亡国の剣~LostTechnology正史異聞   作:アツ氏

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1.女剣士と情報屋

「もうすぐ着くぜ、お嬢さん。仕度しな」

「そう……」

 船室の外から呼びかける声に少女は静かに相槌を打った。二週間、慣れない船旅で疲弊した身にはうれしい知らせであった。これ以上、波に揺られ続ければ、地上に降りても永遠に体の感覚が戻らないような気がしていたところだった。部屋の片隅から身を起こし、伸びをうつ。

 ヘラスで雇った中年の船乗りは、ライナルト帝国からクーニッツ騎士団領への亡命を請け負っていた。ならず者の集まる酒場で、彼のうわさを聞きつけて仕事を依頼したが、少女の話を聞くなり船乗りは怪訝な顔をした。

「帝国から逃げる人間の片棒ならよく担ぐが、お前さんは帝国に行きたいのかね」

「駄目かしら」

「いや、俺のやることはただ荷物を積んで、船着場から船着場まで船を寄せることだけだ。自分の身は自分で守ってもらう。それができるなら構わないさ」

「できるわ」

「そこまで言うなら請け負うがな。無粋だと思うが、一つ聞きたい」

「なに?」

「目的は何かね」

「別に。ただの職探しよ」

「嘘を言いな。いまどき、帝国でろくな仕事なんか……」

 言いかけて男は少女の荷物から剣の柄が覗いているのに気づいた。

「なるほど、軍人さんか。あんたみたいな若い女がね。……世も末だな」

 それ以上男は何も言わなかった。

 話がつき、少女は男の船に乗ってヘスペリアへ向かった。チュレニー海は、素人が渡れば海賊に出くわすか、さもなくばイカの魔物に出くわすかで、もともと安全とは言いがたかった。クーニッツ騎士団の海兵隊が警備にあたるようになってからは、領海での犯罪や事故は激減したが、時勢柄、別の危険があった。近年、ケクロピア領主兼クーニッツ騎士団長ジギスヴァルトは反帝国を宣言し、明日にも戦になりかねない一触即発の雰囲気が漂っている。ともすれば両国をつなぐこの海域は、真っ先に戦場になるだろう。クーニッツと帝国。どちらも力のある勢力である。諸国の首脳のみならず、民衆達も、その動向に敏感になっている。少女が帝国へ赴くことを決意したのも、そうした時勢に従ってのことだった。

 船乗りの指摘したとおり、少女は戦いに身を投じることを生業とする者、即ち軍人だったが、今は仕えるべき祖国を持たなかった。終わりの無い戦乱のさなか、多くの野心家の手によって国が興っては、栄える間もなく滅び、忘れ去られていく。彼女が生まれ育ったのも、そういった弱小国の一つだった。王は常に近隣勢力の脅威に怯え、外交に手を尽くし、女子供まで徴兵して軍備を強化した。国防策は充分に講じていたように見えた。しかし、何事にも絶対ということはない。事実、隣国に虚を突かれ、国は一夜のうちに滅んでしまった。

 あるとき、何の前触れも無く所属不明の軍隊が城門に押し寄せた。ろくに応戦する間もなく次々と指揮官が討ちとられ、自軍は崩壊した。後方支援に当たっていた少女は、国外へ逃亡するので精一杯だった。逃亡兵のほとんどが消息を絶ったことを思えば、命があっただけ幸運というべきだったろう。

 あとでわかったことだが、攻め込んできた国とはかねてより親睦を深め、いずれ同盟を結ぶ予定だった。奇襲を受けたのはその調印式の前夜であったという。卑劣極まりない行為だが、警戒を怠った王が悪いと言われれば、返す言葉も無いのが戦乱である。

 これがほんの数年前の話である。しかし、少女の失われた祖国の名が、もはや人々の口に上ることはない。誰もが忘れ去ったか、そんな国があったことすら、知らずにいる。

 少女もまた、思い出すことをしない。父や母もろとも故郷を奪われたことに対し、一時は復讐心に身を焦がし、その機をうかがいながら剣の腕を磨いたこともある。しかし祖国を滅ぼした国もまた、次の年には別の国に攻め入られ、滅んでしまった。

 幸か不幸か、少女は傭兵としてその戦に参加することができた。しかし、敵はあまりにも弱かった。彼女と剣を交えた兵士のことごとくは、ほとんどなすすべなく切り伏せられてしまった。一心に剣の訓練に励んできた成果だろうか、と思わないでもなかったが、敵を切るたびに少女の復讐心は満たされるどころか、かえってむなしさがこみ上げるばかりだった。

 こんな弱い兵たちに、祖国は滅ぼされたのか?

