軍によって焼き払われた村の、かすかに残っている家屋の一室。
ボールをぶつけられたような窓からは冷たい夜風が入り、そよ風程度でもおんぼろの木造建築は悲鳴をあげた。風通しがいいせいで外気温と室内の温度は同じだった。
月光は差していない。電気の切れかかった手持ちランタンだけが、わずかな光源としてぽつりと部屋の中心に置かれている。円状のぼやけた光では四角い部屋の全容を照らせなかった。光と闇が俺の視線の先で奇妙に絡み合っていた。
物音が木目に吸いこまれ、室内は再び静寂に包まれる。
「ほいよ」
「ありがとうございます」
ルトナダに携帯食の包装を投げ渡す。彼女は小さな個包装を大事そうに両手で持ったまま、瓦礫の散らばっていない壁際に三角座りをする。この廃墟に転がりこんでからの定位置だった。細長い尻尾をブーツと腿の間に生まれる三角に、差し込むようにしまっていることだろう。
慣れのせいか性格のせいかルトナダの動きには音がない。銀のぎざぎざに手をかけてパッケージを裂く音は小さかった。
ランタンの光が弱すぎることと、散らばった瓦礫が影を作っていることで、俺からルトナダの姿は見えない。経験から闇を透過するようにルトナダのほうを眺めていた。
さく、という音を確認してから俺は個包装に手をかける。大きめの石材にどっかりと腰を下ろした。
この村は不運だった。
この村の連中は不運だった。
この村は、連合政府の勢力を匿っているだとか、他勢力が根を張っているだとか、信憑性も何もない占い師の気まぐれみたいな情報で焼き払われたのだ。
不憫だった。けれど同情はしない。俺とルトナダの村もそんな理由で焼き払われた。両親は火の海で苦しんだすえに死んで、まだ幼かった俺たちは清掃員として軍に引き取られた。
「なぁ」
「はい」
「占い師って儲かると思うか?」
「……今度街を訪れた際に聞いてみてはいかがでしょうか。
「お前それ、
人の命は軽く、情報は重い。
ネズミか何かが梁を走る音を拾い、背筋が伸びた。鋭敏であることはいいことだけれど、過敏である必要はない。
耳から少しずつ意識を離す。背中から力を抜いて呼吸のペースに意識を払う。
今日の仕事は終わったのだ。人の死を糧にして得た食料で明日へと命を繋いだのだ。
疲れはなかった。淀み、みたいなものが体の内側に降り積もっていく感触だけが確かだった。
刺激しかない似たような毎日に、熟成された淀みを溜めこむ毎日に、神経がおかしくなっている気がした。
もそもそする携帯食のせいで口が乾いた。雨水を溜めた容器から水を一杯だけ飲んだ。容器のせいか鉄の味がする。
慎重に置いたのに、からん、なんて間の抜けた音が反響した。
澄んだ音の高さがそっくりそのまま、どうすることもできない現状の孤立感だった。どこに飛んでも大怪我をしてしまう。だから落ちないように両手を広げてバランスを取っている。広げた両手で掴み取ったいろいろで、日々をやりくりしている。
俺たちの夜には、泥濘のように油断できない、しかし確かな安心が広がっていた。
軍に清掃員として引き取られたあと、俺たちは小さな天幕で寝起きした。その天幕は徐々に広くなった。やがて二人のものとなって、ときどき子どもが増えては減った。
「逃げようよ、ルトナダ」
ルトナダと二人きりになったのは確かこんな言葉が始まりだった。握った手のひらは彼女の瞳みたいに作り物じみていた。小さくて、冷たくて、歳上とは思えないほど頼りなくて。だから冷たい火傷みたいに鮮明に覚えている。
あのときのルトナダは幼く、とてもではないが軍の備品にはなれない体つきだった。だからこそ軍人のテントには連れこまれず、逃げ出すことができた。
軍に飼われながら生き延びたとして、待っているのは備品としての末路。夜中に何度も聞いたあれ。
大人になった今でこそ怖くないけれど、嬌声は化け物の叫び声みたいだった。戦場で聞く悲鳴とは明らかに違う、それでいて常軌を逸した声は、とうてい同じ生き物が発している音とは思えなかった。
悲鳴もそんな感じだけれど、しかしすんなりと受け入れることができた。両親という近い存在がその声をあげていたからかもしれない。
ルトナダはそんな生とも死ともつかない備品としての末路を受け止めていたのかもしれないけれど。自分自身が受け止められなくて逃走を決めた。
