亡国の剣~LostTechnology正史異聞   作:アツ氏

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7.暗躍の飛竜

 アデリーナはテレザを旅の氷術師、及びプロの情報屋として、他の連隊長に紹介した。ルイスは平常通りからからと笑ってテレザと握手を交わしたが、バルドメロは妙齢の女性が現れたにもかかわらず、仏頂面をしてやけにおとなしかった。テレザの身なりは確かに旅人風で、一般の街娘などと比べれば確かに変わっているが、それは傭兵のアデリーナとて同じことだ。

(まさか本気で他の女は口説かない、なんて思ってるんじゃないでしょうね)

 一瞬そんな考えが頭をよぎったが、到底受け入れられないことなので、すぐにそれを捨てた。アデリーナはテレザに向き直って、疑問の口火を切った。

「テレザ、どうしてリビュアにいるの? セラニウストロスで竜を見るって言ってたのに」

 テレザは額をかきながら真剣な面持ちで答える。

「それなのよ。竜は確かに見たわ。それぞれ翼の生えた青い鱗の竜と、緑の鱗の竜、そして黒い鱗の竜。体格は大きめの軍馬ぐらいで、確かに人を乗せて飛んでたわ」

「一度に三頭も……」

「ええ。ただ、それを見た場所が問題だった。あたしは確かに、アデリーナと別れたあとセラニウストロス荒野に向かったんだけど、思ったより道中厳しくて、なかなか奥地まで進むことが出来なかったの。どこまで行っても人の集落はない、寒暖差は激しい、挙句の果てに一つ目巨人に追い回されるわで、散々だったわ」

 その疲れた口調は、テレザのようにほとんど冒険家に近い旅人の生活が、気楽なことばかりではなく、それはそれで過酷なものだということを物語っていた。テレザは話を続ける。

「えっと、問題はそれじゃなくてね。結局、あたしはファーブニル竜騎士団の拠点にたどり着く前に引き返してきたんだ。なぜかっていうと、荒野に入ってまだそんなに経たないうちに、さっき言った三頭の竜が、あたしの頭上を、ものすごい速さですれ違っていったから。彼らがどの方向に向かったか分かった時、あたしは旅なんかしてる場合じゃないと思ったわ」

「そいつらはどこに向かってたんだ?」

 ややもったいぶったテレザの話しぶりに、ルイスが少し焦れたように訊く。しかしアデリーナはテレザの答えを聞く前から、大方その方向の見当がついていた。

「……他でもないわ。帝国領、ヘスペリアよ」

 連隊長たちの間に戦慄が走る。それは今回帝国軍が立てた作戦上で、最大の欠点を突かれうることを示唆していた。ルイスが、その戦慄を打ち破ろうとするかのように笑い飛ばす。

「でもよ、あんたが見たのは竜三頭だけ。軍隊を率いてたわけじゃないんだろう? いくらヘスペリアの守りが薄くたって、兵がいないわけじゃない。恐れるこたあねえ」

 テレザはルイスのその楽観的な観測を、首を振って打ち消した。

「たった三頭といっても、竜の戦闘力は未知数よ。言い伝えによれば、竜騎士が二人いれば、小さな国一つ滅ぼすのに一晩かからなかったって言うわ」

「伝説は伝説だろう?」

「だとしても油断は禁物。竜と人とは機動力が違うから、偵察もかねて先行して、あとで本隊と合流するのかもしれないし」

 テレザの言うことも尤もだった。それが何であれ、戦時に何か不自然なものを見かけたら、いくら警戒してもしすぎるということはない。ルイスもそれを理解したのか、もう一声だけ笑って、あとは黙ってしまった。

「戦争に本格的に関わってしまう気がして、あたしもあんまり気はすすまなかったけど、好奇心には勝てなくてね。竜を追って、来た道を全力で引き返したの。そして荒野と帝国領の境目にある山脈の麓で、運よく野営をしている彼らに追いついたわ。気付かれないように、竜に乗っていた三人の騎士の姿を見ることも出来た。一人は真っ赤な髪をした若い女で、体つきは引き締まってて剣を持っていたからきっと武官でしょう。もう一人は甲冑を着込んだちょっとかっこいいおじさんで、いかにも騎士って感じの人。あとの一人は、騎士って言うより、村娘って感じだったわね……。戦闘員かどうかわからないけど、まあ竜を乗りこなせることには変わりないから、只者ではないでしょうね。

