野上武志先生『はるかリセット』(秋田書店チャンピオンRED/チャンピオンクロス)から観音さんと広瀬ちゃん主役のオカルトホラー

用宗旅行の帰りに訪れた茶屋で奇妙な現象に遭った観音と広瀬は、その謎を突き止めるため、潜入を試みる

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第1話

 照明を落とした車内、モニターに照らされた観音の顔は、いつになく真剣だった。彼女の視線は車道を挟んだ向かい側にある小さな茶屋に注がれている。

 

 瓦屋根の木造建築で、暖簾には「もち」の文字。住宅地にありながら百年以上前から取り残されてきたような外観であるが、ことさら関心を引く特徴はない。しかし、観音の目には好奇の色が浮かんでいる。

 

 運転席に座る広瀬はそわそわと落ち着きなく、観音と茶屋を交互に見る。どうか勘違いでありますように、何も起きませんように。彼女の祈りは観音の好奇に劣らぬほど真摯であったが、同時に、何も起こらないわけがないという諦めもあった。

 

 茶屋の明かりが消えて、一時間ほどが経過していた。辺りはすっかり暗くなり、明かりといえば街灯のおぼつかない光のみ。

 

「そろそろ行こうか」

「本当に、やるんですか?」

「ここまで来て引き下がるわけにはいかないからね」

 

 返事を待たずに観音は車から飛び出すと、一直線に茶屋へと向かった。

 

「ああもう、しょうがない」

 

 広瀬も観念した様子でエンジンを切ると、観音を追いかけて行った。

 

 これから二人は、餅屋に忍び込む。

 

 

 きっかけは観音の何気ない一言だった。

 

「大将が二人いたね」

 

 用宗を訪れた一行は、帰りがけに広瀬の希望で地元の茶屋に向かった。老舗の餅屋であり、広瀬が幼少期によく訪れていたのだと言う。粘り気のある白い餅にあんこやきな粉をまぶした名物は素朴だが滋味深く、茶屋が川辺に位置しているのも手伝って、一行はしばし風流を堪能した。その帰りがけ、東京に戻る車内で観音が突然言い出したのだ。

 

「僕たちが注文した時に、青い作務衣の大将が大きな餅を切り分けていたじゃない?」

「あの大入道みたいな人ですよね」

 

 まひろがあっけらかんとした様子で答える。

 

 鉢巻をしめた坊主頭の大柄な店主らしき男性はなるほど、武蔵坊弁慶あるいは妖怪の大入道のような出で立ちであった。茶屋の主にしては巨体であったが、必ずしも珍しいわけではない。

 

だが、

「そう、それが二人いたのさ」

「どういうことですか?」

「僕たちが食べ終わる頃に大将は店の奥に引っ込んでいたけれど、店を出る時に、もう一度見えたんだ。それは先とは違う黒の作務衣で、全く同じ人間に見えた」

「着替えただけじゃない?」

「わざわざあんな短時間で着替える理由があるとは、僕は思えないね」

 

 車内は少しの間、静寂に包まれた。

 

「観音さんやめてくださいよ」

「うんうん、いくら妖怪みたいな見た目だからって」

 

 はるかとまひろは楽しそうに笑う中、観音はやはり何か思うところがあるようで、難しい顔で黙り込んでしまった。

 

「そういえば、小さい頃にも、あの大将にそっくりな人がいた気がします」

 

 運転する広瀬が一拍遅れて答える。

 

「またまた」

「広瀬ちゃんも人が悪い!」

 

 観音と広瀬は、静かなままだった。

 

 

 茶屋の大入道について車内の会話はそれきりだったが、翌日、広瀬から観音に連絡があった。

 

「先日はありがとうございました!」

「こちらこそ。何かあったのかい?」

「用宗の後に、あのお餅屋さん覚えてますか?」

「ああ、もちろんだとも」

「あの後、父にも聞いたんです。お店の主人の見た目を」

「全く同じことを言うんです」

 

 坊主頭の職人は珍しくない、はずだった。

 

「ただ観音さんが二人いたって仰っていたのがどうにも気になって」

「行こう」

「え?」

「もう一度、行こう。そんな風に聞いたら、夜しか眠れなくなっちゃうよ」

「は、はあ」

「善は急げだ」

 

 

 

 翌週、観音と広瀬は二人だけで再度茶屋を訪れていた。暖簾をくぐり、店に入る。

 

「いるね」

 

 観音は広瀬に目配せする。店の奥にはあの時と変わらない姿の大入道がいた。青の作務衣にねじり鉢巻きで餅と格闘している。

 

