【幕間2:ある武器屋の疑問】
『ミスリルが特別である理由を説明しろと問われると難しい。ただ美しいだけなら宝石でも同じことができる。最大の特性は《闇》を祓う力……という。ただこれが何なのかさっぱり分からない。エルフの持っていたボロ本の片隅にちっちゃく書かれていただけなんだ』
【獅子心王、森へとやってくる】
ノッティンガム街での宴からは早々に抜け出して、また半日かけてシャーウッドの森へロビンは帰ってきた。行き道と違って最速で帰る必要もなく、馬を一日に二度も長旅をさせるのはよろしくない。ロビン自身の疲れもある。夜半には旅籠屋を見つけて休ませてもらった。そこでは酒も提供していたが――むしろ酒の提供が主で、人を休ませるのはおまけである――ロビンはぐっと我慢しきる。金は賞金の中から重たくない程度に持ち出していて、森の外での貨幣の価値は分かっていないから適当にじゃらじゃらと掴んで出すと馬も丁重に世話をしてもらえることになった。
一滴も酒を飲まず素面のロビンに手出しする盗人もおらず、大事に抱えた酒は一眠りしたあとも無事であった。寝ている間に寝ぼけて自身が勝手につまんだということもないのは、固く閉じた蓋で分かる。
空が白くなり始める時間に再び出発。休みを挟んだのもありそこからは順調であった。
「ジョン! 久しぶりですね!」
落ち合う約束をしたのはあの丸太橋。川を上手く使えば荷物をひとりで運ぶにも役立つし、目印としても分かりやすかったのだ。
先に到着していたジョン、身体はチビだが互いにすぐ気づいた。
「やあやあ! オマエから便りが来たら来ないわけがないだろうよ!」
髭に埋もれた笑顔で応えてくれる。日も高くなりはじめて気温もちょうどいい具合になってきた。
水しぶきで冷やされたさわやかな風の中で、今回はロビンが持ち込んだ酒を開けていく。ジョンが荷車で樽ごと運んだものに比べれば、こちらは馬一頭で運べる量だけゆえに量としては足りないものがあった。それでもリトル・ジョンが干し肉など持ちこんでくれたので盛り上がりに問題はない。
連れてきた馬の足元の草がそこそこ短くなった頃、
「まったくもう、あたしたちより遅く出発して、早く酒盛りしているだなんて!」
もう一頭の馬に乗ってマリアンとマッチが到着した。どうしてここが分かったのか、と訊けば、
「《シャープアイ》の探知でしっかり視えていたのさ。浮足立ちながらここへ向かうあんただがさぁ」
「マリアンの魔法、すごい。言っていたとおりだ!」
長旅の目的地まであと少し、というところまで来たマッチも元気そうにしている。さっそく飛び降りて肉のひとかたまりにかぶりついた。小さな口いっぱいに頬張っている。
「あたしも仕留めるの手伝ったんだから、ちょっとくらい残しておくてくれよ?」
二頭の白馬を撫でてやりつつマリアンが言う。酒好きという話は聞いたことがないが、嗜み程度には飲むのだろう。エルフの姫であるなら相応にいいものを口にしているだろうが、きっと満足させられる味だとロビンは思う。それくらいに美味い。
「マリアンも食べていっては?」
「まだまだやることが多いんだよ」
「なんでぇ、ロビンも隅に置けねぇな。こんな美人といい仲だなんてよぉ」
食べやすいようマッチの口に合う大きさに肉を引きちぎってやりながらジョンが茶化す。すっかり酒臭いがこれまでで見えてきた性格からいうと、酔ってなくてもこういうことを言う性格だ。
「今はそういうのでありません」
「そういうのじゃないよ」
穏やかな否定と鋭く手厳しい否定が重なった。
「じゃああたしは《指輪》を預かって、あと馬だけ先に返してくるよ。小人族の里が襲われた話について詳しく聞きたいし、あとでマッチも城に来てほしいんだ。その約束も取りつけておく」
そう言い残してマリアンは、水場で一休みさせた馬たちの手綱を引いて森の奥へと消えていく。あの《指輪》についても彼女が預かることになった。先に持っていって調べさせるつもりのようだ。
「ぼくがつかれていたから、マリアンが持ってくれるって言ったんだよ」
彼女の背が完全に見えなくなってからマッチが言った。
「なんども《スティンガー》が光って、そのたびに回り道をしたりしたんだ。マリアンもたいへんだったとおもう」
「今日初めて会ったおひいさんだが、いい子じゃないか」
「私たちの誰よりも年上ですよ」
