小さな恋のミステリー:天然探偵と真面目助手が恋の謎を解き明かす話   作:maricaみかん

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破られたテストに叩きつけられた想い

「すみませーん、予約していた山本(やまもと)亜子(あこ)と言います。探偵さんはいらっしゃいますか?」

 

 とある日曜日の朝、宗心探偵事務所に、制服を着た少女の良く通る声が届いた。町外れの小さなビル、その一室から、身長の高い女が出てくる。それを見て、亜子は顔をほころばせた。

 

「私は、宗心探偵事務所で助手をしている、江繋(えつなぎ)あかりと申します。予約、確かに承っております」

 

 一礼しながら、あかりは朗らかな笑顔で話しかける。それに対し、亜子もまた一礼を返す。同じタイミングで頭を上げ、亜子は少し笑う。それを見て、あかりも口元に手を当てて笑った。

 

「探偵さんは、この中にいるんですよね。どんな方なんですか?」

「一言で説明するのは、難しいですね……。ただ、私が依頼をするのならば、彼女だと思います。不思議な方ではありますが」

 

 あかりは亜子を先導しながら、ゆっくりと歩いていく。亜子は背筋を張ったまま、あかりについていった。いくつかの扉を越え、真っ白な壁紙に白い家具で揃えられた部屋へと入っていく。

 

 そして、ふわふわとした雰囲気の女が、あかり達を笑顔で出迎えた。

 

「ようこそ、宗心探偵事務所へ。私が、探偵の宗心(そうしん)ときこです」

 

 亜子はときこをまっすぐに見つめ、それから頷く。あかりは、ふたりを笑顔で見ていた。

 

「ときこさん、穏やかな雰囲気ですね。あかりさんは、気を引き締めてくれそうです」

「ありがとうございます。あなたは、真面目そうですね」

「なるほど、ありがとうございますっ」

 

 まずはあかりが一礼し、遅れてときこも続く。それに対し、亜子も再び返す。目があったあかりと亜子は、お互いに笑い合う。ときこは、それを不思議そうに見ていた。

 

 亜子は、期待を込めた瞳でときこをじっと見る。それを見たまま、ときこはずっと微笑んでいた。

 

「彼女は心理学に詳しいので、感覚では分からないことも分析してくれるんですよ」

「それなら、あの謎も解けるかもしれませんね。期待していますよ、ときこさん」

「任せてくださいっ。それで、どんな謎なんですかっ」

 

 ときこは前のめりに話しかけ、あかりはときこの肩を軽く握って咳払いをする。そして、続けてあかりは亜子をソファへと案内した。

 

 亜子が座ったのを確認して、机を挟んだ対面にあかりは腰かける。ときこは、笑顔を崩さないままゆっくりと座っていった。

 

 それを確認した後、亜子は息を吸ってから話し始める。

 

「私の依頼は、私自身の問題ではないんです。ただ、友人の様子がおかしくて」

 

 眉をハの字にしながら、やや細い声で語っていく。それを見て、あかりは亜子の不安を感じていた。おそらくは、友人関係か何かに問題を抱えている。ときこが恋愛専門の探偵であることも考えると、恋をこじらせたのかもしれない。そんな推測をしていた。

 

 だからこそ、慎重に話を進める必要がある。ひとつも聞き逃さないようにメモを構えながら、あかりは柔らかな声を意識して話していく。

 

「それは心配ですよね。焦らなくても大丈夫です。ひとつひとつ、聞かせてください」

「正確な情報は、謎解きにとって大事ですからねっ」

 

 ときこは明るい笑顔を崩さないままだ。亜子は、そんなときこの様子を見てわずかに微笑んだ。ときこは意識していないだろうが、良い流れだ。あかりはそう感じていた。その流れを崩さないように、亜子に向けて手のひらを差し出す。話を続けやすいように。

 

 それを受け、亜子は続きを話していく。

 

「一番大事なことから話しましょう。実は、私の友人は、テストを破り捨てているんです」

 

 亜子は、ほんの少しだけ下を見た。あかりから見て、その行動はどこかに不満を隠しているようでもあった。

 

