その後、どういうわけかテレザは傭兵隊のキャンプに居ついてしまい、おまけに商売を始めたのだった。といっても情報屋はあくまで裏の顔なので、例によって氷屋だが、ただの氷を売るのではない。彼女の使う氷術で冷え固められた家畜の乳や果汁、それをお菓子として売り始めたのである。アデリーナがヘスペリアで彼女の仕事を手伝っていたおり、その作り方について書かれた古文書を蚤の市で偶然手に入れたとかで、これはすごい商売になるかもしれない、とテレザが大興奮していたのを覚えている。アデリーナは、開店第一号の客として、そのお菓子をひとつ無料で進呈された。見たこともないお菓子だったので、恐る恐る口をつけたが、そのとたん、冷ややかな氷の刺激と同時に、ほのかな甘みと、濃厚な乳のコクと香りが舌先に広がり、アデリーナは思わず舌なめずりして、
「んん……おいし」
とつぶやいた。
「ぃよしっ」
テレザはそれを聞いてこぶしを固め、商売の成功を確信した。アデリーナはその冷たい菓子をあっという間に平らげてしまった。タスクもテレザの足元で寝そべりながら、出来立てのお菓子を旨そうに目を細めて、ペロペロとなめている。
(猫舌なら、冷たいものは熱いものほど苦手じゃないわよね)
と、アデリーナは、ほとんどどうでもいい、着地点の見えない妙なことを考えた。まだ慣れないのか、この獣人を見ているとどうも調子が狂う。つまるところ猫なのか、人なのか、どちらのように接すれば正解なのか。とにかく人間にとっても、獣人にとっても、このお菓子は美味しいということで相違ない。
「驚いたわね……家畜の乳を冷やしてお菓子にするなんて」
「ふふふ、偉大なるロストテクノロジーのお菓子、アイスクリームよ。最近、オカカの実を原料にした、チョコレートとかいうお菓子が、祝日イベントがらみで出回って大流行したけど、それを見て、何かいいアイデアがあれば、あたしも儲けられるって思ってたのよね。アイスクリームは氷術師のあたしならではの商売よ。パティシエたちなんかに、簡単に真似させないわ。ちなみに、チョコレート混ぜた奴も作ったわよ。原料が手に入りにくいから、ちょっと値が張るけどね」
「ぜひ食べたいわ」
「銀貨一枚よ」
「……そこは取るのね」
「一個ただであげたでしょ。水一杯と比べたら安いもんよ」
その言葉を聞いて、アデリーナはテレザと初めて出会った時のことを思い出し、苦笑した。
結果として、アイスクリームは傭兵達の間のみならず、リビュアの町民達の間でもすぐうわさになった。戦闘前にあまりお祭り気分になられても困るのだが、貴重な情報をロハで教えてもらった手前もあって、アデリーナ以下三人の連隊長は、テレザの商売を容認したのだった。帝国正規軍の士官がいれば、こうはいかなかっただろうが、幸いリビュアに駐留しているのは傭兵のみであったので、アデリーナたちの一存で決めることが出来たのである。いつ攻めてくるかわからないアポイタカラ軍の脅威に、日々緊張を強いられる兵たちは、テレザのアイスクリーム屋を歓迎した。また、物見高い町民達も、この新しいお菓子を一口味わおうと、こぞって傭兵隊のキャンプまで足を運んだ。チョコレートアイスがたとえ銀貨一枚であろうと関係なく、店は繁盛した。
その日仕込んだ分のアイスクリームが売り尽くされ、ヘスペリアで共同生活をしていたころのように店じまいを手伝いながら、アデリーナは、個人的にずっと引っかかっていることを、テレザに訊いてみようと思った。
「テレザ、ずっと気になってることがあるんだけど」
「なに?」
テレザはアデリーナの問いかけに対し、何の気なしに聞き返す。アデリーナは少しためらってから、やはり意を決して訊いた。
「あなたが戦争を嫌う理由って、なんなの?」
「戦争は誰でも嫌いでしょ」