軍なんて所詮、逃げ出したとは思わずに死んだと思うような連中だ。だから逃げるのはたやすかった。問題は生計を立てる手段だった。
逃げ出したばかりの自分たちは何もできなかった。だから結局、戦場を転々として、今までしてきたことを繰り返すしかなくて。
転機が訪れるかもしれない、なんて触れない太陽みたいな希望にすがり続けているうちに、ルトナダが感染者となり、希望は雲に覆われた。人生に地平線があるのなら、その先までを覆う雲だった。
「ゲント」
絶望は底からいきなりにゅっと顔を出すのではなく、月にかかる薄い雲みたいに希望を少しずつ薄れさせていくのだと思う。そうして完全に光が見えなくなったとき、絶望として認識される。俺たちはできるだけ絶望を認識しないように立ち回っている気がした。
「ゲント。何か光りました」
ルトナダは音もなく立ち上がる。俺のほうに向かいながら包装紙を折りたたんで携帯食を隠し、丁寧にコートにしまう。
「お前、まだ食ってたのか」
戦地で遺留品と交換した携帯食だ。量なんてたかが知れている。それなのに相変わらず遅い。俺はとっくに食べ終わっていた。
ルトナダは俺の言葉を意に介さず歩いた。崩落した家の、瓦礫のひと山を目指しているらしい。いつの間にか雲が晴れて月光が差したらしく、ランタンよりも明るい光線が灰色と木材を照らしていた。
割れた窓が近くにあるのだし、ガラスが月光かランタンを反射したのだろう。そう思ったけれど、ルトナダの手にかかれば瓦礫の山ですら宝物庫になる。命を繋いでくれた彼女に疑いの声はかけられなかった。
「指切るなよ」
「ガラスの破片ではないと思いますよ」
「それで何回指切った。……お前はどんくさいんだよ。どけ」
「ですがゲントは手先が器用ではありません。動きも乱暴で梁を破壊しやすく、何度家屋を破壊しましたか」
「ほっとけ」
「ほっとくことはできません。生き埋めになりかけたこともありました。この村には倒壊していない家屋が数えるほどしかありませんし、その家屋の安全も確保できていませんから……立地を考えても、この場所がもっとも見つかりづらいことは明白です」
言いながら、ルトナダは後ろから伸びてくる手を掴んだ。俺の手首とルトナダの手には体温差があった。それが溶け合うほど俺たちは睨み合った。
のしかかってくるような重い沈黙ではなく、軽い静寂が漂う。これくらいの衝突は日常茶飯事で、そしてだいたい俺が折れたところまでが流れだった。
ため息には一日の疲労がこもっている。砂埃の一つも立たないほど弱々しいため息だった。
「指示を出せ。動くから」
ルトナダは俺の手首を掴んだまま俺に向き直った。
「力加減を守られたことはありません」
「お前の指示が分かりづらいんだよ。比喩使うな」
「私が比喩を使わなかったとしても、話を聞くのが面倒になって勢いのままに瓦礫をどかす、ということが何度もありました。ここに来る前、家屋を三連続で使えなくしたのは記憶に新しいですよ」
そのあともルトナダは絶対に譲歩せず、結局二人で光るものを探した。
「見つけました」
ルトナダが星空に掲げたのは小さなリングで、これも彼女の魔法にかかれば値が上がるだろう。
「この指輪にも名前が――」
「おい……!」
瓦礫の上でルトナダはバランスを崩した。転がり落ちそうになる彼女をなんとか抱きとめ、俺は不安定な足場でなんとか踏ん張る。こういうことがままあった。ルトナダに対してどんくさいと言うのはこういった理由からだった。
大盾を持ち歩いていることが信じられないほど軽い体は、栄養が行き届いていない事実を訴える。コートからか、ルトナダの体からか、はたまた自分の体からか、戦場のにおいがした。
何かが焼け焦げたにおいと、何かが腐敗したにおいと、誰かの血のにおいと、硝煙のにおいと。数日が経過した戦場のにおいだった。
肌は死臭を吸い、死臭は肉に染みた。洗ってもきっと取れないだろう。
分厚い雲に覆われて希望すらも見えない瞳がじっと俺を見つめる。拳を開いていないところを見るに、指輪は落としていないようだった。ひどいときは転がり落ちた拍子に遺留品を手放してまた一から探し直し、みたいなことになるのでそうならなくてよかった。
「戦闘時じゃなくてよかったな」
腕の中でザラックは、獣耳をしゅんとさせることで気持ちを表した。
「とっととどいてくれ」