 とはいえ、決めつけては真実にたどり着けない。探偵役がときこだとしても、自分だって依頼人の支えになることが仕事だ。そう決意を込めて、真剣な目を意識して亜子の方を見る。

 

「それは……。テストの点数が悪いということでしょうか?」

「分かりません。私達の学校では、順位は発表されませんから。ただ、本当にビリビリに破られていたんです。まるで怒りを叩きつけるかのように」

 

 亜子は、少し深刻そうな顔をしている。素直に考えれば、赤点かそれに近い点数を取って怒りをぶつけているのだろう。そこまで考えて、あかりは首を横に振った。ただの単純な話だと思っているのなら、わざわざ探偵に依頼しないはずだ。

 

 つまり、この依頼の裏には何かが隠れている。あかりは確信していた。まずは、話しやすい環境を作る必要があるだろう。そう判断した。

 

 亜子には、言えない何かがあるはず。それに少しでも近づくためにも、まずは心を開くところからだ。そう考え、なるべく穏やかな笑顔で話を続ける。

 

「それでは、そのご友人と亜子さんの関係に問題ができたから、依頼にいらしたということでしょうか」

「えっと、それは……。私は、亮太くんを悪くは思っていません。ただ、心配で……」

 

 亜子は目を伏せながら語る。亮太という人物の周囲には根深い問題が隠れている。あかりは直感した。本質に近づくためにも、的確な質問をする必要がある。亜子に気づかれないように、あかりはそっと息を吸った。

 

「その亮太くんは、普段はどんな事をしているんですか?」

「今だと、教科書とにらめっこしていることが多いですね。ただ、どんどん自信がなくなっていって」

「その話を聞くと、ダニング=クルーガー効果を思い出しますねっ」

「もう、ときこさん! ご友人に失礼ですよ!」

「その、どうして失礼なんですか? ダニング=クルーガー効果というのは?」

「簡単に言えば、初心者ほど自信満々で、少ししたら自信を失う現象です」

 

 ときこの言葉を聞きながら、あかりは目を伏せていた。どう考えても、亮太を悪く言うような流れだったからだ。

 

 ただ、亜子は少し頷いたように見えた。もしかしたら、なにか思い当たるフシがあるのかもしれない。そんな期待を込めて、あかりは亜子に頭を下げた。

 

「ごめんなさい、亜子さん。ご友人を悪く言ってしまいましたね」

「いえ、勉強になりました。そういう効果もあるんですね。他に、なにか話はありますか?」

「例えば、自信がある人は魅力的に見えるそうですよっ。だったら、何も経験しなければ良いんじゃないでしょうかっ」

「自信だけあっても、結果がついてこなければ悲しいだけですよ」

 

 その言葉を聞いて、亜子はじっと自分の手を見ていた。結果を出せない何かを抱えているのだろうか。あかりはそんな推測をした。少し傷つけるかもしれないが、今の話を続ければ真実に近づくだろう。

 

 それこそが、結果的には大きな傷を避けてくれるはず。そう信じて軽く拳を握ったあかりは、ときこに目配せした。

 

「そうかもしれませんね。分かった気持ちにだけなっても、仕方ないですから」

「特に人の心は、とても難しいですからね」

「勉強だけでは、なかなか分かりませんよねっ」

「ときこさんは宿題をサボっていましたよね。それで、私が手伝う羽目になって……」

 

 頭を抱えるあかりの姿に、亜子は軽く笑いを浮かべていた。今の流れで、なにか情報を引き出せれば。そう考えて、あかりはときこに向き合っていく。

 

「そうでしたねっ。あの頃から、あかりちゃんには助けられていますよっ」

「私もテスト前には教えてもらっていましたから、お互い様ですよ」

 

 その言葉に、亜子は少しうつむいた。おそらくは、今の会話の中の何かが亜子の心を刺したのだろう。それを理解すれば、きっと答えに近づくはずだ。申し訳無さを感じながらも、あかりは会話を続けると決めた。

 

「テスト勉強を手伝うくらいなら、大した事じゃないですよっ。あかりちゃんに恩返しできるものなら、安いものですっ」

「ときこさんは、あの時から優秀でしたよね。今回も、その優秀さを発揮してくださいね」

「もちろんですっ。この謎に込められた想い、解き明かしてみせますっ」

 