「そうだけど……。この大陸に住む人々にとって、戦争は身近なことだから、すっかり慣れきってる人もいるし。だから、あなたの態度がちょっと気になったの」
テレザは困ったように頭をかき、それに答える。
「戦争が終わらないのは異常なことだっていうのは、アデリーナも言ってたことじゃない。そして、それに慣れてしまうのはもっと異常なこと。そうね、戦争そのものが嫌いってのもあるけど、戦争に慣れた世界が嫌いってのが正直なところかな。あんたとおんなじよ」
「うん……」
アデリーナの質問の意図は他にあったのだが、なんだかテレザの心の深いところに触れてしまうような気がして、それ以上しつこく聞くことはできなかった。それでも、ヘスペリアでの別れの際のテレザの言葉は、ずっとアデリーナの胸のうちで反芻されてきた。
「戦争なんて、簡単に人が死ぬんだから」
「あんたが生き延びてこられたのは運が良かったからよ」
どちらも戦争が起これば、当たり前の事実だ。ただ、それを訴えるテレザの真剣さは、普段は飄々とした彼女らしからぬものだった。最後には細かく肩を震わせ、泣きじゃくりながら、死なないで、と心細そうにつぶやいた、あの姿も。
二人の会話は途切れた。店の荷物を次々と点検し、次の日の開店に備えて手際よく配置しながら、テレザは何か考えているようだった。そして、ためらいがちに言った。
「……ここだけの話にしてよね。情報屋は他人の話は商売道具にするけど、自分の話をするのは得意じゃないのよ」
アデリーナは恥ずかしげに笑うテレザの顔を見つめながら、真剣な面持ちで黙って頷いた。テレザは少し逡巡してから、ぽつりぽつりと、自分の過去について語りはじめた。
「あたしの生まれは、氷術師だけが暮らす小さな集落だったの。自分達の持つ魔力の使い方を工夫して行商したり、どこかの国に仕官したり、まあ、戦争屋もいるにはいたわ、そうやって日々の糧を得ていたの。あたしも幼いころから両親に氷術を仕込まれて、大人になるまでに、魔法全般に関する理論も一通り学んだわ。そうして魔術師として一人前になりつつあると、仕上げに旅に出て修行するのが集落の決まりだったの。あたしも、それに倣って旅に出た。修行のためとはいえ、旅はとても楽しかったわ。集落自体はあまり外界との接触を好まなくて、旅に出ても集落の場所だけは言ってはいけない決まりがあったくらいで。だから見るもの全てが新鮮だった。エリシウム砂漠に行ったときは、見渡す限り一面の砂ばかりで、歩きにくいし、暑さは半端じゃないし、モッフルには襲われるし、新鮮を通り越して地獄だったけど、それでも新しい経験ができるのは価値あることだと信じてたから、辛くなかった。そうして、自分なりの生きる術を身に付けたら、一度集落に帰って、一回り大きくなった姿を見せるのよ。そのとき氷術師は初めて一人前と認められるの。あたしも旅を重ねて、もうどこでも生きていけるって、ひとまず自信が付いたから、自分も一人前と認めてもらうために集落に戻ったわ。
でも、戻った場所に集落はなかった。正確には、残っていたのは焼け跡だけ。家は焼かれ、貴重な魔法学の文献も、全て燃やされていた。集落が襲われたのは一目瞭然だった。今でこそ、帝国魔術大学があるおかげで、魔術は少しずつ正式な学問として認められつつあるけど、地域によっては、まだ理解が得られないことも多いし、怪しい術を使うからって、敵視する人もいるわ。そういう人達から身を守るために、集落の場所を明かしてはいけないって決まりは絶対だった。でも、誰かがうっかり口を滑らしたか、それとも偶然見つけられたか……。きっと氷術師たちを良く思わない連中に知られたのね。盗賊ではなさそうだった。魔法学の文献は、売れば大金になるからね。それを燃やしてったってことは、魔術師を憎む連中の仕業だったのかもしれない。集落の人達も、たくさん殺されていた。あたしの家族や、友人達もね……。しばらくは涙も出なかったわ。もう、呆気にとられちゃって。ただ、焼け跡をふらふら歩きながら、これが戦乱なんだ、これが戦乱なんだって、心の中で繰り返してた。
