ご注文はうさぎです!Re   作:新生兎丸

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2.オトメゴコロ

 

 

 「そう言えば、今日はココアとリゼが来なかったな」

 

 閉店作業の仕上げ、テーブルを拭き上げながらふと口に出した。

 

 仕事に没頭していたせいか、あるいはチノとの間に漂っていた刺々しさが消えた安堵感のせいか。店内に満ちている、耳が痛くなるほどの静寂に今さら気づかされた。

 

 「……ココアさんは新作パンの試作だとかで買い物に出ましたが、千夜さんのお宅にそのまま泊めていただくそうです。リゼさんはご実家の方で急用ができたとかで、今日はお休みでした」

 

 淡々と答えるチノのトーンに、俺は思わず手を止めた。

 

 リゼはともかく、ココアのその自由奔放さはなんなんだ。そして何より、チノがそれを当たり前のように受け入れているのが少し怖い。呆れを通り越して、もはや悟りの境地なんだろうか。

 

 「ココアがいないってことは……今夜は、俺とチノの二人きりか」

 

 独り言のつもりで溢れたその言葉に、隣でテーブルを拭いていたチノの手がピタリと止まった。

 

 (あ、しまった……)

 

 心臓が嫌な跳ね方をする。

 

 さっきあんなに「パニックになった」と告白されたばかりなのに、デリカシーの欠片もない言葉を選んでしまった。藤川や花深に「鈍感」だと罵られた記憶が、鮮明な痛みとなって蘇る。

 

 「そ、その! 別に変な意味じゃないんだ! ココアがいないと静かすぎて、チノも寂しいんじゃないかと思って、つい……!」

 

 慌てて取り繕い、言い訳を並べ立てる。だが、チノはそんな俺の動揺を気にする様子もなく、伏せていた睫毛をゆっくりと持ち上げた。

 

 「私は、ココアさんがいなくても寂しくありません」

 

 その声は、驚くほど穏やかで。

 

 照明に照らされた彼女の瞳が、真っ直ぐに俺を射抜いた。

 

 「ジンさんが、いてくれますから」

 

 言い切った後、チノは小さく、再びテーブルに布巾を滑らせた。

 

 先ほどまでの拒絶や混乱とは違う、静かな優しさを帯びた空気が二人の間に沈殿していく。

 

 「……あ、ああ。そうか」

 

 気の利いた返しも思いつかず、俺はただ力なく頷くことしかできなかった。

 

 暫しの間、沈黙が流れた。

 

 気まずいというわけではないが、かといって手放しで心地良いとも言えない、密度を持った絶妙な空気感。

 

 その沈黙を先に破ったのは、チノの方だった。

 

 「……ジンさんは、今日、何が食べたいですか?」

 

 不意に投げかけられた問いに、俺は手を止めて彼女を見る。

 

 今日の夕飯当番は俺のはずだ。あいつの好みに合わせようかと思っていたのだが、こちらが口を開くより先に、チノの言葉が重なった。

 

 「今日は……ジンさんと一緒に、ご飯を作りたいんです。だから、ジンさんの食べたいものを、一緒に作りましょう」

 

 少しだけ気恥ずかしそうに、けれど視線は逸らさずに。

 自分の願いを遠慮することなく、しっかりと伝えようとする強い意志が、その真っ直ぐな瞳から伝わってきた。

 

 今朝までの拒絶が嘘のように、彼女は今、自分からこちらに歩み寄ろうとしている。

 

 「……そうか。じゃあ、そうだな…………二人で作るなら、少し手のかかるものでもいいか?」

 

 「はい。喜んで」

 

 チノは小さく、けれど満足げに微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「いただきまーす」

 

 「……いただきます」

 

 食卓に並んだのは、オムライスと唐揚げという、お世辞にも統一感があるとは言えない謎のラインナップになった。俺の食べたいものを正直に詰め込んだ結果だが、いざ並べてみると、どこか子供の誕生日のような賑やかさがある。

 

 オムライスの仕上げはチノにお願いし、俺は横で鶏肉を揚げる担当に徹した。

スプーンで黄金色の卵を割り、ケチャップライスと一緒に口へ運ぶ。

 

 「うまい……! 卵がふわふわなのはもちろんだけど、このライス……隠し味にデミグラスソースか何か使ったのか? 酸味のカドが取れてて、コクがある。まさに俺好みだよ」

 

 「少しだけ深みが出るように工夫してみたんです。ジンさんの唐揚げも、衣がサクサクで中はジューシーです。火の通り加減が完璧ですね」

 

 お互いの作った料理を、一口ごとに確かめるように褒め合う。

 