流れでおのおのの年頃の話になった。リトル・ジョンはドワーフの中で二番目に若いと自称していたり――それは若くみられたいのかみられたくないのか分かりづらい語り口であった――マッチは下にも子供の小人がたくさんいたり。血縁も大切だが里全体で子供を育てる文化があるのだとか。エルフであるマリアンが一回りどころでなく抜けている、種族も違えばどう大人になっていくかも違う、と自分のことのよう語ったりもする。そのあたりを話の取っ掛かりとし、それぞれの愛するものや誇らしく思うものへと広がっていった。
「人との関わりが少ない生活をしていましたから……父親についても……他人と比較しての身内というより、父と自分、あとは精霊や動物としか触れ合ってなかったから意識したことがなかったです」
マリアンが狩人として森を駆け回るようになったのも、父が森から出てしまった頃と入れ違いだ。つまりここ数年のことである。それ以前でも彼女が鍛えているのは明白なのだが、その時期に森で会うことはなかったのだ。
「その精霊ってぇのは、おふくろさんとは別だったんだっけか」
ロビンにとっては当たり前すぎて敢えて語る機会もなかったが、ロビンの母親は森の精霊である。
《シャーウッドの番人》は森の精霊に選ばれることで決まる。ロビンと父親のように血縁があることはむしろ稀であった。森を愛し、動物や樹々と語り合える、そんな資質を持つ者の前に精霊は現れるという。精霊の姿を視認できるならばそれはまさに祝福を受けて番人に選ばれたと言っていい。
「母は森の円環に還ったと聞きます。私を選んでくれたドライアードですが……たとえば生まれたときから一緒に育った花があったとして、それを幼馴染と呼ぶかというとまた違うような、そんな感覚ですね。言語で会話するわけでもないので」
「ぼくもおともだちになってみたかったなあ」
「今もいますよ、そこに」
ロビンが指さしたのはマッチとジョンの間、何も見えない空間。
「えぇ!」
「もしも見えたら、《シャーウッドの番人》を代わらないといけませんから」
苦笑い。厳密には先代である父親の行方不明――生死不明であるため代替わりも曖昧なままだ。ロビンがもっと子供だったうちはマリアンが事実上の番人として密猟者を追い出したりもしていた。何の肩書を持つかでなく、何を成すのか、という観点でいえば彼女の方がよほど働いている。
「このへんにいるのか。ほれほれ、オマエも肉がいいか?」
ジョンが棒に刺した肉をドライアードの方へひょいひょいと振る。どちらかと言えば猫と遊ぶようなことになっていたが、見えてもないし言葉も通じていなくても楽しくしているならそれで十分と言えよう。
肉が棒からすっぽんと抜けて宙を舞うのをマッチがキャッチしたり、それで皆で大笑いしたり。ふたりからは見えていないだけでドライアードもにこにこと笑っていて、唯一見えているロビンはそれで胸が温かくなった。
「父はよく言いました。みなそれぞれ《眼》が違うと。私はジョンのように武器や防具の価値を判別する目をしていないし、マッチのように素直にものを見れないですから」
「でも、ドライアードと直接おともだちになれるの、ロビンだけだもんね!」
照れくさくなってマッチの頭をわしゃわしゃにしてやった。確かにそれはロビンだけの《眼》だが、友達になるという言い方が微笑ましい。
――ドォン!……
遠く、だが森の中で炸裂音がした。狩人を呼び寄せる音。
「なに?」
「……罠が起動しましたね。何者かが森に入ったようです」
昨日は丸一日、森から出ていたわけではあるがこれが本来の仕事だ。リトル・ジョンに喧嘩をふっかけたのも――結果としては友情のきっかけになったが――あれがロビンの役目なのである。
この楽しい時間の間は外していた、篭手と一体になるクロスボウを着け直し、矢筒の提げる重く太いベルトを締め直す。補充をしていないから矢の残りは決して多くないが、この森はロビンの庭であり無駄撃ちをしない自信がある。
「良いところ見せますよ。待つ暇はないので、見たいなら早く追いついてくださいね」
手短に告げて、ロビンは森の緑の中へと紛れていった。彼の鮮やかな金髪は目立つはずなのに、それすらも光の中へ。
*
探知の魔法である《シャープアイ》を使えるマリアンほどではないが、自分の庭であるシャーウッドの森で仕掛けた罠のうちどのあたりのが起動したのかはかなり正確に把握できるのだ。それでも罠の場所から移動されると面倒である。
