ご注文はうさぎです!Re 作:新生兎丸
褒めてくれるとモチベ上がるかも?(チラッ
「いくよ! えいっ!」
鋭い掛け声と共に放たれたボールが、急加速して俺のコートへと突き刺さる。
今、俺達は学園の体育の授業を受けていた。今年から共学になったとはいえ、男子は俺一人。必然的に、コートを挟んで向き合うのも、同じチームで汗を流すのも全員が女子生徒だ。
「芹沢くん! トスっ!」
味方からの懸命なレシーブがこちらへ上がる。
俺は落下点へ素早く潜り込み、指先に神経を集中させた。ネット際、スパイカーが最も打ちやすいであろう頂点をイメージして、ふわりとボールを押し出す。
そこへ、目にも止まらぬ速さで跳躍した影があった。
――ドォォン!
小気味よい破裂音が体育館に響き渡り、ボールは相手コートの真ん中へ叩きつけられた。
「……すげぇな」
思わず声が漏れる。決めたのは、同じクラスの女子生徒だ。
彼女は着地すると、短めの髪をセンターで分けた端正な顔をこちらに向け、柔らかく微笑んだ。
「ナイストスです、芹沢くん。とっても打ちやすかったですよ」
彼女はそのまま、トコトコとネット際まで歩み寄ってきて、律儀にお辞儀をした。
「あ、いや……俺はただ上げただけで、決めたのは君の跳躍力だし。今の高さ、相当だったろ」
「ふふ、お褒めに預かり光栄です。あ、申し遅れました。私、藤川 律子といいます。一応、バレー部でレギュラーをやらせてもらっているんです」
藤川律子。
身長は160cm程度だろうか。女子としてもそこまで大柄というわけではないが、先ほど見せたバネのような跳躍は、その体格差を感じさせないほどの迫力があった。
何より、エースアタッカーらしい強気なオーラとは裏腹に、言葉遣いが丁寧で謙虚なのが印象的だ。
「バレー部のレギュラー……。なるほど、道理で今のスパイク、重かったわけだ」
「いえいえ! 私の方こそ驚きました。芹沢くん、すごく動けますよね。レシーブの守備範囲も広いですし、今のトスだって経験者でもないのにあんなに綺麗に……」
藤川さんは少し顔を上気させ、真っ直ぐな瞳で俺を見つめてくる。
「よかったら、今度バレー部の練習に混ざってみませんか? 男子部はありませんけど、顧問の先生に掛け合えばきっと……」
「お、おいおい、勘弁してくれ。俺はただの素人だし、これ以上目立つのはちょっと……」
俺が苦笑いしながら手を振って謙遜すると、彼女は少し残念そうに、でもどこか納得したように頷いた。
「そうですか……。でも、もったいないです。その運動神経、きっとみんなが放っておきませんよ」
彼女の言葉通り、気づけば周囲の女子生徒たちがこちらをチラチラと見て、何やらヒソヒソと話し合っているのが分かった。
「ふふっ。これから大変になりそうですね」
「か、からかうなよ……ほら藤川さん、次のサーブ来るぞ。集中しなきゃ」
「あ、はいっ! そうですね、すみません!」
彼女は慌ててポジションに戻り、再び凛とした表情で構える。
俺もまた、やるせない気持ちを抱えつつ、次のボールに備えて腰を落とした。
体育の授業が終わり、俺は誰もいない教室でとっとと着替えを済ませた。
一足遅れて女子たちが戻ってくる騒がしい気配が廊下から聞こえてくる。深入りする前に退散しようと席を立とうとした時、不意に教室の扉が開いた。
「あ、芹沢くん。まだいらっしゃいましたね」
入ってきたのは、先ほどの授業で同じチームだった藤川律子さんだ。
彼女は制服に着替え終えたばかりのようで、短めの黒髪を整えながら、こちらへ真っ直ぐ歩み寄ってきた。
「藤川さん。どうかしたか?」
「はい。あの、もし良ければ……この後、一緒にお昼を食べませんか?」
丁寧な、けれど一切の迷いがない誘いだった。
あまりに直球な提案に、俺はつい言葉を詰まらせる。周囲を見れば、教室に戻ってきた女子たちが「えっ、藤川さんが芹沢くんを?」と、あからさまにこちらを注視していた。
「お昼? 俺と?」
「ええ。実は、さっきの芹沢くんの動きについて、バレー部の立場からお話ししたいことがたくさんあるんです。あの場面での体の使い方や、トスの指先の感覚とか……ぜひ詳しく伺いたくて」