 戦が終わる頃には、はっきりと答えが出ていた。祖国は滅ぶべくして滅んだのだ。少女を雇った国が敵国より強かったように、敵国もまた、少女の祖国より強かった。それだけの話だ。時を経て、他の国を知り、再び戦場に立って、理解できることがある。祖国の兵は明らかに弱かった。指揮系統もお粗末だった。戦うためでなく、ただ貧しい生活から逃れるため、兵になるものも数多くいた。そういう連中は士気が低く、訓練でも不真面目だった……。

 少女の復讐はあっけなく遂げられた。しかし、残ったのは強いものが勝つという、単純な事実だけである。戦のあと、軍から正式に仕官を求められたが、気乗りがせず、断った。今思えば正しい判断だったと思える。その国もまた、最近になって滅んでしまったと風のうわさで聞いたからだった。大陸では小さな勢力は徐々に淘汰され、クーニッツやライナルトをはじめとした、大きな勢力に絞られつつある。それは戦乱が大きく動く前触れでもあった。

「ようやく陸が見えたわね」

 船室から出た少女は船乗りの隣に立ち、うんざりした口調で言った。

「これで船酔いとおさらばできるわ」

「お嬢さん、陸の上じゃ威勢のいいこと言ってたが、案外、やわだねえ」

 舵を取りながら、船乗りが笑う。

「慣れてないのよ。故郷は内陸だったし、去年まで海を見たこともなかったわ」

「ほう、そうか。……生まれはどこだい?」

 聞こえない振りをして、少女は答えなかった。潮風の吹きぬける音が耳を衝く。それに混じって、かすかに町の喧騒が聞こえてくる。少女は、風に乱れる黒髪を片手で押さえながら目を凝らした。港が近い。

「さて、と。私はどうすればいいのかしら」

 船室から引っ張り出してきた荷物を確かめながら、少女が訊いた。

「帝国民は管理されてるから、正式に出るには手続きやら審査やらで骨が折れるが、外国人が入るのは簡単だ。あちこち監視船を浮かべちゃいるが、乗組員は気が抜けてる。それに」

 船乗りはひとさし指と親指で輪を作りながら、

「コレがまかり通るからね」

「なるほどね」

「お嬢さんが金持ちでよかったよ」

 船乗りの言葉に、少女は苦笑いする。

「冗談言わないで。あなたに支払ったせいで、しばらく水とパンだけで過ごさなきゃならないわ」

「ご愁傷様。大枚はたいて帝国まで来るあんたも物好きだと思うがね。……こんな時に酷かもしれないが、港にはイカ料理の旨い店があってね」

「イカ、好きじゃないのよ」

「まあ聞けよ。俺も馴染みの一人だが、流れ者や情報通がけっこう集まるんだ。あんたの職探しの役に立つかも知れねえ」

「なんてお店?」

「海の悪魔亭だ」

「縁起の悪い名前ね」

「チュレニーの悪魔といったら、イカのバケモンだ。船乗りはあえてイカを食って、バケモンに会っても負けねえと、自分を奮い立たせるわけさ」

「船乗りって……」

 マゾなのかしら、と言いかけて少女はやめた。帝国の監視船と思しき一艇が、ゆっくりと近づいてきている。帯剣し、軽鎧をつけた男が船首に立ち、こちらに停止のサインを送っているようだ。

「剣は船底に隠したか?」

「ええ」

「フードをかぶりな。金がありゃ見逃してくれるが、あんまりはっきり顔を見られると、あとあと面倒なこともある」

 少女は言われたとおりにした。船が横付けされ、警吏が船乗りに声をかける。

「船内をあらためさせてもらう」

「なにも怪しいもんはありませんぜ」

「そうかもしれんが、こちらも仕事でな」

 警吏の視線が自分に投げかけられるのを、少女は感じた。辺りを見回すしぐさで、さりげなく顔を背ける。船乗りと警吏の会話がかすかに聞こえる。顔見知りらしく、互いに馴れ合うような調子があった。警吏が少女について問い質している。