設置箇所に到着する前に侵入者の足跡を見つけた。まるで獣のように大きい。森にいる動物たちの種類やその行動範囲も把握しているロビンでければ獣そのものだと勘違いして見過ごしていたことだろう。向きは森の深部――エルフたちの領域へと向かっていた。罠の場所からこの足跡の場所と向き、エルフの城がある方角は完全に一致していて、そちらへ向かっていることが明白だ。
エルフらと《シャーウッドの番人》は深い関わりはあるが互いに独立している。だがエルフたちに用があるとしたら、あの誇り高い種族は必ず自ら客人を迎えに行く。単独でそちらへ向かっている時点で侵入者として認定してよいのである。
追跡はすぐに終わった。
ロビンの罠はその位置を知らせるだけでなく、閃光と音でターゲットの視覚と聴覚も奪う。動物らが誤作動させてしまった場合でも致命傷にならないように、一発ならほどほどに時間が経過すれば自然と治る程度のものではあるが、その時間のうちに番人が駆けつけるのがこのシャーウッドの森なのである。
大柄な男が倒木を背もたれにして休んでいた。動物と見間違えかねない足跡にふさわしい体格で、いや確かに二足歩行をする身体であるのに、その頭は獣のものだった。リトル・ジョンも毛むくじゃらで髭を三つ編みにまでしているが、それとは比較にならない量の剛毛で覆われている。それでいて昨日会ったノッティンガム州長が着ていたのと変わらない上質な布の黒衣をまとっていて、なのにその下には歴戦の武人を思わせる鎧も着込んでいた。隙のない防具の割に頭には宝石の埋まった冠だけ。そちらの意味はロビンには分からない。
マリアンは青い肌のエルフ族だしリトル・ジョンはチビのドワーフ族、マッチは温厚な小人族。ロビンは精霊と人間の血が半々。それ以外の種族がいることには驚かないつもりだったが、獣人族とでも言うべき風貌につい困惑して手が止まってしまった。それでも気配は殺しつつ声を出す。
「何者です。ここはシャーウッドの森。踏み荒らす者に容赦はしません」
ロビンのトラップで聴覚が機能不全になったままの可能性はある。だが空気が変わった。警告は確かにあの者に届いている。
獣頭はまだ完全には耳が治っていないのだろう、首をゆっくりと振りながらあたりを見回して――だが今ここで不意打ちとして矢を射ても当たらない確信があった。鍛えられた筋肉それ自体が武器でもあり鎧の役割を兼ねていて、クリティカルな角度と深さが揃わない限りは虫に刺された程度の傷にしかならないに違いない。痛かったり鬱陶しくはあっても、それ以上にならない。
嗅覚が常人より優れているのか、ついにロビンのいる方に顔が向いた。
「ストライダーのせがれか。その金髪は若いときによく似ている」
(父を知っている?)
ロビンの父の名はストライダー・シャーウッドだ。ロビン自身の物心が付いてから会ったことのある者にこんな、一度見たら忘れられないような獣頭の記憶はない。ならば――父が森の外にいた頃を知っているのか。
だが父を知る者であることと、森の敵であることは別の話だ。ロビンは自分が生まれる前の父親のことを何も知らない。役目と関係ない。返事はしない。
「返答しないか、そこも良い番人だ。どれ、余が相手をしてやろう」
そう言って獅子頭の男は大剣を取り出した。図体だけでなく、身のこなしも只者でないと感じさせる。昨日に狩猟大会で見た他所の土地から来た戦士らのどれよりも強いという確信。
森を通り抜けようとしたリトル・ジョンのように荷を持っているでもなく身ひとつ、目的も分からないがやる気なら応じない理由もない。
射程のあるロビンにすれば間合いのあるうちに仕掛けたいが、闇雲に射ても自分の場所を知らせるだけだ。嗅覚か第六感か、ある程度こちらの位置も把握できるようだが、まだトラップによるダメージは回復していないはず。声を殺し気配を消して動けば撒ける。
あえて次、次、次、とトラップを追加で設置してく。魔力で編むマリアンほどではないがもう数えきれないほど仕込んだ手順は身体が覚えている。戦闘の最中でもスピードが衰えることはない。
獣頭が矢とロビンの位置を警戒する間で、周囲を包囲するよう罠による陣形が完成する。このうち一箇所かかればそれでいい。代わりにどこへ行っても絶対に逃れることはできないようにした。
設置が終わっても獣頭は注意深い。下手に動きはしないが、警戒も全く怠っていない。やはり隙をこちらから作らせないと矢の一本も通らなさそうだ。