 観音は涼しい顔をしているが、今度ばかりは広瀬に思い出の味を楽しむ余裕はなかった。

 

 餅を喫食している間、もう一人は現れなかった。

「やっぱり気のせいだったんでしょうか」

「だと良いのだけれどね」

 

 含みのある言い方で観音は辺りを見回す。

 

「広瀬くん、お手洗いを借りなさい」

 

 茶屋のトイレは古い日本家屋のように母屋と厠が分かれていた。観音の意図に気付いた広瀬は躊躇った様子であったが、無言で圧をかける観音に負けると、渋々声を上げた。

 

「すみません、お手洗い借りたいんですけど、外のが壊れちゃってるみたいで」

「ごめんなさいねえ、こちらお使いください」「さ、どうぞ」

 

 店の女将に、母屋の奥まったところへと案内される。短い廊下には餅の製造に使うのだろうか、見慣れない器具や小豆の入った袋などが積まれていたが、広瀬の目では変わったものは見つからなかった。キッチンあるいは仕込み場に通じる扉はなく、大将の存在も確認できない。

 

 広瀬が戻ると、観音は戸口の前に立っていた。

 

「ただいま戻りました」

 

 広瀬は小声で言う。

 

「特になにもなかったです」

 

 近付くと観音は目を大きく見開いたままで、ただならぬ様子だ。

 

「どうかされましたか?」

「広瀬くん」

「見てしまった」

「二人目を見てしまったんだ」

 

 観音のここまで余裕がない表情を見るのは広瀬にとって初めてのことだった。

 

「僕はいったん外に出るフリをして、縁台に座っていたんだ」

「確かに、間違いなく、この目で二人目を見た。別々にじゃない、同時に、僕の視界にあの大将が移った」

「彼、いや彼らに見られたんだ。僕が何を見ているのか、気付いていた」

 

 

 

 来訪は三度目であったが、夜の人気のない茶屋の周りは、初夏にも関わらず肌寒い。

 

 母屋から人の気配が感じられないことを確認すると、二人で辺りを調べて回った。外観の様子は昼と大差なく、至って普通の家屋である。

 

 締め切られた戸口の前に立った観音が口を開いた。

 

「監視カメラはなし。扉の鍵も備え付けの簡易なものだ」

「観音さん。敢えて聞きますが、このまま入るつもりですか」

「もちろんだとも。ここで逃げたら名が廃る」

「わたしは廃るほどの名もないですけどね…」

 

 広瀬がぼやくうちに観音は懐からアーミーナイフのようなものを取り出し、慣れた手付きで鍵をこじ開けてみせる。広瀬は何か言おうとしたが諦め、観音の後に続いた。

 

 明かりの消えた店内は冷え切っていて、生活感のあった昼の様相とは別の世界のようにも見える。一段上がった座敷には有名人のサインが並べられているが、暗がりで見るとお札のようだ。

 

 誰もいないことに安堵する暇もないまま、観音は仕込み場へと突き進む。仕込み場には餅つき機を始め、豆を煮るための釜などに加えて、用途のわからない大型の機械が所狭しと並んでいる。年季の入った建物にしては清潔で、中はかなり近代化されていた。

 

「広瀬くん、どう思う」

「どうって、お餅屋さんのキッチンに入ったことなんて初めてなのでわからないですけど、結構機械化されてるんだなあって」

「うん、その通りだ。店の規模に対して大した設備じゃないか。しかし、仮にこれだけの機械を同時に動かすとなると、家庭用の電源では十分ではないはずだ」

 

 観音は屈んであちこちを探ると、餅つき機の隅に視線を落とし、軽く手を振って広瀬を呼び寄せた。

 

「ここだ、これが怪しい」

 

 木製の床板の一角に、金属製の取っ手が隠れている。一見すると床下収納の扉のようであったが、すぐ隣には各機械から伸びた配線が集中している。下に何かがあるのは明らかだった。

 

「開けるんですか?」

「今さら何を言うんだい」

 

 不敵な笑みを浮かべた観音は広瀬が止める間もなく取っ手を引いた。

 

 金属同士が擦れる耳障りな音が大きく響く。地下には広い空間があるようだった。広瀬がスマートフォンで照らすと、螺旋階段が姿を現す。底は深く、暗く、光の届かないところまで階段は続いている。

 

 もう引き返せない。広瀬はごくりと唾をのんだ。

 

 階段を下りた先には、薄暗い廊下が続いていた。ひんやりとした空気が肌を刺し、かすかな機械音が遠くから聞こえてくる。

 