「あれは何者だ。外国人か」

「手伝いみたいなもんでさあ……」

「みたいなもの、ね……」

 しばし会話が途切れる。金を渡しているのだろう。こうした暗黙のやり取りで、賄賂が通例のことなのだと分かる。しかし、あいにくそれだけでは済まなかった。少女の背後に足音が近づく。

「おい、貴様」

 少女は顔を直視されないよう気遣いながら、半分だけ振り向く。

「なんでしょう、兵隊さん」

「ほう、女のくせに船乗りをやるのか。男の仕事だぞ」

 警吏の口調に多少なり下衆な響きが混じるのを感じ取った。何か咎めるつもりがあるわけではあるまい。ただの興味本位だろう。が、それが存外厄介なこともある。かつて軍属だったからわかるが、男の兵士というのはたいてい下劣で、相手が誰であれ女と知るだけで侮り、そのくせちょっかいを出さずにはいられないものなのだ。思い出したくも無いが、祖国の軍でも、傭兵として従軍していた頃も、女兵士への嫌がらせは日常的だった。特に少女は艶のある黒髪を持ち、顔立ちも整っていて、男だらけの軍ではひときわ目立っていたため、あることないことうわさされたり、卑猥な言葉で冷やかされたりした。そして、滑稽なことに、ごくたまに本気で言い寄ってくるような男がいたりもした。

(それはそれで面白かったけど……兵隊なんてどこへ行っても同じよね)

 警吏がすぐそばまで迫っていた。少女は答えた。

「チュレニーには女の海賊もいて、兵隊さんたちはずいぶん手を焼かされているとか。それに比べればかわいいものですわ」

「言ってくれるじゃないか。……名前はなんという」

「ただの女船乗りの名前など聞いてどうするおつもりで」

「取調べの一環だ。答えろ」

「……アデリーナです」

「姓は?」

「ありません。ただのアデリーナ」

「生まれは?」

「戦乱のあおりで故郷は滅びました。珍しいことでもないかと」

「ふん。まあ、それは貴様の言う通りだが」

 淡々とした少女の態度に興を殺がれたらしく、警吏はそれ以上、追及しなかった。

「知っているとは思うが、我がライナルト帝国とクーニッツ騎士団との間は緊張状態にある。我々は、寄港する者で、怪しい者を見かけたらすぐに捕らえるよう命令を受けている。身の振り方には気をつけることだ」

 監視船に戻る時、警吏はそう言い放ったが、彼自身が金を受け取って密航者を見逃している以上、気の抜けた脅しでしかなかった。

 荷物を担ぎ、波止場へ降り立ったアデリーナに、船乗りが声をかける。

「気が変わって帝国を出るときがあったら、また請け負ってやるよ。たとえ戦争が始まっても、俺に任せりゃ安心だ。あんた、いい女だから、今度は安くしとくぜ」

 少女は貴族のように形式ばった愛想笑いで応えた。

「そうね、考えとくわ」

 首尾よく入国できたのはいいが、行く当てがあるわけではなかった。戦争が始まれば、兵士の募集はあるだろうが、それにしたって問い合わせ先もわからない状態だ。どこかで情報を集める必要があった。下船したばかりで、とてもイカなど食べたい気分ではなかったが、アデリーナは船乗りの言葉を思い出していた。

 イカ料理の旨い店……もとい海の悪魔亭を探すのは簡単だった。イカの角を模した巨大な看板が天に向かって突き立っており、街並みのどこからでも目印にすることができたのである。

 看板をくぐると、香ばしい海産物と酒と汗の匂いが、立て続けに鼻をついた。混ざり合うとほとんど異臭に近く、船酔いが抜けきっていない身にはかなり堪える。まだ昼間だったが、夜に仕事をする船乗りは、この時間から酒を飲んでいるようだ。さっき出会った警吏と同じ格好をした兵士の姿もちらほら見える。鎧を着ているということは仕事中であるはずだが、誰も意に介さぬようだ。さっきの賄賂といい、この国の軍隊は、腐敗がかなり進んでいるらしい。吐き気をこらえながら、カウンターへ向かう。恰幅のよい、ヒゲ面の亭主が、横目でアデリーナを一瞥した。