じりじりと、いつもなら心地いいはずの木漏れ日が肌を焦がすかのような錯覚。汗が伝う感触まで拡大、強調される。
時間がだらだらと過ぎる。ああ、早くジョン、マッチたちとの楽しい時間を取り戻したいのに。それを差し引いても今は時間はロビンの味方をしてくれない。罠は見えづらいように設置したが、あると分かっていて注意深く観察をすれば看破は可能だし、もういい加減に最初のトラップによるダメージも回復してしまっていることだろう。
相手の不意を突け。
一気に飛び出して懐に潜り込もうとする。搦手だけじゃない。超遠距離からでもターゲットに届き、そして至近距離から打ち込めば巨大な獣を仕留められるだけの威力を出せるのが、この番人に与えられるクロスボウの性能だ。
可能なだけ姿勢を低くし、新緑の狩人服が目くらましになるよう駆け寄って――ぎょろり、体毛に覆われた隙間から獣頭の瞳と目が合う。こちらは真剣に強さを示して森から出ていってもらいたいのに、相手の目から分かる感情は歓喜。
(それすらも、射抜く……!)
ほぼ身体を密着させて、より威力を上げるためにいのしし狩りでも見せた二段構えに矢を重ねて弦を引き絞って、
「待った、待った!」
制止の声と共に矢が一本割り込んできた。優れた武人である獣頭と、それに劣らぬ狩人であるロビンが同時に避けたことで間合いが、隙間が生まれた。もしも避けなければ獣頭の腕の筋か、その延長線にあるロビンが持つクロスボウの複雑な機構部を射抜く軌道。
そこに滑り込んだのは美しき狩人のマリアン。女であってもその動きは猛禽類を連想させる。
彼女は獣頭に背を向けロビンに向き直り、全身で呆れを表現しながら。
「ちょっとロビン! その人は獅子心王、人間の王様だよ!」
どういうことです、そう問う前にマリアンの背中からぬっと出てきた王様からロビンは一発、拳をもらって草の上に吹っ飛んだ。
展開の早さと地面に投げ出された衝撃でロビンは目を白黒させるしかなく。
「はっはっはっは、余の頭は人間に見えないから仕方ないな!」
そう笑う王様は、やはり獣の頭をしていた。
マリアン曰く、遠い大陸に生息するライオンという生き物――獅子からその称号が付いたという王。
*
「いやはや、まさかこの獅子心王と知らずに仕掛けてくるその度胸は父親譲りであるよ! さすがにあいつは常識はあったから、余が王と知らないなんてことはなかったがな!」
流れた汗と砂埃を払い落としながら彼はよく笑う。もう目も耳もほとんど治っているのだろう。
「あー……そんなことがあったんだ……」
「その節では父が失礼をしました」
ロビンとマリアン、それぞれが自分の知る先代《シャーウッドの番人》の姿を浮かべた。一度《シャーウッドの番人》に選ばれれば生涯森に留まるものであるはずなのに、数年前に息子と森を置き去りに旅立った自由人。王様に喧嘩を仕掛けるのも、経緯がどうなのかは知らないがそのシーンは容易に想像できる。現に後継のロビンも一発やりあってしまった。
「若いときのことを思い出して実に楽しませてもらったぞ。ストライダーとは戦い方が違っていたのも面白かった」
弓矢や森で生きる技術は父親から大半を教わったが、実戦でどう活かすかについては父親が行方不明になって以降に身に付けたものだ。まだ未熟だったロビンに代わってその期間に森を守っていたのはマリアンで、いわば先輩にあたる彼女の技術を見よう見まねで学んでいった。今では互いに身体能力や性格の違いなど踏まえて最適化させつつ技術を切磋琢磨する関係になってきているが、そういう経緯を思えば父親との動きの違うという獅子心王の評価にも納得できる。
「次代の番人。ぬしは人間が好きか? ストライダーはなぁ、人が好きで、人の周りにあるものもみんな好きだったのだ」
「え?」
獅子心王からの不意の質問で答えに窮する。自分の知らない父親の姿を知る人物から語られることで、急に父親のことが近いようにも遠いようにも感じたところに投げ込まれた言葉のボールを拾えなかった。
返事に詰まっているロビンに「おお、別に答えなくても構わんさ」とワハハと笑って、マリアンの方に向き直る。獅子心王のたてがみに埋もれた表情が鋭いものになった。上質であるが地味な黒い衣は身分を隠すためのもので、彼の本性が垣間見える。
「さてさて、エルフの王に相談ごとがあってな」
