【完結】僕のピアノよCEに響け。逆行したニコルが絶望と悲しみの世界をやりなおします。 作:屠龍
【外伝『婚約者』 第一話 父と子】
【僕のピアノよCEに響け。外伝『婚約者』 第一話 父と子】
プラントの首都アプリリウス市。
その市庁舎でささやかな手続きが行われた。
アスラン・ザラとラクス・クラインの正式な婚約破棄である。
プラントの婚姻統制は厳しく遺伝上の子供ができやすい者同士の結婚が義務付けられる。
アスランとラクスは遺伝的にはまったく問題が無いが、正式に婚約破棄の手続きをしなくてはならない
アスランとラクスは二人で見つめ合う。
けして仲が悪かった訳ではないが、恋人には成れなかった二人。
そして偶然だがそれぞれの想い人が姉弟だった。
「今までありがとう。俺は君にもっと優しく接すればよかったと後悔している」
すまなさそうに言うアスランに優しく微笑んでから小さく首を振るラクス。
それはお互い様だ。
ラクスも本気でアスランを愛そうとしなかった。
婚約者として接してはいたがそこに愛は無かったのだ。
「そんな顔をしないでください。それに私達は義理の兄妹?になるのですから」
「そうだな。ラクスありがとう」
「こちらこそありがとうですわアスラン」
そう言って二人は握手して正式な婚約破棄の儀式が終わる。
アスランは少し寂しかったが、それ以上にオーブで待たせているカガリに早く会いたかった。
プラントと地球の戦争は停戦したとはいえ、オーブにいるカガリをプラントに呼び寄せるのは危険すぎた。
まして彼女はオーブで指導者の一人である。
復興の陣頭指揮を取っているカガリにはプライベートなまとまった時間などなかった。
あったとしても何日も休める訳がない。
婚約破棄をした今、自由に歩ける自分が会いに行くべきなのだ。
そしてアスランには会いに行かなくてはいけない人がもう一人いる。
父親のパトリック・ザラだ。
パトリックは今はニコルの父親が市長を務めるマイウス市の病院にいる。
監視付きとはいえ病院に入院という形だ。
その病院の近くにはMSの基地まであって、パトリックを監視という理由で護衛している兵士がいる。
パトリック・ザラはそれほど危険な立場だった。
最終決戦でジェネシス発射を命令し、それが敵わぬとなるとプラントもろとも地球の破滅を狙い、さらに見苦しく失敗し降参した恥知らずと世間では言われている。
無論アスランはパトリックが過去の悲しみを捨て人類の未来に尽くした英雄だと知っているが世間はそう見てくれない。
またパトリックも自己弁護しなかった。
若者を死地に駆り立てた責任は自分にあると認めている。
アスランは病院の厳重な警戒を通り中庭に出た。
そして目の前に写る光景に目を丸くした。
父親は中庭で畑仕事をしていた。
シャツとジーンズという姿でだ。
プラント高官の服装以外覚えていないアスランには驚きの連続だ。
あの父が自分の手で鍬を持ち、慣れない姿で畑を耕している。
その姿はアスランの知っている父親とはかけ離れていた。
アスランが知っているパトリックは常に尊大な態度をとり威圧的な言動で周囲を従わせる男だったはずだ。
それが今では見る影もない。
「父上……」
アスランの声にパトリックは振り向く。
「アスランか。元気そうだな」
その言葉にアスランは何も答えられなかった。
父の身を案じていたが、自分の身を案じてなどくれないと思っていたからだ。
そしてこの変わりように驚いた。
「父上……そのお姿は?」
「私が畑を耕しているのが変に見えるのか?」
「いえ、その……はい」
アスランの正直な告白にパトリックは子供の頃に見せてくれた時と同じ微笑みを浮かべた。
そしてアスランを手招きして近くの丸太を切り出した椅子へ座らせた。
そして休憩用に用意していた麦茶を出す。
パトリックは何も言わないしアスランはパトリックが何か言い出すまで口を開かなかった。