 三人ともやけに時間を気にしてて、誰かを待っているかのようだった。気になってもう少し観察していたら、新たに二人の人物が野営地に姿を現したわ。髪を短く整えた女剣士と、弓を持った片目の大女。おそらく、あなたたちと同じ傭兵よ。竜騎士側の赤い髪の女が、彼女達に金を渡して何か約束していたみたい。まあ、内容は誰にだって予想がつくわね。戦時に傭兵に依頼することなんて、戦争以外にないじゃない。そして、そこから一番近いのは帝国領ヘスペリア。あたしはでかい情報をゲットしたってわけ。帝国の幹部にタレこめば、たんまり報酬がもらえるって、そう思ったんだけどね……」

 話し疲れたのか、そこでテレザがひとつ息をついた。すかさずバルドメロが、水を注いだゴブレットを彼女に差し出す。テレザは、ありがとう、と短く言ってそれを受け取り、一口飲んだ。バルドメロは相変わらずやけにおとなしいが、その代わりテレザを眺める目配りが、何かを探っているようで妙であった。しかし、今はそんなことを気にしている時ではない。アデリーナがテレザに問う。

「ヘスペリアにも帝国の幹部はいるけど、情報は持ち込まなかったの?」

「もちろん持ち込んだわよ。でも駐留してたのはよりにもよって副宰相のゲレオン。最初は門前払いだったけど、あたしが女だって分かるや否や、いきなり自室に通されて、とても興味深い話だから、一晩掛けてじっくり聞かせてほしい、謝礼は充分に弾むから、なんつってあたしの全身を嘗め回すように見るじゃないの」

「ふむ」

 その段になって、なぜかバルドメロが鼻を鳴らす。しかし、それ以上何かを言うわけではない。テレサは気に留めず話を続ける。

「そんなこといちいち気にするたちじゃないけど、さすがに気持ち悪くて、忘れちゃったとか何とか誤魔化して逃げ帰ったわ。しつこかったけどね……。どっちにしろ、まともに取り合ってもらえなかったってわけ。どうせタレこむなら、もっとまじめな人にしなきゃって、そう思って王都に向かう途中、ここであなたたちと出会ったのよ」

 さすがは帝国でもホラーツと並ぶゲスの筆頭、ゲレオンである。その行動は、悪い意味でまったく期待を裏切らない。まじめにテレザの話に耳を傾けていれば、首都に救援を要請して、奇襲に備えることも出来たものを……。テレザが、まじめな人、と言ったところでアデリーナが思い浮かべたのは、他でもない近衛騎士団長ディートハルトだが、この情報を即座に信用して軍を動かすかどうか。なんにせよ、賭けてみる価値はあった。

「すぐに王都に鳩を飛ばすわね。私たちには充分な報酬は支払えないけど、あとで帝国軍部に請求すれば、お望みの額がもらえると思うわ」

「もとより、あんた達からふんだくるつもりはないわ。あたしは、帝国軍が崩壊して、アデリーナが死ぬ可能性が増えるのが嫌だっただけよ」

 テレザのその掛け値のない友情の言葉は、アデリーナの心を温かくした。

「ほんと、テレザには助けられてばっかりね」

「いちいちしんみりしないの。友達でしょ。そんなことより、あんた達がここに駐留してるってことは、アポイタカラと一戦交えるつもりなのかしら?」

 これに対しては、いつになく冗談抜きの真剣な口調でルイスが答える。どうやら彼もテレザの情報屋としての腕を認めたようだ。

「そうだ。奴らが戦の準備をしているらしいことだけは何とか探ったが、あまり戦力の実態がつかめていない。前回リビュアに侵攻してきた時は、近衛騎士団が駆けつけるや否や、あっという間に蹴散らされてしまったらしいが、二度も同じ轍を踏むとは思えねえ。だから俺達も少しでも情報がほしい。……何か知ってるか?」