 湯気の向こう側で、チノが少しだけ誇らしげに目を細めるのが見えた。

 

 今朝のあの絶望的な空気や、学校で頭を抱えていた時間が嘘のようだ。

 

 賑やかなココアがいない分、咀嚼する音や、食器が触れ合う小さな音さえもが、温かな余韻となって胸に響く。

 

 「二人で作ると、いつもより美味しく感じますね」

 

 チノがポツリと溢した言葉に、俺はただ黙って頷いた。俺たちが、不器用なりに歩み寄ってたどり着いた、最高に贅沢な夕食の時間だった。

 

 「ジンさんは、ココアさんや千夜さん以外に、学校で仲良くしている人とかいるんですか?」

 

 不意に投げかけられた問いに、俺は動かしていたスプーンを止めずに答えた。

 

 「仲良くしてるって言っていいのかは分からないけど。やたらとうるさく付きまとってくる奴と、妙な距離感で俺の身体を観察してくる奴ならいるな」

 

 「そ、それは……なんというか、判断に困りますね。それに、身体を観察だなんて……」

 

 チノは困惑したように眉を寄せ、スプーンを止めて俺を凝視した。その瞳には、少しだけ……いや、はっきりと「不穏なもの」を見るような色が混じっている。

 

 「まあ、傍から見れば変な奴らかもしれないけどな。でも、あいつらには今日、相談に乗ってもらったし、ありがたい助言ももらったんだ。おかげで、こうしてチノと飯が食えてる気がする。根は良い奴らだと思うよ」

 

 俺が感謝を込めてそう言うと、チノは小さく「……相談、ですか」と呟き、所在なげにオムライスの端を崩した。

 

 「ジンさんが、私とのことを……その人たちに話したんですね」

 

 「ああ。情けない話だけど、俺一人じゃどうしても答えに辿り着けなくてさ」

 

 「その人たちは、なんて言っていたんですか?」

 

 少しだけ上目遣いに、探るような視線が俺を射抜く。

 

 藤川と花深の言葉をそのまま伝えるわけにはいかないが、俺は彼女の瞳を見つめ返し、少しだけ言葉を選んで続けた。

 

 「……チノが、俺を嫌いになったわけじゃないって。そう教えてくれたよ」

 

 その瞬間、チノは慌てて顔を伏せた。

 

 「……よ、余計なことを」と、小さく、けれどどこか嬉しそうに溢したその声は、静かなダイニングに心地よく溶けていく。

 

「チノはマヤとメグにこのことを相談したのか?」

 

 今度は俺が聞く番だった。

 

 「はい。二人とも、とても真剣に相談に乗ってくれました。おかげで、少しだけ……勇気が出た気がします」

 

 「そっか。二人はなんて言ってたんだ?」

 

 何気なく尋ねた問いに、チノの手がピタリと止まった。

 

 彼女はスプーンを口元に寄せたまま、何かを言い淀むように視線を泳がせる。その耳たぶが、みるみるうちに赤く染まっていくのを見て、俺は慌てて言葉を被せた。

 

 「あ、いや! 別に無理に言わなくていいよ。大体想像はつくし、友達同士の秘密もあるだろ。変なこと聞いて悪かったな」

 

 俺の取り繕うような言葉に、チノは小さく息を吐き、スプーンを皿に戻した。カチャリ、と繊細な音が響く。

 

 「そう……ですか。変なことじゃないですけど……今はまだ、言葉にするのが難しくて。でも、いつか…………もっとちゃんと、話したいと思っています」

 

 「ああ。チノが話せそうなタイミングが来たら、いつでも教えてくれよ」

 

 俺が頷くと、彼女はどこか遠くを見つめるような瞳で俺を見つめ返した。

 

 「……ジンさんは、本当にずるい人ですね」

 

 「え? ず、ずるい?」

 

 「ふふっ。いいえ。何でもないですっ」

 

 彼女が浮かべた微笑みの意図も、その言葉の奥にある真実も、今の俺には正確に推し量ることはできない。けれど、そんな難解な答え合わせなんて、今はどうでもよかった。こうしていつもみたいに夕食を囲み、温かな湯気の向こう側で彼女と向き合えている。ただそれだけのことが、胸の奥に灯った火をじわりと広げていくように、たまらなく嬉しかった。

 

 答えは急がなくていい。明日もまた、この場所で彼女と笑い合えるなら、今はそれだけで十分だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 食後、俺とチノは手際よく片付けを終えると、それぞれの自室へと戻っていった。風呂を済ませて寝間着に着替え、今はベッドに横になって天井を仰ぎ見ている。