彼女の瞳は驚くほど純粋だった。
下心があるわけでも、単なる冷やかしでもない。ただ純粋に、バレーという競技における俺の「動き」に興味を持っている、求道者のような熱量だ。
「……バレーの話か。俺、本当にただの素人なんだけどな」
「素人であれだけの動きができるからこそ、伺いたいんです。……ご迷惑、でしょうか?」
少しだけ眉を下げて、申し訳なさそうに上目遣いで尋ねられる。
普段の凛としたエースの顔とは違う、年相応の少女らしい繊細な表情。そんな顔で頼まれて、無下に断れるほど俺の心臓は毛深くできていなかった。
「……まあ、飯を食うくらいなら。学食か?」
「いえ、今日はお弁当を持参しているんです。もし良ければ、中庭のベンチにでも行きませんか? 落ち着いてお話しできますし」
「わかった。じゃあ、準備するから先に行っててくれ」
「ありがとうございます! それでは、中庭で待っていますね」
律子さんは嬉しそうに顔を輝かせ、深々とお辞儀をして教室を出て行った。
……さて、困ったな。
約束自体は別にいい。だが、この教室内に充満している好奇の視線をどうにかしてほしい。
中庭の大きな桜の木の下、ベンチに腰を下ろした俺たちは、お互いに持ってきた昼食を広げていた。
藤川律子さんは、その丁寧な立ち振る舞いにふさわしい、彩りの綺麗な三段重ねのお弁当を広げている。
「それで、さっきの第三セットの場面なんですけど……」
一口卵焼きを口にしたかと思えば、彼女はすぐに身を乗り出してきた。
「あの強烈なサーブに対して、芹沢くんは一歩も引かずにボールの下に入りましたよね。あの時、重心はどちらの足に残していましたか? 前傾姿勢の角度は? 視線はどこに……!」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。距離が近い」
気づけば、彼女の顔が鼻先数センチの距離にまで迫っていた。
熱心に語る彼女の瞳はキラキラと輝いていて、短い前髪の間から覗く真っ直ぐな視線に、思わずこちらが気圧されてしまう。
「あ、すみません……。でも、本当に気になってしまって! 独学であれだけの反応ができるなんて、何か特別なトレーニングでもしているんですか? それとも筋肉の収縮を意識して……」
グイッ、とさらに距離が詰まる。
彼女の肩が俺の腕に触れ、おしろいのような、あるいは石鹸のような微かな香りが鼻をくすぐった。おしとやかで礼儀正しい印象だったはずなのに、いざバレーの話になると、彼女はブレーキの壊れたスポーツカーのように突き進んでくる。
「藤川さん、一旦落ち着こう。な?」
俺は片手を立てて、彼女の肩を優しく押し戻した。
バレー部のエースとしての矜持なのか、それともただの重度のバレー馬鹿なのか。
「俺は本当に何も考えてないんだ。ただ、飛んできたボールに反応しただけ。特別な理論も、筋肉の収縮云々もさっぱりだ」
「……本能、ということですか? ますます素晴らしいです! 理屈を超えた身体能力……まさにダイヤの原石ですね。芹沢くん、やっぱり私の練習に付き合ってください。いえ、むしろ私が貴方を指導させてください!」
「いや、だから……」
なだめようとした俺の言葉は、彼女の情熱的な追求にかき消される。
彼女は再び身を乗り出すと、今度は俺の腕を掴んで、筋肉の付き方を確かめるように指先で触れ始めた。
「やっぱり、この前腕のしなやかさが秘密でしょうか。少し失礼しますね……ふむ、硬すぎず、でも芯がある……」
「失礼しすぎだろ……。藤川さん、君、キャラ変が激しすぎないか?」
さっきまでの、お辞儀を欠かさないおしとやかな女生徒はどこへ行ったんだ。
このギャップには正直、困惑を通り越して恐怖すら覚える。彼女にとって、俺は「一人の男子」ではなく「興味深い身体能力を持った研究対象」にしか見えていないのかもしれない。
「いいですか芹沢くん。貴方の才能は、この学園の宝です。私が責任を持って、その力を引き出してみせますから!」
ぐいぐいと迫る彼女の勢いに、俺はベンチの端へと追い詰められていく。
