくりした。
それから、パトカーさんがやってきて、けーさつのおうちに行った。
いろんなおとながきた。さくらが真っ赤だったから、すごくびっくりしたみたい。びょーいんにも行った。
それで、さくらのきものにシカさんの毛がついてたから、にんげんのちじゃなくて、シカさんのちだって、わかった。
さくらのなまえと、おうちもきかれた。
なまえはこたえた。
おうちは「やま」ってこたえた。けーさつは、むつかしいおかおになった。さくらがすっぱいものを食べたときのかお。
おやもきかれた。
「いない」ってこたえた。けーさつは、もっとむつかしいおかおになった。
さくらは、『じどーよーごしせつ』でくらすことになった。
あたらしいおうち。
こどもがいた。みんな、だいたい、さくらより大きい。
ドキドキして、しょくいんさんのあしにしがみついた。もとのおうちには、おとなしかいなかった。だから、ドキドキする。
このドキドキは、なんだろう? かおもちょっとあつい。
あいさつをして、みんなとのくらしがはじまった。
どうしてだろう。みんな、さくらとおはなししてくれない。がんばっておはなししても、さくらを見てくれない。
あかい目が、こわいって。ブキミだって。
ブキミって、なんだろう。
目が、つめたい。
おとなのひとも、ヒソヒソとはなしてる。あかい目って、そんなにヘンなの?
でも…みんなの目はくろい。ちょっと、ちゃいろのひともいる。
だれかが、「のろわれた目」だって、言ってた。
くすくす、わらってる。
ごはんがすくなかったから、たおれちゃった。びょーいんにいって、それから前みたいにいっぱい食べられるようになった。
みんながいるのに、さくらはひとりだった。
こどももおとなも、みんなさくらを、とーめーにんげんみたいに見てる。
ひとりだと、なみだが出る。みんなはたのしそうなのに。
ナナミンがいたらいいのに。ナナミン、どこに行っちゃったの?
きょうもひとりであそんでた。
このしせつには、じゅれーがよくいる。じゅれーはおいしい。どうしてみんなはじゅれーが見えないんだろ。
……?
あっ、せんせーが、じゅれーはとくべつなひとにしか、見えないって言ってたかも。
じゅれーは、ひとにイタズラするのがすき。
さくらもすきだから、いちどテーブルやかべに、クレヨンでえをかいたの。
そしたら、おとなのひとにたたかれちゃった。「めしだけはたくさんたべるくせに」って。
ほお、とってもいたかった。なきながら、おそうじもした。
だから、イタズラはしない。
いたいのは、すごく「イヤ」だから。
「ばけもの」って、言われた。
◇◇◇
ひとりであそんでたら、おとこのこたちがきて、さくらの目がブキミだってわらったの。
「ブキミ」はこわいとか、そんないみ。
もういっぱい言われてたから、知らんふりしてあそんだ。
そしたら、ムッとしたおとこのこたちがきて、かみをひっぱられたの。
長いかみ。じょちゅーがぼんさいみたいにていれをしてたかみ。
このかみが「きれいだ」ってあのじょちゅーも言ってたから、とってもおきにいりだった。
ひっぱられたひょうしに、ころんだ。
うでやあしがじめんにこすれて、すごくいたかった。いたいのはきらいだった。
それから、ひめいが聞こえた。
おとこのこたちが、こっちを見てた。
さくらのキズからは、虫が出てた。くろい虫。
その日から、「ばけもの」とよばれるようになった。
子どもは目をみて言ってくる。おとなも、コソコソとはなしてる。
さくらは、ばけものじゃないのに。
せんせいは、さくらみたいなとくべつな力をもったひとが、いるって言ってた。せんせいもとくべつな力をもってた。
そのひとたちは、「ばけもの」なの?
ナナミン、おしえてよ。
ナナミン、どこに行っちゃったの。
ナナミンのバカ!!!!! どこに行ってたの!!!??
しゅっちょー? てつがくのたびぃ!?
さくらはすっごくおこってるんだからね!!!!!!!
………。
ゆるす!!!!!