 笑顔を浮かべて胸を張り、ときこはそう告げる。亜子は、ふたりの間に何度も視線を行き来させていた。不安を隠せない姿に、あかりはまっすぐに亜子と目を合わせた。

 

「お願いします。その答えが分かれば、きっと私達は前に進めるはずなんです」

 

 少しかすれた声で語ってから一礼して去っていく亜子を見ながら、ときこは明るい顔で手を振っていた。あかりは玄関まで亜子についていき、頭を下げて見送った。少し高くなった日が、わずかに眩しく見えていた。

 

「さて、ときこさん。頑張って、答えを見つけましょうね」

「もちろんですっ。答えが分からないままなら、もどかしいですからねっ」

 

 それからあかりは調査の許可を各所に取り、次の日から本格的な調査を始めることに決めた。そして次の日、ときことあかりは目的地である縁近学園高等部に向かう。

 

 小綺麗な校舎をしたその高校は、縁近市では進学校として知られている。毎年数名ほど、国立大の中でも最難関の大学に生徒が合格することがあり、地元で受験を考えるならばここだと考えられていた。

 

 とはいえ、本気で難関大を目指すのなら市外に出ることも珍しくなく、それほど入学は難しくないといった程度だった。

 

 まずは、亜子や亮太が受けている授業を見に向かうときことあかり。そこには、静かにペンを走らせる生徒たちが居た。和気あいあいとした雰囲気はなく、あかりは少し背筋を伸ばした。ときこは、ふわふわした笑みを浮かべ続けていた。

 

 教室の外から覗き込むと、亜子の姿も見える。亜子はあかりの方に気がつくと、軽く手を振った後で視線を教科書に戻していた。

 

「みなさん、真面目に授業を受けていますね。やはり、進学校ということでしょうか」

「亮太くんは、あまり黒板を写していませんねっ。ふむふむ、なるほど」

「不真面目な生徒なのでしょうか? だとしたら、成績が伸びていないんでしょうかね」

「まだ判断はつきませんよっ。昼休みにでも、色々な人に話を聞いてみましょうっ」

 

 それまでにはしばらく時間があるので、予定通りに教師に話を聞くことにしたふたり。職員室に向かうと、それぞれの教師がパソコンに向き合っていた。カタカタという音だけが響き、あかりはわずかに息をのんだ。

 

 ときこは特に気にした様子もなく目的の人物の前に進み、話しかけていく。

 

「すみません、宗心探偵事務所のものですっ。少し、質問をしたいんですけどっ」

「ああ、話はうかがっていますよ。守秘義務の範囲になりますが、よろしくお願いします」

 

 ずいぶんとしっかりした教師のようだ。あかりにとって、母校のOBがどのような成績であったかなどの話を聞くことは珍しくなかった。進学校だからなのか、母校が変わっていたのか。いずれにせよ、慎重に質問する必要がある。あかりは、真剣な目でメモを構えた。

 

「まずは、中村亮太くんがどんな生徒かを教えていただけますか?」

「そうですね。教科書によく付箋を貼っていたり、勉強を頑張っている印象ですね」

 

 先ほど、ときこが黒板を写していないと言っていた情報と矛盾する。あかりは軽く困惑したが、それでも努めて表情を崩さないようにした。

 

 ときこは、笑顔を浮かべたまま何度か頷いている。ときこの中では矛盾はないのだろう。あかりはそう感じた。

 

「やっぱり、勉強には熱心なんですねっ。ただ、付箋を貼るより、ページ数を覚えたほうが早くないですかっ」

「誰もがあなたのように記憶力が良いわけではないんですよ。これは努力の形なんです」

「そうですね。あなたのような生徒にも、心当たりはあります。ですが、それは特別な才能なんですよ」

 

 教師の言葉に、あかりは内心で何度も同意した。あかりにとっては、教科書のどこに何が書いてあるかを覚えることは相当な難題だ。だからこそ、ときこの優秀さを肌で感じている部分もあったのだが。

 

「となると、亮太くんは努力家なんですね。私も、見習いたいです」

「その努力が実るかどうかは、今後次第でしょうね。教師としては、期待していますが」

「なら、成績を教えてもらえますかっ」

 