必死に距離を保とうとする俺と、それを物ともせずに詰め寄るバレー馬鹿の少女。
「……あの、藤川さん。本当にお願いだから、少し離れてくれないか」
俺の腕を熱心に揉みしだき、次は背筋の伸び具合を確かめようと覗き込んでくる律子さんを、俺は必死に押し留める。
だが、そんな俺の抵抗など、バレーに魂を売った少女の耳には届かないらしい。
「ダメです! 芹沢くんが無自覚なら、私が解明するしかありません。この体幹の安定感……やっぱり日頃から何か重いものを持ったりして――」
「いや、コーヒーとかお盆とか……って、それより周りを見てくれ!」
俺が半ば悲鳴じみた声を上げると、ようやく律子さんは動きを止め、不思議そうに首を傾げた。
言われるがままに彼女が顔を上げ、周囲を見渡す。
そこには、俺たちを遠巻きに眺める女子生徒たちの、形容しがたい視線の群れがあった。
「ねえ、あれ……バレー部の藤川さんだよね? あんなにグイグイ行くタイプだったっけ?」
「芹沢くん、めちゃくちゃ困ってるじゃない。……っていうか、なんか距離近くない? 大胆すぎるっていうか……」
ヒソヒソという呟きが、中庭の空気を通じてチクチクと肌を刺す。
律子さんはクラスでも「おしとやかで礼儀正しい優等生」というイメージが定着しているんだろう。そんな彼女が、男子生徒をベンチの隅に追い詰め、熱っぽく体に触れているのだ。
周囲から見れば、これが「健全なスポーツの指導」になど見えるはずもなかった。
「あ……」
ようやく状況を把握したのか、律子さんの顔がみるみるうちに真っ赤に染まっていく。
彼女は弾かれたように俺から飛び退くと、スカートを整え、壊れた玩具のように何度も深く頭を下げた。
「も、申し訳ありません! 私、ついバレーのことになると周りが見えなくなってしまって……! その、芹沢くんに不快な思いをさせるつもりは決して……!」
「そんなに謝らなくても、不快な思いはしてないって」
俺は深くため息をつき、逃げ場のないベンチで肩を落とした。
彼女の謙虚で礼儀正しい性格は嘘ではないのだろう。ただ、その内側に潜む「バレー馬鹿」としてのエンジンが規格外すぎただけだ。
「すみません、本当にすみません……。お話の続きはまた後ほど、場所を改めて――」
「おいおい、止まらねぇな」
律子さんの熱意は、羞恥心を上回ってなお燃え続けているようだ。
このままでは、午後の授業が始まる頃には「芹沢が藤川律子を中庭でたぶらかしていた」なんて根も葉もない噂が学園中に広まりかねない。
そして何より恐ろしいのは、その噂を聞きつけた「お姉ちゃん」たちが、どんな顔をして俺の前に現れるかということだ。
嫌な予感しかしない。俺は残りのパンを急いで口に放り込み、一刻も早くこの場から立ち去る準備を始めた。
放課後のラビットハウス。
いつもならココアの賑やかな声や、リゼの鋭い檄、チノの落ち着いた毒舌が飛び交っている時間帯だが、今の店内は驚くほど静まり返っていた。
「……」
「……」
カウンターの中に立つ俺と、その隣で黙々とグラスを磨くタカヒロさん。
今日、ココアと千夜は球技大会に向けたバレーの秘密特訓へ、リゼとチノはバドミントンの特訓のために早退していった。
女の子たちが全員いないという異常事態に、急遽ヘルプに入ってくれたのがマスター、もといタカヒロさんなのだが……。
(……気まずい。気まずすぎる)
正直、タカヒロさんとはほとんど話したことがない。
一応、同じ屋根の下に住む男同士ではあるのだが、彼は基本的に夜のマスターだし、俺は昼のアルバイト。接点と言えば、チノのことで時折視線を交わすくらいだ。
「あの、タカヒロさん。注文のコーヒー、入りました」
「ああ……。ありがとう、芹沢くん。運んでおくよ」
タカヒロさんは低く渋い声で短く答えると、トレイを持ってテーブル席へと向かう。その背中には、どことなくぎこちないオーラが漂っていた。
戻ってきたタカヒロさんが、再び俺の隣に並ぶ。
何か話さなければ。そう思うほどに喉が詰まる。
「……今日は、静かだな」
「そうですね。ココアがいなくなるだけでこんなに静かになるとは……」
会話が、続かない……!