「ただの坑道ではないようだね」

 

 観音は壁を撫でながら言った。天井から床まで床板が張られており、しっかりとした造りに見える。

 

「これ、なんて書いてあるんでしょう」

 

 広瀬がところどころに貼られている和紙の破片を指した。形式は神札に似ているが、漢字やひらがなとも異なる記号のようなものが記されている。

 

「ふむ、梵字に似ているけれど、見たことがないな。それに万葉仮名も混じっている」

「呪文、とかでしょうか?」

 

 広瀬は声を震わせた。

 

「これだけでも興味深いけれど、先を急ごう。今解明すべき謎はこの先にある」

 

 怯える広瀬を気遣ってか手を握ると、観音は機械音のする廊下の奥へ歩み出した。

 

「観音さんは怖くないんですか」

「怖いか怖くないかで言ったら、怖いね」

 

 広瀬が意外そうな顔をすると、観音は咳払いするように言う。

 

「おいおい、僕をなんだと思ってるんだ。ギョーカイでは怖いものなしとはいえ、こんな状況に慣れるほどの海千山千ではないよ」

「それでも好奇心の方が勝る、ですか?」

「その通りさ」

 

 答えとともに何かに気付いた様子で観音は急に声のトーンを変えた。

 

「そう、我々は今、常識の外側に進みつつある。この先に何があるか想像もつかない。だが、この先で見つけるものにどのように向き合えばいいのだろうか」

「どう向き合うか…」

 

 広瀬は観音の言葉を反芻した。

 

「それはつまり、見て見ぬふりをできるかってことですか」

「そうだ。僕は……今判断することはできない。どのような答えを出すにせよ、全てを見極めてからだ」

「それも無事に帰れたらの話ですが」

「しかし考えてみたまえ、ここまで我々は何もされなかった。この地下のことも、知らなかった。危険かどうかはわからないが、害を為す意図は感じられない」

「でも、もし本当に危険なものがあったらどうするんですか?」

 

 広瀬は声をひそめながらも食い下がる。

 

「広瀬くん、それを決めることができるのは我々じゃないかもしれない。判断を避けるのも、また一つの判断だ」

 

 観音は歩みを止めて、振り返った。

 

「君はどうしたい?」

 

 広瀬は言葉を失ったまま、視線をさまよわせた。廊下をかなり進んだはずだが、ここの壁にも、神札がところどころに貼られている。観音の冷静さとは対照的に、広瀬は不安を隠せないでいた。

 

「わたしもまだわかりません。ただ、何かが間違っている気がします」

 

 観音は小さくうなずく。

 

「それでいい。大事なのは、備えておくことだ」

 

 やがて廊下の終点に、分厚い金属製の扉が現れた。観音が目で合図すると、二人で扉に付いたレバーを握る。

 

 重々しい音を立てて扉が開かれると、そこには工場のような空間が広がっていた。天井から吊り下がったライトが餅や食品を加工する目的を持たないであろう大型の装置やタンクを照らし、静かな稼働音が響いている。機器類に取り付けられたディスプレイには何らかの数値と、先に見た神札に記してあった記号が映し出されている。

 

「こんなものが地下に…」

「科学と、陰陽術の融合か。そして、それだけじゃない」

「ひっ」

 

 広瀬が悲鳴をあげる。観音が指差した施設の奥には人形のような影が、否、ヒトがいた。

 

 大入道が数十体、整然と並べられている。二人どころの話ではない。

 

「まさかクローン…」

 

 広瀬は並んでいるのではなく、並べられていると感じた。彼らは完全に停止していて意識があるようには見えず、彼を見たことがなければ、マネキンだとも信じられたはずだ。だが、彼らの質感が、そしてそこにある存在の重力が、間違いなく生き物であることを告げていた。

 

 服のみから判別することはできなかったが、以前に見た青い作務衣と黒い作務衣の大入道も確認できる。彼らもまた、停止しているようだった。

 

 観音は立ちすくむ広瀬の手を引いて彼らに近付く。

 

「観音さん!」

「大丈夫だ、多分。彼らの目には何も映ってないようだ」

「だからって!」

 

 観音は手前にいる一体に向けて明かりを向けた。彼の眼はどんよりと曇っていて、反応を示さなかった。身体をのけぞらせていた広瀬が近くのディスプレイに吊るされた、古い帳簿のようなものに気が付く。

 

「これ、観音さんなら読めるんじゃないですか」

 

