私本:ゆかいな仲間たちよ   作:黒木紫雨

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乙女マリアン、迷い路に

 

 時間が経って身体を濡らす黒いインクが濃くなるたび、この世界と死者の世界が重なっていく。生きたまま《指輪》の力で引きずりこまれようとしているせいだろうか。

 

(諦めない。あいつが戦っている)

 

 村に《黒い死者》や賊が近づくたびに森から矢の雨を降らせているのは、もちろん恩義に報いるためでもあるが、それだけでない。

 

(視える範囲は広がってるけど、まだ、まだ、手掛かりが足りない)

 

 残った体力を振り絞って、微弱だが《シャープアイ》の魔力をひとつひとつの矢――枝にこめている。急ごしらえだから本来のよう、設置さえできたらどこまでも正確に視られるような精度は出せない。それでも身動きのできない中でできることをしたかった。

 膜がかかったように広く浅く感覚を広げて、生者の世界で死体として操られている動物や人々はみな、その裏側になる死者の世界でもどこにも向かえず彷徨っているのが重なって視えている。

 魔力のこもった枝が獣の毛皮にくっついたのか、どんどんと視える先が遠くなっていく。シャーウッドの森に向かって突き進んでいく。獣のスピードで、まるで自分自身がその背に乗せられているかのよう。

 ゆらゆら、ゆらゆらと、ここで動けていないのに揺れる感覚を夢見ている。

 

(ああ、あの森に帰りたい)

 

 でも王弟ジョンを放置すれば森は焼き尽くされる。そうさせないためには戦わなければならない。

 魔法《シャープアイ》で広げられた視界の端に王弟が視えた。その傍らには、あの頭巾の《黒い死者》もいる。腕は切り落とされたようだ。

 

(ロビンがやったんじゃ……ないね)

 

 あれは棒術はともかく剣術は素人同然のはずだし、攫われてすぐに未来視でマリアンが視た像では確かに矢で射ていた。

 まだ世界は分かれていない。どうとでもうつろう。

 世界だけでなく、今のマリアン自身も生者の世界と死者の世界、その間を漂っている。

 

 

 獣の背で揺られているのか獅子心王の傍らにいるのか森で留まっているのか、うたた寝のように曖昧さの中にいた。どれくらい時間が経った?

 まるで耳元を直接横切るかのような風を切る音。

 ロビンの矢だ。視えている景色や太陽の向きなどから、獅子心王の率いる人間のものじゃない。

 その軌道は王弟を狙っていたのに、あの頭巾の男がまるで後ろにまで視界があるよう、死んでいるはずなのに、矢とジョンの間に入っていく。

 ただロビンの矢を完全に無力化はできなくて、頭巾だけ破かれる。中途半端な布きれになってしまったので、邪魔そうに完全に破いて取り去られた。

 頭巾ばかりが特徴だった黒い男の、布の下の正体が現れる。肌も髮もなにもかも黒で包まれていることは変わらないが、目鼻立ちは十分に見て取れる。

 

 

 ――知っている、会っている、死人になる以前の彼に。

 

 

「まさか、あの人が、そんな」

 周りに声を聞かせる人なんていないのに、思わず声が出る。

 でも辻褄が合ってしまう。

 マリアンの父から《指輪》捜索を託されて旅立ったストライダー・シャーウッド。どういう経緯か《指輪》の片割れを持っていた王弟ジョン。人間たちと交流の少ないマッチのふるさとに隠されていた方の《指輪》は、発見が困難だったことだろう。長い歳月。王弟が持つ方の《指輪》を探し当て近づくには足る時間。しかし不幸にもストライダー・シャーウッドが命を落とす結果。優れた戦士の、死にたての死体。それを利用することを思いついた王弟。

 

(生きていると思っていたのに)

 

 今代が生きているうちに《シャーウッドの番人》の後継者が見出されるのは、多くはないが前例もあった。ロビンら親子はそのレアケースのひとつである。そして前例にならうなら継がれるきっかけは例外なく今代の死だった。ロビン・シャーウッドに証が顕われる様子がなかったから、まだ本質的にはストライダー・シャーウッドは《シャーウッドの番人》のままで、ロビンはあくまで後継者、順番待ち、そんな立ち位置だった。

