ご注文はうさぎです!Re 作:新生兎丸
「もしも〜し。ジンく〜ん? 朝ご飯できたよ〜?」
今日はラビットハウスの営業も学校もお休みの日。
せっかくの休日だけど、チノちゃんがとっても美味しそうな朝ご飯を作ってくれたので、私はまだ夢の中にいるジンくんを起こすという重大な任務を任されたのだ。
扉を軽くトントンと叩いて呼びかけてみるものの、部屋の中からは何の応答もない。
「ジンくん、入るよ〜?」
断りを入れてから静かにドアノブを回し、私は音を立てないようそろりと部屋へ足を踏み入れた。
足を踏み入れたジンくんの部屋は、相変わらずとてもシンプルで殺風景だった。勉強机の上に几帳面に並べられた教科書と、その脇に置かれたゲーム機くらいしか目立つものがなく、飾り気のない雰囲気がいかにも彼らしい。
そんな静かな部屋のベッドで、部屋の主はすやすやと気持ちよさそうに寝息を立てていた。普段の少し澄かした表情とは違う、どこか幼さの残る無防備な寝顔。それを見ていると、なんだか今すぐ起こしてしまうのが少し勿体なく感じられて、私は静かに微笑みながらその枕元へと近付いた。
「ジンく〜ん。ご飯できたってよ〜? 早く起きないと、私が全部食べちゃうぞ〜?」
せっかく起こしに来たはずなのに、本当は起こす気があるのか怪しいくらいのひそひそ声で、そっと耳元へ囁きかける。
そしてベッドの脇にしゃがみ込むと、無防備に晒された彼の頬を指先でちょん、ちょんと優しくつついた。
「……スキンケアなんて特に何もしてなさそうなのに、相変わらずすべすべなお肌だな〜」
指先から伝わる柔らかく温かな感触が面白くて、私はくすりと小さく笑いながら、彼の無防備な寝顔を覗き込んだ。
「君を好きになったのはね、図書館で脚立から落ちた時に助けてもらったから……じゃないんだよ?」
すやすやと心地よさそうな寝息を立てるジンくんの耳元で、私は起きないくらいの小さな声でそっと囁いた。
最初は本当に、ただの友達だと思ってたんだ。
気兼ねなく話せて、時には頼れるお兄ちゃんみたいで、時にはちょっぴり手のかかる弟みたい。お互いに余計な気を遣わないその心地いい距離感が、ずっと続くんだと思ってた。
だけどあの日――図書館で脚立から落ちそうになった私を、ジンくんが咄嗟に助けてくれてから、私の中で何かが変わり始めたの。
あの一件以来、気がつくと無意識にジンくんの姿を目で追うようになっていた。そうやってジンくんを見る機会が増えていくうちに、今まで知らなかった君のいろんな良いところが、どんどん見えてきたんだよ。
不器用で、素直じゃなくて、謙虚すぎて、言葉遣いもちょっとぶっきらぼうで……。
だけどその無骨な態度の奥には、いつだって誰よりも温かい優しさがあること。私はそんな君の姿に、いつの間にか心を奪われちゃったんだよ。
胸の奥から溢れる愛おしさに、自分の頬がじんわりと熱くなっていくのが分かる。
「……なんてね。起きている時には照れくさくて、絶対言えないんだけど」
届くはずのないひそひそ話に一人で照れてしまい、私は赤くなった顔をごまかすようにくすりと笑うと、愛おしさを込めてもう一度そっと彼の頬に触れた。
「でもね……他の女の子と仲良くしてるところを見ると、ちょっぴり嫉妬しちゃうんだよ?」
触れていた頬からそっと指先を離すと、私はほんの少しだけ唇をすぼめてみせた。
ジンくんがみんなに優しく接しているのは分かっているし、誰に対しても飾らずに接することができるのは彼の素敵なところだって知ってる。
だけど、他の女の子と楽しそうに話していたり、ふとした瞬間に優しく微笑みかけたりしている姿を目にすると、胸の奥がキュッと小さく痛むのだ。
「私だけを見ていてほしいな……なんて、ちょっとわがままかな」
自分でもびっくりするくらい子供っぽい独占欲に、小さく苦笑いがこぼれる。
だけど、そんな格好悪い気持ちを抱いてしまうくらい、今の私はジンくんのことで頭がいっぱいなのだ。
夢の中にいる彼は私の密かな焼きもちなんて知る由もなく、相変わらず穏やかな顔で規則正しい寝息を繰り返している。
そんな無防備な寝顔を見つめていると、もう呆れるくらい彼に夢中なんだなって思い知らされて、私は降参するようにふっと小さく息を吐いた。
すやすやと気持ちよさそうに眠るジンくんの顔を、私は改めてじっと見つめた。
無防備で、少し幼さの残る寝顔。いつもはぶっきらぼうで強がりな彼が見せる、この部屋で私だけに晒してくれている静かな時間。
――大好き。
胸の奥から湧き上がる愛おしさが、とどまることを知らずにどんどん溢れていく。ジンくんのことを想うだけで、心臓がトクトクと大きな音を立てて、胸の奥が熱くて甘い感情で満たされていくのが分かった。
この気持ちを、どうにかして伝えたい。
でも、起きたら照れくさくて絶対に言えない。
あふれ出そうな愛おしさが限界まで膨らんで、私の理性を簡単に追い越してしまった。
あ……ダメ、私、なにして――。
思考が追いつく前に、体が勝手に動いていた。
ベッドの脇にかがみ込み、ふわりと顔を近付ける。規則正しい温かな息遣いが肌に伝わる距離で、私はそっと目を閉じ、彼の柔らかい唇に自分の唇を重ねていた。
静かな部屋に、小さく弾けるような可愛らしい音が落ちる。
指先で触れた時よりもずっと温かくて、柔らかくて。唇から伝わる感触に、私自身の全身の血が逆流したみたいに一気に顔が熱くなった。
「っ……!?」
我に返った瞬間、心臓が跳ね上がった。
私、私……私、いま何しちゃったの!?
