腹ペコ毒蟲【新版】 作:アンディライリーのうさぎ
書いているうちに作品が別ものに感じられてきて、書きにくくなってきちゃった。
5話 ☺︎
外の世界へ旅立った半年後、櫻は見るも無惨な姿で発見された。
「ガウガウッ!!!」
完全に、野生帰りした姿で。
時は半年前に遡る。
まず彼女は人里とは別の方向にぐんぐんと進み、山奥へ入っていった。
それから腹が減り、倒れ、問答無用のサバイバル生活の開幕である。
これまで身の回りの女中たちに衣食住を任せっきりだったため、生活能力はない。
イマジナリーフレンドナナミンの方は調子が悪いのか出てこず、彼女一人でどうにかするしかなかった。
結果、野生の中で生き残ろうとした彼女は獣になったのである。
野生はかなりよかった。何せ森の中は
そして彼女はいつの間にか街中に迷い込み、路地裏のダンボールに隠れて震えた。
絵本で見たことのないものが、そこにはたくさんある。
半年前の彼女であれば瞳を輝かせていた。しかし、今は食べることと寝ることしか頭にない四足歩行の野生児である。言葉も忘れてしまっていた。
戸籍もない彼女は「育児放棄の末、山に捨てられたのだろう…」と判断され、しばらく治療をしてから児童養護施設に引き取られることになった。
治療のかいもあり、ある程度の人間性は取り戻した。それでも噛んだりうなり声をあげるなど、問題行動が多発する。
そんな彼女に悪態を吐く職員もいた。
子どもたちの方もまったく近づいて来ない。話しかけた子どもが噛まれ、大泣きした事件があったからだ。
誰もが彼女に白い目を向ける。
ニンゲンとはなんと恐ろしい生き物なのだろうか?
かつては優しいニンゲンもいた。いた、はずだったのだ。
──しかし。
(ニンゲン、キライ)
櫻は完全に心を閉ざしてしまう。1が優しくとも、その他の99が自分に無関心、あるいは嫌うのならば、誰も信用しない方がいい。
だが、その“1”が、いくら逃げても微笑みかけてくる。
「さぁ、お風呂の時間ですよ!」
「アッチイケ!」
「あら? あっちって、どっちかしら? 私、おばちゃんだから分からないわ」
「アッチハアッチ!!」
とぼけた様子でこの老婆は言う。
施設長でもあるこの女は、子どもたちや職員から『院長先生』と呼ばれている。
誰も相手にしない彼女に院長は手を差し伸べてくるのだ。深い皺を顔に作って、微笑みながら。
「フロキライ!!」
「1から1000を数えるまでには終わるわよ? ……多分」
「タブンジャハイラナイ!!」
長年児童養護施設という場所で働いてきたこの老婆の手腕は、折り紙つきである。
体を左右に動かし錯乱させ、その隙に横をすり抜けようとした櫻を、年寄りとは思えぬ俊敏さで捕まえる。
「クソォ! オボエテロォ!!」
「残念。私はおばちゃんだから、明日には忘れちゃってるわ」
「カナラズフクシューシテヤル!」
狸ジジイという言葉がこの世にあるなら、この老婆は『狸ババア』である。
余計な知識を付けつつある櫻は、院長を「タヌキババア!」と呼んだ。
◇◇◇
場所にもよるかもしれないが、この施設は子どもの自立を促す体制をとっている。掃除や食事づくりなど、子どもたちは協力し合い、自分たちのできる範囲で家事を行う。もちろん幼い子どもが刃物を握ったりしないように割り振られてもいるし、職員の監督も付いている。場合によっては歳上の子どもがこの監督を担う。
「………」
協力ができない櫻は一人でポツンとしていることが多い。子どもたちが楽しく遊んでいる時は、基本的に隅っこにいる。
「うわ、あいつさっきダンゴムシ食ったぞ!」
「きもちわる〜!」
野生児だった影響はまだ根強く残っている。