 ときこの言葉に、あかりはため息を抑えきれなかった。間違いなく、守秘義務の範囲だろう。そう考えたからだ。案の定、教師は困ったような顔をしていた。

 

「すみません、そこまでは言えないんです。本人から聞く分には止めませんが、それでも無理強いは止めていただきたいですね」

「分かりました。こちらとしても、依頼者を含めた皆さんの問題を解決することを目標にしていますからね。苦しめてしまっては、意味がありません」

「あなたはお優しい方のようだ。そんなあなたなら、もしかしたら彼の心を開けるのかもしれませんね」

 

 やはり、亮太は何かの問題を抱えている。あかりはおおよそ確信にいたっていたが、正しいのだと理解できた。少し下を向き、今後について考えていく。

 

 繊細な年頃だろうから、言葉を間違えれば答えは遠のくだろう。今後も慎重に動く必要がある。軽く拳を握り、あかりは決意を再確認した。

 

「では、これで失礼しますねっ」

 

 それだけを言い残し、ときこは去っていく。あかりは慌てて頭を下げ、早足でときこを追いかける。ときこの突飛な行動には慣れたつもりでいたが、それでも予想はつかない。うなだれたい気持ちを抑えつつ、天を仰いだあかりだった。

 

「もう、ときこさん。相手の返答くらい待ってくださいよ。先生、きっと困っていましたよ」

「そうなんですかっ。なら、今度は待ってみますねっ」

 

 おそらく、ときこは理由を分かっていないのだろう。説明したところで、正確には理解できないのだろう。あかりには、そんな諦めがあった。額に指先を当てつつ、話を次に進めていく。

 

「次は、教室ですか? そろそろ昼休みですよね」

「そうですねっ。また、情報を集めていきましょうっ」

 

 ふたりは再び亜子たちの教室へと向かう。そこでは、弁当を食べる者、教科書をながめている者、雑談に興じている者などが居た。

 

 ときこはまっすぐに進んでいき、雑談をしている女子生徒たちに話しかけていく。

 

「すみません、中村亮太くんについて、なにか面白い話はありますかっ」

「私達は探偵事務所のものです。差し支えなければ、聞かせていただければと」

 

 あかりは深く頭を下げ、生徒たちは互いを見つめ合った後、ゆっくりと話し始めた。

 

「そういえば、数学の公式を覚えられないとか言ってたなー」

「ああ、なんか毎回いろいろ書いてるんだよね。そうやって思い出してるんじゃない?」

 

 数学の公式を覚えられないから、付箋を貼るなどの努力をしているのだろうか。なら、なぜ亮太は黒板を写していないのだろうか。あかりには、納得の行く答えが思い浮かばなかった。

 

「恋愛に公式があれば、私も楽ができそうですねっ」

「ときこさんが必要なくなるんじゃないですか? それに、決まった形がないからこそ良いんですよ」

「公式なんてあったら、誰でも落とせそうじゃん」

「結局、公式を使いこなせる人がモテモテになるだけかなー」

 

 そのまま、生徒たちは自分たちの話に入り込んでいった。ときこは特に振り返りもせずに次に向かい、あかりもそれを追いかけた。

 

 次に、弁当を食べている男子生徒にときこは話しかける。

 

「中村亮太くんは、なにか愚痴のようなものを言っていましたかっ」

「すみません、急に。良ければ、話してくださいますか?」

 

 男子生徒は少し視線を落とし、それからときこの方を向く。

 

「あいつ、テストなんかが何の役に立つんだって言ってたな。珍しいことを言うもんだと思ったよ」

「テストが役に立たないのなら、恋愛はどうなんでしょうっ」

「役に立つ立たないの話ではないです。心を満たすのが、全てですよ」

「良いこと言うじゃん。楽しいことだって、いっぱいやらないとな」

 

 男子生徒は、あかりに笑顔を向ける。ときこは明るい笑顔を浮かべたまま、亮太の方に視線を向けていた。なにか手がかりがつかめたのだろうか。あかりがそう考えていると、ときこは次の生徒に向けて歩き出した。

 

 あかりは軽く頭を下げ、次の生徒のもとへ向かう。そして、教科書を見ている生徒に話しかけていく。

 

