ご注文はうさぎです!Re   作:新生兎丸

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2. I have a high fever

 帰りのホームルームの終わりを告げるチャイムが響き、担任の解散という声と同時に、教室内が一斉にガタガタと騒がしくなる。

 

 俺は机の横に掛けていた鞄を手に持って、ゆっくりと席から立ち上がった。

 

 この後の予定は決まっている。

 

 まずは花深のクラスへ向かうとしよう。あいつに借りっぱなしになっていた傘をさっさと返して、それからラビットハウスに帰るんだ。今日はおいしいコーヒーでも自分に淹れてやろう。

 

 そんな風に、これからの予定を頭の中で組み立てていた、まさにその矢先だった。

 

 校内放送独特の気の抜けたチャイム音がスピーカーから響き渡る。

 

 『——連絡します。1年、芹沢ジン君。至急、学園長室へ来て下さい。繰り返します。1年、芹沢ジン君……』

 

 その放送が掛かった瞬間、それまで雑談に花を咲かせていたクラスの空気が、ピキッと凍りついたように静まり返った。そして、次の瞬間には、教室のあちこちからヒソヒソという小さなざわめきが波のように広がっていく。

 

 ……いや、なんでみんなして俺の方をそんな目で見るわけ?

 

 怪訝な顔をする俺の席の近くに、クラスメイトの藤川がすっと近寄ってきた。その目は完全に何かを察したような、憐れみを含んだ目をしている。

 

 「芹沢くん……一体何をやらかしたんですか?」

 

 「なんでこの呼び出しを悪い方向に捉えるんだよ……」

 

 俺は思わず深いため息をつきながら、藤川にツッコミを入れた。

 

 呼び出し。しかも場所は職員室じゃなくて『学園長室』。確かに字面のインパクトは強いかもしれないが、最初から俺が何かやらかした前提で話を進めるのはやめてほしい。

 

 「いや、だって学園長室ですよ? 何かやらかした以外に呼ばれる理由なんて……う~ん……」

 

 藤川は腕を組み、天井を見上げながら真剣に考え込み始めた。必死に「怒られる以外の理由」を探そうとしてくれているみたいだが、その表情は一向に晴れない。

 

 「いや、無理にひねり出そうとしなくても良いけどさ……」

 

 そこまで理由に詰まるか?

 

 ショックだよ藤川。お前の中で俺の普段の行いはどう評価されてたんだ。俺が毎日何か問題を起こして回ってる問題児か何かに見えていたというのか。

 

 そんな俺たちのやり取りを、教壇の片付けを終えた担任の先生がじっと見つめていた。先生は眼鏡のブリッジをくいっと押し上げると、溜め息混じりに俺を指差す。

 

 「聞こえましたね? 芹沢くん。何か心当たりがあるにせよ無いにせよ、ちゃんとすぐに行くんですよ?逃げようなんて大それたことは考えないように」

 

 「は、はい…………」

 

 せ、先生まで……。

 

 生徒を信じるべき立場のはずの担任からまで、完全に『何かやらかした男』を見るような目で見られてしまい、俺はそれ以上言い返す気力もなくして、力なく返事をするしかなかった。

 

 一体全体、学園長が俺に何の用だっていうんだ。

 

 身に覚えのない疑惑の視線を一身に浴びながら、俺は重い足取りで学園長室へと向かうべく、教室のドアへと歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学園長室の重厚な扉の前で、俺は一度足を止めた。

 

 この部屋の前に立つのは、これで二度目だ。一度目は、この高校に入学する際。どういうわけか学園長と一対一で面談をすることになり、あの時は心臓が口から飛び出そうなくらいめちゃくちゃ緊張したのをよく覚えている。

 

 ……頼むから、本当に悪いことで呼び出しを食らったわけじゃないことを祈ろう。教室内であれだけ問題児扱いされた後なのだ。これで本当に大目玉を食らうような内容だったら目も当てられない。

 

 深く息を吸い込み、意を決してドアを3回ノックする。すると、中から「どうぞ」という、低く落ち着いた声が響いた。

 

 「失礼します……」

 

 緊張で無駄に背筋を伸ばしながら部屋に足を踏み入れると、声の主がすぐに視線を向けてきた。

 

 「うん。早くて結構」

 

 部屋の奥、いかにも特注品といった佇まいの立派な革張りの椅子に腰掛けているのは、一人の女性だ。ぱっと見は20代半ばほどのみずみずしい容姿をしているが、おそらくそれは若く見えているだけ。醸し出している空気の重みからして、実際の年齢はもっと上なのだろう。

 

 そう。彼女こそが、この学園を総べる長。

 

 ただそこに座っているだけなのに、部屋の空気を支配するような、言い様のない圧倒的なオーラを感じる。

 

