セインは朝早い時間の〝幻の都〟を歩いていた。アイスをかじって報酬として渡された宝石類をチャリチャリ鳴らして、寄るべき場所はいくつもあって、その上で目的地に遅刻したくないせいで、トレードマークになっているおさげを結ぶ暇がなかった。腰近くまである黒髪がさらりと風で揺れる。
(あれだけ憎いと思っていたはずなのに、今は憑き物が落ちたようだ)
何故そんな感情を抱かれているのか、今のジーン自身には想像もできない、身に覚えがないことだ。この胸の中を渦巻くものはどれだけ傍からは醜くどろどろしていても自分だけのもの、誰にも渡したくない。
(夜が明ける。演じるべき仮面を被らないと)
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太陽は地平線から昇っていて、朝の仕事をする人々が活動しはじめていた。夜中は動かぬ像となっている人々だが、夜間の記憶がないことについては違和感を抱いていないらしい。領主であるスルタンが、日暮れまでに商いの類を終わらせるよう法律を定めているのもある。
まずは挨拶まわりからだ。警戒されては情報を引き出す前に拒絶される。まずは初日に食べたフルーツを仕入れた青果店の売り子へ、外国風のボウ・アンド・スクレープでお辞儀。右手は体に添え、左手は横方向へ差し出し、右足を引く。
「今日も瑞々しい肌だね。おすすめの果物は?」
「お上手。一番はやっぱりイチゴよ」
日によっておすすめの農作物が変わらない。安定した供給の証だ。次はアクセサリー屋。ヒゲが特徴的の強面な店主だが、腕は確かで特急料金で依頼した品も満足の出来だ。
「よう兄ちゃん、納品したリングはプレゼントしたかい?」
「渡したいような女はいなくてなぁ」
女とキスとかしてみたかった人生だったなぁとか考えつつ、今度は王宮御用達の武器屋にも立ち寄る。外とは隔絶されている〝幻の都〟だが、兵士の訓練は怠っていないので常に一定量の仕事がいわば公共事業として供給されている。
「セインだっけ、来たか」
「おはよーっす。頼まれていた石屋へのお遣いやっといたよ。これ伝票」
「感謝する、約束通り気に入ったの一点だけ持っていっていいぞ」
物質的に豊かだからこそ情報であれちょっとした雑用であれ、形のない商品の方が求められる。先の公共事業といった話だって、懐に入った武器屋から聞いた話だ。
スルタンに『ランプを狙う盗賊』の情報を売りこんだおかげで今は財布が温かいが、ここに到着してすぐは元手がなかったので雑用と引き換えに売ってくれと頼んでいたのだ。最も得意なやつも調達できたし、これでオーケー。
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そうして宮殿の前、あの〝砕き〟が行われるはずの広場に出た。ただし目的地はその先、裏手にある倉庫だ。
半永久的に宝石や黄金の像に変えられた人間が保管されている場所。ジーンが気にしていたから像の製作者についてあれこれ調べたのに、〝幻の都〟にいる人間の誰も携わっていない、不定期にいきなり完成品だけが領主スルタンからもたらされる――というところまで調査したところで、日が暮れてこの街の異常な姿を知ったのだ。
そこからは上手いこと取り入って、昼間でも物言わぬ像、あるいは黙らされた囚人たちを保管するの倉庫のカギを預かるところまでようやく漕ぎつけたものだが。
錠は確かに閉じられていたが、わずかにピッキングの痕跡があった。ご丁寧に開けてから閉めたと。
「在庫は……っと。おーお、もぬけの殻だね」
あのジーンが広場で騒ぎになった一体だけで満足するなんて思っていなかったが、ごっそり盗まれている。人手も時間も必要であろう作業をこなした実行犯はピンク色で騒がしいちっちゃな魔神に違いない。
ジーンは事前にカギ破りをして侵入し、倉庫にあった元人間の像も盗み出していた。きっと一夜で全部を終わらせるつもりだったが、セインがそこのところをご破産にしたのが現状。
「あまり長くは誤魔化せないと思うが……おーっす! 今日から〝砕き〟は交代ってカギ預かったんですよーっ! 毎日疲れるでしょ」
ちょうどやってきた〝砕き〟を担う役人に手を振る。
もちろん嘘。事実なのはあくまで倉庫番のひとりからカギをもらった点だけで、スルタンから見れば処刑、市民から見ればエンターテイメントである〝砕き〟について具体的に権限があるわけじゃない。
人懐っこい笑顔で堂々と振る舞えばそれらしくなる。
「あれ準備が大変でな。若いのに助かる」
「そういえば向こうの青果店の娘さん、今日のおすすめはイチゴだって言ってましたよ。このまま行ってきたら?」
朝から思わぬ休暇となった彼はご機嫌に、指さした先へ鼻歌と共に行ってしまった。これで発覚を引き延ばせるはずだ。
「さぁて、次の仕事を始めっか」
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次はデモンストレーションを楽しみに集まる観客たちへの対応。しばらくは毎日連続して行われる予定になっていたのをジーンがごっそり盗みだしたものだから、倉庫のカギを握るだけでは隠蔽には足りない。もっと満足してもらえる催しで上塗りしてやれば、名も無いモブたちの噂話を封じられる。