 森の外からの人間でありながら役目を果たすストライダーの姿に、マリアン個人もずっと憧れを抱いてきた。生きているうちにまた会いたい人間だった。

 

 

 それよりも。

 

 

 ――じゃあ、あたしが未来視で視たのは。

「あいつが親殺しをする光景だって?」

 ぶれないで視えたものほど、確固たる未来。

 

 

 ひとつめはこの黒いのがロビン・シャーウッドに討たれている。

 ふたつめは……マリアン自身に一本の矢が迫っている。

 

 

(だめよ)

 答えを見つけなければ。

 ここにマリアンがいることを知っているのはロビンだけだ。実はもうひとりいるが、彼にマリアンを害する気があるのならとうに殺されているから数えなくていい。ならば、未来視での『マリアンに迫る矢』を撃ち得るのはロビンだけだ。でもあのロビンが自発的にマリアンに向けて射るはずがない。流れ矢で当たる距離でもない。ならば何もしなければ今のところ、マリアンに矢が放たれる未来は起こり得ない。

 そうなれば、ロビンが実の父親を――たとえ操られた身だとしても――仕留める方の未来がこのままなら確実に訪れる。

 心が砕けそうだ。

 耳が痛くなるほどに未来視の力は乱用するものでないと、そして視えたものを受け入れる強さが必要だと言われ続けていた。その意味をやっと、このマリアンは止まらない震えの中で実感する。

 

(マリアンは、死んでたまるものか。でも、あいつに親殺しだってさせない)

 

 視てしまった未来に振り回されるなんて道化のようだが、そういうものだから。

 

 

 これまでの物語を考えろ。

 二十年近くも前に城でストライダーさんに連れられた少年に出会った。興味本位であのとき未来視をしていたら今のようないい男になると知っていたのだろうか。ひそかに敬愛していたストライダーさんが森から出ていき、まだ子供だったあれを見ていても立ってもいられず《シャーウッドの番人》のまねごとを始めた。マリアンには証がないことを自身がよく知った上で。いろいろあったが物語というほどの出来事を挙げるのならば、一緒に森から出かけた狩猟大会だった。十分に用意したと思っていた罠も毒矢もほとんど使い切ってやっとの思いでとんでもない大きさのいのししを仕留めたし、マッチと友達になれたのもこのときだ。シャーウッドの森へ帰ったらまたロビンの友達が現れて、「こんな美人といい仲だなんてよぉ」なんて言われた。城へ行って戻ってきたら、まさかロビンが獅子心王と一発やりあっているなんてとんでもない光景に出くわしもした。落ち着く暇もなく操られたストライダーさんに連れていかれて、《指輪》を嵌めさせられた。結果として王弟ジョンがひとりで《指輪》を揃えることにならなくてよかった。せめての抵抗に断食しつつも部屋にトラップを仕掛けたりして機を伺っていた。マッチも現れていい方に行くと思ったのに、シャーウッドの森に火を放たれて退路を断たれた。脱出したときにノッティンガム周辺で唯一の土地勘がある、いのしし狩りをした森に潜んだ。だがそこからは《指輪》からあふれる黒い沼のせいで身動きがとれなくなった。生きたまま死者の世界にもう肩まで浸かっているといっていい状態だ。そして笛を頼りにロビンが見つけだしてくれて、少しばかり言葉を交わせた……。

 

 

 少しでも周りの状況を知るために《シャープアイ》の魔法で探知したり、ロビンにも同じ魔法を使った木の枝を渡してやったり、使えるものは使い尽くして。でもマリアンの持っているもので使えるものがもう、

(……ロビンが持っているものなら……?)

 遠くのものを《シャープアイ》で知覚する特性を使えば、ロビンへとここに居ながらにして伝えられるかもしれない。

 

 すべての物語は、この一点に収束するために。

 

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