亡国の剣~LostTechnology正史異聞   作:アツ氏

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5.勝者たち~ドン・バルドメロと見てくれの小娘、そして槍を使う男

 夢見心地で、アデリーナは誰かが歌を歌っているのを聴いた。少し調子っぱずれだが、低く勇ましい男性の声だった。その歌に応じて、幾人もの男たちが合いの手を入れている。

 トレアドール! かまえ剣! トレアドール! かまえ剣! ……。

 眠っているうちに、どこにいるかすっかり忘れてしまっていたが、顔を上げ、辺りを見回して、やっと自分がまだ酒場にいることを思い出した。目の前でジミーも机に突っ伏して寝息を立てていた。少し飲みすぎたようで、頭が重かった。戦に勝ったわけでもない、ただ仕官が決まっただけで、浮かれて酔いつぶれるとは。まったく、二人してうかつであった。

 多くの客でにぎわう酒場で、ひときわ大きな、男の声が響き渡っている。歌を聴いたのは夢ではなかったらしい。声のするほうへ目をやると、丸テーブルの上に立ち、黒い長髪を振り乱しながら、ほえるように歌う男の姿がある。無数の取り巻きがそのテーブルを囲み、大声で笑いながら、時に歌に合いの手を入れ、酒をあおっていた。男がこちらに背を向けているため、顔は見えなかったが、アデリーナは嫌な予感がした。

 振り向いた男の、その顔を見て、アデリーナは予感が的中したことを悟った。練兵場で、目が合った瞬間にウインクを投げかけてきた、あの壮年の傭兵である。さっさとジミーを起こして、酒場を出ようと思ったが、運悪く男に気付かれてしまったようだ。目ざとくアデリーナの姿を探し当て、テーブルから颯爽と飛び降り、長髪をなびかせながら大股で近寄ってきた。逃げ出したかったが、歌いながらどこまでも追いかけてきそうで、それはそれでおそろしく、アデリーナは動くことができなかった。

「これはこれは、またお会いできるとは何たる幸運。否、ここで会えたのは、あえて運命だと申し上げよう。練兵場では大活躍でしたな」

 そう言いながら、男は大仰に頭を下げる。開いた襟元から筋肉質の胸板が覗き、そこから漂う、胃がもたれそうなほどの濃厚なフェロモンが鼻をつく。アデリーナは、気が遠くなりそうだった。もちろん、ときめきなどによってではなく、厭悪の念によってである。が、ここで気を失っては貞操の危機であった。アデリーナは持てる精神力のすべてでもって自制し、どうにか正気を保っていた。男はそんな彼女の葛藤を知ってか知らずか、厚かましくも自己紹介を始めた。

「小生、元はモアブの貴族ですが、スリルを求めて家名を捨て出奔し、勇敢なる戦士として世界の戦場をまたに掛けてきた。数知れぬ男達が、小生の振るう斧の錆となりました。たとえ帝国軍が壊滅しようとも、小生がいれば安心です。必ずや、この身を挺してあなたを守って御覧に入れましょう……。おっと、名乗るのが遅れましたな。人呼んで、黒き鬣の獅子バルドメロ、ドン・バルドメロとお呼びください。以後お見知りおきを。セニョリータ、よろしければ、あなたの麗しきお名前をお聞かせ願いたい」

「……アデリーナよ」

 よくもまあ、これほど歯の浮く台詞を、ほとんど初対面の相手に淀みなく並べられるものだ。もはや嫌悪感を通り越して、アデリーナは感心してしまい、求められるがままに名乗り返してしまった。

「何が貴族よ。モアブの民の祖先は海賊だって、子供だって知ってるよ」

 女の声だが、それを言ったのはアデリーナではない。突然テーブルの脇から、後ろ髪を二つに結んだ女の子がひょいと顔を出した。その瞬間までほとんど気配を感じなかったので、アデリーナは仰天し、危うく椅子から落ちそうになった。それは、バルドメロと名乗る男と同じく大斧の一閃で正規兵を倒したという、あの女の子であった。アデリーナはため息をつき、諭すように言った。

「いい、ここは大人がお酒を飲む場所なのよ。いくら強くたって、あなたみたいな小さい女の子が出入りしちゃいけないの」

 突如、脚に鈍痛が走った。思い切り向こう脛を蹴りつけられたらしく、アデリーナはたまらずうめき声を漏らし、うずくまった。

「女の子じゃなくて、私の名前はラトカっていうの。言っとくけど、二十歳は過ぎてるからね!」

 それを聞いて、バルドメロが鼻で笑う。

「ふっ……そんな幼児体型をしていながら何を言っている」

「本当だってば!」

「申し訳ない、セニョリータ。小生が代わって謝罪いたします。子供のしたことと思って、なにとぞお許し願いたい」

「だから子供じゃないって!」

「もし痛みが引かないのであれば、小生が今宵付きっ切りで、その美しいおみ足の手当てをいたしましょう」

「聞けよ! 馬鹿野郎! 誰がお前のそんな下心まる出しの誘いに乗るんだよ! そしてなぜ私は口説かないの!」

「ふっ……小生はロリコンではない」

「えらそうに言うな!」

 アデリーナはかしましい二人のやり取りを聞き流しながら、この落ち着きのない連中は何なのだろう、何故自分の安寧の時を邪魔するのだろう、そんな声にならない問いを、胸のうちで力なく繰り返していた。

