モモトークをこまめに確認するタイプの先生と生徒たちの話 作:fenderlemon
『先生、先日はお世話になりました。是非お礼をさせて頂きたく、お茶会を開こうと思っています。お時間いただけますか?』
『もちろん! すぐに仕事を片付けるね!』
朝のティーパーティーの執務室にポン、と軽妙な効果音が鳴った。ナギサのスマートフォンだ。返信の主──先生からの反応は早く、かつ分かりやすい。断られるとは露ほども思ってもいなかったが、しかし返信が来るまで少しは怯えてしまうのが乙女心である。
連邦捜査部の顧問という仰々しい肩書きとおびただしい数の実績を持つ先生は、恐ろしく多忙だ。生徒のために心を砕く大人の女性。生徒には無い憂いのある顔をする麗人。表現は数あれど、目の下の隈は誤魔化す言葉が広まったことはない。シャーレの事務員求人がアルバイト募集サイトから消えたことはないし、D.W.の夜のニュースの背景には明かりの灯ったシャーレが映り込んでいる。日夜政務に勤しんでいるティーパーティーも大概だが、シャーレもシャーレである。
『楽しみにしているよ。また紅茶を持って行っていくね!』
常に疲れているからか、お茶会に必要のない物まで持ち込もうとしているご様子だ。ナギサは『私の方で全て用意するので、先生は無事にトリニティに辿り着くことを第一としてください』と送った。
歩けばトラブルに巻き込まれ、運が悪ければそのまま戦闘行為に巻き込まれてしまう先生のことだ。ひとつも褒めるところがないPETの紅茶を大量を持ち歩いていると、手が塞がって指揮ができないし、万が一トリニティに辿り着かれればナギサが飲む羽目になる。それは断固お断りであった。
今日のお茶会の目標は、先生をもてなすことである。より正確に言えば、紅茶の真髄を知ってもらうことである。もっと言えば──
「焼き菓子の用意をしましょう」
先生が訪れるだろう昼に向け、ナギサは調理室へ向かった。
◇
先生がティーパーティーのテラスにやってきたのは昼過ぎだった。気を遣って払って畳んであるようだが、白い外套には煤と埃が付いているし、何より髪から硝煙の匂いがした。
「ご、ごめんね。ちょっとトラブルがあって……」
「駅で事件に巻き込まれたのでしょう? 下り線のホームでトレインジャック事件があったと正義実現委員会から聞いています。協力して鎮圧して下さるのは嬉しいのですが、もう少しご自愛ください」
「うっ……」
「先生。私は『無事にトリニティに辿り着くことを第一としてください』と言いました。これは正義実現委員会の皆様にも通達していました。現地でも言われませんでしたか?」
「『ナギサ様が待っていらっしゃるので、そちらを優先してください!』って言われたなぁ……あはは。でもどんどん騒ぎが大きくなっちゃって、流石に見て見ぬふりが出来なくてね」
「……右頬を出してください」
へ? と困惑する先生の側へ寄り、煤で汚れた右頬をハンカチで拭った。こんなに汚れるくらいに至近弾を受けていたなんて。ナギサの心の内に不良への怒りと、統治が行き届いていない自身の実力への不甲斐なさが入り交じった黒々としたヘドロのような物が溢れ出た。
「あれっ、さっき鏡見たんだけどなぁ。慌てて走ってたから見落としてたんだね。ありがとう。」
にぱ。と笑う先生の笑顔が眩しい。そして、危うい。どんなに危ない目にあっても、まるで事象をねじ曲げたように無事でいることから、何らかのセーフティを所持しているのはナギサも把握していた。しかし、エデン条約の締結を行おうとしたあの日、彼女はテロリストによって腹部を銃撃され、重症を負っている。先生のセーフティは完全なものではない。それならば、先生には安全な場所にいて欲しいと考えるのは自然なことだろう。
今日だって本当は、シャーレにナギサが赴き休憩室に茶葉を持ち込めばそこでお茶会が出来たはずなのだ。しかし、それを許さないほどにティーパーティーは多忙であった。望んで引き受けている責務が、今ばかりは少しばかり鬱陶しいと思って、ナギサは何歳なのか検討もつかない艶やかな先生の頬を優しくつねった。
