頭のおかしい奴は、一定量いるものだ。
人間には色々な性格の人がいる。優しい者、厳しい者、大人しい者、活発な者。それらはほとんどの場合、環境によって育まれてゆく。しかし……極稀に、生まれつき邪悪な者が生まれることがある。そして、それは大抵の場合、誰かにとって最悪の存在となるのだ。
「キィィィィアァァァァァ!!!」
「やめて、やめてぇぇ……!!」
「また始まったよ……」
男の子の耳元で、男が奇声を上げ始めた。周囲はそれに呆れたように、無視を決め込んでいる。この男……打樋 泰(うてび たい)は、いつもこうして男の子の耳元で奇声を張り上げ続けていた。男の子は、耳を塞いで耐えているが、それでも打樋は叫び続けている。そんな時、突然打樋が拳を構えて……男の子の腹に打ち込んだ。
「ごぁっ!!」
「キェェェェェッ!!! キィィィィィィ!!!」
「ひぃ、ひぃぃぃぃ……!!!」
男の子がどこに逃げようと、追いかけてくる。耳障りな奇声と理不尽な暴力、それは男の子の精神をえぐり続ける。休み時間中でも他のことを放り出して、男の子を痛めつけることだけ考えている。
「ごぅっ……ぶっ!!」
「ほら、お前らもやってみろよ。楽しいぞ」
「マジ? それじゃ、俺も……オラッ!!」
「がはぁ!!」
打樋は仲間まで呼んで、集団で男の子を痛めつける。それを止めるべき先生は見て見ぬふり。ここに男の子の味方は、一人たりともいなかった。そこで、チャイムが鳴り響いて、打樋達の動きが止まる。
「あ、授業始まるじゃん。トイレでスマホ触ろっと」
「それでは授業を始めます……吉川くん、大丈夫ですか?」
「……はい。大丈夫です」
なにを言っても無駄なことは、被害者自身が一番よく知っている。だから吉川は、いじめが更に酷くならないように口を閉ざし続けている。吉川は不登校になることも考えたが、親はそれを許してくれなかった。
『いいか、休んだら奴らは成功体験を得てつけ上がる。絶対に休むなよ、晴輝』
「……辛いなぁ」
『無視してればいいのよ、そういうのは』
両親は両親なりに晴輝を気遣っているのだが、今は晴輝を追い詰めることにしかなっていなかった。そして、いつも通り痛めつけられて、ふらつく足取りで晴輝が歩いていると。
「あ、来た……」
吉川がそう呟く。また殴られるのだろう、そう思って身構える。しかし……打樋の手には、ハサミが握られている。そして後ろから忍び寄る仲間に、吉川は気づくことができなかった。吉川は突然後ろから、腕を捕まえて持ち上げられてしまう。羽交い締めにされたのだ。
「うわぁぁぁぁっ!?」
「よう。髪切ってやるよ」
「何言ってっ……ひぃっ!?」
打樋の持っているハサミが開く。そして、吉川にその刃を向けた。逃げられない状況で刃物を向けられて、恐怖しない人間などこの世に居ない。手足をバタバタさせてもがくが、打樋も仲間も吉川の抵抗を許さない。ハサミが、刃の冷たい感覚と共に髪の根元に向けられて……切り裂かれた。
──ズシャッ。
「ぎゃあぁぁぁぁーっ!!!」
「あー、悪い悪い。間違えたとこ切ったわー、今度は失敗しないようにするよ」
「がぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
激痛と共に、熱い液体が頭から滴り落ちる。皮膚ごと切り裂かれたのだ。それを見て笑いながら、打樋は皮膚ごと髪を切り裂いてゆく……そして、打樋の暴虐はそれだけでは済まなかった。
「あ、そうだ。お前の眉毛も切ってやるよ」
「ひっ……や、やめて……!!」
「遠慮すんな。オラァァァ!!!」
──ズジャウッ。
閉じられた瞼を突き破り、眼球を無慈悲な刃が捉える。絶叫が、学校中に響き渡った。先生が止めに入った時には、もう遅い。
