仕事が粗方片付き、一息ついた頃には夜になっていた。
時間を確認すると、まだ電車は残っている。今からなら十分に間に合うだろう。
「ヒナ、遅くまで付き合わせてごめんね。駅まで送るよ」
名残惜しいが、そろそろヒナを帰さないといけない。これ以上、彼女を拘束する訳にはいかなかった。
「もうこんな時間なのね……でも、まだ大丈夫よ。終電まではまだ余裕があるもの」
「ギリギリまで無理をするのはヒナの悪い癖だね。それに、明日は明日でヒナにしか出来ない仕事があるんだから、これ以上は無理をさせるわけにはいかないよ」
「でも……ううん、そうね。なら、お言葉に甘えようかしら。でも、先生はまだ仕事が残っているでしょう?」
「大丈夫。もう殆ど終わっているし、後は明日片付ける分だから」
「そう……それじゃあ、お願いするわ」
ヒナはそう言うと、帰り支度を始める。と言っても、殆ど私物を持ってきているわけではないので、ハンガーラックにかけていたコートを羽織り、鞄を持つだけだ。
「それじゃあ、行こうか」
私はヒナと一緒にオフィスを後にすると、そのまま外へと向かって歩き出す。
外に出ると、冷たい夜風が頬を掠めた。季節は冬に差し掛かっており、吐く息も白くなっている。
「寒いね」
「そうね。でも、私はこれくらいの方が好きよ」
「あははっ、ヒナらしいね。私なら、早く暖かくならないかなぁって思っちゃうよ」
他愛のない会話をしながら歩いていくと、駅までの道のりはあっという間だった。
「ここまでで大丈夫よ。先生はまだ仕事が残っているんでしょう?」
駅の改札前まで来て、ヒナが足を止める。
「うん……でも……」
もう少し一緒に居たいと思ってしまうのは我儘だろうか?
そんな私の考えを見透かしたように、ヒナは笑みを浮かべた。
「大丈夫よ。またすぐに会えるもの」
当番の日は暫く先だが、互いの休みが重なった時、1日中一緒にいられるのだ。それ以上の贅沢を言ってはバチが当たるというもの。
小指を立ててくすりと笑みを浮かべたヒナに、私も漸く踏ん切りがついた。
「……そうだね。じゃあ、気をつけて帰ってね」
「えぇ、先生もあまり無理をしないでね」
そう言い残して、ヒナは改札を通り駅のホームへと消えていった。
振り返る事なく、歩く姿は凛としていて、どこか誇らしかった。
私はヒナの後ろ姿が見えなくなるまで見送ると、そのまま踵を返してシャーレへと戻った。
オフィスに戻ると、残った書類が出迎えてくれる。しかし、今はそれを嫌だとは思わない。
ヒナとの約束がある。それだけで、私はどんな事でも頑張れる気がしたからだ。
それからは仕事に没頭した。時折手を止めて休憩を挟み、1Fのコンビニで軽食を買ってきて、それを食べながら作業を再開する。
ヒナと過ごす1日を想像しながら手を動かす時間は、とても楽しいものだった。
時計を見ると、既に深夜0時を回っている。
机の上には、まだ1割程度の書類が残っていたが、キリの良い所で手を止めてシャワーを浴びる事にした。
汗を流し終える頃には午前1時を過ぎており、流石に眠気に襲われる。
今日はもう寝よう。私は寝る支度を整えてから仮眠室のベッドに潜り込み、目を閉じた。
そして、翌朝。
私は普段よりも少し遅い時間に目を覚ました。
「ん……もうこんな時間か……」
欠伸をしながら身体を起こすと、枕元に置いてあった携帯を手に取る。
待ち受け画面に表示される時刻は、午前10時を示していた。
「寝過ぎたな……」
目覚ましをセットしておくべきだったと思いながら立ち上がると、手早く身支度を整えて、オフィスへと向かう。
机の上には、昨日の残りと、コピー機から追加の書類が届いていた。
「さて、やるか」
私は気合を入れ直すと、再び書類に目を通す。黙々と作業を進める事1時間、不意にオフィスの扉がノックされた。
「どうぞ」
私が返事をすると、ドアがゆっくりと開かれ、尾刃 カンナとヴァルキューレ警察学校の生徒達が武装した状態で入ってきた。
何か事件でもあったのだろうか?
