「…ん、ねみぃな」
窓から差し込む陽の光に目を細め、有坂優太はベッドから起き上りながら呟く。ベッド横の机の上の時計は14時33分を知らせる。
「なんかメッセージ来てるかな」
すっかり日課となったネッ友とのチャットの通知確認を行い、適当におちゃらけた返事を書く作業。ここ8カ月近く続けていると、自然と指が動くようになった。ゲーム内で知り合った数年来のネッ友と下ネタ混じりの雑談をする、この時間が最近の唯一の楽しみになっている。
画面を開くと、いつものように彼女からのメッセージが表示されていた。
「おーい、また寝坊?昼過ぎに起きるとか怠け者すぎない?」
有坂は苦笑しながら指を動かした。
「昼過ぎに起きるのがプロゲーマーの基本なんで。知らないの?」
即座に既読がつき、彼女からの返信が返ってくる。
「は?いつからプロゲーマーになったのwただのニートでしょ」
「いやいや、FPSならトップ層だし」
「はいはいw そういうのは大会とかで優勝してから言いなさい」
そんな軽口のやりとりをしながら、有坂は微かな笑顔を浮かべていた。彼女とのチャットは、他愛もないけれど、自分の心を落ち着かせる唯一の時間だった。
しかし、その日は少し違った。彼女からのメッセージが不意に途切れ、数分間の沈黙が訪れた。
「どうした?」
思わず有坂の方から送る。いつもなら即レスの彼女が、何か考え込んでいるようだった。
少しして、彼女から短い返信が届く。
「ちょっと、話したいことがある」
その一言に、有坂の心がざわついた。
「話したいことって?」
彼がそう尋ねると、また少しの間があった後、画面に新しいメッセージが表示された。
「実は…リアルで会ってみたいんだ」
その瞬間、有坂の指は動きを止めた。ゲーム内で知り合っただけのネッ友と、現実で会う――そんな話を彼女が切り出すなんて、予想もしていなかった。
有坂はしばらく画面を見つめたまま、次の言葉をどう返すべきか迷っていた。現実で会うことを提案されるなんて、これまでの彼の生活からすると想像もしていなかった展開だ。
「……マジで?」
とりあえずそう返信すると、彼女からすぐにメッセージが返ってきた。
「マジ。ちょっとだけでいいから時間作って。どうしても話したいことがあるんだ」
「話したいことって何?」
「それは会ったときに言うよ。ネットじゃ話しにくい内容だから」
彼女の言葉に、有坂の胸の中で何かがざわついた。いつも軽口を叩き合う関係の彼女が、こんなに真剣な様子で言ってくるのは初めてだったからだ。
「いや、でもさ……お互い顔も知らないし、住所とかも知らないわけだろ?」
彼がそう送ると、彼女から意外な返信が来た。
「私は、有坂のこと少し知ってるよ。ていうか、名前本名で使ってるでしょ。SNSとか見れば割とわかる」
「……おいおい、マジかよ」
思わず焦る有坂。そんな個人情報を掘り起こされることになるなんて、考えたこともなかった。
「でも安心して、私はストーカーとかじゃないから。ただ、一度ちゃんと会って話したいんだ。それだけ」
彼女の言葉には不思議と説得力があり、有坂は徐々に心を揺さぶられていく自分を感じた。
「じゃあ、どこで?」
しばらくの沈黙の後、意を決してそう返信する。すると彼女は、すぐに候補の場所を送ってきた。
「最寄り駅の前のカフェ。人も多いし、安全でしょ?」
「まぁ、そうだな」
有坂は画面をじっと見つめながら、深く息を吐いた。
現実で人と会うなんて、久しぶりのことだ。ましてや、顔も知らないネットの相手。それでも、彼女との会話が彼の毎日の支えになっていたのは事実だ。
「わかった。いつ?」
彼が送ると、すぐに返事が返ってきた。
「明日の午後、14時とかどう?」
「OK」
簡単な約束が成立した瞬間、有坂の心は奇妙な期待と不安でざわついていた。
翌日、自分の部屋の窓から差し込む光は変わらず穏やかだったが、有坂の胸の中ではこれまでにない緊張が高まっていた。
翌日の午後、有坂は久々に外出の準備をしていた。くたびれたTシャツではさすがにまずいだろうと、クローゼットの奥から比較的ましな服を引っ張り出す。髪も鏡を見ながら適当に整えたが、どう見ても不器用な仕上がりだ。
「……こんなもんでいいか」
何度も鏡を見直すのも面倒になり、諦めて出かけることにした。
駅前のカフェに着くと、予想以上に人が多く、有坂は少し圧倒された。普段、家の中で静かな時間を過ごしている彼にとって、このざわめきは居心地が悪かった。
「……えっと、どこにいるんだ?」
彼はカフェの入り口付近に立ち止まり、スマホを取り出してメッセージを送った。
「着いたけど、どこ?」
すぐに返信が来た。
「カフェの奥の方、窓際に座ってる。黒いジャケット着てる女の子が私」
その言葉を読んで、有坂は深呼吸し、意を決して店内に足を踏み入れた。周りの人の視線が気になる気がして、少し俯きながら奥の窓際を目指す。
そして、彼女を見つけた。
黒いジャケットにロングスカートを履いた彼女は、スマホをいじりながらどこか落ち着かない様子だった。しかし、有坂が近づくと顔を上げ、彼と目が合う。
「……有坂くん?」
「……ああ」
彼女は微笑みながら立ち上がり、軽く頭を下げた。
「初めまして。思ったより普通の人でよかった」
「……そっちもな」