晴輝は失明した。
如月が薬を手に出して、一気に水で飲み下す。如月にとっては、いつも通りの光景だ。しかし、それでも続く『刻印』の痛みに、如月は顔を顰めている。
「そろそろ限界なのかな……まぁ、それならそれで仕方ないか」
自身の生命が一切惜しくない如月は、そう呟きながら書類の整理を始めた。そんな中、無粋な声がまた外から響いてくる。いつも来ているアクティングの使者だ。
「如月くん、帰ってきなさい」
「絶対に嫌だね」
「なんだその口の利き方は!! アンタは、ここの利用者だろう!!」
如月は、利用者をとっくにやめた。それなのに奴らはしつこく金ヅルにしがみつき、脅してでも連れ戻そうとしている。その金への汚さに如月は、いっそ感心すらしていた。
「どうでもいい。貴様らに興味が無いんだ」
「『お母さん』だって、戻ってくるように言ってるんだぞ!!!」
「あんな奴が母であってたまるかッ!!!」
珍しく如月が、感情を露わにして怒る。いつもの冷徹な目ではない、怒りの籠った目だ。
「強情ですね。わかりました、それならこちらにも考えがありますから」
「なんでもしてこい。俺は絶対に屈しない」
「それでは、さようなら」
そう言って、アクティングの使者は去っていった。如月はため息をつきながら、奴らへの対策を考える。
「はぁ……何をしてくるんだか。とりあえず、盗まれないように大事な物は持っとくか」
預金通帳やクレジットカード、身分証などを如月が袋に詰めていると……インターホンの音がした。袋詰めを中断して、玄関に向かう。そこには40代の男が、そわそわしながら立っていた。
──ピンポーン。ピンポーン。
「はい、どなたでしょうか」
「うちのっ、うちの息子がぁぁぁ……!! 助けてください、お願いしますっ!!!」
「うぉっ、押さないで……!! わかりました、とりあえず中に入ってください!!」
ここまで焦っている客は珍しい。みんな切羽詰まっているのは変わらないが、この人よりは冷静だった。一体何があったのだろう。そう思いながら、如月は部屋に案内して、熱いお茶を入れる。
「どうぞ、とりあえずこれでも飲んでください」
「ありがとうございます……申し遅れました。私、吉川 龍二(よしかわ りゅうじ)と申します」
「吉川さんですね? 僕は如月 福司です、よろしくお願いします。今回はどのようなご要件で?」
それを尋ねると、吉川がまた怒りに震え始めた。握り拳を強く握り、食い縛られた歯が見える。
「あいつが、俺の息子が……俺のせいで、奴のせいで……あんなことに!! 畜生ッッ!!!」
「落ち着いて。僕に詳細を聞かせてください」
「す、すみません。結論から言いますと、高校のいじめでうちの息子が失明させられて……何針も縫う大怪我をしたんです」
失明。一言だけでも惨い響きだと、如月は思った……それと同時に、加害者の残虐性も察する。さっきの焦りに納得しながら、如月は続きを促した。
「その子のお名前は?」
「吉川 晴輝(よしかわ はるき)です。もうずっと震えて、何も出来ないような状況で……あいつには勝てないとか、もう二度と行かないって病室で言ってました」
「……精神状態も悪いか。当然だな」
改めて被害の酷さを再確認した如月が、次の質問をする。
「実際にやられたことは、どのようなことですか?」
「常に耳元で奇声を上げられたり、腹を殴られたり……クラスぐるみでいじめられたり、最後にはハサミを使われて……頭を切られて、最後には目も……」
「残虐ですね……」
如月の口から、勝手にその言葉が出てきた。あまりの残虐性に、如月も少し引いている。
「それを知らずに俺は、『休むとつけ上がるから行け』などと……!! クソッ、あの時の俺を殴ってやりたい!!」