施設での生活は息苦しいものだった。
児童養護施設にいる子どもたちは、それぞれ何らかの事情を抱えている。
ひととはやはり、自分と他人を比べてしまうもので。
子どもたちも自他を比較した。
その結果、彼らの中で一番『下』は、紅い目をした少女になった。
おまけに時折、誰もいない場所をじっと見つめていたり、さらには体から黒い虫が出る。
彼らは死体に群がる、小さな虫のようだった。
施設長は大食らいの彼女を心底嫌っている。この少女が来てから、国や地方自治体から得られる公費とは別の、寄付金の多くを食費に回さなければならなくなったからだ。
この寄付金は一般からのもので、公費とは違いある程度
施設長はいっそのこと、少女が死んでしまえばいいと思った。たとえば風呂(基本一人で入る)で足を滑らせて、湯船に顔を突っ込み、溺れてしまうだとか。
ただ、警察沙汰になるのは避けたい。
施設長は、ぶくぶくと太った虫だった。
職員たちは施設長のごきげんを窺い少女を厳しくしつける者や、気味悪がって避ける者、ただ無関心な者────それぞれの態度をとった。
一概に言えることは、彼女に蜘蛛の糸をたらす者はいなかったということ。
彼らは命令に従いはたらくだけの虫だった。
そんな、窮屈な虫カゴの中で、『さくら』は育った。
いつも隅っこで、静かに本ばかり読む。
自分の目を隠そうと前髪は顔にかかるように伸ばし、うつむきがちのせいで歩く時も猫背である。
滅多なことでは外に行かなかった。もしケガをしたら、また虫が出てしまうと恐れたからだ。
順番は何においても一番最後。
ものを配られるときも、風呂に入るときも。垢の浮いたお風呂が常だった。
部屋は5人の相部屋だったが、二段ベッドは二つしかない。彼女の寝る場所は廊下の隅っこだった。ダニがお友だちな布団を敷き、そこで寝ていると、トイレに起きた子どもに蹴っ飛ばされることもあった。
(みんな、死んじゃえばいいのに)
日々の生活を思えば、さくらがそう願ってしまうのも無理はない。
そんな彼女に、ナナミンは提案する。ならばと。
ならば、虫たちの栄養にしてしまえばよいと。
さくらの腹も膨れ、彼女が嫌いなニンゲンも消える。合理的な考えだと、ナナミンは語った。
「うーん……でも、それはダメだよ」
ナナミンは不思議そうに首を傾げる。
「ひとを殺すのは『悪い』ことなんだって。もし殺したら、わたしは地獄に行っちゃうよ」
彼女は施設で暮らすうちに、社会の常識というものを学んだ。「人を殺してはいけない」の知識は、ケンカをしていた子どもの一人が相手に「ぶっ殺してやる!」と叫び、それを職員に叱られているところを見て学んだ。
「地獄は行きたくないの。……あの女中は、もしかしたら本当に一番悪い地獄に行っちゃったのかな? ………あれ? あの女中ってどんな顔だったっけ…」
絵本を読み聞かせるのが得意だった女中。その顔が思い出せなかった彼女は、「まぁいいか」と、本に目を戻した。
◇◇◇
それから時が流れ、彼女は小学校へ通うことになった。
ランドセルはボロボロのお下がりだ。施設の中で、一番ボロボロのランドセルである。
それでも「自分の」ランドセルというのは嬉しかった。ここで暮らす中で、彼女の「自分の」ものはほとんどないからだ。
さくらはランドセルをギュッと抱きしめた。
《4月1日生まれ》になっている彼女は6歳になり、学校に通うことになった。
目については先天性の障がいということになっている。
それと、万が一虫のことがバレないように、健康上の問題を理由に、体育や外での活動を禁止された。この《外での活動》は、遠足や校外学習も含まれる。
あと付け加えて、特例で給食と合わせて食べるお弁当の持参が許されている。
彼女の気分は憂鬱だった。
どうせいじめられるだろうとわかっていたからだ。
学校に行きたくなかったが、休むことは許されない。
友だちはいらない。自分にはナナミンがいるから。
しかし内心ではこの容姿を受け入れ、友だちになってくれる人がいるかもしれないと、期待している自分がいるのもまた、事実だった。
◇◇◇
やはり、彼女の紅い目は周囲から気味悪がられた。
それでも1、2年の時は遠巻きにされるだけだった。