「もう一度転んでしまうかもしれません」
どうするか迷っているうちに細い尻尾が足に絡みつく。きつく締め上げるような感じでなく、感触を確かめるような抱擁じみていてこそばゆい。何も言わないでいると巻きつく力が強まった。
「お前な……」
不安定な足場で抱きしめたルトナダを横抱きにし、一人で動くときよりも慎重に次の足場を見定める。遠慮がちに細い腕が首に回された。暑い日に木陰に入ったときみたいに、ちょうどいい冷たさの手だった。
「登るときよりも幾分か慎重になりました。気を遣っていただかなくても構いませんよ」
「二人して転げたら怪我するだろうがよ。明日の飯すらままならないんだぞ。動けなくなったら本格的に終わる」
戦闘時には凛とした雰囲気をまとうのに、二人きりだとどこか抜けている。ずっと張り詰めているよりはマシだった。こんなときでも表情がなかなか変わらないけれど、いくぶんか拍動が穏やかになっていることを願う。
下り立った床は硬く、緊張が一気に和らいだのを感じた。
地に足がついているのだ、と思うと現実はどうであれ多少は心持ちが穏やかになる。こんな生活でも、怪我をしても、過去から続く道が断絶する想像などできない。今の延長線上が未来なのだから案外なんとかなるんじゃないか、なんて根拠のない期待が胸で踊る。
現実は、ルトナダが鉱石病に罹患して取り返しがつかなくなったというのに。目に見えない裂傷が広がり続けていたことに俺は気づかなかった。
手に力がこもって、そのせいで服を握ってしまったことに気づいた。
「におうから離れろ」
「貴方も酷いにおいですよ」
くたびれたコートにルトナダが顔を近づける。目を閉じてにおいに意識を集中させていた。
「雨なんてほとんど降っていないからな」
「そろそろ飲料も底をつきてきました。この地域では雨がほとんど降りません。もしも戦場で遺留品を見つけたとしても、有用な品を売ったとしても、飲料を売ってくださる方はいないでしょう。無理に要求すれば戦闘が発生する恐れがあります」
「分かってる」
「あるいは軍隊に下れば待遇がよくなるかもしれません。戦場清掃員として私たちの活動歴は長く、何度か同じ人を助けたこともありますから、融通が利く場合も考えられます。名前もまた、今はルトナダと名乗っていますが、イエロースカーフと名乗れば知っている方がいるかもしれません」
「かもしれん。が、どこに行ったって俺たちは除け者だぞ」
生活は変わらない。変えられない。鉱石病に罹患すれば最後、強制的にレールから突き落とされる。
ルトナダの太腿が月明かりを反射する。視界にちらつく輝きは、体表に現れた黒い鉱石のせいだった。
軍の中にはアーツを扱う部隊ももちろん存在している。だが戦の道具にされているだけで、戦が終われば用済みだ。
首に回されたルトナダの手が震えた。目で問いかければ、ルトナダは見つめ返すだけで何も言ってこない。言い渋る様子を見せたあと、ようやく唇が動いた。
「せめて貴方だけでも――」
「まず第一に生存者からもらうことを考える。街に行くことも視野に入れよう。そろそろ修理品も溜まってきた」
部屋の一角にはルトナダの魔法にかけられた修理品が保管されていた。
ルトナダは腕の中でわずかに目尻を下げた。
「あととっととおりろ。重い」
軽すぎる体を揺すって、そっと床に立たせた。
街を目指して戦場から戦場を歩き、数日を食いつないだ。ルトナダは大盾を持っているために、修復した荷物の大半を俺が持ち運んだ。それでも持ちきれずにルトナダにも持たせている。
荷物が多い状態でいつもどおりの距離をいつもどおりの速さで移動しているから、どうしても消耗は激しくなった。
それなのに、ルトナダは夜を徹した修復作業を断行した。
彼女の立てる物音は小さくても、周囲は静まり返っているから響いててしまう。俺はルトナダが気になって眠れなかった。物音が気になるのもそうだけれど、ルトナダの体調も心配だったし、物音を聞きつけた動物から襲われる心配もあった。人間だけが脅威ではない。廃村の廃屋だからといって気を緩めれば、命という形で代償を払うことになる可能性がある。
枕にした腕は頭の重みによって麻痺していた。かたい床材はいつまでたっても冷たかった。それすら気にならなかった。
「寝ろよ」
背中から聞こえてくる何かを拭くような音を遮る。