真っ赤になった両手で自分の口元を慌てて塞ぎ、弾かれたように身を引く。顔全体が爆発しそうなくらい熱くて、心臓の音がうるさいくらい耳の奥で鳴り響いている。
「ん……ぁ……」
唇の感触が残っていたのか、ジンくんが胸元の上掛けを少し引き上げながら、身じろぎをして寝返りを打った。
(ひやあぁぁぁ!? お、起きちゃった……!?)
私は息を呑んで体を固くし、目を丸くしてジンくんの様子を伺う。
けれど幸いなことに、彼は少し身じろぎをしただけで、そのまま再び規則正しい静かな寝息に戻っていった。
「ふぅ……びっくりしたぁ……」
胸に手を当てて、安堵の息を小さく漏らす。
眠っている彼の無防備さに付け込むみたいなことをしちゃった罪悪感と、それ以上に溢れて止まらない胸のときめきに、私はその場にしゃがみ込んだまま、真っ赤になった顔を両手で覆った。
「もう……ジンくんのバカ……人の気も知らないで……」
夢の中の彼に向けて、小さく小さく照れ隠しの恨み節を呟く。
熱くなった頬を手で冷やしながら、それでも私は、どこか幸せで愛おしい気持ちを隠しきれず、赤くなった顔のまま、くすりと小さく微笑んだ。
朝ご飯の準備が整い、私はトレイに湯気の立つスープを並べていた。
しかし、ジンさんを起こしに行ったココアさんがなかなか戻ってこない。このままだと、せっかく作ったら朝ご飯が冷めてしまう。
「……ココアさん、何をしているんでしょうか」
私は小さく息を吐き、ジンさんの部屋へと向かった。
部屋の前に着くと、扉がわずかに開いていて、中からココアさんの囁くような話し声が漏れ聞こえていた。
「ジンく〜ん。ご飯できたってよ〜?」
静かな声。いつもみたいに元気に「起きてー!」と揺さぶるわけでもなく、どこかすこし遠慮がちで、けれど愛おしさを隠しきれないような、聞いたこともないくらい優しいトーン。
気になって、私は静かに扉の隙間から中を覗き込んだ。
そこには、ベッドの脇にかがみ込み、眠っているジンさんの頬を指先で優しくつつくココアさんの姿があった。普段のお姉ちゃんぶっている姿とは違う、どこか乙女チックで、照れくさそうな横顔。
ココアさん……?
何かがいつもと違う。そう思った瞬間、ココアさんの唇から零れ落ちた言葉が、私の耳に届いた。
『……私だけを見ていてほしいな』
その一言に、胸がドクンと大きく跳ね上がった。
信じられない思いで目を見開く。ココアさんの表情は赤く染まっていて、その瞳にはジンさんへの特別な想いが溢れていた。
言葉の意味を脳が理解しようとしたその時、ココアさんがそっと顔を近づけた。
静かな部屋に、小さく可憐な音が響く。
ココアさんが、眠るジンさんの頬に、愛おしそうに自分の唇を重ねていた。
「……っ!?」
息が止まりそうになった。咄嗟に手で口元を覆い、壁の陰へと引き下がる。
衝撃で頭の中が真っ白になり、心臓がうるさいくらいに打ち鳴らされていた。
いつも明るくて、誰にでも懐いて、みんなのお姉ちゃんでいようとするココアさん。
そんなココアさんが、ジンさんに向けていたのは――ただの友達や家族に対するものじゃない、一人の女の子としての「好き」という感情だったのだ。
まさか、ココアさんもジンさんのことを……。
開いた扉の隙間をもう一度見つめることもできず、私は自分の胸を固く抱きしめた。
胸の奥で、言いようのない動揺と、冷たい痛みのような感覚が静かに広がっていくのを、私はただじっと耐えることしかできなかった。
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