「あたしの、父に?」
決して遊びでシャーウッドの森に踏みこんだわけではない。元はといえば獅子心王が森の深部、エルフの城の方へ向かっていたからこそロビンも警告、襲撃をしたのだった。
マリアンはしばしまぶたを閉じて、きっとロビンに知る由もない向こうの事情を頭に巡らせて、再び開く。
「……今はたとえ王様でも会うことはできないんだ。娘のあたしが間に入るのでは不都合かい?」
「構わん、それでよい」
マリアンの父親、エルフの王が人間たちの王が直接訪れても会えないほどの事情はどういうことだろうか、とふと思ったが、そのまま話が進んでいくので伺う機会はなかった。
やれ政治の話だのにロビンは興味を持てず、聞き流していても土地の名前らしいものと人名らしいものの区別も怪しかった。先日に訪れたばかりのノッティンガム州と、幼い頃に父に連れられた『青猪亭(あおじしてい)』という懐かしい名だけかろうじて理解できただけである。
そして、
「まるで夜の闇そのものの遺体がこのところ首都の周辺で発見されてな。どうやら魔術の類であるらしいということまで分かったから――」
「なんですって!」
思わず口を挟んだ。夜の闇が昼間に残留したかのような《痕跡》、消える動物、それはこの森でも起きている現象。
同じ狩人のマリアンとももちろん情報共有はしてあった。ただ当時、共に現場へ向かったところすでに昼の光で溶けたように消えていて、ロビンから口頭で伝えた以上のことを彼女は把握できてない。
ロビンが口を挟んだことに文句はなく「あんたが改めて詳しいことを話せ」とばかりにマリアンも頷く。
「森で発見されたのは、動物の亡骸がそのようになったものでしたが、人間も?」
獅子心王の話では、向こうで見つかったのは人間の遺体が真っ黒に染め上げられていたという。
「しかも余の兵士に調べさせたところ、同時期に墓荒らしも横行しているようだった。中には葬儀前に盗まれたものもあることが分かっておる」
「嫌な話だね。まるで《闇》が跋扈していた時代の再現のようだよ」
思い出すことがあるかのように眉をひそめるマリアン。
「死体を動かしたり《闇》に与する種族が好き放題していたりって時代があったのさ。マッチが持ってきた《指輪》もね、似たやつも古い記録にあるんだ。それこそあたしが直に知るより古い古い時代のね」
マッチだけでなくて獅子心王も城に行ってもらわなきゃなあ、面倒だなあ、と呟く。
ちょうどそこに、
「――ロビイィン……まりああぁん……」
疲れで死にかけのような声と共に、がさがさがさ、と葉っぱがうるさく揺れたところから小人とドワーフが顔を出した。
「方角は分かってもぜんぜん気配がしねぇんだ、探すのに苦労したぞお」
「荷物おもたぁい……」
マッチは初めて会ったときと同様に小さな身体に不釣り合いなリュックを背負っている。歩きづらそうにしている両手には冷めてもなおいい匂いをさせている串刺し肉が数本。
「おおいそぎで、マリアンにも、おいしいの、たべよ、って」
肩で息をしているのがあまりに辛そうなのでロビンが背中の荷を受け取ってやる。楽になったマッチが嬉しそうに軽くなった身体を跳ねさせながらマリアンへ肉を差し出した。
「はいっ!」
悩ませる話題が続いていて、もっと言えば昨日からずっと駆け回り続けていたマリアンの腹がここにきて鳴る。張り詰めていた緊張の糸がマッチとリトル・ジョンの登場で緩んだのだろう。
「少し休憩してからみなで城へ行きましょう」
強制的にマリアンを手近な柔らかな草(かつ、罠を置いていない場所)のところに座らせてやる。狩猟大会の一日だって気を抜かなかったのは間違いなく美点だが、いつか擦り切れてしまいかねない危うさと裏表の関係だ。
マッチとジョンの四本の手で運べる量しか肉は運べなかった――持ってこれなかった残りはどっちの胃に収まったのだろう?――が、まだ一口もつまんでいないマリアンと獅子心王を中心に分けてみんなで食べた。この短時間に出っ張った腹をしているジョンだけ量を少なくしたが、異論はないということにしてやった。
*
道中で保存食はつまんでいたようだが、やはり焼いた肉を食べたあとのマリアンは顔色がよくなった気がする。本人も元気が戻ってきたようで、てきぱきと後始末をして矢筒を提げる。