 テレザが得意げに笑って言う。

「あたしの人脈をなめんじゃないわよ。ゲットしたてのほやほやの情報があるわ」

「あんたを疑うわけじゃないが、こんな時期に、どうやってドワーフ側の情報を手に入れるんだ?」

「それは企業秘密だから言えないけど、一つヒントを言えば、リビュアの城壁はドワーフの侵攻を防ぐためだけにあるわけじゃない。関所でもあるってこと」

「よくわからねえが、ドワーフの中にも、わざわざ関所を抜けてきて、国を売る奴がいるってことか?」

「そこまで大げさなもんじゃないわ。あたしはただ、そのドワーフが知っていることを聞いただけ。でも、そこから推測できることは、たくさんあるわよ」

 そう言ってテレザが話しはじめた内容によれば、かねてよりアポイタカラのなかに、戦争反対派のドワーフたちがおり、戦争推進派の現リーダーと対立していたが、ある事件をきっかけにそれは収束し、反対派のドワーフたちもリーダーに従うことになったらしい。その事件というのが、クーニッツ騎士団による、アルシア攻城戦であった。

 現リーダーのクロムは、大陸でも右に出るものはない当代最高の武器職人であった。あらゆる鉱物や金属を加工して、武具、日用品、工芸品などを製造し、輸出することで糧を得るドワーフたちには、職人として最高の腕を持つ者をリーダーとして据える伝統がある。彼はその伝統に則って、数年前に職長の座に就いた男だったが、元傭兵上がりで、性格はこの上なく粗暴、発言はこの上なく理不尽、思慮浅く直情的で、おまけに差別主義者という、最もリーダーとして相応しくない資質の持ち主だった。そこまで聞いて、バルドメロが初めて口を挟む。

「クロムとは、かつて死刑執行人と称され、味方を顧みない破天荒な戦いぶりで、良くも悪くも恐れられた伝説の傭兵、あのクロムのことか?」

「戦場でなんて呼ばれてたか知らないけど、元傭兵だってのは確かよ」

 バルドメロが慄然として声を上げる。

「なんということだ。もし小生の知っているクロムなら、それだけでも苦戦を強いられるかもしれん。何しろその突進を止めるのに弓は効かず、その斧の一閃を防ぐ盾はなく、敵に対する攻撃はあくまで容赦なく残忍だ。小生は一度だけ彼を戦場で見たことがある。野獣のように歯を食いしばり、狂気の笑みを浮かべながら、逃げ惑う敵兵の首を、その巨大な斧で刎ねて回っていたよ……。小生も斧を使うが、敵兵の首を刎ねたことなどない。戦いに求めるのはあくまでスリルであって、殺人ではないという小生の美学に反するからな。だが、そんな理想論などまったく通用しない相手であることは確かだ」

 バルドメロの話に、アデリーナは戦争に美学も何もないだろうとは思ったが、問題はそこではなく、これから自分達が戦うかもしれない相手が、残忍極まりない性格だということを知って、少なからず恐れを抱かないではいられないということだった。ルイスなどは弓が効かないという話を聞いて顔を引きつらせ、

「そんな奴が突進してきたら、俺なんかもう、笑うしかねえな」

 と言ってまた笑った。アデリーナも内心不安を覚えないではなかったが、あえて決然とした態度で、

「相手も生身なんだから、何の攻撃も効かないはずはないわ。一人で戦うんじゃないんだもの。打つ手は必ずある」

 そこにいる仲間達と、自分自身を鼓舞するように言った。

 アルシア攻城戦に話を戻すと、戦争反対派のドワーフたちは、まずクロムとの対立が深刻化したのち、クーニッツ騎士団長ジギスヴァルトに面会を求めたという。かねてより、反対派の筆頭で、女性ドワーフの中では最も発言力のある彫金師ハステロイを通じ、クーニッツ騎士団の副団長で、これも女性にして敏腕の騎士フィリーネが、アポイタカラへ騎士団への服属を打診していた。クーニッツ騎士団は全領民の人権及び男女の平等を掲げ、ドワーフたちにもそれを保障したため、平素より職人よりも扱いの低かった炭鉱夫や、女性ドワーフたちを中心とした反対派のドワーフは、それに応じることにやぶさかではなかったが、肝心の職長クロムが首を縦に振るわけもなく、服属交渉はほとんど決裂状態であった。