「申し訳ないけど、彼女は疲れてるみたいだから、そっとしておいてあげてくれませんか」

 遠慮がちな男の声が、バルドメロとラトカに投げかけられる。いつの間にかジミーも目を覚ましていたようだった。まあ、近くでこれほどやかましく騒ぎたてられれば、よほど神経が図太くないかぎり眠れるものでもない。ジミーの言葉は、アデリーナの心情を代弁すると共に、彼自身の本心でもあったろう。

 しかし、まともに話の通じる相手ではなかった。バルドメロがジミーの姿を見て、大げさに驚く。

「おお! 誰かと思えば、練兵場で大立ち回りを繰り広げた正義の騎士殿ではないか! いやはや、気がつかなくて申し訳ない。君の戦いも実に見事なものだった。あのしなやかな身のこなしは、まさしく古に聞く闘牛士、マタドールを髣髴とさせるようだった……。しかし失礼だが、近くで見ると、思ったより存在感が薄いというか、まるで空気のようだな」

 するとジミーが珍しく声を荒げて食って掛かる。

「僕は空気ではありません! 存在感が薄いとか言うな! いいから静かにしろって言ってんだよ!」

 バルドメロも、ジミーの思わぬ剣幕にはたじろぎ、両手で彼の勢いを押しとどめながら謝った。

「失敬、怒らせるつもりはなかった。小生の家には、女性を見かけたら口説くのが礼儀、という家訓があるのだ。傭兵になってもそれが抜けなくてな」

「だから私を口説きなさいよぉ」

 ラトカは半分べそをかきながらバルドメロにまとわり着いていたが、完全に無視されていた。バルドメロは給仕を呼びとめ、ぶどう酒を一本注文した。そして、程なくして運ばれてきたボトルの栓を慣れた様子で手ずから空け、並べられたグラスに中身を注いだ。そのうちの一つを手にとって目の前に掲げ、

「親睦のしるしに、小生から君たちに一献さし上げたい。鼻持ちならぬ帝国兵を打ち倒したもの同士、仲良くやろうではないか」

 そう言ってグラスをあおる。せっかくの好意であったので、アデリーナも、ジミーも、それに倣った。ラトカの分はなかった。彼女はすでに文句を言うのをあきらめ、テーブルの下にうずくまり、いじけていた。同じ傭兵なのにどこにそんな金があるのか、バルドメロが選んだのは、酒場で注文しうる最高級の酒であったらしく、さっきまで酔いつぶれていた二人が味わってすら、その旨さを充分に理解できた。普段口にするぶどう酒とはまったく違った、上品で柔らかい甘みがあり、なぜか飲んだすべての者の脳裡には、幼いながらも純真で一途な恋心を抱く、あどけない金髪の少女の姿が、思い浮かぶのだった。グラスに残った液体を揺らしながら、バルドメロがその酒について語りはじめる。

「これぞ『高貴なるアグネス』。現皇帝の出生を祝し、その年に収穫された葡萄だけで作られた、帝国産の中でも二つとない美酒だ。傭兵とはいえ、皇帝のために剣をとる我々の門出を祝福するに相応しい」

 そして、一杯飲んで機嫌がよくなったのか、バルドメロは再び歌い始めた。聞いたこともない言語でまくしたてる、早口言葉のような陽気な歌である。歌詞の意味は分からなかったが、聴いていて嫌な気分はしない。性格は非常にあくが強いが、悪い人間ではなさそうだった。

「ずいぶん歌うのが好きなのね。それ、どこの国の歌なの?」

 と、何気なくアデリーナが訊くと、バルドメロは歌うのをやめ、得意満面に切れ目なく講釈をたれ始めた。

「カエル族の復興させた偉大なるロストテクノロジー、オペラを知らないか? 歌劇、あるいは楽劇とも呼ばれるもので、音楽のみならず、演劇、文学、美術、あらゆる芸術の極致にあるものだ。宮廷バス歌手、グラゾフスキーの歌う闘牛士の歌を聴いて心の琴線に触れないものは、まずいないだろうな。他にもググの現国王であるローレンスの『誰も寝てはならぬ』や、アルト歌手ジャンニの演じるカルメン、若手では最近ソプラノ歌手でもある王女シャーロットとテノールのアレオッティが『愛の妙薬』で共演したが、どれも甲乙付けがたい。セニョリータ、よろしければ今度タルシスの湖畔にある王立歌劇場まで小生が案内してさし上げよう。あなたは本当の芸術が何たるかを一夜のうちに理解するはずだ。そして音楽の表現するエロスが身近なものであることを知って、この世界を見る目が変わるだろう。小生はスリルを求めて戦いに身を投じるが、この世でそれに勝るスリルを味わうことができるのは恋愛と芸術しかない。恋愛とは何か? それは男と女とが人生を賭して繰り広げる戦いだ。芸術とは何か? その戦いの有様を表現し美へと昇華するものだ。だからセニョリータ、小生が戦場を求めて貴女と出会ったのは実に象徴的なことなのだよ。戦いの始まりは恋愛の始まり、即ち芸術の始まりなのだから……」