 帳簿は神札の記号ではなく古文書のように見えた。観音は帳簿をめくりながら唸る。

 

「これは、彼らの膨大な記録だ。独自の用語が多くて詳細はわからないが、どうやら彼らはクローンではなく、ヒトの肉体を持った式神に近いらしい」

「式神ってそんな無茶苦茶な」

「最も古い記録は、天保…。つまり200年近く前になる」

「200年!?遺伝子が発見されるよりずっと前ですよ!それに天保ってあの」

「ああ、飢饉があった元号だ。どうも無関係ではないらしい」

 

 観音が解読する限り、最も古い記録は天保十年ほどまで遡る。

 

 洪水と冷害によってもたらされた飢饉は、この餅屋も例外なく襲った。餅屋の主人は「餅の味を絶やさないこと」と飢餓からの脱却を目指して人体、そして自身を複製する方法を模索していたようだ。家に代々継がれていた陰陽術に加えて神道の秘術と大陸の奇術、そして蘭学から得た西洋の技術を用いて遂に複製に成功を収めた。

 

 だがその結果、複製された自分たちが一心に餅を作り続ける異様な光景を生み出してしまったという。事が明らかになれば餅の味の維持どころではなかった。式神の耐用年数は長く、自分自身を破壊する勇気も湧かない。主人は自身たちを地下に隔離するとともに、一定数の自身をローテーションで停止させ、世間からその存在を隠した。

 

 このようにして主人が同時に二人存在する餅屋が誕生したのだった。

 

「わけがわからなくなってきました」

「安心したまえ、僕にもわからない」

 

 観音は帳簿を元の位置に戻すと、こめかみに指を当てて考え込む。

 

「事態は常識の外とか中とか、そんな問題じゃない。だが、我々が何をすべきかは明白だ。いや何をすべきではないか、か」

「彼らを助けるべきです」

 

 広瀬は並べられた大入道たちを見ながら言った。

 

「彼らは望まない状態で、ただこうやって命を止められています。式神だかなんだかわかりませんが、かつての主人を模したのであれば意思がある。放置するわけにはいきません」

「それは早計だよ。現にこうやって彼らもこの施設も維持されてきた。彼らの問題は彼らに任せるべきだ。第一、技術的に僕らには手に負えない。これが誰かに知られれば、それこそ彼らは実験台の上で磔にされることになる、それも永遠に」

 

 広瀬は語気を強めて反論する。

 

「わたしたちは、意味のない命令に従う多くの命を無視するのですか?」

 

 広瀬の言葉に反応して突然、二人の大入道が動き出した。青と黒の大入道だった。

 

 観音と広瀬は思わず後ずさる。が、彼らに害意はないようだった。彼女たちの姿を確認すると、事態を呑み込んだようで、青の大入道が口を開く。

 

「話は聞こえていた。なぜここにいるのかは敢えて聞くまい。それでもあなたたちの問いに応えよう」

 

 黒の大入道が続く。

 

「私たちは餅を作り続ける。それが命じられた役目だからだ。だが、それだけではない。私たちは、自らの意思で、それを続けたいと思っている」

「自らの意思で…」

 

 広瀬は茫然と彼らを見つめる。

 

「私たちは道具ではない。元の人間ではなくなったとしても、この味を守るという誇りがある」

 

 彼らの目には漲る意志が感じられた。広瀬は、自らの意思だと認識することこそが彼らに課せられた命令である疑念は拭えなかったが、彼らを説得する言葉を持たなかった。

 

「決まりだね」

 

 観音は広瀬の様子に安心したようだった。そして彼らに向き直る。

 

「僕たちをどうこうしようとは思わないのかい?」

「このような事態に対する命令はない」

 

「が、これまでが幸運だったのかもしれない。我々は我々の存続が危ぶまれる状況に備える必要がある。今回のことは重要な教訓になるだろう」

「安心したまえ、とは言い切れないが、口外しないと約束しよう」

 

 観音は広瀬に視線を送る。

 

「わたしも、口外しません。というか、できないですよこんなこと…」

 

 大入道たちは笑顔をみせた。

 

「ありがとう。出来ればこの施設のことは忘れて、ただ、餅を食べに来てくれ」

「もちろんだとも」

 

 こうして、観音と広瀬の奇妙な地下探検の幕は下りたのであった。

 

 二人は約束通り、この事件を口外することはなかった。しかし、お餅を食べる時、和菓子を買う時、地下に何が潜んでいるのか想像せずにいることは難しかったそうだ。

 

(餅屋の地下で 終 )

 


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