軽い挨拶を交わしながら、有坂はなんとも言えない気まずさを感じた。彼女の声は確かに、いつもチャットでやり取りしていた彼女のものだ。しかし、現実でこうして対面するのは不思議な感覚だった。
二人は席に着き、少しぎこちない空気の中で注文を済ませた。その後、彼女がゆっくりと口を開く。
「突然呼び出してごめん。でも、直接伝えたいことがあったんだ」
「伝えたいこと?」
彼女は少しだけ躊躇ったあと、真剣な表情で彼を見つめた。
「ゲーム内で言った私のこと、一つ嘘があるんだ」
「嘘って……どういうこと?」
静かな店内の喧騒の中で、有坂の声は彼女にだけ聞こえるように小さく聞き返した。
彼女は少し目を伏せ、コーヒーカップをいじりながら話し始めた。
「ゲームで私、ずっと“普通の学生”って言ってたけど……本当は違うの」
「普通じゃないって、どういうことだ?」
彼女はしばらく言葉を探すように沈黙した後、意を決したように顔を上げた。
「……私、学校にも通ってない。家からほとんど出られないんだ。ずっと引きこもりで、ゲームとかネットだけが繋がりだったの」
その言葉を聞いた瞬間、有坂は驚きつつも妙な親近感を覚えた。彼自身、ここ最近はほとんど家から出ず、ネットが唯一の居場所になっていることを自覚していたからだ。
「……そうだったのか。でも、それなら何でわざわざ会おうなんて?」
彼の問いかけに、彼女は苦笑しながら答えた。
「ずっとネットだけで繋がってるのは、やっぱりどこかで不安だったんだよね。リアルで一回会ってみたら、ちゃんと信じられるような気がして……変かな?」
「変じゃねえよ」
有坂は即座にそう答えた。彼自身も同じような不安を感じることがあったからだ。画面越しのやり取りは気楽だけど、それだけではどうしても埋められないものがある。
「それに、もう一つ理由があってさ」
彼女は少し視線をそらし、さらに小さな声で続けた。
「有坂くんと、リアルでも友達になりたかったんだ」
その言葉に、有坂は一瞬言葉を失った。ネットの中だけで満足だと思っていたはずの彼にとって、そんなことを言われるのは初めてだったからだ。
「……友達、か」
少しの沈黙の後、有坂は笑みを浮かべた。
「やっぱお前、変なやつだな。でも、まあ……悪くない」
二人の間に流れるぎこちなさが、少しだけ和らいだ気がした。その後も彼女は、自分のことを少しずつ話し始めた。引きこもりになった理由や、ゲームが支えだったこと、そして有坂とのやり取りがどれだけ救いになっていたか。
話を聞きながら、有坂はふと気づいた。この出会いは、ただの偶然ではなく、彼にとっても新しい一歩になるかもしれない、と。
彼女の話が一段落したころ、有坂は軽く笑って言った。
「じゃあ、これからも友達でいてやるよ。リアルでもな」
彼女は驚いたように目を見開き、それからふわりと笑った。
「……うん、ありがとう」
それは、これまでのネット越しの関係とは違う、新しい始まりの瞬間だった。
二人はその後も少しずつ言葉を交わしながら、カフェでの時間を過ごした。会話はゲームの話に戻り、最近好きなキャラや、直近のアップデートの話で盛り上がるうちに、気まずさはほとんど消えていた。
「でもさ、有坂くんって意外と話しやすいね。もっと無口で怖い感じかと思ってた」
彼女が冗談めかして言うと、有坂は肩をすくめて笑った。
「そりゃネットでしか話してなかったからな。本当の俺なんて、もっとしょぼいもんだ」
「そんなことないよ」
彼女は即座に言った。
「私から見たら、有坂くんはすごい人だよ。どんなときも冗談とかで場を明るくしてくれたし、なんだかんだで頼りになるし」
その言葉に、有坂は少し照れくさそうに視線をそらした。褒められることに慣れていない彼にとって、素直に受け止めるのは難しかった。
「……お前こそ、意外としっかりしてんじゃん。引きこもりとか言ってたけど、ちゃんと外に出てきてるし」
彼女は少し笑って肩をすくめた。
「まあ、今日は特別だからね。有坂くんがいたからできたんだと思う」
その言葉に、有坂の心の中にじんわりとした温かさが広がった。
気づけば、外の空は夕方の色に染まり始めていた。
「そろそろ行くか」
有坂がそう言うと、彼女も軽く頷いた。
カフェを出た二人は、駅の近くで別れることになった。
「今日はありがとう。本当に会えてよかった」
彼女が笑顔で言うと、有坂も少し照れながら返事をした。
「お前もな。また、なんかあったら呼べよ。ゲームでも、リアルでも」
「うん、絶対にね」
二人は軽く手を振り合い、それぞれの帰り道へと歩き出した。
自分の部屋に戻った有坂は、いつもと同じようにベッドに腰を下ろした。しかし、今日の出来事が頭の中をぐるぐると巡り、不思議と心が軽く感じられた。
スマホを手に取り、彼女にメッセージを送る。
「今日は楽しかった。また会おうな」
すぐに返事が返ってきた。
「うん、ありがとう。次はどこ行くか、考えとくね!」
画面の向こうの文字が、いつもより少しだけ近く感じられる。ネットの中の彼女との繋がりが、現実のものになった――それが何よりも嬉しかった。
「さて、今日もゲームやるか」
有坂は微かに笑いながら、PCの電源を入れた。リアルとネットが交わる新しい日々が、少し楽しみになってきた。
初めての創作でした。自分の想像に任せて書くというのは、やはり難しいですね。