「いふぁい」
「これくらいは怒ってるんです。私は」
モチモチとした肌からすぐに手を離して、先生を席にエスコートする。初夏のテラスは少しばかり暑いが、他の学区よりは冷涼なトリニティでは、の話である。風が通りやすい分、涼しさを楽しめる環境ではあった。
「それでは先生。お茶会を始めましょう?」
「うん。ナギサ、よろしくね」
ティーセットが並ぶテーブルにワゴンを持って近づく。「まずはこちらを……」とナギサは先生の前にティーカップを置いた。爽やかな風に乗って紅茶の香りが広がる。
「わ、檸檬のいい香りだね」
「初夏と言えば柑橘類の果汁が美味しい時期です。トリニティ農園から初物を頂きましたので、レッドウィンターのオオフクロウ市場から取り寄せた茶葉と合わせてみました」
「トリニティ農園かぁ。中々行くタイミングが無くてね」
「庭園部や農業部。その他様々な部活がそれぞれ管理しているんです。先生に縁のない事も無理はないかと」
「……ええと?」
「収穫シーズンになるとヘルメット団やその他の組織が大規模な窃盗を企てて襲撃を企てることがあります。そのため管理する部活には予算を多めに割り当て、地雷原を敷設したり、所属する部員への戦闘訓練をしているんです。そのおかげで先生へ支援要請をするまでもなく鎮圧を可能としているんです」
「確かに、私が出る幕は無さそうだね。それに地雷があると私は動けないし」
「そういうことです。味はどうでしょうか?」
少しばかりの不安を滲ませながらナギサは先生の顔色を伺った。政治的な意味ではなく、純粋に美味しく煎れられているだろうか、という紅茶を愛する者としての立場がそうさせた。歴代のティーパーティーに収められてきた庭園部の特選品である。素材が悪いということはありえない。この紅茶が美味しくないとしたら、それはナギサの技量の問題である。少しだけ脈が早くなって、手が震えた。
「うん。爽やかで美味しいね。香りが凄い好きかも」
「っ! そうですか。それは……よかったです」
ウェルカムティーは大丈夫だった。その事実がナギサの緊張を緩めた。お茶会の印象の半分以上は、最初の一口で決定されるのだ。最初の関門は越えたと言っていいだろう。
普段ミカやセイアとお茶会を開く時はこうはいかない。気心が知れてるが故に実験的なお茶や菓子を出す事もある。例えハズレでも、三人で笑い飛ばせるのだ。だが、先生が相手だと、取り込みたい組織の長を相手する時以上に失敗したくなかった。
そもそも、ナギサは既に一度失態を犯しているのだ。コンブチャを取り寄せたつもりが昆布茶を出すという、大失態である。あの時は先生がPETの紅茶を大量に持ち込んだことと相殺したのだ、と自身を納得させていたし、先生にだけは弱い所を見られても大丈夫だという意識が生まれのだが──それはそうとして、一度はキチンとしたおもてなしをしたかったのも本当なのだ。
過去のマイナスを精算したい。マイナスからゼロへ、あわよくばプラスに持ち込みたい。先生に、先生に自分の煎れた紅茶を飲んで欲しい。一緒に茶葉を選びたい。一緒に併せる焼き菓子のレシピを調べたい。一緒に大切なティータイムを過ごしたい。公人に圧迫された余白に潜む私人としてのナギサが、小さな大声を上げているのだ。
「ナギサ。私、今までちゃんとしたアフタヌーンティーを楽しんだことがなくてさ、良かったら解説とか聞けるかな」
「それは是非とも。今日はサマーフルーツを主軸に置いて用意しました。先程のレモンティーのように柑橘類、マンゴー、パイナップル、パッションフルーツを使っています」
「夏らしい華やかさでいいね。こっちの方は甘くない物があるのかな?」
「セイボリーといいます。甘いものだけ食べているとお腹が疲れてしまいますから、塩気のあるものもあるんですよ」
「へ〜! ティーパーティーって甘いもの以外も出るんだ。これはコーンのポタージュかな?」
「甘みが控えめな品種を取り寄せた冷製スープです。こちらまで急ぐ中で汗をかかれたなら、こちらから頂くのも良いかと思います」
「そうだね。そうさせてもらおうかな」