「さて、馬も返しちゃったから少し歩くけどいいね? 飲み食いが済む頃合いに城から迎えを来させるつもりだったんだけど……獅子心王まで来たのなら時間を前倒しせざるを得ないよ」
出立にあたって隊列を組む。森の中で迷子になる者が出ないようリトル・ジョンとマッチは真ん中に、シャーウッドの森では等しく客人とはいえエルフの城に訪れたこともある獅子心王はその中で前に、先頭にロビン、しんがりにマリアンがついた。
ロビンとマリアンにとってシャーウッドの森は庭同然でも、外から訪れた者には命を落としかねない場なのだ。ノッティンガム街の傍らにあったあのいのししを狩った森だってここと比べれば小さかったが、生活の助けになると同時に獣に遭遇したり道を見失ったりすれば危険な場でもある。
しかも先に獅子心王に勝負を仕掛けた際にロビンが設置した罠がまだ残っている。我ながらムキになってかなりの数を狭い範囲に設置したものだから、後々に回収しなければと思う。マリアンのように魔力で編んだトラップならば撤去も難しくないのだが、その方はロビンが不得手――というよりはあっちがマリアンの得意分野なのだ。
「なんだか、くらくなってきたね……」
冷たい風が通り抜ける。見上げれば風上から流れてきた黒い雲が周辺の空を覆いはじめていた。
「雨がいつ降ってもおかしくありませんね。急ぎましょうか」
足の短いジョンとマッチが遅れないか後方を確認しつつ、移動を早める。
そのうちにエルフの城が樹々の間に見えてきた。まだ背の高い構造物が隙間から覗いている程度なのでここからが長いが。自分たちの隊列が砂や草を踏みしめる音と別のが城の方角から聴こえてくる。
「……この音は……ちょうど城からの迎えとかちあうタイミングだね。あと少し歩けば、馬も水もあるよ! ほら、頑張りな」
だんだんと歩みが遅れているマッチを励ます。長旅を乗り越えるためのリュックだが警戒心の強いマッチは自分で背負っていくと言ってきかず、せめて負担が軽くなればとマリアンが後ろから持ち上げている。大きさのせいで足元があまり見えていないはずだが「そこ、大きい石で滑らないようにね」などと数歩前を歩くジョンやマッチへ的確なアドバイスも飛ばしていた。
冷たい雨も降りはじめた。友と会えた興奮の熱を外から冷ましにかかるような冷たさだ。太陽の光が厚い雲に阻まれた。
「この距離ですと、この人数が雨宿りするよりも城まで突っ切ってしまう方がよいでしょう?」
振り向き、最後尾のマリアンにも聞こえるように声を上げて呼びかける。
その彼女は、マッチとともにリュックに視線が釘付けになっていた。中身がほのかに光っている。ふたりとも表情は強張っていた。
「マッチ、まさかあんたの剣」
「光ってる? 光ってる! ああ、みんな、きをつけて!」
ロビンもマリアンもマッチが持つ素晴らしい剣の能力を知っている。彼が小人族の里からシャーウッドの森までの長い旅を無事に遂げる助けになった、危機探知の力。敵といっても、いのしし狩りのときのように野生動物に反応することもある。それならどれだけよかったことか。
警戒を高めてクロスボウに矢を番える。ロビンの矢筒は残りにあまり余裕はない。
「動物じゃない、もしもそれならば番人である私たちと同行する者に牙を剥くはずがない……!」
《スティンガー》が敵を探知するたび遠回りしていたために到着が遅れた――マッチがそう言っていた。
「あたしらが森に着くのが遅れた理由だ。ここまで付いてきたなんて!」
マリアンが魔力を矢に集中させて空へ向けて放つ。得意の《シャープアイ》の魔法。
「頭が痛むなら目を閉じな! 城からの迎えと合流するまで時間を稼げば勝ちだよ!」
矢がばらまかれると同時、ロビンの感覚が広がるのを感じる。普通ならば視線が通らないはずの樹々の裏側まで視える。こめかみのあたりが緊張するが、目を閉じて遮断するほどではない。
他者にまで感覚を広げるこの技はマリアンだけのものだ。術者自身であるマリアンはこの感覚が広がる状態に慣れているが、そんな希少な魔法の影響下に入ることなど他人にしたら訓練する機会すらない。ロビンでも片手で数えるほどの回数だ。
意識を研ぎ澄まさせる。敵は単独、間合いは付かず離れずを保っている。マリアンのおかげで居場所は分かる。ただしこちらとの間に障害物が多いので先制攻撃は難しそうだ。いや、難しそうでなく、無理だった。樹と樹が重なり合うその安全地帯に見事に身を隠している。
(森のことを熟知している……?)