30分ほどの沈黙後、パトリックが口を開く。
「こうしているとレノアの事を思い出す」
「母上の事を?」
「ああ。レノアは美しく優しく賢明な女性だった。お前が生まれた時私は嬉しくて仕方がなかった」
パトリックは懐かしそうに語り始める。
アスランは父親のこの表情を思い出した。
まだ幼かったアスランを見ていた時の父親の顔だ。
「レノアが生きていた時私に言ったのだ。一度でいいから畑を耕してみなさいと。あの時は気にも留めなかったが実際にやってみるとレノアと話をしているような気がする」
「母上と?」
「そうだ。あの時私は凝り固まった独裁者でしかなかった。同じ時レノアは必死にこのプラントと自分の家族を守るために農学者として懸命に働いていたのだ。私達夫婦は死に別れて初めて理解しあえたのかもしれん」
「父上……」
アスランは胸が締め付けられるような気持ちになった。
目の前にいるのはかつての冷酷な政治家ではない。
妻を愛し、息子を想うただ一人の男だった。
父の苦悩は計り知れないものがあるだろう。
自分の愛する妻を守れず、息子は敵兵となって帰ってきたのだから。
父を狂わせた責任は自分にもあったのだとアスランは知った。
「アスラン。オーブはどうだ?」
「カガリは……オーブはプラントと地球の和平交渉の仲介をしてくれるそうです。俺の恋人はこれからプラントと地球軍との和平交渉に臨みます」
「そうか……」
パトリックは静かに頷いた。
「アスラン。私はお前の選択に文句はない。ただ一つだけ約束してくれないか」
「何でしょうか?」
アスランは父の言葉を真摯に受け止める。
「お前には自分の信じる道を行ってほしい。そして私のような過ちを犯さないでほしい。お前が本当に守りたいものを守ってくれ。その子をレノアにしてはならん」
「父上……」
アスランは涙がこぼれそうになるのを必死に堪えた。
「お前の母は美しく優しい人間だった。お前も母に似て美しく優しい心を持っている。だからこそ辛いこともあろう。その時は逃げてもよい。だが諦めてはならぬ」
「父上、ありがとうございます」
パトリックはアスランを見つめ、最後にこう言った。
「アスラン。私のように無駄な人生を送るな。お前はまだ若い。精一杯生きろ」
「父上……」
これが本来の父の姿だったのだとアスランは理解した。
父の心をわかっているのは母だけだったのだ。
畑を通じて父は母に語り掛け、母は父と対話する。
肉体は滅んでも父と母の絆は断ち切れなかったのだ。
アスランが泣きながら敬礼をしようとするのをパトリックは止めた。
目の前の父はもはや冷酷な独裁者ではないのだ。
だからアスランは土で汚れたパトリックの手を握りしめ両手で握手をした。
心なしか父親の手は暖かくかんじられた。
アスランが去った後、パトリックは再び鍬を手に畑を耕す。
隣にレノアが立っているような気がした。
鍬を振り上げ降ろすたびに最愛の妻との幸せな日々を思い出す。
そして最愛の妻との対話を再開する。
(レノア、アスランがラクスではなくナチュラルの娘と婚約すると言っていたぞ)
(大変めでたいですわ)
(何がめでたい。相手はナチュラルだぞ)
(でも反対なさらなかったのでしょう?)
(アスランにはその娘がお前より魅力的に見えるだろうからな)
(ならいいじゃありませんか。きっと私より綺麗で心優しい子ですわ)
(お前以上に美しく優しい女などいるものか)
(あら恥ずかしい。……うれしいです。やっと分かり合えましたね)
この世で離れ離れになった夫婦は畑を挟んで会話を続ける。
傍から見れば一心に無言で畑を耕す悲しい元独裁者に見えるかもしれない。
しかしパトリックはようやく心の平穏を得たのだ。
地球でコーディネイターとして不当に差別され、プラントの指導者となり戦争指導をした頃とは全く違う。
一途に妻を愛する一人の夫にようやく戻れたのだった。