明けて翌日。
昨晩の忙しさが嘘のように無線はならず、病院内で暇を持て余しながらおしゃべりに興じていたとおこのもとに黒装束の男が現れる。
「どうも、とおこさん。久しぶりに会いましたね」
「あ、どうも……」
いっそ清々しいまでに胡散臭い笑みを浮かべながらリモーネはとおこに片手を上げる。
対するとおこは警戒を表情に浮かべながらリモーネと距離を取る。
人質に連れていかれたこと、結果的にはリモーネに感謝しているがどうにもその胡散臭い笑みに警戒心が鎌首をもたげてしまう。
そんなとおこの様子を気にしていないかのようにリモーネは周囲を見回し、人が多すぎると考えたのかとおこを人気のない場所に誘う。
「ちょっとこっちに来てもらえますか?」
「え?……はい」
「リモーネ先生ー」
警戒はしているはずだが、それでも素直にリモーネについていくとおこを心配したのか同じ救急 隊の寧々丸が二人に近づいてくる。
邪魔が入ったか。
内心で舌打ちをしながらも表情はにこやかなままリモーネは寧々丸の方に顔を向ける。
「とおこちゃん、ずっと誰か待ってるー」
「あ、そう!」
前言撤回。
彼女は、寧々丸は味方だった。
慌て始め、寧々丸の口をふさぎにかかるとおこを見ながら寧々丸とリモーネはアイコンタクトをかわす。
「誰待ってんの?」
「いや!誰も、誰も待ってないです!」
「ずっと待ってる、病院の前で」
「暇だねー」
「待ってないです!待ってないです!」
「誰かが来るのをずっと待ってる」
「待ってない!待ってない!」
そこまで言うととおこは顔を赤く染めながら病院内に逆戻りしてしまう。
残された寧々丸はリモーネに責めるような視線を向ける。
「連れてきて上げてよー」
「うちのボスもあれで気を使ってるつもりなんだよね」
「えー?」
「忙しそうなとおこさんたちの手を煩わせないようにってさ」
そう言いながらリモーネはため息をつく。
とおこが待っていたというのに葛葉は葛葉で真逆の気の使い方をしてしまっている。
放っておいたらいつまでもすれ違って行きそうな二人だが、そんなのは面白くもない。
不敵に笑うリモーネに何かを納得したのか寧々丸はお手柔らかに、と言って病院内に戻っていき、とおこをエントランスから連れ出してくる。
「リモーネ先生の用事が終わるまで帰ってきちゃダメだからね」
「ちょっとー!」
まさかの味方からの裏切りにあい、病院を追い出されたとおこは深いため息をつき、リモーネに向き直る。
リモーネはそんなとおこを連れて人目に着かない病院の裏手に足を進める。
「ボイスは取りませんよ」
「……まぁ良いから良いから」
とおこの放った一言に一瞬動きを止めるリモーネ。
どうやら極秘の計画(ボスのためのプレゼント計画)に際して完全に先手を打たれた形になる。
もともとはSNS上で詳細を伏せてボイス作成の依頼をしたが断られたため直接説得に来たのだが、しっかりと釘を打たれてしまう。
警戒心を露わにするとおこをなだめすかしながらリモーネは病院の裏手に辿り着く。
ここならば人目もないことを確認してリモーネはとおこに深く頭を下げる。
「ちょっと一個だけ応援ボイス、録ってもらえないですか、とおこさん?」
「録りませんよ!」
「お金払いますんで!」
「いやいやいやいや。ダメですダメですダメですダメです!」
現金をちらつかせても、頭を下げてもとおこの首は縦には動かない。
しかしそこでめげずにリモーネは食い下がっていく。
「何でですか?」
「恥ずかしいからです!」
「いや、だって応援するだけですよ?いつもやっている事じゃん、とおこさんが」
「じゃあ、リモーネ先生頑張れーでいいですよね?」
「いやいやいや。ちゃうちゃうちゃう!それはこっちがお金払うんですから指定させてくださいよ!」
リモーネの熱意に負けたのか、それとも面倒くさくなったのか早く済ませてしまおうという表情が見え始めたとおこにリモーネは計画の成功を確信する。
こういう交渉事は一度折れれば後は勢いでこちらの要求を飲ませやすくなることを知っていたリ モーネはここぞとばかりに要求を上げていく。
手始めにリモーネは五千万円をとおこの口座に振り込む用意をしてその画面をとおこに示す。
「いや、お金はいらないです。お金は。応援はしてますから」
「それは対価として払わなきゃいけないからね」
「ち、ちなみにどういった想定というか、文章というか」
「想定?」
とおこの予想以上に前向きな言葉にリモーネも考えてきたボイスの文章をとおこに示していく。