 そこで反対派は、職長との交渉決裂を契機に、実力行使に出たのだった。まず女性ドワーフの代表であるハステロイが、農民達を扇動してアルシア城への食料の供給を断った。そしてその事実を手土産に、クーニッツ騎士団のジギスヴァルトに、軍を率いてアルシア城に攻め込むことを要請したのである。ただし戦争推進派に属する人物、即ち職長のクロムと、その唯一の弟子で、またアポイタカラに所属する唯一の人間族の職人でもあるニッケル、前職長で長老のタングスの三名の助命を条件としてのことではあるが。職長自身はともかくとして、後者の二名もまた戦争そのものには難色を示しており、クロムを孤立させないためだけに渋々彼に従っているに過ぎなかった。クーニッツ騎士団は快くその要請を受け入れた。

 開戦前、兵糧の備蓄に限界を迎えていたアルシア城内のドワーフたちには、ジギスヴァルトによって降伏勧告がなされたが、クロムは即座に徹底抗戦を表明した。クーニッツ騎士団の兵力は、反対派ドワーフの兵力を吸収した結果、かなりの大軍となっており、対するアルシア城のドワーフはリビュア侵攻を失敗したこともあって少数、おまけに兵糧不足と、クロムの抵抗が無駄に終わることは誰の目にも明らかだった。表面上はクロムに従っていたニッケルやタングスさえ、それを確信していたという。

 戦闘はクーニッツ騎士団の思惑通りに進み、堅固なアルシア城の城門も程なくして破られ、クロムたちは絶体絶命、ハステロイたち反対派は勝利を確信した。ジギスヴァルトは、その助命のためクロムたちに改めて投降を促すところであった。まさしく、そのときであった。クーニッツ騎士団の背後に突如、所属不明の軍隊が現れ、騎士団の兵たちに向かって突撃を開始したのである。否、果たして軍隊と呼ぶべきかどうか、それはアルシア城の南西、ケブレニア湿原帯に棲息する恐るべき蜥蜴型の亜人、獰猛なるリザードマンの群れであった。

 リザードマンは、決して知能が低いわけではないが、文明に対しては背を向け、産業を持たず、湿地帯に棲息、あるいは進入する生物を狩猟することのみによって日々の糧を得る種族である。狩猟する対象にこれといった区別はなく、人間やエルフさえも躊躇なく獲物と見なすため、それを知る者で湿地帯に近づくものはまずいない。毒を持つ鋭利な牙と、巨体を生かした天性の戦闘技術を有し、固い鱗に覆われた皮膚に驚異的な再生能力を持つという、戦士としては文句なしの最強の種族であった。特に生息域である湿地帯での動きは恐ろしく素早く、音もなく近づき、その牙と武器とでもって、獲物を一瞬で仕留めることができる。もし襲われれば、いかなる手練の戦士であっても、生きて帰るのは絶望的だといわれていた。しかし、リザードマンは生物の食物連鎖を種族絶対の掟として守るため、獲物を狩る以上の戦闘行為は行なわない。運がよければ獲物を見逃すこともあった。

 そうした性格を持つ種族のため、戦乱には積極的に参加せず、他種族もリザードマンの領域を侵さぬことを暗黙のルールとして、一定の秩序を保っていたのだった。

 だから、リザードマンが背後を攻めてくるなどと、クーニッツ騎士団の誰が予想しえたであろう。おまけに何の関わりがあったのか、リザードマンはエリダニアの森の妖精族まで従えていたのである。妖精族もまた、リザードマンに並んで野性的な種族で、普通なら他種族と交流することなく森にひっそりと暮らしており、人間を襲撃するなど聞いたこともなかった。

