ご注文はうさぎです!Re 作:新生兎丸
「は〜い、いらっしゃ〜い」
扉を開けると、どこか浮かれたような声とともに永菜が出迎えてくれた。
靴を脱いで足を踏み入れた室内には、真新しい壁紙とほのかな柔軟剤の香りが漂っている。玄関から奥へ続く短い廊下の先には広々とした1LDKの空間が広がっていたが、家具の少なさも手伝ってどこか落ち着かない。
「……案外、殺風景だな」
思わず本音が漏れると、廊下の突き当たりで振り返った永菜が、心外だと言わんばかりにむっと唇を尖らせた。
「仕方ないでしょ? まだ引っ越してきたばっかなんだから」
そう言いながらも照れ隠しのように笑う彼女の背後には、まだ開けられていない段ボール箱がうずたかく積まれていた。
「ま、なんもないけど入った入った。あ、ジュースならあるよ。コーラで良い?」
永菜はひらひらと手を振って俺をリビングへと促すと、そのままオープンキッチンの奥にある冷蔵庫へ向かった。整っていない部屋の真ん中で立ち尽くす俺を余所に、彼女はパタパタとスリッパを鳴らして手際よく扉を開ける。
「いや、良いよ」
「なーに遠慮してんの?」
「そんな長くいるつもりないし」
用件さえ済めばすぐに辞すつもりだった。そう告げると、永菜は冷蔵庫のドアに手をかけたままくるりと振り返り、意地悪な笑みを浮かべてこちらを覗き込んできた。
「あー。もしかして女の子の部屋に上がって緊張してる~?」
いかにも俺をからかい慣れているといった調子の、ニヤニヤとした表情。そのわざとらしい態度に、俺は肩をすくめて小さく息を吐き出した。
「その女の子がお前じゃなかったらな」
「うっわ辛辣。相変わらずだね」
大げさに肩をすくめた永菜は、心底あきれたといった風に苦笑いを浮かべた。俺の容赦ない一言なんて痛くも痒くもないらしく、むしろ期待通りの反応が返ってきたと言いたげな顔だ。
彼女は俺の拒絶など最初から聞く気がなかったのか、冷蔵庫から黒い缶を取り出すと、プシュッと心地よい音を立ててプルタブを引き起こした。炭酸の弾ける音が、がらんとしたリビングに小さく響く。
「はいはい、わかってますよーだ」
軽口を叩きながら手際よくグラスに注がれたコーラが、ローテーブルの上にコトンと置かれた。グラスの表面には、早くも冷気で細かい水滴がつき始めている。
「それでさっ。彼女できた?」
グラスをテーブルに置くやいなや、永菜は待ってましたとばかりに身を乗り出してきた。目を輝かせながら覗き込んでくるその表情には、好奇心が隠す気もなく溢れ出ている。
「いねぇよ」
即答する俺を意に介す様子もなく、彼女は自分の分のグラスを両手で包み込みながら、探るような視線を向けてきた。
「でも友達にあんな可愛い子がいるんだね」
どこか遠くを見る目をして思い返している永菜の言葉に、俺は脳裏に浮かんだ顔を思い起こす。
それは恐らく、この前偶然遭遇したときに一緒にいた花深のことだろう。
「まー。ジンって顔は良い方だからね。ムカつくけど」
グラスのフチに唇をつけ、コーラを一口飲んだ永菜は、どこか悔しそうに俺の顔をまじまじと見つめてきた。幼馴染の容姿を認めるのがどこか尺に障るのか、ほんの少しだけ唇を尖らせている。
「褒め言葉として受け取っとく」
俺は差し出されたグラスに手を伸ばし、微かな炭酸の刺激を喉に流し込みながら淡々と返した。今更こいつに顔を褒められたところで浮かれる気も起きないが、悪口として受け取る必要もないだろう。
「でも童貞だもんねっ?」
ニヤニヤと意地悪な笑みを深めた永菜が、追い打ちをかけるように言った。首を少し傾げ、完全に俺をおもちゃにして楽しんでいる顔だ。
俺は飲みかけのグラスをテーブルに戻すと、こめかみを指で押さえた。わざわざデリカシーのない事実を突きつけてくる幼馴染の顔を直視するのが、急に馬鹿らしくなってくる。
「なんでわざわざんなこと確認すんだよ……ああ童貞だよ」
開き直って投げやりに認めると、永菜は「やっぱり〜!」と嬉しそうに声を弾ませた。