もちろんその際にも振込画面をちらつかせて、後でやっぱりやめたと言い出すことが内容に圧をかけるのを忘れない。
「私、ボイスとかやったことないから本当に恥ずかしくて!」
「めちゃくちゃシンプル。めちゃくちゃシンプルよ!」
「……はい」
「俺が考えてたのはまず頑張れを2回言うじゃん?頑張れ頑張れってね」
「はい」
「そのあとにちょっと、友達がいて。いまちょっと難病にかかってる友達がいて」
「難病にかかってる友達ぃ?」
ある意味一生癒えない病なのかもしれない。
少なくとも恋の病を治せるのは医者ではなく、本人か相手のいずれかだろう。
そういう意味ではリモーネの選択は確かに特効薬なのかもしれない。
「その難病の友達、の名前を呼んでほしいなって」
「名前は……」
「いや名前はっていうか一旦ちょっと。まずやってもらえますよね?お金、払うんで」
「いやお金いらないですよ」
「それは、やっぱ払わないと、無料でやってもらうってことに対して気持ちがつらくなっちゃうから……受け取って欲しいんですよね」
リモーネの説得にわかったようなわからないような表情を浮かべるとおこにたいしてリモーネは追い込みをかけていくが、あまり反応は良くない。
とおことしてはどうしても名前を呼ぶことに抵抗があるようで、ためらったまま時間だけが過ぎていく。
「名前、なしにしません?」
「ありありあり。なんで?普段やってることと変わらないでしょ?リモーネって言えるんだったら大丈夫だよ」
「でも……やっぱり名前はなしにしません?」
「……わかった」
リモーネの言葉にとおこは顔を輝かせるが、リモーネはスマートフォンを操作して再びとおこに示す。
「八千万、八千万だす!」
「いや、その……」
「金額交渉だよね?負けたよ、とおこちゃん。八千万出す!八千万!」
ここが追い込みどころと圧を強め、スマートフォンを掲げたまま土下座までしそうなリモーネの勢いに対してとおこはあいまいな返事を続けることは出来ず、気づけばボイスを撮るということで確定してしまっていた。
とおこは若干涙目になりながらリモーネを半眼で睨んでいるが、当のリモーネは特に気にした様子もなくガッツポーズを決めていた。
「じゃあやってもらえるってことね?」
「あぁぁぁ終わってる終わってる!このギャング恐ろしすぎる!」
この場合の恐ろしさとは目的遂行のためなら恥も外聞も投げ捨てることができるということだが、リモーネはボイスのことで頭が一杯で聞いていないようだった。
もっとあの時警戒していればと、過去の自分を罵倒したくなるが今さらもう遅い。
「……お疲れさま、とかで良いですか」
「お疲れさま、かぁ。でも難病にかかっちゃってるから応援してもらえるのがいいと思うんだよね?」
「なるほど……」
覚悟を決めたのか、難病の相手に少しでも質の良いボイスを届けるために、とおこもリモーネに協力してボイスの文章を考えていく。
そしてしばらくの後、ついに文章が完成する。
「じゃあ、良いすかセリフ」
「……はい」
「セリフが、頑張れ頑張れの後に、葛葉って入れてもらって」
「……さんね、さん!」
「あ、そうね。頑張れ頑張れ葛葉さん、頑張れ頑張れ葛葉さん。これで行こう」
ある意味、想定通りの名前が出てきたため驚きの声は上げずにすんだが、それでもとおこは自身の顔が熱くなっていることを自覚する。
なんとか敬称をつけることで呼び捨ては回避したが、逆に敬称を付けることで普段の呼び方っぽくなり、リアリティが出てしまったととおこが頭を抱えるのはもう少し後のこと。
「友達のためなんすよ、本当に!それもらえたら難病治ると思うんですよ!」
「難病、なんですよね?」
「そう!難病治ると思うんすよ、本当に!」
そう言いながらリモーネはスマートフォンを操作し、とおこの口座に八千万の振り込みを行う。
その姿を見て、とおこはとある記憶が呼び覚まされることを感じ、思わず声を上げる。
「それは!渡すだけ、ですよね?他の方に聞かれるわけじゃない?難病の子に聞かせるだけですよね?」
「難病の子に聞かせるから」
「その方だけに聞かせるんですよね?」
「そう。難病の友達だけに聞かせるから!」
そこまでの言質を得て、とおこはほっと息をつく。
つい最近自身と葛葉の盗撮写真を周りにまき散らした有害鴉がいたせいか過敏になっていたようだ。
そうこうしているうちに八千万の振り込みが終わる。
「じゃあ振り込んだんで、八千万に見合ったクオリティでお願いしますよ!」