 「そこに適当に掛けてくれ」

 

 「分かりました」

 

 勧められるまま、俺は部屋の中心に配置されている応接用のソファーに腰掛けた。ふかふかとした座り心地が、逆にこちらの緊張感を煽ってくる。

 

 「早速だが本題だ。もったいつけても意味は無いからね」

 

 学園長は組んでいた手を解き、鋭い眼差しを俺に向けた。

 

 「君は『試験入学』という言葉を耳にしたことはあるかな?」

 

 「いえ……まったく聞いたことがないです」

 

 聞き馴染みのない単語に、俺は正直に首を横に振る。試験、とつくからには何か学力や能力が絡むものなのだろうか。

 

 「だろうね、我が校でも滅多に行われない特例だ。試験入学というのはだね、高校から生徒を一人選出して、他の高校へと体験入学させる——謂わば期限付きの転入だな。我が校の代表として、他校の環境やカリキュラムを肌で学んできてもらうための制度だ」

 

 そこまで説明されて、点と点がつながる。わざわざ俺個人が指名されて、学園長室にまで呼び出された理由。

 

 「もしかして……俺に、それをして欲しいということですか?」

 

 「ご名答。察しが良くて助かるよ」

 

 学園長は満足そうに口元を僅かに緩めると、手元の資料に目を落とした。

 

 「君は確か、香風さんのお宅のところに居候させてもらっているのだったな?」

 

 「はい。そうですけど……それが何か?」

 

 なぜここでラビットハウスの名前が出るのか。怪訝に思う俺に対し、学園長は信じられない言葉を口にした。

 

 「香風さんから、君がとても優秀だという話を伺っていてね」

 

 「香風さんって……」

 

 「香風タカヒロさんだよ」

 

 マジで……?

 

 あのタカヒロさんが、俺のことをそんな風に評価してくれていたのか?

 

 というか、いつの間に俺の仕事っぷりや普段の様子を見ていたんだ。いつもバーの時間には裏方に徹しているし、マスターとして寡黙に佇んでいるあの人が、裏でそんな風に俺を推してくれていたなんて夢にも思わなかった。

 

 いや、もしかしたら……タカヒロさんだけじゃなく、チノが何か口添えをしてくれたりしたのだろうか。あいつがちゃんとやってますなんて言ってくれた姿を想像すると、なんだかくすぐったい。

 

 そもそも、いつタカヒロさんからその話を聞いたのだろうか?

 

 どちらにせよ、クラスで問題児扱いされていた直後の俺にとって、これはこの上ないほど誇らしく、喜ばしい報告だった。じわじわと胸の奥が熱くなるのを感じながら、俺は次の言葉を待った。

 

 「どうかな?やってくれそうかい?因みに、君のご両親——もとい、お母さんには既に了承を得ているがね」

 

 学園長が何でもないことのように告げたその一言に、俺の脳内は一瞬でフリーズした。

 

 あ、あの母親マジか!?

 

 息子への相談もなしに勝手に決めやがった……!嘘だろ……!?

 

 いくらなんでも外堀を埋めるスピードが早すぎる。あの人の独断専行には昔から悩まされてきたが、まさか学校の、それも学園長直々の案件にまで裏で一枚噛んでいただなんて。

 

 俺が内心で激しい頭痛を覚えていると、学園長は組んだ指の上に顎を乗せ、さらに言葉を重ねてきた。

 

 「無論、我が校としても無理強いをしたいわけじゃない。この取り組みに協力してくれた生徒には、相応の評価——つ内申点にも大きく影響がある。こうして餌をぶら下げるような言い方をしてしまうのは申し訳ないが、君の今後の進路の幅が広がるという意味でも悪い話じゃあないと思うがね?」

 

 内申点。

 

 確かに魅力的な響きではある。だけど、タカヒロさんからの評価に一瞬浮かれた頭が、急速に冷えていくのを自覚していた。いくら期限付きとはいえ、他の高校への転入なんて、そんな大役がどうして俺なんだ。

 

 「あの、正直、自分である必要はないと思います」

 

 「というと?」

 

 学園長は興味深そうに、少しだけ片方の眉を上げた。

 

 「自分なんかよりも、もっと成績が優秀で、社交性に長けた生徒が他にいくらでもいると思うんです。この学校の代表として他校に行くなら、もっと適任が他にいるはずです」

 

 「分かっていないね、君は」

 

 俺の真っ当な正論に対して、学園長は肩をすくめ、大げさにため息を吐いて言った。

 

 「他に適任がいるかいないか、それを判断するのは君ではない。私が、君が適任だと決めたんだ」

 

 有無を言わせぬ絶対的な口調。

 だが、どうしても納得がいかない。

 

 「何故、そこまで自分を買ってるんですか? 俺にそこまでの価値があるとは思えません……いくらタカヒロさんが評価してくれたからって……」

 

 「うだうだと……じゃあ、言い方を変えよう。もしこの取り組みに協力してくれないというのなら、君には退学してもらう」

 

 「きゅ、急に脅してきた……!」

 

 え、なに?