「お水、一杯いただけるかしら」

「綺麗な水と、汚い水と、どっちが良いかね」

「綺麗な水が良いに決まってるけど」

「なら銀貨一枚だ」

「汚い水はいくら?」

「銅貨三枚」

「意地悪ね」

「何かとキナ臭いせいで、物価が上がってるのさ。潮水なら外に出ればいくらでも飲めるぜ」

 亭主の態度にはまったく取り付く島がない。荷物から剣を抜き出して、喉元に突きつけてやりたかった。が、仮にも警吏が同じ店にいるとわかっていて、出来るはずもない。アデリーナは心底困ってしまった。なにしろ手持ちが銀貨十五枚しかないのである。

「パンは?」

 ためしに訊いてみる。

「銀貨二枚」

 アデリーナはカウンターに突っ伏した。こんな調子では、しばらく野宿を覚悟しなければならない。不謹慎だが、すぐにでも戦争が始まってほしいと本気で願った。

「お姉さん、よかったら相席しない?」

 不意に後ろから声をかけられた。振り返ると近くのテーブルから、少し変わった服装をした女が手を振っている。丈夫そうな上着とエプロンを身につけ、すその長い横じまのパンツスタイルが目を引く。邪魔にならないようにか、後ろ髪をあげて簡単に束ねているが、前髪は伸びきっており、ほとんど目が隠れてしまっている。そっちは邪魔じゃないの? と訊いてみたかったが、ファッションでやっているのかもしれない。どちらにせよ、ただの町娘には見えなかった。アデリーナは警戒したが、女の口調やしぐさから少なくとも敵意は感じられない。テーブルに近づくと、女が言った。

「お姉さん、旅人ね」

「どうしてわかるの」

「水の値段が高いなんて、帝国の人間なら分かりきったことだからね」

「それもそうね……」

 すすめられるままに椅子に座ると、女は握手を求めてきた。

「あたしはテレザ。あなたと同じ旅人だけど、しばらくこの街に滞在してるの。女同士、仲良くやりましょう。水の一杯ぐらいおごるわよ」

 快活な口調だった。前髪に隠れて目の表情はよく分からなかったが、口元はしっかり笑っている。アデリーナはテレザと名乗った女の手をとった。

「アデリーナよ」

 女の割にテレザの掌は皮が厚く、力があり、ちょっとした荒っぽい作業も難なくこなせそうだった。初対面の相手にも磊落に接する態度といい、若く見えるが、かなり旅慣れているのだろう。何か役に立つ情報が聞けるかもしれない、とアデリーナ思った。

「まったく物好きよね。こんな時期に帝国に来るなんて」

 運ばれてきた綺麗な水の入ったグラスを、アデリーナのほうに寄せながら、テレザが言った。ありがとうと言い、アデリーナはグラスに口をつけた。冷たい液体が、喉元を流れていくのが分かる。船酔いと、異臭と、金欠とで重くなっていた気分が、少し楽になった。

「あなたも、でしょ」

 すっかり水を飲み干してからアデリーナが言い返すと、テレザは声を立てて笑った。

「そりゃそうだね。物好きはお互い様。アデリーナ、あなたはどこから来たの?」

「ヘラスから、船で二週間よ。さっき着いたばかり」

「クーニッツ騎士団領か。団長が息子に代わってから、ずいぶん住みやすくなったらしいじゃない」

「少なくとも、ここよりは水もパンも安いわ」

「ふふ、帝国より水が高いのは、エリシウム砂漠ぐらいよ。でも、そんな良い街からわざわざ来るなんてね……まさか観光が目的じゃないでしょ」

「ええ、私は……」

「待って、当てるわ」

 テレザがわざとらしく額に手を当てて、考え込む振りをする。アデリーナはその様子を見て、微笑んだ。人と話すのが楽しいと感じるのは、久し振りだった。

「行商」

「違うわ」

「人探し」

「はずれ。まあ、探し物って点では当たってるけど……」

「わかった。宝探しね」

 アデリーナはたまらず吹き出す。

「そうくるとは思わなかったわ」

「何がおかしいの。夢があっていいじゃない」

 テレザが憮然として抗議したが、その調子がまたアデリーナには可笑しかった。笑い声が堰を切って口から溢れた。隣のテーブルに座っている船乗り達から、好奇の目が向けられる。アデリーナはひとしきり笑ったあと、