しかし3年になりおのおのの自己が成長し出すと、陰鬱な雰囲気の彼女は格好のいじめの的になった。極端に身長が伸び出したことや、親がいないこともネタにされた。
4年になるといじめがさらに陰湿になった。
ものを隠されたり、悪口程度だったものが、便器に文房具を捨てられたり、足を引っかけられて転ぶような、物理的なケガをともなうものにまで発展した。
幸い、ケガは赤くなる程度のすり傷で済んでいる。
ケガはすぐに治ってしまうが、絆創膏を貼っておけばバレない。
だが、気づけば「バケモノ」と呼ばれるようになっていた。
同じ施設の子どもがうわさを広めたらしい。「アイツは体から虫が出てくるバケモノなんだ」と。
机に座り、その下でギュッと自分の手を握りしめていた彼女は、チラリと先生を見た。
その視線に気づいた担任は、スッと目をそらし、テストの丸つけを始めた。
(みんな、死んじゃえばいいのに)
さくらには、ナナミンしかいない。
ナナミン以外、いらない。
◇◇◇
図工の時間。
段ボールで作品づくりを行うため、児童はそれぞれ家から段ボール箱や授業で使うはさみなどを用意した。材料を忘れてしまった生徒用に、学校側が用意した段ボールもある。カッターなども借りれば使うことができた。
さくらは気張って、ナナミンの鉈を作ろうとしていた。しかし、手持ちの材料はない。実物大のサイズを作りたかったが、一人で学校のものを使うなら、大量にはもらえない。
そのため、3分の1スケールにした。
出来栄えはなかなかのものだった。何せ、実際に実物を見ながら作ることができる。実物といっても、周囲には見えないものである。
(ナナミンと、おそろだ!!)
前髪の下で彼女は目を輝かせ、段ボール鉈を振るった。
ナナミンも出来栄えに感心している。
その段ボール鉈は放課後の帰り道、奪った男子が遊んでいるうちに折れ、壊れてしまった。
段ボール鉈だったものが、地面に捨てられる。
それを呆然と見ていた彼女の中で、何かが切れた音がした。
気づけば大声で叫び、少年につかみかかっていた。
二人が取っ組み合いになっているうちに転がり、さくらの手足が縁石にぶつかり、血が流れた。
じわじわと滲み出したその中には黒い虫が混じっており、まるでウジムシのように湧き出す。
一部始終を見ていた、周囲の子どもたちが悲鳴をあげ、腰を抜かす。
さくらはその混乱の間に立ち上がり、堰を切ったように走り出した。
時折通行人とぶつかり、段差につまずいて転んでも走り続ける。
涙があふれた。このまま風と一つになり、消えてしまえたらどんなによいだろうか。
「死ね」と叫んだ。「みんな死ね」と、
それから倒れるまで走り続け、最後は地面に転がった。
外の時計を見ると時刻は6時。本日は5時間授業だったので、かれこれ数時間は経っている。
「……おなか、減った…」
エネルギーを消費し続けた彼女の腹が、全身の疲労を飛び越えてなり出す。
マフラーの爆音のようだった。
げっそりとする彼女はトボトボと歩き出す。あいにくの無一文のため、食べ物は自分で狩るしかない。
少し歩いたさくらは大通りから路地裏に入る。つんとした、なんとも言えないにおいがする。頭上では換気扇が「ゴォォ」と音を立てながら回っていた。
転がっていたガラス片を手に取ると、自分の腕を切り、虫を出す。
「『
彼女の命令に従い、虫たちは周囲へ散り散りになる。
さくらは学校でもこっそりと同様のことをしている。学校とは不特定多数が集まる場所であり、呪いも多い。呪霊を食べるには最適な場所だった。虫に食べさせる以外に、トイレでこっそりとおやつとして食べたことも一度や二度ではない。
虫どもを待つ間にさくらは壁のパイプをよじ登り、並んだ室外機をベッドがわりに、そしてランドセルを枕にして、眠り始めた。
◇◇◇
空のわたあめをかき集めて、口の中に放り込む。甘い雲はあっという間に舌の上で溶けていった。それに舌鼓を打ったさくらは、ブルーハワイの海に目を留める。ビーチに刺さっていたパラソルの布部分を取りのぞいて、白い棒をストローにし、海に突っ込んでどんどん飲んでいく。すると、彼女の体に異変が起こった。
その体は風船のように膨らんでいく。そして、最後は破裂して、血が世界に降りそそぎ、紅い海ができあがった。