「お勉強中に、すみません。少し、話を聞かせていただいてもよろしいでしょうか」

「中村亮太くんは、特定の授業で変わった反応を見せたりしていましたかっ」

 

 ときこの言葉に、女子生徒は目を見開く。そして、少し目をさまよわせてから話し始めた。

 

「数学の授業のたびに、暗い顔をしていた記憶がありますね。それ以上のことは、分かりません」

「元気がなくなるのなら、やめれば良くないですかっ」

「努力したいという気持ちは、きっと誰にもあるものですよ」

 

 あかりは、亮太が暗い顔をしてまで努力を重ねる理由があるのだと考えていた。おそらくは、それが悩みの根源なのだろう。だからこそ、それを解き明かす手伝いをしたい。そうすれば、きっと亜子が望む方向に進むだろうから。

 

 にこやかな顔のときこを見ながら、あかりは今までの問答でときこが何かをつかんだことを期待していた。そうであれば、未来に近づけるだろうから。あかりは、じっとときこを見つめていた。

 

「ありがとうございましたっ。あかりちゃん、行きましょうっ。もうすぐ、昼休みが終わりますよっ」

「分かりました。ご協力いただき、ありがとうございました」

 

 あかりは女子生徒に向けて頭を下げ、ときこについていく。笑顔を浮かべたときこに、期待を隠せないまま。

 

 そして、空き教室に向かったふたり。そこで、あかりはこれまでの情報について、自分なりの考えを話していった。

 

「亮太くんは、数学が苦手だったのでしょうか。公式を覚えられなくて、数学の授業で暗い顔をする。そして、テストに不満をぶつけたのかもしれません」

 

 勉強しているのに、なにも上達しない。そんな気持ちは、よく分かるつもりだ。あかりは、ときこと比べて明確に成績が劣っていたから。胸に手を当てて、あかりは過去を思い出していた。

 

 客観的には、あかりとて成績は良い方だと言えるのだろう。それでも、平気で満点を叩き出すときこに劣等感を抱えていたのも事実だ。だからこそ、あかりは亮太に感情移入している自覚があった。

 

 だが、そんなあかりに対して、ときこは首を横に振る。そして、穏やかな笑みを浮かべながら話していった。

 

「違いますよっ。あの会話の意味は、毎回証明から公式を導き出しているってことですっ」

 

 あかりは、口を半開きにしていた。その口に手を当て、ときこをまっすぐに見る。ときこの言葉が正しいとすると、亮太は公式を証明できることになる。それは、とても高度なことではないだろうか。あかりは疑問を抑えきれなかった。

 

「それって、ただ公式を覚えるよりも難しくないですか?」

「さあ? でも、私は同じやり方で点数を稼いでいましたよっ」

 

 朗らかに笑うときこ。それを見ながら、あかりはあごに手を当てながら考えを進めていく。ときこと同じやり方だというのなら、おそらくは亮太は数学が得意なはずだ。なら、どうしても解消しなければならない疑問がある。それを確認するために、ときこの方を向き直した。

 

「なら、彼はどうして数学のたびに暗い顔をしていたのでしょう」

「それを知るためには、もう少し情報を集める必要があるでしょうねっ。聞くべき相手は、きっと決まっていますよっ」

「亜子さん、ですね。彼女は、何かの核心を隠している。そういうことなんですね」

 

 依頼を受けた時の、亜子の不安そうな表情からして、おそらくは悩みの根本に近い。だからこそ、簡単には言葉にできなかったのだろう。それでも、真実を知ることができなければ、問題は解決しないだろう。

 

 おそらく、状況はとても複雑だ。あかりはそう信じていた。だからこそ、ときこの活躍に全てがかかっている。あかりは一度目を伏せ、ときこに向き直った。

 

「では、亜子さんに質問しましょう。放課後で、良いですね」

「はいっ。そうしなくちゃ、謎は解き明かせないでしょうからっ」

 

 そう語るときこに、あかりは期待を隠せなかった。そして迎えた放課後。ときことあかりは、亜子の居る教室へと向かう。

 

 ときこは亜子の方へとまっすぐに進んでいき、前置きもなく話し始める。

 

