ご注文はうさぎです!Re 作:新生兎丸
皆様のお気に召すかどうか……
「な、なあシャロ……流石に距離、詰めすぎじゃないか?」
ラビットハウスの自室。ベッドの上に腰を下ろした俺は、困惑を隠せないまま引きつった声を絞り出した。
膝の上には、シャロが正面から跨るようにして収まっている。重みというよりは、柔らかい体温とフローラルなシャンプーの香りがダイレクトに鼻腔を突き、俺の思考を真っ白に染め上げていく。
「そ、そうかしら? でも、付き合っている二人なら、これくらい普通なんじゃないかしら……?」
強気な口調とは裏腹に、彼女の頬は林檎のように赤く染まり、その視線はおどおどと俺の胸元あたりを彷徨っていた。
付き合い始めて一ヶ月。手を繋ぎ、喫茶店で肩を並べて語らうといった「恋人らしい」ステップは一通り踏んできたつもりだ。だが、今日の彼女はどこか決定的に違う。
「誰かと付き合った経験はないけど……それでも近すぎると思うぞ。ほら、その……当たってるし」
至近距離で対峙するシャロは、自分の「女の子」という武器を無自覚に、あるいは背伸びした勇気で精一杯に活用していた。密着した体躯から伝わる確かな感触に、俺はやり場のない視線を天井へと逃がす。
「嫌、だった……?」
上目遣いで、不安そうに覗き込んでくる。
普段の気高さはどこへやら、俺に必死についてこようとする恋人のそんな表情を見せられては、これ以上強く突き放すことなんてできやしなかった。
「い、嫌じゃないさ。けど、その……俺だって、その……」
わずかな理性を振り絞って顔を逸らす。しかし、彼女は逃がさないと言わんばかりに、俺の動きに合わせてその顔を近づけてきた。
視線が絡み合い、喉がこくりと鳴る。
「嫌じゃないけど……?」
どこか挑発的で、それでいて純粋な好奇心が混ざった瞳。その熱に当てられ、俺は観念して本音をこぼした。
「……男、だし。これ以上は、我慢できなくなるっていうか……」
俺の言葉を聞いた瞬間、シャロの顔は沸騰したかのように真っ赤に染まった。
あまりの恥ずかしさに一度は俯き、俺の胸元に額を預ける彼女。数秒の沈黙が、この部屋をより一層濃密な空気で満たしていく。
やがて、彼女は意を決したようにゆっくりと顔を上げた。潤んだ瞳で俺をじっと見つめ、震える声でささやく。
「……我慢しなきゃ、だめなの?」
その一言は、俺の理性を繋ぎ止めていた最後の手綱を、いとも容易く引きちぎるには十分すぎる威力を持っていた。
(落ち着け……! 落ち着くんだ、俺……!)
膝の上の熱を振り払うように、心の中で自分を叱咤する。
今、ここで本能のままに突き進むのは容易い。だが、もし最悪のタイミングでココアやチノが「お茶持ってきたよー!」とドアを開けてきたら?
釈明したところで、翌日からラビットハウスの食卓が地獄のような気まずさに包まれるのは目に見えている。
それに……俺たちはまだ、学生なんだ。
もし、万が一にでも「コウノトリ」が迷い込んできてしまったら――そうなったら、俺はシャロの将来に責任が取れるのか?
いや、到底無理だ。とんでもないことになる。
「シャロ……」
自分の声が、自分でも驚くほど低く、熱を帯びているのが分かった。
「な、なに……?」
「愛してる」
真っ直ぐに、誤魔化しようのない言葉をぶつける。シャロの肩がびくりと跳ねた。
「っ……!? そ、そんなの……知ってるわよ……」
「シャロと……なんて言うか、その。お前を、抱きたいと思ってる。嘘じゃない」
男としての本音をさらけ出すと、シャロの体温がさらに跳ね上がった。彼女は消え入りそうな声で「う、うん……」と呟き、静かに目を閉じる。
だが、俺が選んだのは、彼女を押し倒すことではなく、その細い肩をしっかりと掴むことだった。
「でも、それは今じゃないと思うんだ。お前のことを、責任を持って大事にするだけの資格も権利も、今の俺にはまだない。……学生だからだ」
喉の奥に苦い自制心を噛み締めながら、俺は続けた。
「だから……俺がシャロの人生をちゃんと保証できるくらいの男になるまで、待っててほしい。中途半端な気持ちでお前を傷つけたくないんだ」
必死に訴える俺の視線を受け止めて、シャロはふっと表情を和らげた。
「あなたって……ほんと、真っ直ぐで不器用。……そんなところが、いいえ。あなたの全部を愛してるわ」
至近距離で、潤んだ瞳に射抜かれる。想いのすべてを乗せたその言葉は、どんな甘い誘惑よりも強く俺の心臓を震わせた。
「けど……私、ジンが思ってるほど『良い子』じゃないの……」
シャロは微かに微笑むと、震える手でポケットから小さな四角い袋を取り出した。
それが意味するものを察した瞬間、俺の思考は沸騰した。
ま、まさかそれは……。
「これがあれば、赤ちゃん……できない、よ?……だから、大丈夫」
