矯正局の独房にて、鼻歌混じりにコーヒーの香りを嗜むカヤに、謹慎が解かれたカンナが呆れ気味に声をかける。
「ご機嫌ですね」
「ふふふ、当然じゃないですか。何せ、私はシャーレの先生の無実を証明した功労者なんですよ。独房にいながらのこの待遇は破格といっていいでしょう」
カヤが身に纏っているのは囚人服ではなく連邦生徒会に所属していた時の制服であり、独房内も彼女の私物でコーディネートされており、まるで豪華ホテルのスイートルームのような内装に変貌している。
「よくもまぁ、此処までやりましたね」
「シャーレの権限をフル活用して貰いましたからね。こうして、独房にいながらではありますが、この格好でいれば、まるで立場が逆転したようにすら感じますよ」
そう言いながら、カヤはコーヒーを一口啜る。高級品とされるコーヒー豆の『コピ・ルアク』をゲヘナでも有名な職人が作り上げたコーヒーミルで挽き、取り寄せたサイフォンで入れたコーヒーは独特の香りに、味わいは深く、それでいて程よい酸味と苦みが調和され、とても良い。
「そうですか。私はインスタントコーヒーで十分です」
カンナが手に持つのはインスタントコーヒーだ。お湯で溶かすだけで簡単に出来上がる代物だが、カヤの入れるコーヒーには遠く及ばない。
「あら、それは残念ですね。同じコーヒーを嗜む者同士、親睦を深めようと思っていたのですが」
と、クスリと笑みを浮かべながら、カヤはカンナに話しかける。
「仕方がありません。では、この一杯を飲むまでの間、一つ面白い事をお伝えしましょう」
「面白い事……ですか?」
首を傾げるカンナに、カヤは笑みを浮かべて語りかける。
「えぇ、今回の騒動、ヴァルキューレの幹部とテレビ局の関係者、そして、その二つを陰で操っていた存在の話……というのはどうですか?」
「それは……既に分かっている事ではないですか。貴女が言った事ですよ。本当の敵はカイザーコーポレーションと……」
「あぁ、あれは嘘です」
「なっ!!」
カンナが思わず、唖然とした表情を浮かべる。それもそうだろう。カヤの語った事は、既に連邦生徒会や各学園で共有された情報であり、それが嘘である事など有り得ないのだ。
「な、何故そんな嘘をつくのですか!!」
「嘘ではないですよ。まぁ、半分半分といった所でしょうか」
「半分……ですか?」
カンナの問い掛けに、カヤはコーヒーカップを机に置き、笑みを浮かべつつ口を開いた。
「えぇ、あの時は、お二人に分かりやすい『敵』を認識して貰う為にカイザーコーポレーションの名を出しました。無論、その件に関しては嘘ではありません」
ですが、と言葉を付け加え、カヤは話を続ける。
「今回の騒動、黒幕がカイザーコーポレーションである事に関しては嘘です」
その言葉に、カンナは頭を抱えた。
「ですから!! それはどういう事なんですか!!」
カンナの突っ込みに、カヤはケラケラと笑いを溢す。
「分かる筈ないじゃないですか。独房に閉じ込められている私が、外の情報なんて知る由もありません。私が知るのはあくまでも、私が外にいた時の情報だけです。まぁ、それだけで、ヴァルキューレとテレビ局がカイザーと繋がっている事に気付きましたけどね」
「それは……そうですが……」
「まぁ、私としては、あの騒動の黒幕はカイザーコーポレーションであると、皆がそう認識していれば、それだけで十分なんですけどね」
そう言いながら、カヤはコーヒーカップに手を伸ばし、少し冷めてしまったコーヒーの香りを堪能する。
「そもそもの話、サブリミナル効果だけで洗脳状態にするなんて不可能なんですよ。良くて、映画の上映中にポップコーンやジュースの映像を紛れ込ませて購買意欲を掻き立てるくらいが関の山です。人を操り、先生を糾弾させる程の効果はありません」
「では……何故……っ」
「さぁ……私には分かりませんよ。ですので、此処から先はオカルトの話です。噂程度の話ですが、聞いた事があります」
カイザーコーポレーションと協力関係にあった組織が様々な研究をテーマに活動していたという噂。もしかしたら、その組織の研究成果の一部をカイザーが買い取ったのではないか?
「そんな……馬鹿な話が……」
カンナは信じられないといった表情を浮かべる。
「本当に、馬鹿げた話です。回収した映像データからはサブリミナル効果を齎すものしか確認が取れなかったと聞いた時は驚きました。あれだと、良くて不安を増長させる程度の効果しかないというのに、皆が皆、先生を糾弾するに至るまで洗脳されるだなんて」
カヤの言いたい事。それはつまり、皆はサブリミナル以外で、何かしらの形で洗脳されたという事になる。
その手法が分からない以上、現時点では何とも言えませんが……と付け加えながら、カヤは再びコーヒーカップに手を伸ばし、一口啜った。
「本当の敵は、サブリミナルを隠れ蓑に、別のアプローチで多くの生徒達を洗脳した人物です。その方法が何なのか。そして、洗脳が浅かった生徒との違いが何だったのか。それらを調べる必要がありますよ」
此処で浮かぶのは映像を見なかったヒナやティーパーティーのナギサやセイアではなく、一度映像を見ていながら、違和感に気付いたマコトにスポットライトを当てるとしよう。
もし仮に、あの時感じた違和感が、サブリミナル効果のものではなく、別のものだったとしたら、今後も同じような事件が起こる事になるだろう。
それを未然に防ぐ事が、今後の課題となるとカヤは考えたのだ。
「そんな……もし、本当にその黒幕が存在しているのならば、我々では手に負えません……」
「ですが、何の対策もしないという理由にはなりません。あくまでも、可能性の話です。ただの与太話と一蹴してもらっても構いませんが、それが現実となった時、それこそ、黒幕が本当の目的をもって私達に襲い掛かる事は間違いありません。その時、誰が先生を守るのですか?」
カヤの言葉に、カンナは押し黙ってしまう。
確かにそうだ。今回の騒動で、多くの生徒達が洗脳された。その黒幕が実在するならば、また同じ事が起こる可能性は高いだろう。
またあの時のように……先生を苦しめるわけにはいかない。
「分かりました。その可能性については、私も考えておきます」
カンナの言葉に、カヤは満足気に頷きながら、空になったコーヒーカップを机の上に置いた。
「えぇ、お願いします」
カヤの笑みに、カンナは悩みの種を残しながら、独房を後にした。
……ヒヒッ、ヒヒヒヒッ。
何処かで誰かの笑い声が聞こえる。
光の届かない牢屋のような、暗い闇の中で……