リスカムが夜中に再び声をかけてきたのは、作戦が無事に終わった帰り道でのことだ。
作戦前はほとんどのオペレーターが早めに就寝していたけれど、今日は火を囲んで談笑する姿がある。張り詰めた緊張の糸が解けている。立ち上る火の揺らめきですらどこか穏やかだった。
奥深い夜の森は存在を潜め、遠くから俺たちを囲んで見守っている。
静寂の音は水気を含んでいて、浮かれた心の温度を正常に戻そうと抱きしめてくれる春風みたいに心地よかった。
闇から浮き出るように月と星があった。それを遮ってリスカムは俺の前に立つ。
「今日もありがとうございました」
「気にするな。作戦だ」
手を振ってあしらったつもりだったが、リスカムはとなりの草にゆっくりと腰を下ろした。
「後ろから崩してくれなければ今回の作戦は危なかったんです。ゲントビリアの活躍はきっと、あなた本人が思っているよりも大きいんですよ」
「そうか」
どうでもよかった。一年後の天気でも聞いているみたいだった。
作戦の準備は大事だ。しかし終わったことに対して何かを思う余裕はない。まして同じ戦場は二度もない。あのときはこうしたから――という記憶とも思い出ともつかない体験が足を引っ張ることだってある。その場で適切な判断をくだせる勘があればよかった。
「正面部隊の命を救ったって自覚があるんですかね本当に……」
呆れた様子のリスカムは「まぁいいです」と流し、雰囲気を一転させた。
「ゲントビリアとの作戦は動き方が分かっているおかげで安心して前に出られるので、戦いの最中でも落ち着くんですよね。不測の事態でも考え方が分かっていれば行動が予測できて合わせやすいですし」
「落ち着くなよ……下手したら命が飛ぶんだぞ」
「知ってます」
ことのほか真摯な声音に面食らった。明るい星空の下では、真剣な声は異様な調子で耳に届く。
横目でじっと見つめられていることに気がつくと、リスカムは気が抜けたように笑った。
「今日もそうですけど、フランカと組んでいるといつもひやひやさせられて……少しでも安心できる要素がほしいじゃないですか」
「俺が安心できる要素だって言うのはお前くらいだよ」
「フランカもそう言ってましたよ? でも、おかげで行動の幅が広がってやりやすい……って感じですけど」
「ご苦労なことだな」
ルトナダ抜きでの作戦の初日、メインの重装オペレーターはリスカムだった。正面の攻撃部隊はフランカを中心としていて、裏から少人数で崩すのは俺が中心だった。
無事に終わった夜、リスカムは一人でいる俺のところに歩いてきて「見た目からは想像できません」と言った。悩み抜いたすえ言葉を絞り出したような難しい顔だった。
野蛮人が決まりきった動きをするイメージがなかったのだろう。しばらくの間、リスカムは俺の動きについての質問を繰り返した。そして少しずつ解釈していった。
このときはこう。別のときは別の動き。あらかじめ対処を決めておけば余計な疲労を生まない。消耗を抑えるための動きは、限られた資源で生き延びなければならないボリバルにおいて重要だった。リスカムは俺のルールを考え方だと解釈した。
このあたりから交流が始まったように思う。作戦のたびに解釈は深まり、リスカムが俺を知っていくのに合わせて勝手にリスカムへの知識が増えた。
彼女は理想と過去を知りたがり、語りたがった。ルトナダのためと答えればだいたいリスカムは頷いた。そしてときおり、フランカにあることないことを吹き込まれていないか確認した。
アーツの訓練に付き合ってもらうようになったのは自然なことだ。距離が近くなった分アーツの粗さが浮き彫りになったにすぎない。
「よければ練習に付き合いますよ」
渋る俺にリスカムは根気よく話しかけた。
彼女が警備会社に受かった理由を身をもって体験した瞬間だった。同時に、フランカが面白がって語るロドス駐在手続き騒動を引き起こした行動力と優しさも思い知った。
何事もこつこつ続ける姿がルトナダに重なる。リスカムを嫌うことはできない。部隊行動で気にかけてもらっている恩もある。迷惑ではなく恩と感じているあたり、俺は最初よりも相当リスカムに絆されていた。
「アーツ……な」
呟くことで問題が解決するのを願うみたいな、問題と解決法の距離の遠さを言葉という魔法で縮めるような、雨が降っているときに晴れてほしいと言うような。気づけば呟きが口からこぼれ落ちていた。