この冷製スープに使われるコーンも勿論特選品だ。ゲヘナのものではあるが、品質がいいのであれば産地に文句は言わないし、先生の前では尚更そうするべきだろう。エデン条約は破談に終わったが、ゲヘナとトリニティにおける貿易レベルでの交流は以前より格段に増している。ゲヘナは火山地帯を有しているが故に鉱物が豊富だし、温暖な気候はトリニティには無い作物をもたらす。時間の流れが緩やかになりつつあったトリニティ市場も、今ではティーパーティー以上に忙しい団体になっている。
この流れも、元を辿れば先生がエデン条約を取り巻いた事件を解決したおかげだ。そんな先生がナギサのために時間を割いて、ナギサの手料理を食べている。何度も腹の底で確認したその事実が、せり上ってきてナギサの頬を染めた。
「冷たいポタージュって、凄い美味しいんだね! 冬に飲むもんだと思ってたよ」
「お口に合ったなら……なによりです」
先生は子供のような表情をすることがある。それは決まって上機嫌な時だ。口角を持ち上げながら「ん〜!」と嬉しそうに頬を持ち上げているのを見ると、料理人殺しなお方だと思ってしまう。事実、先生の周りには料理を得意とする生徒が沢山居て、シャーレに度々足を運んでいるとは直下の情報部から聞き及んでいる。……他の生徒のことはともかく、今はナギサの料理に舌鼓を打っている。それが目の前にある事実である。ナギサはいつの間にか入っていた力を眉間から抜いた。
「次は……これ! ムースかな?」
「ココナッツムースにフルーツ3種を乗せたものです。自信作ですよ」
「どれどれ〜、ん」
一瞬先生が真面目な顔をする。ナギサは先生が垣間見せる表情が好きだった。先生が頭を絞って生徒へ贈る言葉を考えようとする、その瞬間の顔だ。
「すっごい美味しい! なんて言うか、酸味がちょうど良くてスルリと入るね!」
「酸味は暑さに対抗するには必須ですからね」
「トリニティだとそうなんだ」
「と言いますと?」
「百鬼夜行だとどちらかと言えば辛い料理が出るし、ゲヘナなら塩気のある料理が出るんだ。けれどトリニティは涼しめだから、食欲を増進する酸味が出るんだな〜って 」
「そんなに違うのですか……」
「食事って本当に文化圏で違いが出るからね〜。果実が強いトリニティならではの味だね」
にっ、と笑う先生を見ていると少しだけ気を違えてしまうような衝動に駆られる。ナギサは努めて気を張り直し、空になったティーカップを替え、次の紅茶を注いだ。
「アッサムです。今日これが入ってくると聞いてから絶対に出そうと思っていました」
「……地名由来だけどあるんだ、こっちに」
「……? 先生?」
「いや、なんでもないよ。こっちの話」
「そうですか……。こちらのパイナップル入りのスコーンと合わせると、とても美味しいんです。」
「わぁ! 良い香りだ〜。クリーム多めに付けても、アッサムならさっぱりリセット出来るね。いくらでも食べられそう」
「それは……よかったです」
なんてことのない会話だった。特別な意図がなく、含む思慮がなく、ただ作り手と受け取り手が応じるだけの時間。揺蕩う風は涼しく、穏やかな時の流れがそこにあった。
「それはエキゾチックソースのパンナコッタです。作るの、大変でした」
「夏野菜のトルティーヤです。今年は豊作で丸々としたナスが来ているんです」
「ふふ、先生はレアチーズケーキが好きなんですね」
「先生、新しいお茶はいかがですか?」
────。
「ふぅ〜。満腹かも!」
「あら、張り切りすぎてしまいましたか」
時間は不可逆の概念だ。どんなに永遠を願ったとしても、終わりはすぐそこに大口を開けて待ち構えている。
トリニティ総合学園のティーパーティのホスト。生徒会長であるナギサが半日以上を割いて作り上げた楽園は、今まさに終わろうとしていた。
「ううん。ナギサはお茶会が好きなんだって凄い伝わってきて嬉しかったよ」
だが、無駄なものではない。先生が目の前で笑っていた。その事実があれば胸がすくような気持ちになり、少しは感じていた疲労も飛ぶように消えていった。この人は、本当に欲しい言葉を必要な時に話す人だ。ナギサは何度も飲み込んだ心持ちを、もう一度嚥下した。