焼け跡の中を歩いているうちに、一人だけ生き残りを見つけた。あたしより年下の女の子で、エルザっていう子。氷術師の集落始まって以来の天才で、成長すれば、誰もなしえなかった氷術の極大呪法を完成させるだろうと言われていたぐらい。まだ年端もいかなかったから、旅には出ていなくて、集落に残ってたのね。物音を聞いてずいぶん怯えたみたいだけど、あたしの姿を見るなり泣き出して、飛びついてきたわ。『テレザおねえちゃん』って……。そこで実感したの。とても悲しいことが起こったんだって。あたしも糸が切れたようにへたり込んで、二人で抱き合って、しばらく泣いていたわ。
泣き止んでから、酷だとは思ったけど、あたしはエルザに、集落で何が起こったか尋ねた。黒い装束を着た男たちが突然現れて、家に火を放ち、集落の人達を殺し始めた。エルザはすぐに大人たちに物置に隠されて、ほとんど何も見てなかったらしいけど、一人だけ顔を覚えてるって言ってたわ。無精ひげを生やし、うつろな目をした、四十がらみの男で、あのお方のご命令は絶対だ、とか何とか言って、部下に指示を出していた。でも、そこからあとはエルザは、人々の叫び声や、物が壊される音が怖くて、耳をふさいで小さくなっているしかなかった。そして、物音が消えたことに気付いて、物置から外に出たら、見るも無残な有様だったというわけ。エルザの父親も殺されていたけど、母親の死体は見当たらなかった。例の四十がらみの男が、女は殺すなって指示をしていたらしいから、連れ去られたのかもね。何のためかわからないけど。でも、それはエルザにとって、一縷の望みになったわ。母親がどこかで生きているかもしれないっていうね。
あたしたちはショックから立ち直るまで、あまり魔術に偏見のない街を探して、しばらく二人で暮らしたわ。どこで誰が見ているかわからないから、できるだけばれない様に魔術を使って、それで商売したりしてね。エルザはもともと気の強い子だったから、だんだん考えることも前向きになっていった。そして、ある日あたしに言ったの。『世界一の魔術師になってやるわ。お母さんと再会したとき、立派になったね、って言ってもらえるように。絶対、なってやるんだから』って。次の日、エルザはあたしと別れて、一人で出て行った。ちょうど、狙い済ましたように、帝国魔術大学で特待生の募集があったの。火術の研究は充分に進んでいるから、それ以外の属性を使える術師は格別優遇する、成果によっては宮廷魔術師の道も開ける、って触れ込みでね。どうも、特待生制度の導入を企画したのは、あの副宰相のゲレオンだったらしいけど……、まあ、行き場を失っていたエルザにとっては、天の救いのような話。あたしは学生なんて性に合わないから、旅を続けることを選んだけど、エルザは天才だったからね。勉強したいって気持ちも強かったんでしょう。その関係もあって、あたしも講師のバイトに呼んでもらいやすくなったんだけどね。
まあ、生きてれば何とかなるって思うようにはなったけど、やっぱり戦争は嫌いだわ。エルザみたいな子が、きっと今日もどこかで泣いてるのよ。大切な人や、帰る家を失って……。だから、あたしは情報屋だけど、あまり戦争には関わりたくない、ってのがいつも正直な気持ち。自分の情報で誰かを救うことができるなら、その限りではないけどね」