「で、なんでわざわざ呼んだんだ?」
本題があるならさっさと済ませたいという思いを込めて、俺はあきれ交じりに問い質した。くだらないいじりをいなすのも、そろそろ体力が削られる。
「言ったじゃん!久しぶりに会ったんだからもう少し話そうって!」
永菜はまったく悪びれる様子もなく、むしろ「何が不満なの?」とばかりに目を丸くしてみせた。引っ越し手伝いの人手として呼ばれたわけでも、何か重大な相談があるわけでもなく、ただ暇つぶしに付き合わされているだけらしい。
「マジで話すためだけに呼んだのかよ……!」
どっと押し寄せた脱力感に、俺は思わず頭を抱えた。
「まあいいじゃんいいじゃん。こうして二人っきりになるのも久しぶりなんだからさ」
悪びれるどころか、永菜は楽しそうにクスクスと笑いながらソファに深く腰掛けた。
「二人っきり」なんて言葉を気負いもなく口にできるのは、こいつが俺を男として見ていない証拠か、あるいはただの距離感のバグか。どちらにせよ、昔から変わらないペースに巻き込まれると調子が狂う。
ポンポンと隣を叩く永菜に促され、俺もソファーに腰を下ろす。
「てかジン、おばさんから聞いたけど試験入学するってマジ?」
前置きもなく投げかけられた言葉に、俺は思わず眉をひそめた。
「お袋から情報いくのはえぇなオイ」
思わず口をついた愚痴に、永菜は「お母さんとLINE繋がってるし~」と楽しそうにスマホを振ってみせる。
試験入学というのは、高校から生徒を一人選出して他の高校へと体験入学させる、言わば期限付きの交流・転入制度だ。受け入れ先の環境やカリキュラムを肌で学び、自校に持ち帰ってもらうためのモデルケースとして選ばれたわけだが、好きで引き受けたわけじゃない。
事の発端は数日前。
学園長室に呼び出され、ほぼ脅迫に近い怒涛の押しに押し切られる形でハメられたのだ。おまけに我が母上は、本人である俺への相談も確認もなく、ノリノリで学園長に即答で許可を出しやがった。
自分の息子をなんだと思っているのか。思い出すだけで頭が痛くなってくる。
「にしても、なんでジンなんだろ? もっと適任な生徒なんて他にいたでしょ」
首を傾げた永菜の言葉は、まさに俺自身が一番疑問に思っていることだった。
「それはもう学園長に聞いた。……ほんと、なんで俺なんだよ」
こめかみを揉みながら心底嫌そうに吐き捨てると、永菜は返事をせず、ただクスクスと喉を鳴らした。
「…………ふふ。アンタのところの学園長は、案外見る目あるかもね」
差し込んできた沈黙のあと、彼女はどこか含みを持たせた笑みを浮かべてこちらを覗き込んできた。
グラスの水滴を弄ぶ指先と、探るような、けれどどこか慈しむような意図の読めない視線。その絶妙な表情に、俺は思わず喉を詰まらせかけた。
「そ、それはどういう――」
意図を探ろうと顔を覗き込んだ俺から、永菜はひらひらと手を振ってあっけなく視線を逸らした。
「おしえなーい。てかさ、アンタも男なんだからさっさと諦めなよ。いつまでもウジウジしてるとカッコ悪いよ?」
唇の端に意地悪な笑みを浮かべたまま、上目遣いでこちらを挑発してくる。
「くっ……! 他人事だと思って……!」
悔しさに歯噛みする俺を見て、彼女は満足そうに目を細めた。
「そりゃ他人事だも〜ん。ジンの不幸は蜜の味ってね」
「んで? 結局どこの高校に行くことになったの?」
ひとしきり俺をからかって満足したのか、永菜はふと探るような視線を戻してきた。
「それがまだ決まってないんだよ。試験入学を受け入れるって話が決まっただけで、肝心の時期や行き先についてはこれっぽっちも聞かされてない」
俺があきれ顔で溜め息をつくと、永菜は小さく「へぇ……」と声を漏らし、グラスから手を離して顎に指を添えた。
「試験入学なんて大掛かりなことやる高校ねぇ……」
どこか探るような、それでいて何か心当たりでも探すような目で、彼女は天井の隅へと視線を泳がせた。
