冤罪先生   作:モノクロさん

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第1話

 夕暮れの光がシャーレのオフィスを茜色に染め上げていく。

 

 机の上には山積みとなった書類の束。ペン先が紙の上を走る音に耳を傾けながら、私は黙々と手を動かし続けていた。

 

 書類には各学園の自治区で発生した事件や事故についての報告書がまとめられている。

 

 報告書には発生日時や場所、そして事件・事故の内容と、生徒達の名前が記載されており、特にゲヘナやトリニティ、ミレニアムといった三大学園は、内容は違えど、頻繁に報告書が提出されている。

 

 他にも、連邦生徒会の管轄外とされるブラックマーケットや、カイザーコーポレーションといった企業に関する事件なども報告に上がってはきているが、それら全てに対応するとなると、どうしても人手が足りない状況に陥ってしまう。

 

 そんな、多忙を極める先生を手助けするという名目で、各学園の生徒達が当番として、シャーレに訪れては、事務作業の手伝いをしてくれていた。

 

 今日の当番はゲヘナ学園の風紀委員会に所属する委員長、空崎 ヒナである。

 

 彼女のお陰で、今の倍以上の量だった書類の処理も、順調に進んでいる。

 

「これは……先生の確認が必要な書類。これは、私が処理しても問題ない。これは……」

 

 と、時折聞こえてくる呟くような声の音色が、耳心地が良い。

 

 作業をする時の彼女は、とても真剣で、それでいて集中している。

 

 その横顔は、普段の彼女からは考えられないほどに凛々しくて、生徒であるにも関わらず、思わず見惚れてしまいそうになる。

 

「……先生?」

 

 不意に声をかけられて我に返る。何時の間にか、手が止まっていたようだ。

 

「ああ、ごめんねヒナ。ちょっとボーっとしてたみたい」

 

「そう……それじゃあ、少し休憩にする?」

 

 彼女は少し心配そうな表情を浮かべながら、私の顔を覗き込んでくる。

 

 その仕草がとても可愛らしくて、思わずドキリとしてしまう。

 

「ありがとう、ヒナ。でも、いま休憩に入ったら、その分ヒナの時間を奪う事になっちゃうから……ね? 私なら大丈夫だから、作業を続けよう」

 

 そう言って、再びペンを握る手に力を込める。ヒナは少し考える素振りを見せた後で、小さく頷いた。

 

「……わかったわ。それじゃあ、私はコーヒーのおかわりを淹れてくる。先生はいる?」

 

「うん、ありがとう。それじゃあお願いするよ」

 

 私の返事を聞いて満足したのか、ヒナは小さく笑みを浮かべると、そのまま給湯室へと向かって行った。

 

 気を使わせちゃったかな?

 

 私は申し訳ない気持ちを抱きながら、再び書類へと向き直る。そして、再び作業に没頭していった。

 

 暫くしてヒナがマグカップを2つ持って戻ってきた。

 

「お待たせ。はい、これ」

 

 そう言って差し出されたのは、温かな湯気が立ち昇るコーヒーの入ったマグカップ。

 

「ありがとう」

 

 私はそれを受け取ると、早速一口飲んでみる。口の中に広がる苦味と仄かな甘味が、疲弊していた身体に染み渡っていくような感覚を覚える。

 

「うん、美味しいよ。ありがとう、ヒナ」

 

「どういたしまして」

 

 ヒナは小さく微笑むと、私の隣に腰掛ける。そして、そのまま自分の分のコーヒーを口に含むと、満足そうな表情を浮かべた。

 

 そんな何気ない仕草一つ一つに、私の心は揺れ動かされてしまう。

 

 立場上、ヒナも私と同じか、もしくはそれ以上に多忙の身だ。それなのに、こうして私の側に居てくれる優しさに、頭が上がらない思いでいっぱいになる。

 

 キヴォトスで様々な事件が起きた時も、彼女に助けられた事は多岐に渡り、数えきれない程だ。

 

 だけど、その度に彼女は『問題ない』と、素っ気ない態度を取るのだけれど、それが彼女の照れ隠しだという事を、私は知っている。

 