闇雲に祈るうちに何かの使いが通りかかって、偶然手を差し伸ばしてもらえる――なんて、今はもう無邪気に信じることができない。
だから魔法が物理的な手段として存在するのなら願ったり叶ったりだった。
自分は戦うためだけにある。だから強くなれるのは喜ばしい。
差し出された手を取った。
大盾を構えていることも、死線を何度もくぐり抜けたことも、日々こつこつと努力していることも感じられない、やわらかな女子の手だ。こういうところも、ルトナダとよく似ている。
ビリアたっての希望で、日中のアーツ練習はビリアとリスカムでおこなわれた。俺はその記憶を思い出しながら深夜にこっそり練習した。
ときたまリスカムに見つかっては注意だかアドバイスだか判別のつかないことを言われ、彼女は最後には必ず「今お伝えしたことをちゃんとベッドの中で考えて、明日の日中に練習してください」と言った。
夜警があったり、任務から帰還するのが夜遅くになったり、リスカムもなかなか大変なようだった。
「何を考えているんですか」
正面から聞こえた声が俺を現実に引き戻す。眠っていたのをむりやり起こしたような不鮮明な視界の正面にリスカムがいた。
「お前、まだいたのか」
「まだってなんですかまだって! いちゃ駄目なんですか!」
ぱさ、ぱさ、と尻尾が勢いよく草を叩く。
リスカムはしゃがんで目線を合わせていたらしい。同じ高さにある瞳がまんまるに開かれる。俺とリスカムでは身長差があるから、見慣れない画角だな、と思った。
「というか、呼びかけても反応しないから心配したんですよ!?」
「悪い、ちょっとな」
膝の上で腕が重なっていた。もともと小柄なのがさらに体を縮めているように見え、リスみたいに映る。試しに頬を膨らませている姿を想像したらギャップのせいかおかしさが込み上げた。
「なんで笑うんですか……」
「いや、悪いな。なんでもないんだ」
「なんでもないわけありませんよ……! 人の顔見て笑ったんですから! ううう……フランカが私の寝顔に落書きしたときの話でも思い出したんですか」
「あぁ、うん、それでいいや」
「ひどい! さらに笑った!」
俺が現実に戻ってきたことを確認したらしく、嘆きながらもどこか嬉しそうに、リスカムはとなりに座り直した。尻尾についた草の汚れを取り、それから彼女はしきりに居住まいを正した。
なんの話をしていたのか思い出せないが、用は済んでいるだろう。そしてリスカムは余計な話をあまりしない。俺と一緒にいても沈黙が募るだけだ。
もういなくなると思ったからこそ俺は一人の世界にいた。
なかなか立ち去らないリスカムに「早く寝ろ」と注意しようと横を向く。首を傾げたまま俺を見ていた彼女と目が合った。
「あっ――すみません。つい」
「つい?」
「え? あぁ……え? 私そう言いました?」
「お前なぁ……」
手が空中のあちこちをさまよって、最終的にスカートの上で重なる。俯いてしまったので表情は見えないが、わずかに頬が赤くなっていた。尻尾がびたびたと木の幹を打つ音が聞こえる。
気まずさと気恥ずかしさのこもったような横目でちら、ちらと見られ、言いようのないいたたまれなさを覚えた。
「なんだよ」
自分でもはっきりと分かるほど面倒くさそうな声だった。
リスカムはそれでも言い淀み、ついには口を開いた。
「……ここ数日ずっと、考え事をしているように見えたので」
「あぁ。まぁ、ちょっとな」
急かしてむりやり口を開かせたみたいで悪い気はした。垂れこめる重たい沈黙から思考に逃げた。
ルトナダから言われたことにビリアが悩んでいて、俺に助けを求めてきた。その件だろう。今さっきのようにまったく関係ないことを考えていたりもするが――思考が急に脱線し、そういえば、リスカムとフランカも
一度話し始めたことで勢いづいたのか、先ほどまで小さかったリスカムは開き直ったように堂々としていた。
「珍しいんですよ。ゲントビリアが、剣幕の鋭さが紛れるくらい考え事に集中するのって」
「俺のことどう思ってるんだよ」
「さっきのお返しです」
「あれはお前が勝手に自爆したんだろ。飛び火させんな」