「多分だけどさ、試験入学なんて大掛かりなことやるなら話題性を狙うはずでしょ? だったらめちゃくちゃ大きい高校か……逆に過疎化が進んで生徒が欲しい高校の二択だと思うんだよね」
人差し指をチチッと振ってみせる永菜に、俺は腕を組んで首をひねる。
「極端にデカいマンモス校か、存続が危うい高校かってことか?」
「それか――何かしら訳ありの『問題を抱えるクラス』がある高校とかね」
人聞きの悪いフレーズをサラッと言ってのける幼馴染に、俺は思わず顔をしかめた。
「問題を抱えるクラスを持つ高校……? いや、百歩譲ってそうだとしても、まだ入学したての1年生でそんなピンポイントなクラスが見つかるかぁ?」
「あのねぇ」
俺のツッコミに、永菜は「これだから世間知らずは」と言いたげにやれやれと首を振った。
「この日本にどんだけ高校が存在してると思ってんの? 探せばいくらでもあるっつの」
「仮に試験入学の理由が後者だとしたら、尚更俺である必要がないだろ。仮にそんな問題を抱えるクラスに行かされたとして、俺にどうしろって言うんだよ」
「そりゃまあ――『サクッと解決してきてね』とか言われるんじゃない?」
「はぁ!? そんなの冗談じゃないぞ!」
思わず身を乗り出して叫ぶ俺に、永菜は「耳元で叫ぶな!」と言いたげに顔をしかめた。
「うっさいなぁ! あくまでただの憶測だって言ってるだ……ろっ!」
げしっと、爪先で俺のスネを軽く蹴り飛ばしてくる。
痛くはないが、雑に扱われている感満載の蹴りに、俺は「痛って……」と眉をひそめてスネを押さえた。
「理由が前者でも後者でもどっちでも良いよ。ただ、アンタが選ばれたんだから。……ううん、『選ばれちゃった』んだからさ。諦めて腹くくってきなよ」
悪びれもせず、永菜はフフンと胸を張る。
その言葉があまりにも真理すぎて、俺は言い返す言葉を完全に失った。
「……ハァ」
俺のあずかり知らぬところで決まった災難。
結局のところ、拒否権なんて最初からなかったのだ。
「……そろそろ帰るわ」
飲み干したグラスをテーブルに置き、ソファーから腰を上げかけると、永菜があからさまに声を張り上げた。
「ええ〜っ! もう帰っちゃうの!?」
「あんまり帰るのが遅くなると心配かける」
「心配かけるって誰に……え、ジンって一人暮らしじゃないの?」
「居候させてもらってるんだよ」
俺の言葉に、永菜はまじまじとこちらの顔を見つめてきた。
「ふーん……おばさんの知り合いの人?」
「そこなんだよな。……そーいえばさ、お袋って『香風家』と何か関わりがあったりするのか?」
「香風っていうんだ……ううん、おばさんの口からそんな名前聞いたことないよ?」
記憶を探るように天井を見上げる永菜だったが、心当たりはないらしい。
「俺もないんだよな……」
自分を預けられた先でありながら、母親と香風家との繋がりがいまひとつ見えてこない。思わずう~んと唸っていると、永菜がポンと手を打った。
「気になるなら、後でおばさんに直接聞いてみたら?」
「ああ。そうしてみる」
玄関先でひらひらと手を振る永菜に見送られ、俺は彼女の新居を後にした。
「おんなじクラスだったらよろしく~っ!」
◇
「あぁ……今日は疲れた……せっかくの休みだったってのに……」
すっかり辺りも暗くなり、冷たくなり始めた夜風を首元に受けながら、俺はあきらめ混じりに歩を進める。藤川との筋トレや、花深の乱入や、永菜とのやり取りでごっそりと持っていかれた体力を思い返し、深く溜め息をついたその時だった。
「ジン……?」
静かな夜の街に、鈴を転がすような声が響いた。
声の聞こえた方へ視線を向けると、街灯の柔らかい光の中にシャロが立っていた。少し首をかしげ、くりっとした瞳でこちらを見つめている。
「シャロ……? もしかしてバイト帰り?」
「まあ、そうだけど……」
俺の姿を認めると、シャロは手に持った小さな買い物袋をそっと後ろに隠すようにしながら頷いた。