歌や踊りくらいでは足りない。それくらいなら日常的にあちこちで行われているし、歌はまだしも踊りの心得がない。もっと破壊的で刺激のある見世物。
最初の青果店に立ち寄って「ちょっと味が落ちたやつとかでさ、できるだけでっかいのない?」と頼んでみると、さっきの役人が立ち寄って奮発したところだという。ちょうど『でっかいの』を捌けさせたら今日は店じまいにできるから、と快く譲ってくれた。礼を言ってから「これ、外での流行りだからこっそり教えてあげるぜ」と、地面に膝をついて女の手の甲にキスしてから別れた。膝に砂の跡が丸くついたのがカッコ悪いので払い落としてから出発。
泉と宮殿の間にある広場にて〝砕き〟をやるポジションは決まっていて、重たい像を同じところに置くものだから地面にへこみができていた。その定位置にいつもと違う男が現れたということで、不思議そうにチラチラと視線が投げかけられる。
荷を広げ、使う物を確認。でっかいフルーツは人間の頭よりさらに一回り大きい。皮も厚く丈夫で、やりたいことができそうだ。お駄賃として武器屋から貰った得物も改めて空撃ちで手応えを確かめる。記憶にある感触と少し違うが、十分いける。
借りてきた樽の上に、大仰にでっかいフルーツを一玉置きながら大声を出す。
「さあ、さあ! 見ていきな! 〝砕き〟より珍しくてアブナイ芸を披露してやろうじゃないか! ……これ持ってくれるか?」
近くにいた子供にでっかいフルーツを渡し、頭の上に掲げるように促す。子供が持つと頭より二周りくらい大きい。
「絶対にケガはさせねぇ。まずは一本目」
最も得意なやつ――弓を引いて、一射。厚い皮を貫きつつも完全には貫通しない、絶妙な力加減によってツノ、あるいはアイスの棒かのように矢が突き立ったフルーツがいっちょうあがり。
手を振りながら子供とフルーツから離れる。距離を最大化するために泉を挟んで反対側に立った。円形の泉、その端と端だ。
「みんな目ぇ閉じるんじゃないぜ。二本目は度肝を抜いてやる!」
さっきよりも大きな声で、そもそも泉の反対側まで弓矢を携えて歩くなんて行為自体がわけのわからないものだからさらに注目が集まる。こんな衆目に晒されるだなんて初めてだ。少しだけ胸がキュッとした。
眼を細めて狙いをつける。フルーツに突き立った、一本目の矢のてっぺん、矢筈。
矢を放つとわずかなタイムラグを経て結果が出る。
一本目の矢をさらに上から貫くよう、二本目が突き立つ。木製の何かがバキバキと割れる音に観客たちがどこに誤射して樽か木箱を壊したものかきょろきょろ見渡してから、その音が一本目だった矢から出たものだと気づく。
みながようやく気づいた頃合いでフルーツが耐えきれずぱっくりと割れ、ごろんと落下。
「お兄ちゃん、すごいすごい!」
一番の特等席を堪能した子供が声を上げる。その頃にはもう、子供と反対側にいたはずの男はもう姿を消している。
この日は『矢で矢を射抜く』芸当をした若者の話でもちきりで、〝砕き〟が休みだったことに言及する者は誰一人としていなかった。
*
昼食は人脈づくりに街中で済ませ、外が太陽で最も熱せられる時間帯に宮殿へ戻ってきた。
若い兵士へ「うーっす」とお土産のヤシの実ジュース……に見せかけた酒詰めヤシの実を差し入れる。初めて配ったときは訝しまれたが、二回目からは職務中に堂々と酒を飲めるということで向こうから喜んで受け取ってくれるし、配り回るためという名目で宮殿内も好きに歩けるようになっていた。強面の熟練兵士には睨まれたので止めざるを得なかったが、首尾は良好。
中庭にて、陳列された猛獣像や美女像、お気に入りの女たちが泳いでいるのをご機嫌に眺める領主スルタンの元へ立ち寄る。セインがジーンの懐から取り出したフリをして渡した、赤い宝石の指輪を手のひらで転がしていた。
「指輪の魔神からは相当に嫌われていたみたいですね。今も出てこないです?」
「ハッ、使えない魔神は元々閉じこめていたのだ。泣き顔で土下座をすれば気も紛れると思って擦ってみたが、さっぱりだ」
泉に投げ込むフォームで指輪が投げられる。落ちる前にセインがキャッチした。
「魔法の指輪をこうもぞんざいに扱えるなんて、さすがは〝幻の都〟の領主様だからこそだ」
「何を上手いことを言っておろう」
スルタンがしゃがれた声で笑う。
「お前が偽物を渡したのではないか」
先日にジーンが捕えられたときは「コソ泥を捕まえるためだけに賢明なる街の兵士たちを残業させる必要もないでしょう」などと言いくるめて、セインひとりで不意討ちを仕掛ける話をつけていた。今回はそのような根回しもなく、そしてセインが真っ昼間から酒を配っていないシラフの兵士、主に熟練の兵士たちが周りを囲んでいる。
「外からの侵入者がうろついているというのはとっくに耳に入っておったし、侵入者の片割れが自ら仲間を売りにきたと思いきや、肝心なところで偽物の指輪をよこしてきて、この儂を騙したと満足げにしている姿、なかなか笑える茶番だったな!」