たったの一言で終了してしまった。
タカヒロさんは再び無言で、すでにピカピカになっているグラスを磨き始めた。俺も負けじと、すでに拭き終わっているはずのカウンターを何度も布巾で往復させる。
(ココア……早く帰ってきてくれ……。お前のうるさいくらいの声が、今なら救いに聞こえる……)
昼間、中庭で律子さんに迫られていた時の視線も痛かったが、この「男二人の沈黙の気遣い」というのも、別の意味で精神を削られる。
タカヒロさんがチラリとこちらを見た。俺も反射的に視線を返してしまい、お互いに「あっ」という顔をして、すぐにまた手元の作業に集中する。
「芹沢くん」
「は、はいっ!」
「……無理に話さなくてもいい。君が真面目に働いているのは、よく知っているから」
「……ありがとうございます」
気遣いの言葉が、逆に今の状況をより「気を遣い合う空間」へと昇華させてしまった気がする。
俺はただひたすら、早く特訓が終わって、騒がしい彼女たちがこの静寂をぶち壊しに帰ってくることを、心の底から願わずにはいられなかった。
沈黙の時間が、一秒ごとに何分にも感じられる。
タカヒロさんは、俺の隣でじっと焙煎機の具合を確かめるような仕草を見せた後、ふと、その低い声をこちらへ向けた。
「芹沢くん」
「は、はいっ!」
反射的に背筋を伸ばしてしまう。まるで見えない軍の教官に呼び止められたような緊張感だ。
「……ココアくんと君には、感謝している。チノがいつも世話になっているからね」
タカヒロさんは、磨いていたグラスを置いて、どこか遠くを見るような、優しい父親の目でそう言った。
あまりに不意を突かれた礼の言葉に、俺は慌てて両手を振った。
「い、いえ! そんなことありません! 世話になっているのは俺の方ですよ。コーヒーの淹れ方とか、店での動き方とか……チノには毎日、一から十まで教えてもらってるようなものですし」
これは謙遜でも何でもない。事実、彼女の細やかなサポートがなければ、俺はこの店で一日も持たなかっただろう。
タカヒロさんは、俺の言葉を聞いて、少しだけ口角を和らげたように見えた。
「そう言ってもらえると、あの子も喜ぶだろう。……あの子は元々、一人で抱え込みやすい性格だったからね」
「……。でも、今のチノは違いますよ。ココアが来てから、あの子は本当に毎日楽しそうです。賑やかすぎるくらいですけど、そのお陰でチノの表情が柔らかくなったのは、俺が保証します。俺なんて、その横でおまけみたいに働いてるだけですから」
俺が少し苦笑いしながらそう言うと、タカヒロさんは小さく鼻で笑った。それは、先ほどまでの気まずい沈黙を溶かすような、穏やかな笑いだった。
「おまけ、か。……いや、君という『異性』の話し相手がいることも、きっとあの子にとっては新しい刺激になっているはずだよ。私にはできない役割を、君が担ってくれている」
「タカヒロさん……」
「……さて、話を戻そうか。注文が入っている。グアテマラを二つ。君に任せてもいいかな?」
「あ、はい! 任せてください!」
不思議なものだ。
ほんの少し言葉を交わしただけで、あんなに重苦しかった空気は消え、代わりに心地よい仕事の連帯感が生まれていた。
ガリガリと豆を挽く音が、今はとても頼もしく聞こえる。
外から聞こえてくる、特訓から帰ってきた彼女たちの「ただいまー!」という騒がしい声を聞くまで、あともう少し。
俺とタカヒロさんは、並んでカウンターの奥で、静かにコーヒーを淹れ始めた。
ここまで読んでくださりありがとうございます!
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