「悔やんでも仕方ありません。して、そいつの名前は?」
「打樋 泰……有名ないじめっ子のようです」
話を聞き終わり、如月が提案したのは……弁護士への依頼だった。
「お言葉ですが吉川さん、法テラスなどは頼ってみましたか? それはいじめでは済まない重犯罪ですし……僕のやり方も、ハッキリ言って犯罪行為に当たります。法的に罰する方が、あなたにとっても良いのでは?」
「それが……学校が隠蔽しきれなくなったのに、奴らは色々な言い訳をして、そういう物を乗り越えてきているようでして。父が会社の社長で、母は有名なモンスターペアレントらしく……今まで訴えられていないところを見るに、無理だと思われます」
「……なるほど」
厄介な相手だと、如月は感じた。法的措置は取れない。何を言っても母のせいで通じないし、本人の残虐性も群を抜いている。ありとあらゆる面で隙がないが……しかし、目の前の相手を放っておくことは如月にはできなかった。
「わかりました。成功報酬は20万円でよろしいですか?」
「あ、ありがとうございます!! もちろんです!!」
「それでは、向かいましょうか。彼の病室に入りたいのですが……可能ですか?」
「はい、大丈夫だと思います!! 病室までお送りしますので、車に乗ってください!!」
如月にそう言って、吉川は車を走らせた。到着した病院は、ここら辺でも特に大きい病院。考えてみれば当然の話だ。失明しているのだから。
「如月さん、こちら入館証です」
「ありがとうございます。さて、行きましょうか」
「はい、よろしくお願いします。こっちです」
吉川に送られて、病室まで吉川と一緒に歩いてゆく。621号室、どうやらここのようだ。
「ユミ、入るぞ」
「あ、あなた!! 如月さんは……あぁ、如月さん!!」
「どうも、ユミさん。如月福司です、よろしくお願いします」
如月が礼をするのと同時に、ユミも礼をする。そこには顔に包帯を巻かれて、目を閉じたままの晴輝がいた。
「晴輝、晴輝。起きなさい、強い味方を連れてきたよ」
「……誰? 見えないからわかんない」
「はじめまして、僕は如月福司。君を助けに来たんだ。そして、奴を倒しにね」
如月がそう言うと、晴輝はため息を吐いて言った。
「無駄だよ、誰か知らないけど。あいつは何したって、絶対に倒せない。無敵なんだ」
「晴輝!! せっかく来てもらったのにそんな態度……」
「吉川さん、落ち着いて。君の意見も最もだ、打樋は僕から見ても相当の強敵。楽観視して挑むのは、死にに行くようなものだろうね」
如月がハッキリそう言う。晴輝は少し感心したような声を出した。
「へぇ、しっかりわかってるじゃん」
「これでも経験は多いものでね。しかし、そんなことになるとは……もう二度と目が見えないんだろう?」
「それだけじゃないよ。頭を何針も縫ったんだ、すごく痛かった」
晴輝はそう言って下を向いている。完全に諦めきっている声だ。
「辛かったな」
「そりゃあ辛いさ、もう二度と行かないよ」
「うん、妥当な反応だ。しかし……復讐する手段があるとすればどうだ?」
晴輝が興味を示す。そこに如月は、復讐心を持たせるために畳み掛けていく。
「……あるの? そんな方法が」
「ある。その為に俺は呼ばれたんだからな」
「あいつに効くの、それ?」
そう尋ねられた如月は、強い口調で断言した。
「今までどんな奴にも、効かなかったことはない」
「どうやってやるの?」
「君に奴がかけた『呪い』……つまり、トラウマとかそういう物を、俺が呪いとして奴に跳ね返す。すると奴は不幸のどん底に落ちていくって寸法さ」
あまりに非科学的な方法に、晴輝は疑いの声を上げたが、如月はそれを否定する。