「せっかくの休みなのにバイトとか、お前ほんと頑張り過ぎだろ」
「しょーがないじゃない。働ける時に働いとかないと……」
呆れ混じりに心配する俺の視線から逃げるように、彼女は腕を組んでフンと鼻を鳴らした。
勝ち気な瞳でこちらを睨みつけてくるものの、夜風に揺れる髪の隙間から覗く顔には、どこかホッとしたような安らぎの色が混ざっている。
「途中まで送るよ」
「え? 別に大丈夫よ。ここから目と鼻の先だし、一人で帰れるわ」
驚いたように目を丸くしたあと、シャロは慌てて首を横に振った。ジンに余計な気を使わせまいとする、彼女らしい遠慮だ。
「そうは言っても……もうこんなに暗いぞ?」
すっかり日の落ちた夜空を見上げながら言うと、シャロはどこか気まずそうに視線を泳がせた。
「ホントに大丈夫だってば……。それに、ジンこそなんだか顔色悪いし、早く帰って休んだ方がいいわよ」
「じゃあ……そうする。気をつけてな」
「ええ、ジンもね」
シャロに背を向け、数歩歩き出したところで——
「ひゃあああっ!? こ、こっち来ないでぇっ!」
夜の静けさを切り裂く悲鳴に、俺は弾かれたように振り返った。
勢いよく駆け戻ると、シャロが涙目になりながら縮こまっている。原因を探して足元に目をやると、街灯の薄暗い影から一羽のウサギがのんきに鼻をピクピクさせていた。
「……なんだ、ただのウサギか。驚かせんなよ」
ホッと息を吐きつつ、シャロを背中に庇いながらウサギに向き直る。
「ほら、シッシッ。お前も夜更かししてないで家に帰りな」
手をパッパッと振って追い払うと、ウサギはぴょんと跳ねて夜の闇へと去っていった。
ウサギは追い払ったものの、シャロはすっかり腰を抜かしてしまっていた。
「……一人で歩けそうか?」
「う、ううん……無理……」
赤面しながら涙目で首を振るシャロに、俺は半ばあきれつつも背を向けた。
「ほら、乗れよ」
「えっ……!? で、でも……っ」
「遠慮すんな。さっき送るって言ったろ」
恥ずかしそうに抵抗していたシャロだったが、最後は大人しく俺の背中に身を預けてきた。結局、すっかり夜の深まった街を、シャロをおぶって家まで送り届ける羽目になった。
静かな夜道に、ふたり分の足音がぽつりぽつりと響く。
恥ずかしさからか、背中のシャロはずっと身を縮こまらせていたが、意を決したようにポツリと漏らした。
「ねぇ……お、重くない……?」
「全然」
嘘偽りのない本音だった。華奢な彼女の体重なんて、男の俺からすれば大した負担にもならない。
「……つーか、もうちょっと肉つけろよ」
「なっ……! それ言っとくけどセクハラよ!?」
「な、なんでそうなる?」
「私の胸が小さいって言いたいんでしょ!?」
「な、なんでそうなる!?
ポカポカと軽く肩を叩いてくるシャロだったが、その手の力は少し優しく、背中に伝わる彼女の緊張が少しだけほぐれたのが分かった。
「はぁ……ま、良いけど」
「だったら最初っから怒るなよ……」
「ベーっ」と言って、恐らく舌を出したりしてるんだろう。そんな表情を想像しながら歩いていると、スンスンとシャロが鼻を鳴らす。
「ふふっ。なんだかちょっと汗くさいわね」
「え? ま、マジで……? ごめん、体動かしたから着替えてはきたんだけど……」
焦る俺に、背中のシャロは小さく笑った。
「んーん、大丈夫よ。臭くないし……それに、別に嫌いじゃないわ」
「そ、そうか? なら良いんだけど……」
シャロの言葉に胸を撫でおろしつつ、背中に伝わる彼女の鼓動を感じながら夜道を歩き続けた。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
誤字、脱字、不自然な箇所等ありましたらご報告お願いします!
次回もおたのしみに!
お次は誰のlfストーリーが見てみたいですか?
-
シャロの続き
-
チノの続き
-
ココア
-
千夜
-
リゼ
-
マヤ
-
メグ
-
花深
-
藤川