 それが分かっているからこそ、私はそんなヒナの事を心から愛しく思うし、そんな彼女の側に居てあげたいと強く思う。

 

 他の生徒達も、私にとって大切な存在である事に違いはないけれど、ヒナだけは何かが違う。

 

 上手く説明出来ないけれど、ヒナの事は特別だという事だけは確かで、しかしそれは、先生と生徒の立場では許されない感情である事も、理解しているつもりだ。

 

 この気持ちはそっと胸にしまっておこう。いつか、この気持ちと向き合う日が来るかもしれない。でも今は、こうしてヒナが側に居てくれるだけで、十分だ。

 

 私はそんな事を思いながら、再び書類に目を通し始めた。

 

 それから暫くの間、お互いに言葉を交わす事もなく作業に没頭し、夜も更けた頃になり、漸く終わりが見えてきた。

 

「ありがとう、ヒナ。お陰で今日中には終わりそうだよ」

 

「気にしないで。私も、先生の手伝いがしたかったから。それに、先生は私達の為に、何時も頑張っているんだもの。これくらいの事はさせて欲しい」

 

 ヒナがそう言ってくれるのは嬉しい。しかし、頑張っているのは皆同じだ。

 

 それに、私は先生なのだ。生徒の為に頑張る事は、苦でも何でもない。

 

「ありがとう、ヒナ。でも、いつも手伝って貰っている身としては、ヒナに何かお礼をしたいな」

 

「え、お礼?」

 

 突然の申し出に、ヒナは驚いた表情を浮かべた。

 

「うん、何時も手伝って貰っているお礼。何か欲しいものとかある? 私に出来る事なら何でもするよ」

 

 私の言葉に、ヒナは暫くの間考え込む素振りを見せた後に、ポツリと呟いた。

 

「……何でもいいの?」

 

「もちろん。私に出来る範囲なら何でも」

 

 私の返事を聞いて、ヒナは少し恥ずかしそうに俯いた後に、意を決したように顔を上げると、口を開いた。

 

「それじゃあ……その……」

 

 言い辛そうに口籠る様子に、普段の威厳のあるヒナは鳴りを潜めており、年相応の少女にしか見えない。

 

「遠慮しないで言ってみて」

 

 私が促すと、ヒナは少し躊躇いがちに口を開いた。

 

「……先生の時間を、1日で良いからほしい」

 

「私の1日?」

 

「そう、お互いの休みが重なった時でいいから、その時の1日を、先生と過ごしたい」

 

 ヒナの願いを聞いて、私は思わず固まってしまう。しかし、それは嫌な意味ではなく、寧ろ逆だ。

 

「そんな事で良いの?」

 

 思わず聞き返す私に、ヒナは少し頬を赤らめながら答える。

 

「そんな事じゃないわ。私にとっては大切な事だから」

 

 そう言って微笑むヒナの表情は、とても可愛らしくて、胸の奥がきゅっと締め付けられるような感覚に襲われる。

 

 

 こんな表情を見せるのも、私に対してだけだと思うと、それだけで幸せな気分に浸る事が出来る。

 

「分かった。それじゃあ、約束だね」

 

 私の言葉に、ヒナはパァッと花が咲いたような笑顔を浮かべると、大きく頷いた。

 

「うん、約束」

 

 そう言って、ヒナは嬉しそうに小指を出す。その仕草に、私も照れ臭くなりながら差し出された小指を絡め、約束を交わした。

 

 あの時のヒナの笑顔を、私は忘れる事はないだろう。

 

 私と1日過ごす。それだけであんなに嬉しそうにするのだから。

 

 外出するか、それとも私かヒナの家でゆっくり寛ぐか。

 

 何かサプライズ的なプレゼントも用意したらもっと喜んでくれるだろうか?

 

 今からでも、ヒナと休日を過ごす為のプランを、考えるだけでも楽しい。

 

 ヒナと過ごす1日は、きっと素敵な思い出になるに違いない。

 

 そんな期待に胸を膨らませながら、書類の山を片付ける作業を再開した。

 

 この時が、私がシャーレの先生として、ヒナと接する最後の時間だったと知らず、私もヒナも、この後に起こる事件に、心も身体も痛める事になるのだった。

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