「はいはい、分かった。もう結構よ」

 そこまで聞いてアデリーナは、強引に話を打ち切った。といってもバルドメロは話をやめなかったが、もう耳を貸さないことにした。彼がそのオペラとかいうロストテクノロジーを好むことは分かったが、後半はほとんど何を言っているのかわからなかったのである。正面を見ると、ジミーが寂しげにバルドメロから受け取ったグラスを傾けている。

「どうしたの、浮かない顔して」

 アデリーナが訊くと、ジミーは伏目がちに、ぽつりぽつりと愚痴をこぼし始めた。

「僕って、そんなに影が薄いかなあ。小さい頃から、いてもいなくてもわからない子だって言われ続けて、挙句の果てに付いたあだ名が空気男、なんていうんだよ。子供の頃だけじゃない、大人になっても、どこへ行ってもそうなんだ。僕、今日、結構がんばったんだけど、やっぱり他人からしたら空気なのかなあ。ディートハルトさんみたいな存在感のある男になりたいよ」

 そこで突然向き直り、テーブルに両手をついて、つぶらな目に涙を浮かべた。

「アデリーナ、僕は空気かい?」

「人間でしょ」

 他に答えようがなかった。アデリーナの言葉をどう捉えたのか、ジミーは大粒の涙をぼろぼろ流し、嗚咽を漏らし始めた。どうやら、空気という言葉を聞くと精神が不安定になるらしい。昼間の毅然とした態度が嘘のようで、今のジミーはただのいじけた面倒くさい男だった。いじけているといえば、いつの間にかラトカがテーブルの下から這い出して、またバルドメロにまとわりついていた。

「バルドメロ、お願いだから、私も口説いてよう。私だって大人の女なのよう」

 ラトカの主張には涙ぐましいものがあった。しかしバルドメロはそれを気にも留めず、さっきの講釈を延々と続けている。アデリーナが話を聞いていないことには、まったく気付いていない様子だった。

(なんなのこいつら)

 アデリーナはめまいがするようだった。酒に酔ったせいではなく、共に戦う仲間が、こんな変人ばかりでは先が思いやられると思ったからである。アデリーナがげんなりしていると、ふと、新たに一人の男がテーブルに近づいて来るのに気付いた。町民のような簡素な服装をした人物で、見覚えがあった。落としかけた槍に帝国兵が突っ込んで自滅したおかげで、運よく勝ったあの男である。

「どうも……昼間は、お見事でした」

 男はアデリーナに向かっておずおずと頭を下げる。

「あなたもね。ものすごい突きだったわ」

 御世辞にしかならないが、そう言いながら、アデリーナは自分の隣に空いた椅子を勧める。男はもう一度頭を下げ、勧められた通りに、その椅子に座った。

「あなたなら分かってると思いますが、あんなの、ただのまぐれです。僕はもともと町民でしたから、ほとんど戦いの経験はないんです。今は、一応槍を使いますけど」

 そう言って照れくさそうに笑う。アデリーナの勘は当たっていたわけである。

「どうして、傭兵なんかになったの? 私が言うのもなんだけど、戦争を食い物にするんだから、ろくでもない仕事よ」

「……僕の住んでた町は、戦乱に巻き込まれて滅びました。帰るところをなくしてすっかり途方にくれていたんですが、焼け跡を歩いてたら兵隊さんが落とし物をしていったみたいで」

「落し物って?」

「槍です。それを拾って、僕も戦おうと思ったんです。一般市民だからって震えてるだけじゃ仕方ない。戦乱が終わるまで自分に出来ることをやろうって。それで……槍を使います」

 同じ言葉を何度も聞いているような気がしたが、頭がぼんやりしていて、それが何なのかよく分からなかった。ただ、男の話の大まかなところは理解できたため、アデリーナは自分と似た境遇なのだと思い、彼に親近感を抱いた。

「なるほどね。私も同じような境遇なの。生まれたのは小さな国で、幼い頃からそこで軍人をやってたけど、他国に攻め込まれてあっという間に滅んじゃった。それからずっと傭兵稼業よ。私も戦うのが仕事だけど、あなたと同じで、いつか戦乱が終わって、国を失うような人が無くなればいいと思ってるわ。お互いがんばりましょう」

 アデリーナは微笑んで握手を求めた。男はそれを見て、いそいそと服の裾で自分の手のひらを拭ってから、差し出された手を取った。

「僕はラッセルです。槍を使います」

「分かったわ。私はアデリーナ。剣士よ」

 どことなく変わった話し方をする男ではあったが、少なくともバルドメロよりはまともな神経を持っていそうだったので、アデリーナはさほど気に留めなかった。

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