 なんにせよ騎士団の戦線は大混乱に陥り、自分達が何に襲われているのか理解する間もなく、リザードマンの毒牙と剣をその身に受け、また妖精の魔術やその羽根の毒鱗粉によって体の自由を奪われ、多くの兵達が一瞬にして絶命した。総司令官ジギスヴァルトも重傷を負って指揮能力を失ってしまい、すんでのところまでクロムたちを追い詰めたものの、クーニッツ騎士団は全軍撤退を余儀なくされた。完全に攻守逆転したクロムは、弟子のニッケルの必死の進言によって、反対派のドワーフたちを保護し、造反の罪を問わず自軍に取り込んだ。

 クーニッツ騎士団が撤退したのを見届けると、リザードマンたちは兵を引き、速やかに湿原へ帰っていった。ドワーフとリザードマンの間に、かねてより明確な同盟関係があったわけではないが、職長のクロムが、リザードマンのリーダー、ヒッサーをはじめとした主だった戦士たちに、平素から優れた武器を提供していたことが、今回のアルシア城援護につながったのだろう。

 ……以上がテレザが知り合いのドワーフから聞いたという、アルシア攻城戦の顛末である。

 アデリーナたちにとって重要なのは、クロムが反対派のドワーフたちを戦力として取り込んだということで、それは即ちアポイタカラ軍が、前回のリビュア侵攻より大編成で攻め込んでくる可能性が高いということだ。ドワーフたちは山を根城とする種族の性質上、ただでさえ屈強であり、戦士としては人間は明らかに分が悪い。しかし、白兵戦は非常に得意だが、四肢が短いため弓も馬も使いこなせず、歩兵の足も遅いということがドワーフの欠点であった。アデリーナたちの連隊には、弓兵、そして術師と、間接攻撃を得意とする兵も多数配備されている。

「城門を破られるまでに、どれだけ兵を減らせるか……勝利の鍵はそこね」

 アデリーナの言葉にルイスが頷き、

「まっ、俺に任せときな。弓が効かねえといったって、目ん玉や口ん中まで丈夫なわけじゃねえ。数うちゃ当たるだ。なんとかなるさ。そのかわり、城門が破られたら頼んだぜ」

 そう言って笑った。クロムの話を聞いて一瞬は気が動転したように見えたが、気を取り直すのも早かった。そういう者が指揮を取れば、たとえ劣勢に追いやられたときでも、兵達が士気を落とさないですむ。

「うむ。たとえ城門が突破されたとしても、わが気高きハルバードが悪漢クロムの進軍を止めるだろう。殺人に塗れた戦斧などは、小生がその信念でもって成敗せねばなるまい」

 バルドメロの言葉も頼もしいものだった。彼の性格もまた常に動じず、指揮官としての資質を十二分に物語っていた。

(私もがんばらなきゃ)

 仲間達の姿を見て、アデリーナもまた心ひそかに奮起した。

「さて、と。アデリーナ、実はあなたに紹介したい人がいるの」

 全てを話し終えたテレザが、アデリーナに向かって言う。とはいっても、それらしい人影は見当たらない。アデリーナがあたりを見回すのを見て、テレザが、

「ははん、恥ずかしがって隠れてるのね。大人の話は終わったわ、出てきなさい」

 と言って辺りに声をかける。やがて、焚き火の光の届かない闇の中から、五、六歳ぐらいの身の丈の子供らしき人影が、足音もなく近づいてくるのが分かった。頭が妙に大きく、そのてっぺんに何か尖ったものが付いている。何か変わった帽子でも被っているのか、それとも人間ではないのだろうか。

 焚き火の光がようやくその顔を照らした。それは紛れもなく、白黒の縞模様の猫であった。

「にゃー」

 猫は目を細め、自己紹介するかのように、その口を開く。猫科らしい細く鋭い牙が覗き、そして声もまた、猫以外の何ものでもなかった。ただ違うのは、猫にしては巨大で、マントを羽織り、おまけに二本の足で歩いているということ。