腹が空くと、脳が「何か食べろ!」と命令をくだし、とりあえず食べられそうなものを口にする習慣ができてしまった。
自然であからさまな毒キノコを食べたこともあったが、術式の『腹ペコ
「………」
自分をからかう二人の少年。彼らから悪意を感じ取った彼女は、側にあった石を投げつける。
「うわっ、危ねーな!!」
「やり返すぞ!」
少年たちも石を握り、櫻に向かって投げ出した。
「キエロッ!」
「へんっ、どこ投げてんだよ! ばーか!」
「お前の赤い目、気持ち悪いんだよ!」
石の投げ合いになっていた最中のこと。少年たちが投げていた石の一つが運悪く、彼女の頭に当たってしまう。
「イタッ!」
頭を押さえしゃがみこんだ櫻。
少年たちは「やべっ」と血相を変え、逃げ出していく。
「……グスッ」
遠ざかっていく足音を聞きながら、彼女は唇を噛んだ。
「ナナミン……ドコイッチャッタノ?」
彼女の側にいてくれるのはもう、イマジナリーフレンドしかいない。
──そう、櫻は信じている。たとえどんなに、院長の温もりに心が揺らごうとも。
布団と同じお日様の匂いがするあの老婆が、櫻は
◇◇◇
石で頭を汚したその夜のこと。彼女はあの少年たちに報復した。
ニコイチでつるんでいる彼らにつかみかかり、有無を言わさず殴ったのだ。
「シネ!!」
「クソッ……! 離せ!!」
「何すんだこの野郎!!」
取っ組み合いの大喧嘩が始まり、周囲の子どもは巻き込まれまいと離れる。それから気を利かした年上の子どもが大人を呼んできてくれたことで、何とか鎮静化した。それでも職員数人がかりである。
大人が手こずったのはもちろん、野生児だった。
「何事ですか!」
所用で出かけていた院長は話を聞きつけ、喧嘩をした子どもたちがいる部屋に走ってきた。まだ彼らは興奮おさまらぬ様子で互いを睨み合っている。
「アイツがいきなりつかみかかってきたんだよ、院ちょー先生!」
「そうだよ! 俺たちは何も悪くない!!」
「ウッセー! アホクソボケカスシネッ!!!」
三人ともこの調子である。院長は深いため息をついた。
「一人一人お話を聞きます。いいですね?」
院長はまず三人をそれぞれ別の部屋に分け、順番に話を聞いていった。少年二人も別々の部屋にしたのは、語る内容に
その齟齬が如実な場合、彼らが嘘をついていることになる。群を抜いて櫻が問題児であることは承知である。しかしあの少年二人もまた、これまでの境遇から精神に問題を抱えている。そんな子どもが施設には少なからずいる。
そして話の中で櫻の頭に石が当たったことを知った院長は、慌てて様子を確認しにいった。
「ケガが……ない?」
黒い頭のどこを触ってみても、ケガがない。髪に固まった血がついている箇所もない。
「……ねぇ、あの子たちに石を投げられて、あなたの頭に当たったって聞いたわ」
「…シラナイ」
「正直に教えてくれない?」
院長は思い出す。少年の一人が言っていた言葉を。
────アイツ、バケモノだよ。俺見たんだ。アイツの血が、虫になったの。
櫻は目をそらし、頑として何も言わなかった。
◇◇◇
ケンカについては、先に少年たちが謝り、そのあとに櫻が渋々謝る形になった。
しかし、噂が広まるのは早い。
虫のバケモノだと、みな彼女と距離を置くようになった。
1が優しく、残りの99が無関心、あるいは嫌悪だったものが、“1”は依然として変わらず、約“90”が嫌悪に変わった。あとの残りは無関心である。
もう、この場所にいたくないと櫻は思った。
ただここを出たところで、彼女に行き先はない。
ならばどこへ行けばいいのだろうか? 森の中へ行けばいいのか?