「……はい。近頃は策謀を交わす場として使っていましたが──本来のお茶会というのは、こういうものなのです」
「うん。そうだね。相手の調子や場の雰囲気、天気に流れに何もかも。全部を見て、その場に合わせたお茶でもてなすんだね」
「……先生、私のお茶会、どうでしたか?」
「すっごく美味しかった! ひとつひとつにトリニティの自信を込めた皿ばかりだったし、ナギサが私のことを考えて作ってくれたんだって思うと、すごく嬉しいよ」
この場には二人しかいない。ティーパーティのホストではない、桐藤ナギサと先生だけだ。誰も見ていない。誰も聞いていない。なら、
「…………はい」
嬉しそうに紅潮する頬を隠す真似はしなくていいのだろう。熱を持った息を吐いてもいいのだろう。ちょっとくらい翼が揺れてもいいのだろう。
ただのナギサの心の表現を、目の前で等身大に受け止めてもらえる。ナギサにとって至上の喜びだった。
「今日だけで色んな茶葉を知れたし、次のお茶会も楽しみだ」
「……はいっ! いつ開けられるかはまだ分かりませんが、必ず」
「ああっ、そんな無茶しなくていいからね?」
「いえ、いえ、無茶でも開いた方が、むしろ業務に休憩を挟めるので……」
「もう……」
先生がそっとナギサの肩を持ち、椅子に座らせた。そのまま屈んでナギサと目線を揃える。その眼は真剣で、有無を言わせない強さがある。
「そんな無茶が必要な状態は、めっ、です。先生を頼るように!」
「うっ……それは……」
「業務改善の余地あり、です。たくさん生徒がいるんだからキチンとアルバイトを募集するなり、構成員を増やすなりして負荷を減らすこと」
「はい……」
「……次のお茶会はシャーレでやろうよ。ホストは私。他の誰も居ない状態にしておくから、羽を伸ばせるね。どう?」
それは、なんと魅力的なお誘いなのだろう。権謀渦巻くトリニティでは決して得られない自由な世界があるに違いない。当番や出撃のお手伝いをするだけでもそう感じているのだから、そこでお茶会をするだなんて、とても楽しいことになるだろう。羽をどれだけ伸ばしても足りないくらいだろうか。
「……良いのですか?」
声が上擦る。翼が勝手に広がる。口角が上がっている。どれもこれも普段から決して見せない仕草で、こんなにも喜んでしまう自身を窘める冷静なナギサも心に居たが──小さな口に欲望でいっぱいのマカロンを詰め込んで黙らせた。
「シャーレに顔を出せるくらいに業務改善をする。負荷軽減の目標があった方がやりがいがあるでしょ?」
「そうですね。……楽しみにしています。先生がどんなお茶会を開くのか」
「今度はちゃんと茶葉から用意するから安心してよ。今日で流石に味が違うのはよくわかったから」
「ようやく分かりましたかっ! もう!」
二人の軽やかな笑い声がテラスに響いた。ようやくお互いがお互いの声を聴けるようになった気がした。肩が軽くて、足首が浮いたようだ。同じ概念を、同じ価値観を共有する時、人は少しだけ人生を交わすのだ。
「あはは。そうだ、招待状の書き方も勉強しておくね」
「ええ。キチンとしていないと私の手元にまで届きませんからね」
「そんなぁ……」
書類仕事が苦手な先生は明らかに方を落とした。そんな先生にナギサが手のひらに隠れるほどに何かを差し出す。
「先生、これを」
「……羽根?」
「私の羽根です。これをペンにすれば手紙は私の元に届きます。だから、受け取ってください」
「羽根ペンだ〜! いいね。オシャレな蝋印も探して付けちゃおう」
生徒と贈り物を交わすのが大好きな先生は大げさに笑って見せた。でも、先生には翼は生えていない。だから羽根を贈られ、受け取る意味を真に理解していないのだろう。
「ふふ、楽しみにしてます」
でも、それでいいと思えた。
今のナギサには、これで十二分な一歩であったのだから。
支部の手直しです。
先ナギじゃないけどナギミカ本が出ます。
C105 1日目のI-45bです。
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