やりづらいが、間合いの取り方からして敵が扱う武器は弓かそれに準じるものだ。それにこちらの矢が届かないということは敵のそれも届かないし、膠着状態が続けば援軍になるエルフたちが到着する。マリアンの魔法で視えている限りは不意打ちもない。
「ロビン」
マリアンがそっと耳打ちをする。
「普通なら要人である獅子心王がターゲットだと思う。でもあれはマッチとあたしを尾行していた。……マッチを守ってあげて」
無言で同意を示すために頷く。獅子心王は身分を隠すために黒い衣装に身を包んでひとりで訪れた。獣の頭はどうあっても目立つが、そこに目を付けられるのであればもっと早くに襲撃されていたはずだ。
残り時間に余裕がないのを知ってか知らずか、敵が動きだす。
感覚を拡大する《シャープアイ》は必ずしも万能ではなく、居場所やおおむねの様子は分かっても詳細までは分からない。ロビンが感じているものを敢えて言い表すならば、視線と音を阻むような透けない厚い遮蔽物を、透ける薄布に差し替えるような感覚。
そんな視野で、敵が投擲の構えを取る。最小限の動きでこちらへ投げ込まれる。すぐに太い幹に身を隠されたのでそちらを射るのは不可能。来ると分かっている攻撃には迎撃するのみ。
すかさず放たれたロビンの矢が投擲物をまっすぐ射抜く――が、そこに起きたのは爆発。
「なんでぇ伏せろ! 目を閉じろぉ! 耳も塞げ! 口開けろぉお!」
続けて起こる炸裂音にジョンの警告は誰にも聞こえていない。それでも身を守るためにみな地面に伏せる。
あれは何なのか、自分で射抜いたロビンだけ分かっていた。
つい先刻にロビンが仕掛けたトラップだ。それも複数個――いや、全部。
ロビン自身、これが自分の持ちこんだ罠を回収されて投げ込まれているという状況は理解できても対処ができない。基本的な対処は感覚器へのダメージを抑えることだが、こうも次から次へと追加されれば身動きが取れないのだ。
まさか森の外からの襲撃者に自分のトラップを逆に使われるとは。怒りに拳を震わせながらも、頭を働かせる。自分のものだから、その設置数ももちろん覚えている。残りの数は容易に逆算できるが、残念なことに打ち止めまはまだ先だ。
敵が全弾を打ち尽くす前に攻勢が止んだ。あれだけ派手に音と閃光を起こしたのならば、敵襲も伝わっているはずだからあと少し、あと少しの時間を凌ぎきれば。
起き上がって、念のため腕で目は守れるようにしておいて、
――畜生ッ! 放せ!