「あたしの友達で、獣人のタスクよ。術師仲間で、彼女は地の魔法を使うわ」

「彼女ってことはメ……」

「ふーっ」

 メスと言いかけてタスクが牙をむいたので、アデリーナは訂正した。

「……女の子なのね」

「そう。あなたの話をしたら、どうしても会いたいって、ついてきたの」

「にゃー」

「あの、素朴な疑問だけど、テレザは猫の言葉が分かるの?」

「……彼女は獣人よ。まあ、一緒に過ごしていればなんとなくね」

 答えになっているようで答えになっていなかったが、アデリーナは納得するしかなかった。それでも、タスクという名前は、獣人の口から名乗られたのだろうか、それともテレザが勝手に呼んでいるのだろうか、などと、疑問は尽きなかった。アデリーナのそんな胸の内を知ってか知らずか、タスクは何かを伝えるようにもう一声鳴いたが、やはり意味は理解できなかった。

「ちょっと失礼」

 突然、バルドメロがテレザの肩にぶつかる。巨漢ではないが、戦士なだけあってバルドメロは充分体格が良い。テレザはバランスを崩し、その場にしりもちをついた。髪の毛が乱れ、珍しくその前髪の間から彼女の目が覗く。二重でまつげが長く、非常に美しい目だ。アデリーナは、ヘスペリアで共同生活をしていたころからそれを知っていて、隠さないほうが良いと常々思っていた。しかし情報屋という職業上、相手に目を見られないほうが都合が良いらしく、テレザは決して髪形を変えようとしなかった。

「やはりな」

 バルドメロが静かに言う。彼に対してテレザが憤然と抗議する。

「なにすんのよ、おっさん! 目の付いてるところ間違ってんじゃないの!」

 バルドメロはテレザに向かって手を差し伸べながら、悪びれもせずに言った。

「いいや、間違ってなどいない。なぜなら小生の両眼は、今やあなたの美貌に釘付けだからだ。小生はどうしてもそれを確かめたくて、失礼なことをしてしまった。その神秘を秘めたメイルシュトロームの如き瞳の光、世界のどんな宝石でも比肩することはかなうまい。お許し下さい、セニョリータ。小生、元はモアブの貴族でしたが、スリルを求めて出奔し、今は世界をまたに掛ける勇敢な戦士……人呼んで、戦場の愛の貴公子バルドメロ、ドン・バルドメロとお呼びください」

 アデリーナに声を掛けた時とほとんど同じ口調で自己紹介を始めた。それを見たアデリーナは呆れかえった。バルドメロがテレザに妙な目配せを送っているのに気付いてから、どうせこんなことになるのではないかと思っていた。まあ、想いを決めた女性以外は口説かない、とかいう家訓が破られたことは、これで証明されたわけだが。ただ、意外だったのはテレザの反応だった。

「モアブっていったら、パボニス島の出身なの?」

「さよう。勇ましき海賊達を祖先に持つ者たちの街だ」

「じゃあ、カエルの知り合いいる?」

 過去の傷をえぐられたか、バルドメロは少し苦しい表情をしたが、すぐにそれを打ち消して言った。

「カエル族の国、ググ王国のある湖畔の都タルシスには、オペラを見るため良く足を運んだものだ。よろしければ、今度小生が案内して進ぜましょう」

 テレザがバルドメロの手を両手で握って感激したように声を上げた。

「素敵! あたし、今まで世界中を旅してきたけど、カエル族の友達はまだいないの! オペラとかなんかその辺のことは良くわかんないけど、是非連れてって!」

 再び前髪に隠れた二つの瞳が、好奇心に輝くのが見えるようだった。アデリーナは阻止したかったが、すでに二人の世界に入ってしまい、今は耳を貸してくれそうになかった。

(ラトカ、あなたの恋は前途多難よ……)

 アデリーナは、王都にいておそらくバルドメロのことを想っているであろうラトカの姿を思い、やるせない気持ちになった。

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