そこまで話しきって、テレザは口をつぐんだ。アデリーナは、言葉もなく、彼女の過去に起こったことについて耳を傾けていた。自分もそう、ラッセルもそう、テレザも、その話に出てきたエルザも、おそらく連隊の傭兵達の中にも、同じ境遇の者がいるだろう。彼らは戦乱によって大切なものを失い、それまでとは違う生き方を求めなければならなくなった。戦乱の世に、多くの人が生き方を見失い、彷徨っている。被害者ぶるつもりはない。特にアデリーナは祖国を失いながら、結局、戦争を生業にしているのだから……。ただ、たとえ戦うのだとしても、戦争を憎む気持ちは忘れてはならない。戦争を好む人間が増えれば、戦乱はいつまでも終わることがないからだ。アデリーナは自分に問う。祖国を失った自分の、この亡国の剣を、何のために振るうのか。戦乱をいつか終わらせるため、その力となるため振るうのだ。戦争屋の偽善と言われても良い。剣士である自分に出来ることはそれなのだと、アデリーナは信じるしかなかった。
「ありがとう、話してくれて。辛かったでしょう」
「別に……あたしはあんたを信用してる。だから自分の過去を話してもいいと思った。それだけよ」
「うん……テレザ、ありがとう」
アデリーナは心からの感謝の言葉を繰り返した。アデリーナの足元に、タスクが喉を鳴らしながら擦り寄ってきていた。そのしぐさはまったく猫そのもので、彼女が亜人であることを忘れさせるほどであった。アデリーナは、タスクのつややかで柔らかい毛並みに指を這わせながら、
「……そのエルザって子も、いつか私に会ってくれるかしら」
とテレザに訊いた。
「状況が落ち着いたら、紹介するわよ。彼女は入学してからすぐ飛び級して、今は帝国魔術大学の大学院生。研究に追われて各地を飛び回ってるわ。火術の権威、バルドゥル以来の逸材として、首席卒業の最有力候補と目されているみたい。同郷のあたしも鼻が高いわよ」
テレザの口から、あの火術師の名前が挙がる。そういえば、第二次チュレニー海戦後、彼はどうなったのだろうか。クーニッツ水軍を消滅させた恐るべき力は、本当に彼の手によるものだったのか。実はテレザが過去について話している中で、またひとつ気になった言葉がある。極大呪法。それは、傭兵達の間で、バルドゥルが使った恐るべき魔術の正体として、まことしやかにささやかれている言葉だった。そのあまりの威力に、バルドゥル自身が罪の意識にさいなまれ、短い書置きを残して帝国から姿を消したといううわさもあった。せっかくだから、アデリーナは、そのことについてもテレザに訊いてみようと思った。
「その、エルザって子、極大呪法を完成させるかもしれないって、さっき言ってたけど、いったいなんなの、極大呪法って」
テレザがまた困ったように笑う。
「もう、聞きたがりね」
「……ごめんなさい」
「まあ、いいわ。極大呪法ってのはね、それぞれの属性魔法の極北にある理論のことで、それを突き止めたものは、世界の真理を垣間見ることができるっていう、まあ、魔術師にとっては誰もが目指すべき目標みたいなものね。その理論については大昔から数々の文献が記してきたけど、極めて難解なうえ、解読できても肝心なところがぼやけたりしてて、正直、実在するかどうかさえ疑わしいといわれてきた。だから、ほとんどの人は最初っからあきらめてるけど、エルザみたいに、こう、教えられる前から術式が見えちゃうとか、一つのことが分かったら百のことに応用しちゃうとか、要するに頭の出来が違う子は、それを真剣に目指すのよね。あたしもエルザから、じきじきに極大呪法の概要や理論を聞きかじったけど、正直、半分も分からなかった。ほんと、天才は怖いわ……。あたしがもっとまじめに魔術に取り組んでたら、完全に自信をなくすところよ」
そして何か思い浮かべるように上を見て、指を折り数え始める。
「えーと……魔法で発生させることのできる現象の属性は、現状分かっているだけで、地術、氷術、火術、石術、雷術、風術、水術、音術、光術、闇術、毒術、そしてドワーフの秘伝で伝承者不明の金術、と十二種類あるわ。合ってるわよね?」