ぶっきらぼうに言ったのには、自分の揺れを隠すためでもあった。察されたくない事実だ、と思い、やはり心のどこかで考えないようにしていた問題なのだと思い直す。
何かを隠す手段が暴力的な態度しかないのは、まぁ仕方ない。仕方ないけれどもっとうまくやれるような気もしてもどかしかった。相談という響きが嫌いなだけだ。すべてを自分の判断で決めなければならないのに、それができないと言われている気がして。どうやってボリバルでの日々を生きてきたのだと笑われる気がして。
「それで、まぁ、なんだ」
「秘密の管理も任せてください。口は堅いほうですよ」
蜂蜜色の瞳からは柔和な印象を受けた。彼女なりに冗談を言って、相談しやすい雰囲気を作ってくれているのだと思う。
ため息がこぼれ落ちる。
リスカムはそれ以上は何も言わなかった。
仲間から浮いていたほうが遂行しやすい作戦もある。同情は薬にも毒にも害にもなる。
変に揺らがないためには、そもそもの話、親密にならなければいいのだ。こいつのためになら命を張れる。そう思う相手は一人で十分だった。そう何度も賭けられる命じゃない。一か八かで何度も生き残れるほど俺は強くない。
影を重ねると、それだけで影は濃く浮かび上がる。複数の方向からライトに照らされて生まれた無数の影が、頭から足先に向かって濃い無彩色のグラデーションを描くように、重なることで色彩が鮮明になる。
人も同じだ、と思う。自分の大切と重なっている部分が多い人ほど、脳裏に焼きつく影は濃くなる。意識と視界の裏に居着いて離れない。
「自分以外の趣味を見つけろって、ルトナダから言われたらしいんだよ。ビリアが」
「……ビリアの趣味が、ルトナダさん?」
「いつも一緒にいるだろ。あの二人。ビリアがルトナダを最優先にしてるのがどうにも、ルトナダはあんまりうーんって感じらしくてな。で、せっかくロドスっていう比較的安全な場所に来たんだから、害のない人物が多い場所に来たんだから、何か見つけてみろって。自分はそのうちいなくなるから、って」
最後の一言でリスカムが悲しそうに笑う。脳裏で光の粉塵が昇ったのだと思った。
身じろぎをしたリスカムは尻を浮かせて俺に近づく。
「それで悩んでいたんですか。ゲントビリアも?」
「俺はあの二人のいざこざはどうでもいい。ビリアの望みを叶えるための人格が俺だから、俺に考えは必要ない。ただ、ビリアが悩んでいるのがなんだかもどかしくてな。あいつがどういう選択をするのが正解なのかよく分からん」
少し間を置いて「フランカとはどうなんだ。お前たちも、そうだろ」と言った。
デリケートな部分に踏み込んでもいいのか分からなかったけれど、リスカムはそう言われるのが分かっていたように俺を見つめ返した。言葉尻を落として「はい」と頷く。
「フランカとは確かに、そういう雰囲気になることがあります。未来のことは分かってるでしょ、分かってたことでしょ、みたいな。私たちはそれを防ぐために戦っているので、どうなんでしょう……覚悟が決まっているんですかね? それとも、もしも、治療がうまくいかなかったときにとても後悔するんでしょうか」
「お前たちも分かってないのか」
「分かってないんじゃなくて、分かりたくないんだと思います。どうしても難しい問題だから、考えたくないんですよ。思っても言えませんし」
リスカムは背中を丸めて膝を抱く。尻尾が腕に添えられた。彼女は爪先をじっと見ていた。「だから」とゆっくり顔が上を向く。
頭上では星がきらめいていた。俺たちはどうして、最後には最も明るい命のきらめきになってしまうのに、星に希望を抱くのだろう。
ただ願うだけでは何も救われない。でも光を見つめては焦がれてしまう。
「正面から没後を見据えて話せるルトナダさんは強いですね。私たちも考えないといけないのかなぁ……」
リスカムは空の向こう側を見るみたいに遠い目をしていた。星が人の心まで照らせたら、きっとあんなに綺麗には輝けない。人の心は見えないほうがいい。
「ゲントビリアはどう思っているんですか?」
「何が」
「ルトナダさんと別れることを」
「さぁ。言っただろ。俺は考えを持たなくてもいいって」
何が違うんだか分からないけれど、リスカムはむっとした顔で「そうじゃなくて」と言った。
「ビリアは嫌がっている。じゃあ俺も、そうならないように動くだけだ」
「……ですから、ゲントビリアはどう思っているんですか?」