「残念ながら、夢があるような答えじゃないわ。ただの職探し」

 と答えた。夢がない、と自分で言ってしまってから、なんだか寂しいような気がした。

「帝国で職探しって言ったら……」

「剣士なの」

「へええ、あんたみたいなかわいい子がね。人は見かけによらないなあ」

 テレザはまじまじとアデリーナの顔を見つめて言った。相手が女でも、こう面と向かって言われると少し照れくさい。ところでアデリーナはというと、テーブルに並んだイカ料理を眺めていた。さっきから話をしながら、テレザの頬張っているそれらの味ではなく、値段が気になって仕方がなかった。パンが銀貨二枚なら、この料理は銀貨何枚なのだろうか。自分の手持ちを使い果たしても、買えるだろうか。見かけによらずといえば失礼だが、テレザはずいぶん金持ちらしい。

「? 食べる?」

 アデリーナの視線に気付いて、テレザが料理の皿を差し出す。細かく刻んだイカの足を油で揚げたもので、空腹ではあったが、今のアデリーナには受け付けられなかった。

「ありがとう。でも、いらない。船から降りたばかりで、ちょっとね」

「酔ったの?」

「そう」

「お水もう一杯いる?」

「……テレザっていい人ね」

「気にしないでよ。臨時収入が入ったばかりだから」

 そう言いながら、テレザは通りかかったウェイトレスに追加の水を注文した。

「臨時収入って?」

「あたし、氷術師なの」

「うん?」

「帝国は魔術大学があるくらい術師の育成に力を入れてるけど、主流は火術なのよね。卒業生の八割は火術専攻、教授陣も火術師ばかりで、実際のところ、あまり学べる分野に幅がないの。まあ、これは帝国にバルドゥルっていう火術の権威がいるから、当然の流れなのかもしれないけど」

「そうなの」

 相槌を打ちつつも、魔法の知識がほとんどないアデリーナにとって、実感のわきにくい話であった。記憶に残っているといえば、戦場で敵の術師に火球を投げつけられ、服や髪を焦がされて腹が立ったことぐらいだった。テレザの口調が熱を帯びるにつれ、魔法について少し専門的な内容が混じり始める。

「でもね、学問として魔法の体系を理解するには、あらゆる属性の術についての知識がなきゃだめ。って言っても、術式の組み方は、共通した大まかな流れ以外に、個人の持つ魔力の質や量によって細かい差が生じるから、正直、本を読むだけじゃ肝心なところが不確かになってしまうのよ。理論だけじゃ術は使いこなせない、つまり実践が必要ってこと。まあ、自分じゃ使えないまでも、目の前で誰かが術を使うのを見るだけでも、かなり参考になるわ。で、帝国魔術大学では火術以外の実践講義を行なう場合、学外から講師を呼ぶことが多いのよ。結構ギャラが良いから、術師仲間では人気のバイト」

「あ、なるほど」

 テレザの口にする内容についていけず、途中まで話の要領がつかめなかったが、ここまで聞いて、アデリーナはようやく得心した。

「そういうこと。それにね、港町は氷がよく売れるのよ。海産物が多いから」

 たくましいことだ、とアデリーナは思った。

「いいわね……私は剣しか取り得がないから、うらやましい」

「何言ってんの。一つでも取り得があれば、あとはやり方次第なのよ。人をうらやむもんじゃないわ」

 テレザの言うことは尤もだ。しかし、剣はあくまで戦うためのものである。まだ子どもといっていい年頃から、そればかりに励んできた人間が生きるためには、戦いを求めなければならない。これはやむにやまれぬことだが、時に自己嫌悪に陥ることもあった。自分が帝国に来たのも、戦争の匂いを嗅ぎつけたからこそなのだ。まるで死肉に群がる獣のようではないか。そんなわが身を呪わしく思う。