 

 この人、独裁者かなんかなの?

 

 自分の都合の良いように物事を進めて、断れば力ずくでねじ伏せてくるあたり、うちのお袋と全く同じ種類の人間だ……。

 

 「我が校のトップの頼みだよ? 君に拒否権なんて最初からないのさ。お母様の了承も得ているから逃げ道は完全に塞がったね。……さて、良い返事を聞かせてくれるかい? 芹沢くん」

 

 綺麗な顔に完璧な営業スマイルを浮かべる学園長を前に、俺はただ、心の中で盛大に悪態をつくことしかできなかった。

 

 「ほ、本当に自分で大丈夫なんですか……?」

 

 最後の最後、往生際が悪いとは思いながらも、俺はもう一度だけ確認するように尋ねていた。

 

 だってそうだろう。いくら期限付きとはいえ、他校への体験入学なんて学校の看板を背負うようなものだ。それを、なんの実績も、優秀な成績も持たない俺を行かせるなんて正気の沙汰とは思えない。

 

 「だからしつこく言っているだろう。私は君が適任だと。これ以上の押し問答は面倒だ。イエスか、それともノーで答えるか、二つに一つだ」

 

 学園長は机の上で組んだ手に顎を乗せ、楽しげに目を細める。だが、その瞳の奥にある光は、およそ選択の自由なんて認めていない。ノーと言った瞬間に、俺の高校生活の退学届が受理される未来がはっきりと見えた。

 

 「さあ、受けてくれるかい——?」

 

 有無を言わせない絶対的なプレッシャーが、部屋の空気ごと俺にのしかかってくる。

 

 お袋に外堀を埋められ、学園長には退学をチラつかせられ、一般の男子高校生にこれ以上の抵抗ができるわけがなかった。

 

 「…………や、やります。やればいいんでしょ……」

 

 敗北感を噛み締めながら投げやり気味に答えると、学園長は「ふーっ」と深く椅子の背もたれに体を預け、満足そうに息を吐いた。

 

 「いい返事が聞けて良かったよ。芹沢ジンくん」

 

 いや、いい返事も何も、完全に選択肢を奪われて外道を塞がれたんだから、こう言うしかしゃーなしだろ。心の中でそう毒づくが、目の前の独裁者にそんな言葉を吐く勇気は流石にない。

 

 「日程が決まったらおいおい連絡する。またここへ呼び出すかもしれないが、その時はよろしく頼むよ」

 

 「はい。分かりました」

 

 これ以上ここにいても胃が痛くなるだけだ。俺がさっさとカバンを拾い上げて立ち上がろうとすると、学園長は俺の不機嫌そうな態度を面白がるように、くすくすと笑った。

 

 「なんだい。私が無理矢理決めたもんだから、拗ねているのか?」

 

 「はい……。めちゃくちゃ納得いってないです」

 

 「ふふっ。素直に認めるところも君の美徳だな。期待しているよ」

 

 勝手に期待されても困る。こっちはただ、大人たちの身勝手な都合に巻き込まれただけの被害者なんだから。

 

 「じゃあ、今日は以上だ。放課後の貴重な時間を取らせてすまないね」

 

 「失礼します」

 

 俺はこれ以上ないくらい形だけの一礼をして、逃げるように学園長室の重厚な扉を開け、部屋を後にした。

 

 パタン、と静かにドアが閉まった瞬間、緊張の糸が切れて、どっと大きなため息が口から漏れる。

 

 「はぁ……なんなんだよ、一体……」

 

 頭をガシガシと掻きむしりながら、誰もいない静かな廊下を歩き出す。

 

 タカヒロさんからの評価は嬉しかったし、チノが裏で褒めてくれていたかもしれないと思うと、確かに胸の奥は少しだけ温かい。

 

 だけど、それ以上に「期限付きの他校への転入」という、あまりにも突拍子もない大仕事がこの先に待ち受けているかと思うと、一気に目の前が暗くなる気がした。

 

 ただでさえ今日はテストで疲れきっているというのに。

 

 「傘、返すか…………」

 

 俺は重い足取りでカバンを握り直すと、すっかり予定が狂ってしまった放課後の廊下を、花深のクラスがある方向へと急いだ。

 

 




ここまで呼んでいただきありがとうございます!

この先、暫しオリジナル展開が続きます。
どうか皆様、お付き合い下さいませ!
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