「……はい。また連絡します」
「見てろよ、ボス。つまんねぇ壁なんてぶち壊してやるよ」
軽やかに立ち去るリモーネとは対照的にとおこの顔は曇ったり赤くなったりを繰り返している。
とんでもない契約をしてしまったと曇り、それを葛葉が聞くかもしれないと赤くなる。
そうしてとおこはリモーネの言葉を聞き逃してしまっていた。
どれくらいそうしていただろうか、とおこは全く帰って来ないのを心配した寧々丸が探しに来たことにより正気に戻る。
その際に救急隊のメンバーに何をしていたか根掘り葉掘り聞かれることから逃げ続けることがその日一番大変な事だったという。
しばらくしてリモーネは鴉のメンバーに合流を果たす。
葛葉だけはお嬢様がどうとかお父上がどうとか言って集まっていないがそれが返ってリモーネには好都合だった。
犯罪前の無駄話をするメンバーはなぜか他人の恋バナを聞きたがっており、話しはなぜか恋バナに変わっている。
「誰か好きな奴いないの?」
「好きな奴に電話しろよ、電話!」
「やめろよー!」
「っていうか、一番それに向いてるやつがいねぇんだよ!」
高校生のようなノリの会話に皆が腹を抱えて笑う中、リモーネは静かに片手を上げる。
ボスがこの場にいないことへの文句を言っていた面々は、リモーネという予想外の面子が手を上げたことに色めき立つ。
「俺さー実はさー」
「何々?恋バナ!?」
「好きな子いんのー?」
「ちょっと皆にも内緒にしようかと思ったんだけどさ、あのーボス宛に病院にいるとおこって人に着ボ頼んじゃってさー」
その瞬間鴉のメンバーから爆発的な歓声が上がる。
なんだかんだ皆ボスには感謝をしているとともに、なかなか進まない二人の仲にやきもきしているところでもあった。
奇しくも夢は明日で終わるところにこのボイスは最高のプレゼントになるに違いない。
「お前、気きくなー!」
「それで最終日に皆でプレゼントしようと思ってー」
「最終日のサプライズ嬉しくねー?」
「とおこさん拉致ってくるか?」
「着ボプレゼントした後にとおこさん出す?」
「ボス困るだろうねー」
子供のようないたずらの話が進む中で叶とリモーネが軌道修正しながら会議は進み続ける。
それぞれいろいろな意見が出るが、一方で葛葉の性格上無理そうな意見も多い。
「とりあえず、俺がもらってきたら俺の着信音に設定するから、そこで誰かが俺のスマートフォンに電話してもらって」
「あぁ、じゃあ集会のときとかにね」
「ちなみにどういうボイスになるの、それは?」
「まぁ応援系かな。ボスも応援してほしいと思うんだよね」
「「「「「「「「確かにー」」」」」」」」
息がそろった鴉のメンバーたちはリモーネを中心に計画を立てていく。
なるべく邪魔が入らず、また車の音等が少ない場所。
鴉のメンバーしかいないような場所。
いろいろな条件を勘案していくと一つの場所が浮かび上がってくる。
「山か?」
「山じゃね?」
デスマウンテンと呼ばれるその山をなぜか自転車で駆け降りようという無謀なチャレンジが明日、鴉のメンバーを待ち構えていた。
そこの頂上は確かに車などの音もなく、また他の人も来ない。
条件は満たしている。
「じゃあ山頂で電話してあげようか?いいタイミングで」
「あり。俺に電話してもらえる?」
イブラヒムの提案にリモーネが頷く。
他のメンバーを見ても反対意見はないようだ。
「あとは流れを作って欲しい」
「確かに。流れ作ろう、流れ!」
「そしたらさ、最初渋ハルにかけようよ」
「え、僕?」
ABOの言葉に突然指名された渋谷ハルは驚きの声を上げる。
そんな渋ハルをよそにメンバーは納得の表情を浮かべ頷く。
「渋ハルのコールがなったらさ、ハル社長みたいのが流れて皆でめっちゃいじるじゃん」
「はいはいはいはい」
「いや、僕の人権は!?」
「それ流した後に葛葉に渋ハルいじらせて、そこで先生にかけて葛葉さーんってのは?」
「めっちゃいいじゃん!」
ABOの冴えた回答に鴉のメンバーも渋ハルを覗いて喝采を上げる。
渋ハルは叶に口をふさがれ暴れているが、誰も気にせず、民主主義を盾にとられて最終的には渋ハルも渋々賛成票を入れることになった。
その後一連の流れを確認し、リモーネはとおこのもとに向かい他のメンバーは解散していく。
なおこの計画会議の中でリモーネの中からとおことの他の人には聞かせないという約束は一瞬 で消失していた。
各々がそれぞれの仕事を行う中でついに夢の世界は終わりを迎える。