「うわあああああああっ!!!」
彼女はデス13戦の花京院のように起き上がった。それと同時に、虫の異変を察知した。
辺りはすっかり陽が暮れ始めている。
感覚的に共有している虫からの情報。個体が少ないほど、この精度は上がる。今は多めに出しているので、ざっくりとしたものしかわからない。ただ、虫の一部が消された感覚があった。
(場所は……わからない。でも…何か変だ)
これまで出している中で、なんらかの形により虫が体内に戻る前に倒れたことはある。車や人間に潰されてしまったり、排水溝に流されてしまい、そのまま虫の呪力が尽きて血に戻ってしまったり。動物に捕食されたことや、格上の呪霊に食われてしまったこともある。
まさに、弱肉強食だった。
今回もその類かと思った。しかし、彼女の本能が拭いきれない違和感を感じている。殺された虫が無意識に、彼女に危険を伝えたのかもしれない。
(……ひとまず、ここから離れた方が良さそうだな)
現状、外に出している虫は「エサを持って帰る」の命令に従っている。
この命令を、今から「帰ってこい」と書き換えることはできるが、それを一斉に今の数の虫どもに送ることはできない。一つの命令を同時に送れる数には限りがある。
つまり、どのみち、命令の書き換えは可能であるが、送信は不可。
ただ、この場から彼女が去っても、虫は帰巣本能にしたがって帰ってくる。この距離がどこまで可能なのかは、さくらも実験したことがない。ここから施設までだったら、問題なく帰って来れるだろう。
「………あり? 待って、ここどこだ…?」
彼女は重大なことに気づいた。
そういえば自分は数時間走りまわった末に今、まったく見覚えのない土地にいるのだ。
彼女が帰るにはこの場所の地名を確認し、施設までどのくらい時間がかかるのか調べなければならない。
警察沙汰になっている可能性もある。自分がいなくなったところで、誰も通報しないんじゃないかとは思うが。
「……帰りたくないなぁ」
あれやこれやと考えていると、また座り込んでしまう。相変わらず、換気扇の音が聞こえる。
「お腹減った…」
今日の出来事と空腹、それに長時間走った疲労がずっしりと肩に乗る。
最初はいやなにおいだと思った路地裏も、慣れてしまえばさほど気にならない。
きっと、事実はねじ曲げられて、翌日からは「いきなり襲いかかってきた狂人」とでも呼ばれるのだろう。
向こうに非があろうと、立場の弱いものが辛酸を舐めさせられる。
それが、彼女が社会で経験したものだった。
被害の証拠となる傷もすでに治ってしまっているし、同じ条件で転がったなら、向こうにも同様の傷ができているはずだ。
結局、『悪い』のは自分になる。
「……だったら、帰らなくていいじゃん。私がいなくなったって、誰も気にしないんだし」
このまま帰らずに、一人で生きた方がよっぽどいい。人には見つからない森あたりに住んで、動物や呪霊を食らいながら生きればいい。
そうすれば、彼女は地獄送りになる。
真っ赤に染まった苦しみの世界。
真っ赤に………。
真っ赤?
「………?」
赤い、何か。それを物心がついたか、ついていない頃に見た気がする。
思い出そうとしてみたが、思い出せなかった。
なんとなく、思い出さない方がいい気もする。
「まぁ、いいか」
さくらは立ち上がる。ニンゲンがいない、遠くへ行こうと。
博識な割に自分のことはとんとわからないナナミンがいれば、森での「食」以外の部分もどうにかなるだろう。
現代社会から抜け出して、狩猟生活にタイムスリップするのだ。
「じゃあ、早速しゅっぱーつ!」
室外機の上で拳を高々とかかげた彼女。
そこから飛び降り、いざ縄文時代へ戻ろうと歩き始めた────ところで。
大通りへ視線を向けた後ろから、ひとの気配がした。
彼女の額から汗がつたい、喉が鳴った。
雰囲気でわかる。例えるなら、ライオンかクマに出くわしてしまったような気分。
からだが硬直する。動けない。短い息をこぼし、恐る恐る視線を後ろに向けた。
血のような目が、長い前髪の下で見開かれる。
「蒼い………目?」
はじめて見た青空の目を、彼女は綺麗だと感じた。
本来は小3だけど、4月1日にされたため歌姫と同学年に。さしすとは3学年差で、七海らとは4学年差。