ご注文はうさぎです!Re 作:新生兎丸
「ジンくん、遅いなぁ……」
壁の時計をあおぎ見ながら、私は小さく息をついた。いつもならもう帰ってきている時間だ。戻りが遅い彼のことが、少しずつ心配になってくる。
「そうですね。ジンさんが遅れるなんて、珍しいです」
隣に座っていたチノちゃんも、指先で知恵の輪をカチャカチャと弄る手を止め、時計へと視線を向けた。
「……心配ですか?」
知恵の輪を持ったまま、チノちゃんがふとこちらを覗き込んでくる。
「もちろん心配だよっ! もし途中で、他のかわいいお姉ちゃんを見つけてついて行っちゃったりしてたらどうしよう!?」
「何ですか、その心配……」
チノちゃんは盛大に呆れた顔を浮かべると、深々とため息をつき、再び手元の知恵の輪へと視線を落とした。
「そう言えばさ、ジンくんってどんな女の人がタイプなんだろう?」
ふと思いついた疑問を口にしてみると、チノちゃんは知恵の輪を弄る手を止めることなく、あっさりと答えた。
「気品があって、力強く、元気で将来性のある人……って、前に言ってました。シャロさんのお店に初めて行ったときに」
「すごいチノちゃん! あの日のこと、そんなにしっかり覚えてたんだね!?」
パッと顔を輝かせて身を乗り出す私に、チノちゃんは「別に、ただなんとなく覚えていただけです」と小さくつぶやいた。
「ジンくんってさ……なんだか私にとって、そこに居てくれるのが当たり前みたいな存在なんだよね」
頬杖をつきながら、ぽつりと呟く。
「だからかな。帰りが遅かったりすると、急にすごく心配になっちゃうんだ」
いつもの賑やかさが少し影を潜めた私を見て、チノちゃんは知恵の輪をカチャリと机に置いた。
「……そうですね」
静かにうなずくチノちゃんの目は、「当たり前」という言葉に含まれた温かさを、ちゃんと理解しているようだった。
「ココアさんは……ジンさんの事を、どう思っているんですか?」
静かだけれど、逃がさないような強い響きを含んだチノちゃんの問い。
「え…………?」
唐突な言葉に、私は思わず声を詰まらせた。まっすぐに見つめ返してくるチノちゃんの瞳には、いつもの呆れ顔ではなく、どこか必死な色が混ざっている。
「そ、それは……お、弟みたいで可愛くて、頼りになる友達……?」
慌てて取り繕うように言いかけた言葉を、静かな声が遮った。
「誤魔化さないでください」
そう言い切られ、私の体が跳ねる。
「ち、チノちゃん……?」
いつもと違う彼女の迫力に、私はただただ狼狽えることしかできなかった。
「私は……私は…………」
何かを言いあぐねるように、チノちゃんは言葉を詰まらせた。ぎゅっと握りしめられた手が、かすかに震えている。
けれど、彼女は一度大きく深呼吸をすると、ゆっくりと顔を上げた。その瞳には迷いを断ち切ったような、真っ直ぐで強い覚悟が宿っていた。
「私は……ジンさんが、好きです」
静かな部屋に落ちたその一言は、揺るぎない熱を帯びて真っ直ぐに私へと届いた。
「一人の男の人として……大好きです」
——声が出てこない。
いつもなら「応援するよ!」なんてお姉ちゃんぶって喜んであげられるはずなのに。彼女のまっすぐな気持ちを尊重して背中を押してあげることなんて、今の私には口が裂けても出来なかった。
喉の奥が引きつり、指先が冷たくなっていく。
だって——私も、好きなんだ。
ジンくんのことが。
「へ、へぇ~! ビックリしたよ! チノちゃんはもっとこう、優しくて愛想の良い人を好きになるものかと思ってたからさ~!」
裏返りそうな声を必死に繕って、おちゃらけたように笑ってみせる。けれど、チノちゃんの冷ややかなほど静かな瞳が、私の浅はかな嘘を簡単に突き崩した。
「ジンさんは、とっても優しいです。ココアさんだって、とっくに気付いてるくせに……」
ぐっと胸を突かれたような痛みに、言葉が詰まる。
——そんなこと、知ってる。
彼がぶっきらぼうな態度の裏で、どれほど底抜けに優しい人なのかくらい、私が一番分かってたつもりだったのに。
「そ、そうだよね! 流石は私の自慢の弟——」
「答えてくださいっ!!」
ピシッと空気が張りつめた。
チノちゃんの悲鳴にも似た強い一言が、私の虚しい強がりを真っ向から切り裂く。
知恵の輪を握りしめた手は固く握られ、その瞳には、今まで見せたこともないような本気の感情が揺れていた。もう「お姉ちゃん」の仮面を被って逃げることすら、チノちゃんは許してくれそうになかった。
「答えてください、ココアさん。ココアさんも……ジンさんが好きなんですか?」
机を挟んで向けられたチノちゃんの視線が、刃のように刺さる。
逃げ場なんて、どこにもなかった。
彼女の瞳から放たれる熱と強さに気圧され、私は息を吸うことすら忘れて立ち尽くす。鼓動が耳元でうるさいくらいに鳴り響いていた。
問いかけの言葉が、部屋の静寂の中にいつまでも重く残る。
