腹ペコ毒蟲【新版】   作:アンディライリーのうさぎ

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9話 そしてどうして、誰もいなくなった

 櫻ははじめて父親から暴力を受けた。

 もう二度と俺の前に顔を見せるな、という坊の言葉が、使用人づてに両親に伝えられたものだった。

 

 家に帰ったあと、櫻は父親に髪をつかまれたまま引きずられ、蔵にある座敷牢に放り込まれた。

 もう使われなくなってから長年経っているであろう場所。埃が積み重なり、ところどころに虫の死骸やネズミのフンが落ちている。

 

 顔を真っ赤にした父は「悟様の友人を断るなど身の程を知れ!!」と、彼女の頬をぶった。

 

 その後は力任せに何度も、何度も何度も何度も踏みつけられた。最後は痛みで体を丸める彼女に唾を吐く。

 

「このような出来損ない、死ぬまで放っておけ。悟様に失態を犯した以上、その噂もすぐに広まる。さすれば今後もらい手も見つからんだろうからな」

 

「かしこまりました、旦那様」

 

 父親は女中にそう伝え、牢に鍵をかけてから蔵を出て行った。

 女中の方も櫻を見て、「フン」と鼻を鳴らし去っていく。

 

 薄暗い部屋に一人取り残された彼女。唯一の光源は、蔵の頭上にある格子の窓だった。

 

 

「う、あっ……」

 

 

 何度も潰されるように踏まれた腹が、燃えるように熱い。あばらが折れ、内臓に刺さっているのかもしれない。息をすることも辛かった。

 

 痩せてから鈍った治癒能力はさらに鈍っている。受けた傷が一向に治らない。

 

「ふぅ、はは……ナナミィン…」

 

 彼女の頭に触れるイマジナリーフレンドは、力を使うように言う。でなければ、櫻はこのまま死ぬらしい。時刻は気づけば真夜中になっていた。月明かりが格子からのぞいている。小さな粒子の動きがよく見えた。

 

「………いいよ、別に…もう」

 

 坊の言うとおりだ。

 彼女は他人に利用されるだけの、操り人形だ。

 六眼の判定で何も言われなかったのだから、人間ではあるのだろう。

 しかし肝心の(中身)が、ニンゲンをはじめたばかりの妖怪人間のような有様なのだ。

 

「私はどうせ人間になれない、バケモノだよ」

 

 涙は出て来なかった。

 

 そのまま櫻は気を失うように眠った。

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

「……さん。……………ら、さん」

 

 

 翌日の、まだ日も暮れていない早朝。

 声が聞こえた櫻は目を覚ました。顔だけ動かすと、母がいる。その頬にはガーゼが貼られていた。

 

 遅れてしまったが、櫻は自分が鯉を食べたことを怒りにきたのかもしれない──と、重い体を動かす。

 

「すみません、でした……お母さま」

 

「………なぜ、貴女が謝るのですか」

 

「だって私、鯉を食べてしまって…」

 

「え?」

 

「……ん? 鯉の件を、お叱りにきたのではないのですか?」

 

「鯉を食べたことはいいの。あっ……いえ、もちろん鯉なんて絶対に食べてはいけませんよ? 衛生的に良くありません」

 

「ごめんなさい…」

 

 母親の手には、お粥が入った盆があった。他にも毛布や水の入ったペットボトルも持ってきたらしい。

 今何が起こっているのかと、櫻は首を傾げる。

 

「貴女は病気知らずでしたから、こうして看病してあげたこともなかったですね」

 

「かん、びょう…?」

 

「……あの人を説得してみますから、どうかもう少し待っていてください」

 

「………?」

 

「……許してくださらなくていいの。でも、本当に今まで…ごめんなさいね」

 

 どうやら母親は、五条家との見合いの件を受けて色々と悩んだらしい。頬のケガは、夫に櫻を座敷牢から出すようお願いした際に殴られたものだそうだ。

 

 櫻が池の鯉を食ったと知り卒倒したらしいが、その元をたどれば櫻がそのような行動を取ったのはなぜか? 