 

 結局、チノの胸の内にある本当の理由は掴めないままだった。謝罪もどこか曖昧で、根本的な解決には至っていないのかもしれない。けれど、あの食卓に流れていた穏やかな時間を思えば、仲直りできたという事実だけで今は十分だった。

 

 「……ずるい、か」

 

 天井の木目をなぞりながら、チノが残した言葉を反芻する。

 

 いくら考えたところで、俺の中に答えが出ることはない。そもそも、その言葉に論理的な正解を求めること自体が、野暮なことなのかもしれない。

 

 不意に、枕元で携帯が震えた。

 

 画面に表示された名前は、ココアだ。

 

 おそらく千夜が、俺が学校で頭を抱えていたことを話したのだろう。それを受けて「お姉ちゃん」としての使命感に燃えたココアが、世話を焼こうと電話をかけてきた――俺の推察が正しければの話だが。

 

 「もしもし?」

 

 『あっ、ジンくん? チノちゃんとはちゃんと仲直りできた?』

 

 耳元で弾ける、聞き慣れた明るい声。

 

 「まあ、な」

 

 ココアにそう短く返す。

 

 『良かったぁ〜! 私、二人が険悪なムードのまま夜を過ごしてたらどうしようって、気が気じゃなくて……』

 

 「どの口が言うんだ。チノのパズルを勝手に完成させたり、知恵の輪を先に解いたりして不機嫌にさせた前科がある奴が」

 

 『え、えへへ。そ、それはもう解決したもーん!』

 

 この調子じゃ、反省の色はこれっぽっちもなさそうだ。

 

 「用件はそれだけか? 報告したし、もう切るぞ」

 

 『ま、待ってよぉ!』

 

 「まだ何かあるのか?」

 

 『よ、用事もないのに……お話しちゃ、ダメかな?』

 

 受話器越しに届く声が、いつもの天真爛漫な調子から一変して、妙にしおらしくなった。

 

 「千夜と一緒にいるんだろ? 向こうで楽しくやってるんじゃないのか」

 

 『千夜ちゃんはお風呂に入ってて。……待ってる間にね、ふとジン君の声が聞きたくなっちゃったんだよ』

 

 「明日になれば、嫌でも聞けるだろ」

 

 『い、今も聞きたいんだもんっ!』

 

 「今日は随分と寂しがり屋だな。そんなに心細いなら、最初から泊まりになんて行かなきゃよかっただろ」

 

 『……千夜ちゃんには悪いけど、ちょっとだけ後悔してる、かも』

 

 受話器から漏れる、微かに震えるようなココアの声。

 

 その響きに、俺は思わず喉の奥が詰まるような妙な気まずさを覚える。チノとの間に漂っていたあの空気とはまた違う、逃げ場のない距離感が耳元を支配していた。

 

 「……ココア?」

 

 『だって、今夜はジンくんとチノちゃん、二人きりなんでしょ? 私がいない間に、二人がもっと仲良くなっちゃったら……お姉ちゃん、ちょっと寂しいな、なんて』

 

 冗談めかしてはいるが、その奥にある本気とも取れる寂しさが、電波越しに肌を刺す。

 

 なんと返すべきか迷い、言葉を探していたその時。

 

 電話の向こうから、ガラガラと扉が開く音と、湿り気を帯びた足音が聞こえてきた。

 

 『あら、ココアちゃん。誰とお話ししてるのかしら?』

 

 おっとりとした、けれど全てを見透かしているような千夜の声。風呂から上がってきたのだろう、湯気の気配まで伝わってくるようだ。

 

 『ひゃ、ひゃい! ち、千夜ちゃん! ……あ、えっと!』

 

 『ふふっ、その慌てよう……さては、ジンくんに甘えていたのね?』

 

 『ち、違うよぉ! ただ、チノちゃんとの仲直りを確認してただけで……!』

 

 途端にココアの声が、いつもの慌ただしい調子に戻る。

 

 さっきまでのしおらしい空気はどこへやら、千夜に弄ばれる彼女の賑やかな声に、俺は少しだけ安堵して息を吐いた。

 

 「ココア、千夜に迷惑かけるなよ。俺はもう寝るからな」

 

 『あ、う、うん!おやすみジンくん!また明日!』 

 

 「ああ、おやすみ」

 

 通話を終え、携帯をサイドテーブルに置く。静まり返った部屋に、再び夜の静寂が戻ってきた。天井を見つめたまま、俺は今日一日の出来事をもう一度だけ反芻し、ゆっくりと目を閉じた。

 

 

 

 





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