私はギュッと拳を握りしめ、チノちゃんの瞳を真っ直ぐに見つめ返した。逃げるのをやめて、自分の心に嘘をつくのもやめる。
決意を固めて、唇を開く。
「好き……。大好きだよ」
偽りのないその言葉は、私とチノちゃんの間に横たわる静寂を静かに切り裂き、部屋の中に重く響き渡った。
チノちゃんは、言葉を失っていた。
今まで見せたことのない固い表情のまま、まっすぐに私を見つめている。その瞳にはショックと、どこか予感していたかのような寂しさが混ざり合っていた。
カチャリ、と小さく音が鳴る。
握りしめられていた知恵の輪が、力なくテーブルの上に転がった。
二人を包み込む沈黙はあまりに重く、さっきまでの和やかなカフェの空気はどこにも残っていない。
「……そう、ですか」
ようやく開かれたチノちゃんの唇から漏れたのは、絞り出すようなかすかな声だった。
「私、負けませんから」
「わ、私だって負けないもん!」
互いの本音をぶつけ合い、バチバチと視線を交わす。
けれど次の瞬間、チノちゃんは少し胸を張って攻撃に転じた。
「ジンさんは『気品があって力強く、元気な将来性のある人』が好きって言ってました。私は最年少ですから、一番『将来性』があります」
「げ、元気なところなら私だって負けてないよ! ジンくん、元気な人もいいって言ってたもん!」
必死に対抗する私に、チノちゃんはジト目を向け、容赦なく追撃してくる。
「ココアさんの元気さは、ジンさんの言っている条件に当てはまらないと思いますが。……ただのお騒がせです」
「なっ……! ただのお騒がせじゃないもん! お姉ちゃんだもん!」
「そういうところですよ」
チノちゃんは少し呆れたように息をつくと、視線をふっと柔らかく落とした。
「……でも、ココアさんのそういうところに世話を焼いているときのジンさん、とっても楽しそうなんです。だから……私、少し羨ましいです……」
ぽつりと溢れた本音。
さっきまでの強気な姿勢から一転、どこか寂しそうに微笑むチノちゃんの表情に、私は思わず言葉を詰まらせた。
ジンくんの特別な顔を一番近くで見ているのは自分じゃないのかもしれない——そんな切なさが、彼女の言葉の端々に滲み出ていた。
「わ、私だって……ジンくんがチノちゃんとお話してるとき、すごく柔らかい顔してるなぁって思ってたよ……。だから、私も羨ましいなって……」
チノちゃんの言葉に背中を押されるように、私もずっと胸の奥に引っかかっていた気持ちを白状した。
そっぽを向きながら指先を弄ぶ私の言葉を聞いて、チノちゃんは少しだけ驚いたように目を見開く。
お互いに相手ばかりがジンくんの特別な顔を見ている気がして、勝手に羨ましがっていたのだと気づき、部屋の空気がふっと温かく、少しだけ面映ゆいものに変わっていった。
ふと、チノちゃんの口元から、思わず小さな笑みがこぼれた。
「ふふっ」
「あ、チノちゃん笑った!」
私が指をさすと、チノちゃんは慌てて咳払いをして、いつもの澄ました顔を作ろうとする。けれど、その頬はうっすらと赤く染まっていた。
「……笑っていません。お互いに勘違いをして羨ましがっていたのが、なんだかおかしくなっただけです」
「むー、笑ってたよ! でも……ふふっ、なんだか私たち、バカみたいだね」
「そうですね。本当にバカみたいです」
緊張がふっとけて、二人の間に小さく笑い声が響く。
ジンくんを巡るライバルであることには変わりないけれど、さっきまでの張りつめた空気は消え、お互いの素直な気持ちを知ったからこその、少し照れくさくも愛おしい距離感がそこにはあった。
「ジンさんはひどい人です。こうやって、二人の女の子を困らせているわけですから」
チノちゃんは少し頬を膨らませ、心底呆れたように吐き捨てた。
「えへへ……私達、お揃いだねっ!」
「それは、良い意味で捉えて良いんでしょうか……」
能天気な私の返答に、チノちゃんはこめかみを押さえながら深々とため息をついた。
「二人揃ってジンさんに振り回されているだけです」
「でもでも、ジンくんを好きな気持ちは一緒なんだから、やっぱりお揃いだよ!」
胸を張って主張する私に、チノちゃんは少し困ったように、けれどどこか嬉しそうに目元を緩めた。
「そうですね」
時計の針をチラリと見やりながら、チノちゃんも小さく頷いた。
「ジンさんが帰ってきたら、二人で思いっきり文句を言いましょう」
「うんっ! 二人で出迎えて、ジンくんをビックリさせちゃおう!」
ラビットハウスの扉が開き、あの見慣れた背中が戻ってくるのを、私達は今か今かと待ちわびていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
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次回もおたのしみに!
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