覚悟を決めた少女の瞳には、もうどこにも迷いはなかった。
唇が触れそうな距離。吐息が混じり合うほどの密着感。先ほどまで必死に組み上げていた「理性」という壁が、彼女の熱によって音を立てて崩れていく。
「ねぇ……もう一度、聞かせて? 私を……どうしたいの…………?」
その問いかけは、最後の一線を越えるための合図だった。俺の目から迷いが消える。
俺は彼女の細い腰を力強く引き寄せ、そのまま静かに、ベッドへと押し倒した。
◇
柔らかな朝の光が、カーテンの隙間から差し込んでいた。窓の外で鳴く小鳥の声と、隣で眠る愛らしい恋人の寝息。
「……んっ……」
腕の中で、シャロが小さく身じろぎをして目を覚ました。朝の光に照らされた彼女の肌は透き通るように白く、あどけなさが残っている。
「……おはよう、シャロ」
俺が声をかけると、彼女は昨夜のことを思い出したのか、みるみるうちに顔を真っ赤に染めた。
「お、おはよう……。……その、よく眠れたかしら?」
「ああ。……シャロの方は?」
「……。……あなたの腕の中、あったかくて、その……すごく、安心したわ」
彼女は恥ずかしそうに俺の胸元に顔を埋める。背徳感や不安がないわけじゃない。けれど、胸元に伝わる温もりが、俺に覚悟を決めさせた。
「シャロ。昨夜言ったこと、忘れてないからな。お前を一生大事にする」
「……ええ。信じてるわ。……私を、選んでくれてありがとう。ジン」
彼女が花が綻ぶような笑顔を見せた、その瞬間だった。
「おはよー! シャロちゃん! ジンくん!」
階段を軋ませる軽快な足音と共に、勢いよく扉が開け放たれた。
「――っ!?」
俺とシャロは裸のまま、一つの毛布にくるまっていた。飛び込んできたココアの動きが、彫像のように凍りつく。
「あ、あれ……? シャロちゃん、なんでお洋服着てないの……? ジンくんも……えっと、プロレス……?」
ココアの瞳が激しく揺れ、顔がトマトのように真っ赤に上書きされていく。
「………………エッ、エ、エ、エ、エ……ッ!!」
ラビットハウスに、耳をつんざくような絶叫が響き渡った。
「お二人がおアツイのは結構ですが、ラビットハウスでふしだらなことをするのは感心しません」
「はい……すいません……」
カウンターの中で、チノがいつになく冷ややかな視線を俺たちに注いでいた。俺とシャロは、並んでカウンター席に座り、叱られた子供のように背中を丸めていた。
「……コーヒー、淹れます。二人とも、少し頭を冷やしてください」
チノが奥へ引っ込んだ後、シャロが消え入りそうな声で呟いた。
「お、怒られちゃったわね……」
「まあ、仕方ないといえば、仕方ないか……。俺たちが……その、脇が甘かったというか」
俺が後頭部を掻きながら答えると、隣の気配が急に熱くなった。
「っ…………」
横顔を見ると、シャロは再び沸騰したように赤くなっていた。伏せられた睫毛が小刻みに震え、カップを持つ指先がぎゅっと強まる。昨夜の熱を思い出したんだろう。
「……言わないで。思い、出させないで……。……私、あんな、大胆なこと……」
俺だって思い出すだけで心臓が保たない。そんな気まずさを紛らわすように、シャロが小さな声で聞いてきた。
「そ、その、結構手慣れてた感じだったけど……。……やっぱり、経験、あったの?」
「んなわけないだろ? シャロが初めてだよ。あれでも目茶苦茶緊張してたんだぞ?」
即座に否定すると、シャロの顔にパッと花が咲いたような明るさが宿った。
「そ、そう……。ふふっ、そうだったのね……」
嬉しそうに口元を緩ませて、彼女は何度も小さく頷いている。その様子があまりに微笑ましくて、俺の胸も温かくなった。
……だが、次の瞬間だった。
「ん……っ」
不意に、柔らかな感触が俺の唇を塞いだ。触れるだけの、けれど確かな熱を帯びたキス。
「お、おいっ! さっき言われたばかりだろ!?」
俺が慌てて周囲を伺うと、シャロは悪戯っぽく微笑んで、ちろっと小さく舌を出して見せた。
「やっぱり私……『悪い子』みたい」
――ちくしょう。
反則だろ、それ。
彼女が可愛すぎて、俺の自制心は今日も、そしてこれからも、何度も試されることになりそうだ。
「愛してるわ。ジン」
朝の光が祝福するかのように、俺たちを静かに照らしていた。
昨夜の熱を分け合った余韻と、今朝の騒がしい洗礼。
すべてが、俺と彼女が新しい一歩を踏み出した証だ。
これから先、どんな困難や気まずい説教が待っていたとしても、俺を包みこんでしまうこの柔らかな体温だけは、離さない。
差し込む光の中で微笑むシャロの瞳に、俺も精一杯の愛を込めて、彼女の名前を呼んだ。
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