堕ちた偶像のためのフィグマ 作:エコノミック・アニマル
駄菓子屋の軒先に設けられた席でカップアイスを掬う。21世紀に伝わるミルクのこの味は、昭和41年だろうと変わらない。
ベルトに差していた手ぬぐいで顔を拭うとホームランバーを咥えた鈴木は、駄菓子屋の陳列をひやかし、吊るされているカエルのゴム玩具の塗装をまじまじと観察していた。
「社長相手にババアが暴れてんだ。荷物あるなら俺が置きに行くから、今日も工場に寄り付かねえほうがいいぜ」
「工場に行くつもりは毛頭ないわよ」
「だったらなーんで彷徨いてんだ?」
「それは鈴木さんもそうでしょう」
「俺は昨日買った仕事道具を補充しにきただけだ」
「ふーん……」
鈴木は少しつっけんどんだった。
おそらく昨日のあれで、内心気まずいんだろうなとは思うけれども。
……ま、わざわざ気にしてないっていうのも、余計に意識させてしまうか。
「バッタのくせに作りいいんだよなぁ……原型師誰なんだろう」
高いところに積まれていた戦艦のプラモデルを開けて、中身のパーツを確認している。
こいつはこいつで、仕事以外に趣味はないのだろうか。
「や、若いお2人さん」
梅雨の合間のカンカン照りの中、日焼けたじゃがいも顔を緩ませて、赤いネクタイをした社長が気さくに声をかけた。
……今まで気づかなかったがサスペンダーをした下半身はかぼちゃのように太っていて、それに暑いのか腕まくりをして亜麻色の背広を脱いで左脇に抱えている。
その後ろを手ぬぐい巻きに作業着姿の山田さんが、とても気まずそうに目を逸らして、ついてきていた。
「どうしたんです? それに山田さんも」
プラモを戻して、鈴木は聞く。
「まぁまぁ、君らもきたまえ」
「はぁ」
困惑する鈴木が私に、どうしたもんかと目配せした。
……今の社長には、なんだか誰にも逆らせないオーラが漂っている。
「俺これから学校なんで」
「誰がその学費払っていると思っているのかねぇ?」
鈴木に選択の余地はない。そうして私達も社長にお供した。
工場を過ぎてもう少し歩いた社長の家は、生垣の丁寧にされた一戸建ての大きな平屋だった。
磯野家を彷彿とさせる典型的な昭和の家屋だ。間取りもよく似ている。
「明子、明子。いないのか?」
奥さんらしき名前を呼ぶが出てこない。買い物にでも出たのだろうか。
「まあいい、あがってあがって」
「あ、はい」
戸惑う私達は靴を脱ぎ、鈴木、私、山田さんと恐る恐る廊下を進んだ。
――社長には小学生の男の子がいるのだろうか。襖の開いた途中の部屋に、曲がったアニメのポスターや野球道具、散らかった玩具や漫画だらけの本棚、脱ぎ散らかしに勉強机も見られた。
「そういえば聡君は元気ですか?」
「ああ、今日はもちろん学校だけれども」
案内されるまま縁側から仏間に入ろうとした時、私はカーポートに気がついた。
カーポートには、当時にしても旧型で少しくたびれたアクアブルーのセダンが駐車されている。
「うわ、懐かしいな」
「先代がよく乗られてましたね」
私が見ているのを鈴木と山田さんも気がついて、社長も遠い目で懐かしんだ。
下駄やサンダルを人数分用意してくれたので、私はサンダルを選んでみんなでカーポートに近寄った。
社長は山田さんに駄弁る。
「前の車検で潮路さんとこ持ってったら、もうスクラップにして最新のセドリックを買えって言うんだ。ひどい話でしょう?」
「いやぁー社長の気持ちもわかるけど、こいつはガタきてますよ。この頃のプリンス車は中ブル屋だって嫌がるだろうし」
「なんて車なんです?」
ハンバーガーを食べながら走るのが似合いそうな、アメ車にしては小さいけれど。
「33年式のスカイライン1500デラックス」
山田さんは骸骨の手で、少し埃のついたフロントを撫ぜながら懐かしむように言った。
「せっかくだ。気晴らしにドライブと洒落込もうじゃないか」
「いや、俺はちょっと……」
首から下の自分の作業服の有り様を見て、山田さんは心底申し訳なさそうに断るのだが……。
「なら僕の普段着を適当に貸すよ。なぁにガバガバだろうがね!!」
社長はお構いなしのようだ。
「ちょっと!」
「ほら来るんだ山田さん!」
「吹っ切れているな……」
奥へ引っ張られていく山田さんを見てとある予感を想像し、鈴木の背筋に悪寒が走って身震いした。
「心配ですか?」
私も心配だ。
「ヤケしてババアを殺したり、火をつけるような予兆じゃないと良いんだけどさ」
「そうね……」
殺してくれたなら、それはそれで惜しみなく協力するけど。
「そんなことしないよ! これは僕が本っ当に気晴らしをしたいだけ!!」
襖の向こうで36と49の熟した男2人が、相手の身体を弄りあって……。
「うわぁ……」
「どうした七瀬」
「ごめんなさい、とても失礼な想像をした」
鈴木は何なのかわかってないようだ。私の今の想像はわからなくていい。
襖越しの社長が良いと言うので私は台所で4人分のカルピスを作り、鈴木と飲んで待ってるとまた襖が開いた。
そこには嬉しそうな社長と、……平和教育で見たことのある、カーキ色の国民服を着せられた山田さんが出てきたのだった。
「ああ先代、申し訳がたたない……」
「いやいや、せっかく仕立て良く作ったんだし、着てもらって親父も嬉しいって!」
曰く、特に足の長さがあまりにも合わなかったという。
言われてみればどっちも身長165センチ前後だが、足の長さは断然山田さんのが長いし、逆に社長は平均より短いだろう。
社長は揚々と財布からキーを取り出してスカイラインのエンジンをかけようとしたが、バッテリーが弱くなっているのかかからなかった。
そこで山田さんが無意識に手伝う。メーター類やエンジンルームを手際よく確認してから、手慣れた手つきでクランクを勢い良く手回しすると、やっとエンジンが回り始めたのだった。
「さぁって、どこ行こうか。いっそ箱根まで」
玄関だけ鍵を閉めてから、ベンチシートの運転席に座って社長は早速ロードマップを広げる。
古い流行歌だろう箱根を喩えた調子の良い歌詞を、とても調子外れに披露した。
「今日中に帰れなくなりますよ」
鈴木の言う通りだ。助手席に座る山田さんもやめてくれとばかり頷く。
「じゃ、お登りみたいに東京見物するかい? 僕らの動く範囲じゃ東京の西なんてまず行かないし」
「それなら、渋谷に行ってもらえませんか?」
後部座席でシートベルトを探しながら提案する。
……私が提案したという事実に、他の3人は意外だという顔をした。
「ああータイムスリップしてきたビルね。僕まだ見てないよ」
「そういや噂ばかりで、俺もまだ見たことないな」
――どうせならこの人達に、この時代が見舞われている異変を見てもらいたい。
サイドブレーキを外してハンドルから伸びたコラムシフトを1速に入れる。
エンジンをぶるりと震わせながら、スカイラインはゆっくりと発進した。