 それは極度の飢えである。

 

 身長を伸ばさまいと、これまで成人男性の一週間分を一日で食べていた櫻の食事量を、成人男性が食べる一日分の量にした母。

 

 そして“良き妻”になるよう教育したのも、母。

 

「貴女はきっと、悟様が「友人になってほしい」とおっしゃられた時、どうすればよいのか分からなかったのでしょう? 自身は良き友人ではなく、良き妻になれと教育されたのですから。………(わたくし)に」

 

「お母さまは…悪くありません。私が五条様の気持ちを、理解してさしあげられなかったのです」

 

「……いえ、すべて、私の責任です」

 

「お母、さま…」

 

 母親はその場に座り、深々と頭を下げた。椿の匂いがうっすらとだが鼻腔に漂ってくる。

 櫻はその行動をぼんやりと見つめる。

 

 ふいに何故か、その椿の匂いに包み込まれるように抱きしめてもらいたくなった。

 しかし目の前にある鉄格子が、それを阻む。

 

「……ッ、出られたら、お腹いっぱい食べていいですからね」

 

 鉄格子から伸びた細い手を、母親が両手で握りしめる。

 母親の手はひどく冷たい。

 

 それでも不思議と、寒くなってしまった体が、温もりで満たされたような気がした。

 

 

 母親はきっと分かりにくかっただけで、初めからちゃんと彼女を大切に想っていたのだろう。

 

 それを理解するのに、随分と遠回りしてしまった気がする。

 この家でさえなければ、櫻は母親ともっと普通の親子になれたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 一日一日と、時間が過ぎていく。

 

 櫻は母親を信じて待つことにした。気持ちは以前よりも前向きになっている。

 

 ──しかし、母はあの日以来一度も座敷牢へやって来ない。

 

 何か理由があるのだろうと、数日はそのまま待った。

 

 

 ただ飢えはどうしようもなく、指を噛みちぎって少数の家来たちに獲物を持って来させた。すると虫やネズミが献上される。

 

 屋敷の方へは行かないようにさせている。『腹凹毒蟲』の百虫たちは普通の虫とは異なり、全身が黒い。ゆえに一目見れば分かる。

 この虫が女中や父親に見つかってしまうと、何か企んでいるかもしれないと、余計な不興を買う可能性がある。最悪激情した父に殺されるかもしれない。

 

 水についても同様に百虫たちが協力し合い、体に水滴をつけて運んでいる。雨の日は、「うおおおっ!」と脚を広げてハイになる光景が見られる。

 

 だが燃費の悪さとわずかなご飯では、傷も中々回復しない。

 

 

 それから一週間が経ち、とうとう彼女は虫たちに屋敷にあるだろう鍵の場所を探させようかと悩み始めた。

 しかしその方法を取れば、母の「待っていて」という言葉を裏切ってしまう気がする。

 

 ゆえにあともう一週間だけ待とうと決めた。まだギリギリ死なないラインは保っている。

 

 櫻は母親を信じたかった。

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

「おいっ…!」

 

 

 異変が起こったのは、母をあと一週間待とうと決めた数日後のこと。

 

 朝方、人の気配を感じ飛び起きた櫻が見たのは、外着姿の兄だった。

 はじめて兄が自分に話しかけてきた衝撃はさておき、何か用があるのかと首を傾げる。兄は眉間に皺を寄せ、鼻を摘んでいた。失礼なやつである。

 

「母ちゃ……母さんを知らないか? 家に帰ってきたら、母さんの姿がないんだ。というか、何でお前はここにいるんだ? 使い古された雑巾みたいになってっけど…」

 

「そもそも、お兄さまはどうしてこちらへ?」

 

「……母さんやお前が居なかったから、もしかして父親(アイツ)にここに入れられたんじゃないかと思ったんだよ。俺も、怒ったアイツにぶち込まれたことがあったから………」

 

「すごいですね、お兄さま。今お兄さまと一生分話している気がします」

 

「今はそんなこと言ってる場合じゃないだろ…!!」

 

 兄はどうやら櫻が五条家の見合いに行く前に、家出していたらしい。夜に出かけるようになってから、家に数日帰らないことが増えていた──ような。

 兄のことは興味がなかったため、櫻もそこまで詳しく覚えていない。

 

「とりあえず、簡潔にお前にあったことを教えろ」

 

 そう言った兄は彼女に何があったのかを聞き、五条家のくだりで顔を引き攣らせる。

 

「……ひとまず、母さんは一週間前からお前の前に姿を見せてないんだな?」

 

「…はい」

 

「………ここの鍵はアイツの部屋にあると思うから、アイツが居なくなってから探してみるよ」

 

「あのっ…お兄さまが帰られた時には、お母さまはいらっしゃらなかったんですよね? ならもしかしたら、お兄さまのようにただ出かけているだけ…という可能性もあるのではないですか? 例えば自分で──。………いえ、お父さまに追い出されたとか……」

 