急にテレザがアデリーナの顔を見たので、分かるわけもない彼女は慌てて首を振る。テレザは少し意地悪く笑ってから、話を続ける。
「程度の差こそあれ、主に人間族が使いこなせるのは、火術、氷術、簡単な水術、回復魔法としての光術、あとはせいぜい一部の人間が風術を使うぐらいかしらね……。とにかく、一つの属性を極めるだけでも膨大な研究と実践を積み重ねなけりゃならない。極大呪法の一歩手前までいける人は、たまにいるんだけど、その先が果てしなく遠いのよ。たいていはあきらめるか、研究しているうちに寿命が尽きて死ぬか、そのどちらか。少なくともこれまではね。術師仲間のうわさでは、極大呪法に最も近いといわれている人物が、知られているだけで何人かいるわ。まず獣人族の長老で地術の権威エレファント、エルフの長老で風術の権威レアンドル、そして火術の権威で帝国宮廷魔術師のバルドゥル。エルザも、学生ながらこの三人の間に食い込んできたみたいね。えーと、それでね、特にバルドゥルは極大呪法の理論を、秘密裏にすでに完成させている、ってうわさが最近立ったのよね。……アデリーナ、あたしはあんたが本当は何を聞きたいか、分かっているわ。第二次チュレニー海戦のことでしょう」
すっかり見透かされていたらしく、アデリーナはばつが悪そうに頷いて、それを認める。
「やっぱりね。剣士のあんたが魔法のことを聞きたがるなんて、おかしいと思ったのよ」
「まったく、あなたに隠し事はできないわね……」
その言葉を聞いて、テレザが姉のように優しく笑う。
「アデリーナが分かり易すぎるのよ。でも、どうして知りたいの? 第二次チュレニー海戦で帝国軍は大勝した。それだけ分かっていれば、兵士にとって別にさし障りはないと思うけど」
テレザは、このまま話を続けるのを、少しためらっているようにも見えた。だがアデリーナは、どうしてもその先を聞きたかったので、正直に、テレザの質問に答えた。ヘスペリア防衛戦が始まる直前に、ある街の郊外でバルドゥルらしき男を見かけたこと、その男が、とてもそんな恐ろしい力を使うようには思えなかったこと、しかし傭兵達のうわさでは、クーニッツ水軍殲滅には、バルドゥルが一枚かんでいるといわれていること。テレザはアデリーナの話を最後まで聞いてから、少し考え込んだ。
「……あんたの見かけた男がバルドゥルかどうか、わからない。でも、その男の話していたことは、実際にバルドゥルの講義を受けたことのある術師なら、みんな聞き覚えのあることだわ。真理のため、そして人類のため、魔術師は魔術を極める、これがバルドゥルのモットー。あたしも講義にもぐりこんで、実際に聞いたことがあるしね……。だからあなたが見たのもバルドゥルだった可能性は高いけど、少なくとも、第二次チュレニー海戦で使われた力は火の極大呪法で、それを使ったのは他ならぬバルドゥルだったっていうのは、ほぼ間違いないと思っていいわ。第二次チュレニー海戦直前に、バルドゥルの姿は多くのヘスペリア市民に目撃されている。あたしはあの戦闘が起こったとき、ちょうど荒野から引き返してきて、山脈を越える途中だったけど、突然強い魔力の波動を感じたわ。魔術師は、魔力を感じると、その出所がどこか、方向や距離がある程度分かるのよ。間違いなくチュレニー海沖に、強い魔力が集まって、破壊的な力に変わるのを感じた。あたしが急いで山肌の見晴らしのいいところを探して、チュレニー海の方角に目を向けたら、天地を引き裂くような、とんでもない火柱が上がってたってわけ。その有様を見て、思い浮かんだ言葉はひとつしかないわ。ついに極大呪法が、戦争に使われてしまった、って。あれは恐ろしい力よ。あたし達がヘスペリアで見た戦艦なんかより、何倍も何十倍もね」