ルトナダは手を止めた。静寂が戻ってきた。中途半端に曲げた足が痛んでいた。それでも身じろぎして音を立てることが罪深く思えて俺はじっとしていた。
いつからか、互いの寝顔を見ないようにして寝るようになった。戦場に安らかな死に顔などないけれど、どうしても、寝顔は死体を連想させる。死に最も近づく瞬間が眠る瞬間なのかもしれなかった。
きれいな顔が醜く歪み、欠損した様が脳裏をちらつく。寝顔と死に顔が瞬きのたびに入れ替わって疲弊してしまう。ルトナダのそんな顔は見たくなかった。
死体は自分たちを生かしてくれる。けれど、深夜くらいは存在を遠ざけたい。
ルトナダは壁際まで歩いて三角座りをした。俺から見えない風景は経験によって鮮明に描かれた。どうせ両腕で膝を抱いているだろう。
「ゲントが眠るまでは静かにしていますよ。私はおそらく、もう少ししないと眠れませんから」
「消耗してるんだから少しは休んでくれ。倒れたらどうする」
ルトナダがくすりと笑う気配がした。
「私が倒れるときは、きっと同じように貴方も倒れているでしょう。私は倒れたことがありませんが、ゲンは数ヶ月に一度のペースで倒れています」
「お前よく日付け感覚狂わないな……」
「無理をしすぎですよ」というルトナダの言葉は無視した。
俺は戦場で過ごす期間が長くなるうちに日付けの感覚が狂い、朝と夜とが際限なく繰り返されているのだと感じるようになった。一○年という膨大な時間のどこでこの人格がいつ生み出されたのかすら曖昧だ。
一週間前から存在していたのだと言われればそんな気がするし、二○年前から存在していたのだと言われれば、事実はどうであれそんな気がしてくる。
同じ景色は何ひとつとしてない。それなのに同じ日々が連続していると錯覚している。死んだ人は全員違う様相なのに、死んだ事実だけが体のどこかに沈殿した。正気を保てなかった。吐き出すに吐き出せなくて、腐敗したものがさらに熟成されて意識にノイズが走るようになった。
生まれてから最も接する機会の多かった生き物は、と聞かれたとき、ほとんどの人は答えが決まっているだろう。俺たちはそれに加えて、同数かそれ以上の死体を見ている。
ほとんどの時間を戦地で過ごして、争いの地を転々としながら二人だけのために死者を糧にして生きてきた。
同業者の中には顔見知りも当然いて、その死体から何度か遺留品を持ち出したことがある。
死に顔を見たあとに目を閉じると、瞼の裏側にその人物の笑顔が蘇る。逆もしかりだ。笑顔を見たあとに瞼を閉じると、そのときの気分によって様々な死に顔が脳裏を鮮やかに照らした。
想像はどこまでも執拗で、寒い日にありがちな、太陽が世界を冷やしているのではないかと思えるような冷気が背中を追いかけ続けてくる感じがする。
時間が経つにつれて死人の輪郭ははっきりしなくなり、やがて黒い靄として体に留まる。
そんな靄の中に意識を浸しているうち、体も沈んだ。
翌朝目を覚ますとルトナダの姿はなかった。またどこか暗い場所で、盾で外界と己とを隔てて丸くなっているのだろう。
俺はすでに弾けそうなリュックに、自分が寝ているうちに魔法にかけられた品々を押しこんだ。記憶が正しければルトナダのリュックにはまだ空きがあった。
そのうち隙間からのそのそ這い出てきたルトナダの気配を背中で感じた。手早く紐を結んで、ちょっとした量を投げつけた。
「行くぞ」
ルトナダは眉間にしわを寄せて目をこすっていた。体に当たって石床に落ちた修理品を拾い上げて「少ないですね」と首を傾げた。
「下手したら行軍が始まってる。昨日遅くまで作業しすぎだ。ちゃんと休んだのか?」
「……問題なく動けます」
「なら行くぞ。準備しろ」
街までもう二日だ。
俺はすでにリュックを背負って腰に剣を佩いている。音もなくとなりに並んだルトナダは、体を前に倒して俺を見上げた。
「隈がひどいですよ。今日の食事は私の分を少なくしてもらって構いません。よく食べてよく眠ることが健康には一番ですから」
「どの口が言ってんだよ……」
「活動も休みながらおこないましょう。もう数ヶ月倒れていませんから、近いうちに倒れるのではありませんか」
とん、と肩に手を乗せられ、鬱陶しかったので払った。薄赤い唇をわずかに突き出すルトナダを尻目に、薄黒い雲のかかった世界へ、茶褐色の無造作な木立へ、一歩踏み出した。