「……それ、気休めの嘘じゃない?」
「絶対に違う、絶対に効果はある。俺の命を賭けてもいい」
「わかった。僕は何をすればいいの?」
納得したのか、晴輝がそう言った。そこで如月が最後の仕上げに入っていく。
「簡単なことだ。奴を憎んでほしい」
「そりゃあ、あいつのことは憎いけど……」
「もっとだ。世界で一番、これ以上無いくらいに憎むんだ!! 奴を絶対許すな、それが大きいほど呪いは大きくなる!!」
如月がそう言うと、晴輝はしばらく黙ったあとに強い口調で叫んだ。
「そうだ、許さない……あいつは絶対許さない!! 何があっても、絶対に!!」
「それでいい!! その気持ちを忘れるなよ!! ……さてと、今回は『従来の方法』は使えそうにないな」
「従来の方法?」
吉川の疑問の声に、如月が答える。
「いつもはこの後に、加害者を追い詰めて罪悪感を抱かせて、確実に加害者だけに呪いがかかるようにするんですが……今回は、それができそうにないので。『完全詠唱』を使用します」
「『完全詠唱』? なんですか、それは?」
「私が『呪詛返シ』を行うのに必要な呪文があるのですが、それはいつもは短縮版なんです。その理由はさっき言った通りですが……今回の場合は、打樋達が罪悪感を抱くビジョンが見えない」
如月の経験が告げていた。『奴らに罪悪感などない』と。それを肯定する声が、晴輝からした。
「あいつに罪悪感なんてないよ。そんなのがあるなら、ずっと前に先生に言われた時にやめてるはずだし」
「だろうな。だからこそ、罪悪感の必要ないこれを使用します……しかし、問題点は二つ。一つ目は詠唱が長いので、詠唱中に逃げられてしまうこと。二つ目は周りに影響が出ることです」
「えっ、逃げられたら意味ないんじゃ……」
如月が頷いて、話し始める。
「心配いりません。一度逃げられても、詠唱は奴に影響を与えて、蓄積しています。また途中から詠唱を始めれば、いつかは呪えるでしょう……詠唱し終わる時には、晴輝くんに一緒にいてもらう必要がありますがね」
「なるほど……周りに影響が出る、というのは?」
「それが本題です。さっき言った、『確実に加害者のみに影響を与える』ための過程が踏めないので……詠唱中には、周りに呪いの影響が多少ですが出ることになります」
それを聞いた三人が、一気に顔を顰めた。
「そんな、それじゃ罪のない人を巻き込んでしまう……やはり無理なのか!?」
「いえ、大丈夫です。指向性の弱化による呪詛の拡散で被害を受ける場合、元々誰かに強く恨まれていることで溜まった呪いが刺激され、それで呪いが発動してしまうことはあります。しかし、普通に生活をしている人は、日常の中で生まれる幸福感で相殺できる程度の被害しか受けません」
「やったことがあるんですか?」
そう聞かれて、如月は首を横に振った。
「やったことはありませんが、計算上はそうなっています。どうしますか? 拒否感があるようなら、やめるという選択肢も……」
「いや、お願いします」
「あなた!? 何言って……」
「このまま奴に逃げ切られたら、死んでも死にきれないからな。お前だってそうだろ?」
そう言って吉川は、深々と如月に一礼した。
「確かに、そうね……わかったわ」
「どうかお願いします。あなたの力で、打樋を倒してください」
「わかりました、お任せ下さい。確実に奴を倒してみせましょう」
そう言って如月は、病室を後にした。そして如月が、冷たい目へと目つきを変える。
「さて、準備をしようか……奴には、最大限恐怖を与えながら、呪詛をぶつけてやる。その方が効果が大きくなるからな……覚悟しておけ、打樋」
そう言って如月は、その準備をしに事務所へと歩いていった。
絶対に許さない。