テレザの話を聞いて、アデリーナの全身から力が抜けていった。心のどこかで信じようと努めてきたことが、一気に崩れ去ったかのようだった。帝国は確かに腐った国だが、それはホラーツやゲレオンのような一部の悪党がそうさせているのであって、アデリーナが実際に出会ってきた、近衛騎士団長ディートハルトや、幼帝アグネスのように、気高い魂を持ちうる人間もいるのだ。もし時勢が変わって、そうした人達が本来の力を発揮できるようになったとしたら、戦争の勝敗に関わらず、帝国は良い方向に変わることができるのではないか、そう望みを抱いていた。
そしてバルドゥルもまた、帝国を良い方向に導く力と、思想とを持つ人間なのだと、あの街の郊外で一目見たときからアデリーナは信じていた。しかし、彼はその最大の力を、戦争のために使ってしまった。それを責めたいのではない。どうせ同行した宰相のホラーツが、何か弱みを握るか、言い包めるかして、バルドゥルに力を使わせたに違いないからだ。アデリーナが想うのは、それを使ってしまったバルドゥルの嘆きと、自責である。人間を守るために魔術を使う、と言っていた人間が、人間を殺すために最も巨大な魔術を使ってしまった、その恐るべき過ち。バルドゥルは、きっとバルドゥル自身を赦すまい。短い書置きを残して姿を消したというのも、実に彼らしい行動だと、アデリーナは思ったが、その後のことを思うと、胸のうちがかき乱されるかのようであった。ホラーツのような、野心にまみれたゲスがいくら人を殺そうとも、己を責めるようなことは死ぬまで決してないであろう。だが、世界の美しさを知り、理想を実現するために生きようとした者は、自分の罪を知ることで、自分を打ち砕いてしまう。繊細で、生真面目な者ほど、己の罪に傷つき、狂っていくのだ。戦乱は、そうした人間の狂気と哀しみを常に内包している。
「アデリーナ、どうしたの。しっかりしなさい」
放心しているようなアデリーナの姿を見て、テレザは気遣わしげに声を掛ける。それに答えるというより、ただ、自分の胸のうちにある痛みを、一つずつ吐き出すように、アデリーナは言った。
「バルドゥルさん、私を見たとき、とても優しい目をしてたわ……。私は、この人は本当は戦争をするような人じゃないって、一目で分かった。死んでほしくないし、できれば、戦士のように人殺しもしてほしくないって思ったの。だから、悲しいのよ」
その目から、ぽろぽろと涙がこぼれて、止まらなかった。テレザが彼女に近寄って頭を抱え、ぽんぽんと優しく叩いた。
「……戦乱は、どうしたって悲しいものよ。あたしもあんたも、それを知っている。あたしはいつでも戦争から逃げたいと思ってるけど、アデリーナ、あんたは自分は兵士だから戦うと言った。あたしはあの時、あんたに死んでほしくなくて、一生懸命引きとめたけど、この子はあたしと違って強いんだ、とも思った。だから止めきれずに、死なないでって、祈ることしか出来なかったわ。今でもその気持ち、変わってないわよ。あたしも、あんたに死んでほしくないし、できれば人殺しをしてほしくないのよ。だけど、あんたは今、帝国傭兵団の連隊長。あんたがしっかりしなけりゃ、たくさんの人が死ぬことになるわ。あたしは兵隊じゃないけど、あたしの出来ることであんたに協力するつもり。戦争は嫌い。だけど大切な人が死ぬのはもっと嫌い。だから戦わなくちゃならない。バルドゥルにも何か理由があったはずだわ。あんたが戦わなくちゃいけないと、思ったようにね」
テレザの言葉は、戦う目的と自分自身を見失いそうなアデリーナの心に、力強く寄り添った。誰よりも、目の前にいる本人よりも、テレザの言葉は、アデリーナの気持ちを正しく表現していたのだった。やっぱり、あなたは私の親友で、お姉さんなんだわ。アデリーナは、テレザの体を抱き返し、しばらくのあいだ、さめざめと泣いた。