いや、あそこは自由に生きられるが、彼女は“都会な味”を知ってしまった。アイスやスパゲッティー、その他もろもろ。もうこの美味さなくして、生きてはいけないほどに。血が滴る肉もたまにはいいが、やはりアレはたまに食うから美味しいのだ。
「どうしたの?」
「………」
赤いクレヨンで白い紙を真っ赤に染めていた彼女の横に、院長が座る。
院長がスッ…と小さな頭に伸ばした手は、避けられてしまう。それに彼女は苦笑いした。近づいたらすぐに逃げていた以前と比べれば、よっぽど心を開いてくれている。
だからこそ、院長は思う。いつも口をへの字にしたこの子の笑顔が、見てみたいと。
「これは何の絵かしら?」
「ウミ」
「……海? 赤い海ってこと?」
「チノウミ」
「………」
櫻は路地裏でうなっていたところを、警察官数人で保護した子どもだ。その暴れっぷりときたら、警察官も手を上げるほどだった。
いったいこの子どもがどんな目にあったのか、大人は推察するしかない。本人が何も語らないからだ。それでも言葉が理解でき、自分の名前を覚えていたということは、少なくとも人とともにいた期間はあるはずなのだ。
「ドウセ、インチョーモワタシノコト、キモトワルイッテオモッテルンデショ」
「気持ち悪いと思っているなら、こうしてあなたに触れてみたいと思わないわ」
「ジャア、コワインデショ」
「怖かったら、今すぐ逃げてるはずね」
「ジャア……じゃあ、なんなの!?」
どうしてこの老婆は、彼女に触れようとするのだろうか?
どうしてその温もりを与えようとするのか。
どうしてそんなに、お日様の匂いがするのだろうか?
そして────、どうして櫻は今、泣いているのだろうか?
「私はあなたが、大好きなの」
忘れたかった温もりが、彼女を包み込む。閉じ込めていたはずの記憶だった。
いや──不思議と、院長から感じる温もりは、あの女中よりももっと温かい。わからないが、温かいのだ。
「こんな目、きもちわるいでしょ!!」
「そんなことないわ。うさぎの目みたいだもの。かわいいじゃない」
「わたしはきらいだもん!! 大きっらいだもん!!」
赤い目も、陶磁器のように真っ白な肌も、黒よりも黒い真っ黒な髪も、自分の力も、すべて嫌いだ。
そのすべてが無ければ彼女はもっと、
世の中を知り、幸せそうに過ごす子どもの存在を知った。その子どもが幸せなのは、自分の手を握ってくれる親がいるからだ。
その幸せな光景が世の中の“当たり前”。
彼女は当たり前ではない。
そもそもおぼろげな記憶にある『蠱毒』で生まれたというバケモノの彼女は、人間になることもできないのかもしれない。
「私はでも、あなたのことを好きになっちゃったからねぇ」
「……わたしは、いんちょー先生のことなんて…」
「あらやだ、大好きだって?」
「ちがっ……!! ……………」
「そんな…! 大好きより上の、『ウルトラ大好き』ってこと…!!?」
「っ……!! …………きらいではない!!」
「じゃあ『ウルトラ大好き』ってことね。院長先生ったらモテモテで困っちゃうわ」
「……もういいよ」
口では誰もこの老婆に敵わない。思春期の少年少女であってもだ。
櫻は疲れた様子で机に突っ伏す。
「ふふ。せっかくだし、三つ編みに編んであげるわ」
櫻は優しく自分の髪に触れた手に、キュッと口をつぐんだ。今度は大声で泣いてしまいそうだったからだ。
しかし院長が彼女の笑顔を拝めるのは、そう遠いことではない。
その翌日、櫻は朝一番に言った。
「……〜〜〜っ、おはよう!!」
それは頬を少し紅潮させた、恥じらいのある笑顔だった。
【森】
けっこう楽しかったよ。
【ダンゴムシ】
食ってみりゃわかる、トぶぞ?
【院長先生】
……………すき。
【イマジナリーフレンドナナミン】
もう知らないんだからねっ!