「履き物が、無くなってないのにか?」

 

「え?」

 

「母ちゃんの履き物が、一足も無くなってないのにか?」

 

 兄の額から汗が流れる。櫻は言われた意味を考え、何か似た状況を経験したことがあるような──と、おぼろげな過去の記憶を探る。

 

 

「俺はどうしても、母ちゃんに確かめなきゃいけないことがあるんだ…」

 

 

 何か食えるものを持ってくる、とひとまず兄は蔵を出て行った。

 その間も、櫻は考えた。

 

 自分の、古い記憶。きっと世間では、“物心がつく”年齢になるかどうかのものである。

 

 絵本を読んでくれたお気に入りの女中。

 小さな体からすれば、とてつもなく大きく感じる屋敷。

『アオムシ様』と叫ぶ狂った信者。

 それから、それから────。

 

 

「あっ」

 

 

 真っ赤な、血の海。

 

 どこもかしこも真っ赤な中を、彼女は走りまわった。「みんなどこー?」と言いながら。

 

 死んだお気に入りの女中もろとも誰もいなくなっていたことは覚えていたのに、血で彩られた屋敷の光景だけはすっぽりと記憶から抜け落ちていた。

 

 どうして血の海が出来上がっていたのか。なぜ誰もいなくなっていたのか。

 そして、どうして誰も居なくなったその屋敷で彼女の腹が減らず、むしろ()()()()()()だったのか。

 

 

「あぁ……」

 

 

 ポタリと、地面に水滴が落ちる。ポタポタ、ポタポタ、溢れ出す。

 

 何があの屋敷で起こったのか、櫻は理解した。お気に入りの女中もろとも、虫たちが運び、すべて自分の腹に収まってしまったのだ。

 

 だから腹ペコ(ハングリー)になった櫻は人間を見て、「美味しそう」と思ってしまうのだ。空腹のあまり狂った考えになるのではなく、ヒトの味をすでに知っているから、「美味しそう」と思ってしまうのだ。

 

 ポタポタ、ポタポタ、止まらない。

 

 彼女のよだれが、止まらない。

 

 

 

「私……は! 正真正銘の、バケモノってことかぁ……!!」

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 ──語り──

 

 

「愛した男と駆け落ちするってぇのは、なんともロマンチック話ですね。

 

 

『アンタ…』

 

『おまえ……』

 

『アンタ…!!』

 

『おまえ……!!』

 

 ────ってなふうにね。

 

 

 これはある許嫁のいた女の話だ。元々この女には許嫁とは別の愛しあった男がいたんだが、不幸なもんでね。駆け落ちする前に、無理やり引き裂かれちまった。

 女の幸せが何たるか、なんて父親と母親は口酸っぱく言うもんですが、この女の幸せはその男と添い遂げることだったんだ。「アンタ、アンタ……」と、女は枕に涙を濡らしては、夜空に浮かぶお月さんを見て、また泣いた。

 

 それから女は許嫁と結ばれたんですが、ここからが地獄の始まりだったんですよ。

 

 亭主関白の夫に、義父母の嫁いびり。実の両親とは駆け落ちしようとした男の件で縁を切られちまいましてね。四面楚歌の中、孤軍奮闘。だが、どーしても子ができない。「あぁ、全部(アタシ)のせいなのね…」と女は思い、決意した。此岸の向こうにあります岸へ渡ろうと。

 

 そうしてザブザブ、ザブザブ、女は泳ぎ出す。

 

 その途中で女はなんと、懐かしい姿を目にしたんです。かつて愛した男の姿が、そこにはあった。

 

 

『アンタ?』

 

『おまえ……?』

 

 

 ロマンチックなこの出会いに、二人の愛はほと走った。だがこれは許されぬ愛だと、一夜の逢瀬を最後に、涙の別れを果たす。

 

 これぞまさしく、ロマンチックな愛ってもんですよ。

 

 ──おっと、お客さん。帰っちまうんで? まだ話は終わってねぇってのに、入り用かい? そうじゃねぇならあともうちっと聞いていきなよ。ここからがこの話の肝なのさ。

 

 

 かつて愛した男と一夜を共にした女。その女はな、椿みてぇに笑うんだ。

 

 膨れた腹を、愛おしげに撫でながら。

 

 

 

 

 

 はてさて、『()()()()()』は、いったい誰だったんでしょうね」

 

 

 

 

 

「あおとが、よろしいようで」

 

 

 

 

 

(頭を下げる噺家)

 

(その腹は、玉のように膨れていた)

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