「ごめん。ちょっと説教臭くなったわね」

 相手が押し黙ってしまったのを見て、テレザが少し慌てたように言った。それを聞いて、アデリーナは我に返って首を振る。

「あ、ちがうの。こっちの問題だから。それより、この辺一帯の勢力の動向、知ってたら教えてくれない?」

 途端にテレザの口元がゆがんだ。アデリーナの背筋に冷たいものが走る。さっきまでの人のよさそうな笑顔と打って変わって、口元には狡猾さを浮かべ、まるで別人のような雰囲気に豹変していた。深く垂れた前髪の奥で、両眼がギラリと光ったような気さえした。

「もちろん知ってるけど、その件に関しては、あたしの情報は安くないわよ」

 語調に、どこか凄みがある。自分の持つ情報に価値があると自覚しているのだろう。つまり、彼女はプロの情報屋だったらしい。とんだ薮蛇だった。しかし、ほとんど予備知識も持たずに帝国に来たアデリーナには、どうしても情報を得る必要があった。

「……銀貨、十枚まで、なら」

 財布の痛みを全身で噛み締めながら、アデリーナは絞り出すような声で答えた。これで野宿は確定だろう。近日中に仕官できなければ、飢え死にするかもしれない。アデリーナは覚悟を決めた。高い水をご馳走になったのだ。この人はいい人だ、と心の中で言い聞かせた。

 テレザは少し逡巡してから、話し始めた。

「そうね……誰もが知ってる通り、帝国とクーニッツが戦争を始めるのは、もう確実でしょうね。っていうのも、この港の近くに造船所があるんだけど、そこで左官達が軍艦作りに精を出してるから。チュレニー海は間違いなく戦場になるわね。少し待てば、町中に募兵のチラシが張り出されるでしょうよ」

 それは航海の途中、船乗りから聞かされた話と一致する。これからは商売がやりにくくなると、さんざん愚痴をこぼしていた。テレザは荷物から地図を取り出して広げ、現在地であるヘスペリアの位置に指を置いた。そこから少し指をずらしながら、話を続ける。

「ヘスペリアから少し北へ向かうと、セラニウストロス荒野。ここには竜騎士たちのキャンプがある。目的は分からないけど、彼らも戦争の準備を始めてるって。まだ旅人同士のうわさの域を出ないけど、帝国軍の幹部も知らないことよ」

「竜騎士?」

「飛竜を乗りこなして戦う騎士よ。大昔に、ファーブニル竜騎士団ってのがあったらしいんだけど、その末裔なんだって」

「竜なんて、おとぎ話の世界にしかいないと思ってたわ」

「あたしも実物は見たことないけど、タスクっていう獣人の友達が、でっかいトカゲが荒野を飛びまわってるのを見たって言ってたわ。人が乗ってたかどうかはわからないけどね」

「変わった友達がいるのね」

「ふふん、あたしの人脈は広いのよ」

 テレザは得意げに言い、今度はイカの丸焼きにかじりついた。追加の水が運ばれてきたので、せっかくだからとアデリーナもグラスを傾けるが、結局高くついてしまったことを思うと、さっきのように旨くはなかった。

「そうそう、知り合いの石術師によれば、アルシア山の土妖精、ドワーフたちの動きも不穏ね。現リーダーが血の気の多い奴らしくて、戦争をしたがってるんだけど、それに反対するドワーフたちもいて、内部分裂してるみたい。帝国軍はドワーフに対してすっかり油断しているから、もし攻め込まれたら、大きな被害が出るわね」

 アデリーナはほんの少しの油断から、一夜にして滅んだ祖国のことを思い出し、帝国も長くないのではないか、という気がし始めた。

「ドワーフのリーダーが戦争したがる目的はなんなのかしら」

「……なんでも、自分の作った武器で、試し切りがしたいから、ってことらしいわ」

「く、くだらない」

「まったくよ……とりあえず、この近辺の勢力について、あたしの知ってるのはこれくらい。気が付いてない連中が多いけど、帝国はかつてない窮地に立たされているわ。相手はクーニッツだけとは限らない。いくつもの勢力が同時に攻め込んできたとしたら、いくら伝統ある帝国軍でも、ひとたまりもないと思う。これは忠告だけど、はっきり言って、いま帝国に仕官するのは勧められないわ」