私は作業の手を止め、カンナ達の方へと向き直り、椅子から立ち上がった。
すると、武装した生徒達の表情が一瞬強張り、装備していた銃火器を一斉に此方に突き付ける。
「え、み、みんな、どうしたの?」
私は突然の事に驚きを隠せなかった。銃口を向けられる理由もなければ、彼女達と険悪な関係になった覚えもない。
困惑する私に、カンナが慌てて銃口を向ける生徒達を宥め、下がらせる。
「部下達が申し訳ありません。ですが先生、どうか落ち着いて聞いて下さい。私達も、まだ状況を把握しているわけではないのですが……」
カンナが言い淀む様子に、私は不安を募らせていく。一体何が起こっていると言うのか?
「先生。正直にお答え下さい。私達も出来る限り、穏便に済ませたいのです」
カンナの言葉に、私は唾を飲み込む。何を聞かれるのか?
どうして銃を突き付けられるような状況になっているのか?
様々な疑問が頭を駆け巡る中、私は覚悟を決めて口を開く。
「……分かった。正直に答えるよ」
「助かります。実は、昨晩、このシャーレの近郊で殺人事件があったようなんです」
「殺人事件!!」
予想外の言葉に、私は驚愕の声を上げた。喧嘩や銃撃戦が絶えないキヴォトスだが、死人が出るケースは殆どない。
それが昨日、私が此処で仕事を片付けていた時に起こったというのだ。
「被害者は〇〇学園の生徒で、〇日前から行方不明だったのですが……」
カンナの声が遠くに感じる。私は動揺を隠す事が出来なかった。
「……先生?」
私の様子がおかしい事に気付いたのか、カンナが心配そうに声を掛けてくる。
「……ごめん、少し驚いただけだから。話を続けてほしい」
私は何とか平静を装いながら、カンナに先を促すも、カンナは何か言いづらそうに口籠っている様子だった。私は黙って先を待つ。
暫くして覚悟を決めたのか、カンナは再び口を開いた。
「実は、目撃証言があったのですが、その目撃者は、現場から慌てて逃げていく先生の姿を目撃しているのです」
「え……それって……」
つまり、私が犯人だと疑われているという事だろうか?
しかし、私には身に覚えがない。それに、私は昨日此処に居たのだ。途中でヒナを見送る為に外には出たし、その後も1Fのコンビニで買い出しましたが、それだけだ。
「先生を疑うような真似をして申し訳ありませんが、私達も状況を把握している最中でして、何卒ご理解下さい」
カンナが頭を下げる。
彼女としては、目撃証言があったからと言って、私が犯人だと決め付けている訳ではないのだろう。
しかし、疑いの目を向けられているという事実は変わらない。
此処は大人しく、カンナ達の指示に従い、大人しく署まで同行する他ないだろう。私は深呼吸をして心を落ち着けると、カンナ達の方へ歩み寄った。
「分かったよ。それじゃあ行こうか」
私がそう言うと、カンナ達は驚いたような表情を浮かべた後、気まずそうに視線を逸らした。
「本当に申し訳ありません。ただ、先生を疑う訳ではないのですが、目撃者の証言と先生の外見が酷似していたもので……」
「うん、大丈夫。気にしてないよ」
私はそう言って微笑むと、カンナ達に促されるままに部屋を出た。そしてそのままパトカーへと案内される。
車内には重苦しい空気が流れる中、私は窓の外を眺めながらこれからの事を考えていた。
一体何故こんな事態になったのか?
目撃者とは一体誰なのだろうか?
疑問ばかりが浮かぶ中、車はシャーレを後にして、走り出す。
そして……
昼のニュースを『シャーレの先生、殺人事件の重要参考人として逮捕』という根も歯もない内容で流される事となり、私の事を知る生徒達は皆、その情報に釘付けとなるのだった。