「知らん」
俺には意思が必要ない。仕方なさそうに笑ったリスカムは、「話したくないですもんね」と呟く。手のひらに乗った小さな生き物に語りかけるみたいだった。
雑草の下から飛び出してきた昆虫が、ぱたぱた羽ばたいて遠くの茂みへと移る。身を隠すために身を晒すのがなんだか滑稽だった。
相手を大切にしているからこそ遠ざけようとするのも滑稽だと思ったけれど、いつか訪れる別れの準備をしていないのだから、仕方ないのだろうか。
「でも、いつか考えないといけないんだろうなぁ」
心から滲み出たような呟きに、思い切り殴りつけられた感触があった。
睨んだらリスカムは仕方なさそうに笑って、それ以上口を開くことはなくなった。似た境遇だからこそもう少し話したかったのかもしれない。
リスカムはずっととなりで夜空を見ていて、気がついたときには眠っていた。横抱きにしてテントに行くと、フランカは見ている俺がイラッとするような表情を浮かべた。
「置いていく」
「すっかり仲よくなったわね」
「生活指導を受けただけだ」
「ふ~ん、あなたは手のかかる生徒だものね。私もそう思うわ~」
「教師のふりするガキが一番手に負えんさ」
「ちょっとどういう意味?」
「自覚があるのか? 誰のことを言ったつもりでもなかったが」
「あんたね!」
腕の中でリスカムの瞼がぴくりと動いた。
俺たちは顔を見合わせ、まずは俺が顎をしゃくる。
納得いってないんですけど、と表情で語ったフランカが人さし指を俺に向ける。
顔をふいとそらし、俺はリスカムをベッドに寝かせた。
それから物音を立てないように二人して外に出た。
テントと外とを仕切る幕が垂れると、一気に視界が暗くなる。俺とリスカムは先ほどまで闇の中で話していたような気がした。
夜風は水気を含んでいて、戦場との空気とはかけ離れていたから、違和感に肌がぴりついた。
「俺たちは……お前たちのようにはいかん」
フランカはとなりに並んで俺の顔を覗きこんだ。後ろに回した手を組んでいる様子が女子っぽいなと思った。
リスカムもフランカも黒を貴重としたタイトな戦闘服なのに威圧感がまったくない。
前が開いたオーバーコートが風で膨らみ、薄灰色が広がった。俺が人を寄せつけないのは、この格好の他に、ちょっとした仕草なんかが刺々しいのかもしれなかった。今だって無意識のうちに手をポケットに突っこんでいる。こういうところだ。
しばらくしたあと察したらしく「でしょ」とフランカは満足げに笑った。
「どうすればいいんだろうな」
「割り切るためにってこと?」
「あぁ」
フランカは察しがいい。自分とリスカム、ルトナダと俺、という組み合わせからすぐに答えを導き出した。
ふぁふん、みたいな音で彼女の尻尾が大きく一度振れた。
「知らないわよ」
言葉自体はぶっきらぼうだったけれど、穏やかな、慈しみみたいなものがこもった、知らない。自分の意思で物事を決められない子どもに、まずは決めてみたら、と背を押すようなやわらかい声だった。責任の所在は見ていない。
「まずはちゃんと話してみたら? あなたには逃げ癖があるわよ?」
「逃げ癖があったほうが生き延びられたからな」
「またそうやって話をそらして。生きるステージって言っちゃうと仰々しいけど、いつまでもボリバルにいたころと同じ感覚では駄目よ。戦う理由も、生きる理由も、生活を営む風景も、絶対に変わっているから」
「……ボリバル出身だって言ってたか?」
「あなたからは聞いてないわね」
「ほら」とフランカはテントを振り返る。
「よく覚えてるもんだよ」
「ほんとそうよね。最初はあなたのプロファイルを見て頭いたいって顔してたのに」
喧騒も、平穏も、命をすり減らした日常ですら。同じ速度で失われていく。
ロドスに来てからの年月を、無意識のうちに数えないようにしていた。
「え、無視?」
「考えてみる」
「違う話してない?」
片手を上げて一歩を踏み出す。俺も明日に備えたほうがいい。
背中におずおずとした声が投げられた。
「これは私が鉱石病かどうかに関係なく言ってたと思うんだけど、これからもリスカムと仲よくしてね」
「……となりを奪う気はない。勝手に消えると呪われるぞ」
「言われなくても分かってるわよ」
おやすみの声は森の闇に溶けいった。