 情報は有用すぎるほど有用だった。テレザの言うとおり、これだけの話を聞いて帝国に仕官するのは愚行であると思われた。別のテーブルで酒をかっくらっている警吏たちを見れば、ますますその確信は深まるばかりだ。あれは弱い兵だ。自分なら、あのテーブルにいる五人を同時に相手にすることなど造作もないことだろう、とアデリーナは思った。帝国軍があんな兵ばかりなら、国を守ることなど到底できはすまい。

「よく分かったわ……」

 アデリーナの言葉には、心なしか力がなかった。しかし、考えを変えたという雰囲気もなかった。

「どうするつもり?」

 訝しげに訊くテレザに、あきらめたように微笑む。

「ヘラスに戻るだけのお金はないわ。もともとクーニッツ騎士団では傭兵を募集してなかったから帝国に来たの。仕官先がありそうなだけましよ。私は帝国に留まるわ」

「あたしの予想じゃ、帝国は負けるわよ」

「勝ち戦がやりたいわけじゃないの。私はそこに戦があるから、戦うだけ。守るべき祖国も、もう無いしね」

「しょうがないわね……」

 やれやれ、といった風に肩をすくめるテレザの目の前に、銀貨が十枚、置かれる。

「何よ?」

「情報料よ。お水はその……ごちそうさま」

「馬鹿ね。あたしの情報料は安くないって言ったでしょ」

「足りなければ、仕官してから払うわ」

「残念ながら、戦争が始まったら、こんな町とはおさらばよ。それまでは氷屋をやるつもりだけど」

「分かった。銀貨十五枚。これが全財産よ」

 アデリーナは残った銀貨を財布ごと差し出した。こうなったら、しばらく郊外へ出て、狩りでもして食い繋ごう。彼女は完全に開き直っていた。

 しかし、テレザは目の前に置かれた財布も銀貨も、無言のまま両手で突き返してしまった。どうあっても受け取る気はないという態度だった。無い袖は振れないというのに、一体いくらふっかけるつもりなのだろう、とアデリーナはだんだん苛立ってきた。第一印象が好ましかったから言葉通りに信用してしまったが、旅人いうのは嘘で、その実は悪党か詐欺師だったのかもしれない。自分の目を見られないようにしているのが、そもそも怪しいではないか。気前よく水をおごったのは、相手を安心させるための手口だったのだろう……などと、いったん疑い始めると、だんだんそれらしく見えてくるものである。

「あんたみたいなかわいい子がね」

 という一言を思い出した。もし言いなりになれば、客引きとか、それ以上の妙な仕事をさせられないとも限らない。アデリーナは確かに職を探していたが、兵士としてしか働いたことはないし、ましてやそういったいかがわしい方面で探すような心積もりは毛頭無かった。情報は聞いてしまったけれど、今の時点でそれらの情報が本当だという証拠も無い。少なくとも水はご馳走になったのだから、罪滅ぼしに銀貨だけは置いてこの場から逃げよう、という考えが頭をよぎった。

「報酬は体で払ってもらうわ。あたしがほしいのは、銀貨じゃなくて労働力よ」

 その言葉を聞いて、最短で店から逃げ出す経路を頭の中でイメージした。祖国が滅びた時に比べれば、こんな女一人から逃げるのは、どうということは無い。少し良心が痛むだろうが、追っ手が来たら怪我をさせて追い払えばいい。アデリーナはいつでも走り出せるよう、密かに身構えた。

 次の瞬間、テレザは会ったときの人のよさそうな笑顔に戻って、言った。

「魔術大学の講義が、まだいくつか残ってるの。でね、氷屋の店番を探してるのよ。住む所とご飯は用意してあげる。期限は戦争が始まるまで。どう?」

 アデリーナは思わず立ち上がり、テレザの両手を取って握り締めた。感激と、一瞬でも彼女を疑ったことに対する罪悪感とが、胸のうちに溢れ、すぐには言葉が出なかった。

「なんていうか……ごめんなさい」

「? 何が?」

 ようやく口から出たのは謝罪の一言だったが、テレザはぽかんとしていた。アデリーナの目には、そんなテレザの姿が、まるで聖母のように見えた。

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