マリアンの悲鳴だけクリアに届いた。誰を罵倒している? すぐに身体を起こす。
そこに。
黒い、人の形をした腐臭の塊が、マリアンを後ろ手に締め上げている。体格から成人男性だというのは推測できるが、顔も、衣服も、腕から手指の先まですべてが夜よりも深い黒。獅子心王のように変装しているのでもなく、そのままの黒。シルエットは頭巾を被っているらしいということが分かるくらい。
獅子心王、ジョン、ロビン、そしてマッチも、この全員が一斉に飛びかかった。
あと少しで援軍が来るはずだとか、婦女に手荒なことをした憤りだとか、やっと攻勢に転じられる勢いだとか、とか様々な要素が重なり合った。
このタイミングを逃さず敵は残るトラップすべてを同時に叩きつけ、何重にも重なった爆音と閃光とで今度こそ感覚を吹き飛ばしてきた。
真っ白になった向こう、マリアンが連れ去られる気配だけは分かっていながらも追いすがれない。
まだ《シャープアイ》の探知範囲にいるうちは、そこにいることは分かって希望になった。そしてすぐに、どんどんと森から遠のいていく絶望へと反転した。そのうちにマリアンも気絶させられたのか、魔法の効力自体が途切れた。いよいよ手がかりが途絶えた。
*
乱暴に揺さぶられるのが分かる。手で揺すってもらっているようなものでなく、棒状のもので背中を突かれている。
どこから意識が途切れていたのだろう。どれくらい時間が経ったのだろう。
「……きろ、起き……ろ!」
最後の爆破によっていかれてしまった耳がまともになってきたのだろう、次第に声が届くようになってきた。まだ耳の奥が痛んで、膜がかかったかのような聞こえ方をしているが応答はできそうか。
「うっ、く……マリアン、は……ほかのみなは……」
視界もまだ白く、何度もまばたきをしながら見渡した。乱暴に起こそうとしたのがジョンなら笑って文句のひとつでも言ってやるし、マッチなら心配をかけたと一言かけてやりたい。
ロビンを囲んでいたのは武装したエルフたちだった。うち数名が槍を持っていて、これがロビンを揺すっていたのだと分かる。マリアンが言っていた城からの迎えであろう。そしてよく見えていない状態でも分かるくらいの敵意がロビンを突き刺す。
事実、彼らにとっての姫君である王女マリアンを守ることができないままにおめおめとぶっ倒れていたのだ。どうなったのか矢継早に訊きたい気持ちを抑えて、深呼吸をする。
「貴様には失望した、我らの姫を連れ去るとは!」
「《シャーウッドの番人》の姿はこちらでも目撃されている!」
予想外の方向から言い渡された。マリアンを守れなかったことを責められているのでない、マリアンを攫った犯人だと言われている。
愕然として反論の言葉も出ないまま、さらに言葉が投げつけられた。
「身の程知らずな目を向けているのは有名な話だ」
「姫から気に入られているのをいいことに」
頬が熱くなる。彼女への想いはずっと抱いていたもので、いまさら暴かれても痛くない腹であるがこんな場で吐きつけられていいものでもない。やっと回り始めた思考を基に、すぐに思いつく反論を叫ぶ。
「そんなはずは……獅子心王やマッチに証言してもらってください!」
獅子心王は人間らの王でありまず確実にエルフらとも交流がある。マッチは元々約束を取り付けてあったのだから橋渡し役のマリアンがいなくても特徴などは伝わっているはずだ。
「この有様でよく言えたものだな!」
指で示された先には介抱されている獅子心王がいる。でも彼の性格ならば他人の手を借りて立ち上がることなど笑って拒否するだろうに。
見れば耳から血を流し、目の焦点も合っていない。至近距離での直撃で、壊されてしまっている。今ここロビンが疑いをかけられ詰問されていることも知りようがない状態だ。
ロビンの視力と聴力は回復しつつあるが、そんなにも負傷の度合いに差が付くものか。行動不能になったあとで追い打ちをかけるくらいしなければ――いや、されたに違いない。ただロビンが獅子心王に比べて軽傷であること自体が、傍からみれば自作自演であり犯人がロビンであると示しているようにも見えるのも致し方ない。それでもやっていないのに、証拠を提示できない。
「あたりに残っている爆発物もすべて貴様がいつも使っているものだ。森を守るための道具をこんなことに使うなど」
ここまで言われてやっと気づく。あの敵がロビンの設置したトラップを回収して利用してきた意図。
ただ現地調達で武器を手に入れるだけでなく、ロビンに濡れ衣を着せるところまで決め打ってマリアンを誘拐したのだ。あのときも膠着状態に入って、こちらは時間を稼げば城からのエルフたちも到着して勝ちだと思いこんでいた。その実、敵もまたマリアンを奪っていく瞬間を目撃させるために時間を稼いでいたのであったとしたら。
可能性の高い真相に気づくことができても、証拠がない。獅子心王は会話のできる状態でなく、マッチとリトル・ジョンはどうやら先に城へ連れていかれたようだ。
決してエルフたちは敵ではない。複数人に包囲された状態で脱出するのは困難だし、ますます立場を悪くするばかりだ。今すぐ暴れまわりたい感情を深呼吸で鎮めながら、連行されるほかに有効な選択肢はなかった。
どうかせめて、無事でいてほしい。