「亮太くんが何に悩んでいるか、本当は分かっているんじゃないですかっ」

 

 亜子はその言葉を受け、軽くうつむく。そして、何度かときこと手元の間で視線を動かし、とき小西線を固定して話していく。

 

「半分くらいは分かっている、くらいですね。亮太くんは、もうひとりの友人と勉強会をしているんです」

「勉強って、自分だけ伸びれば良くないですかっ」

「私に教えてくれたのは、邪魔だと思っていたんですか……? 親しい人のために教えるのは、大切な気持ちですよ」

 

 一瞬だけうつむいた後、あかりはときこに笑顔を向ける。ときこが自分のために手間を掛けてくれた事実は消えはしない。ときこの内心がどうであったとしても。あかりはそう信じていた。

 

「そうですねっ。あかりちゃんに教えたのは、友達だからですねっ」

「実際、ふたりは親しかったんです。でも今は、その子と、美佳とギクシャクしちゃってて……」

「つまり、亮太くんは美佳さんとの関係で悩んでいると?」

「そういうことなんだと思います。でも、テストを破った理由が分からなくて……。何に怒りを抱いているのかが……」

 

 その理由こそが、問題の本質なのかもしれない。あかりはそう考えた。ただ、亮太は美佳との関係に悩んでいることが全てで、ただの八つ当たりの対象がテストだった可能性もある。それを潰せるだけの根拠も必要だろう。

 

 ときこは、相変わらず笑顔を浮かべたままだ。だが、その中でも何かを考えているのだろう。ほんの少しだけときこが目を細めていることに、あかりは気づいていた。だから安心しながら、亜子の心を軽くするための言葉を続ける。

 

「原因を調べるために、私達がいるんです。任せてください」

「お願いします。友達として、ふたりの関係が壊れる未来を避けたいんです」

 

 そう言って、亜子は頭を下げる。その姿に、あかりは確かな友情を感じていた。きっと、3人で仲良くしてきたのだろう。亜子にとって大切な友人たちなのだと、あかりには確信できていた。だからときこの様子を確認すると、ときこは笑顔で頷いていた。

 

「なら、次は亮太くんに話を聞いてみましょうかっ。何か、手がかりがつかめるかもしれませんっ」

「できれば、明日にしてもらえませんか? 今からの時間は、あまり触れてほしくないんです」

 

 その言葉に従い、今日の調査は切り上げると決めたあかりだった。ときこに視線を向け、外に向けて視線をずらし、出ていくように示す。そのまま、ふたりは帰っていった。

 

 事務所に帰ってから、翌日の予定を考えていくあかり。ときこはベッドに入り、足をぶらつかせていた。そんなときこに、あかりは少し低い声でしかりつける。

 

「調査の手順は、しっかり確認してください! 相手にも、予定があるんですよ」

「完璧にこなしますから、問題ありませんっ」

 

 あかりは額に手を当てながら、首を横に振っていた。呆れの感情を隠せないまま。それからもときこはベッドから出ず、あかりが最後まで予定をまとめていた。

 

 そして翌日の始業前、ときことあかりは亮太の下へと向かう。曇り空の下、亜子は瞳をうるませながらふたりを見ていた。

 

 空き教室には、真剣な目で教科書を見ている亮太が居た。ときこは迷わず亮太のもとに歩いていき、すぐに質問する。

 

「ずっと見ていればうまくなるのなら、恋も相手を見ればうまくなるでしょうかっ」

 

 亮太はときこに視線を移した後、また教科書に視線を落とす。その様子を見て、あかりは亮太の代わりに返答した。何か、亮太の心を開くきっかけになってくれればと願いながら。

 

「ある面では正しいですね。相手の気持ちを尊重してこそですから」

 

 その言葉を聞いて、亮太はあかりに視線を向けた。そして少しの間うつむき、息を吸ってあかりに話しかける。

 

「なあ。相手の気持ちを尊重するって、どうすれば良いんだ? 俺には、何も分からないんだ……」

 

 亮太の姿は、あかりには迷子のように見えた。道を見失って、どうしたら良いのか検討もつかない。そのような様子に。

 

 だからこそ、あかりは亮太に強く共感できた。あかり自身も、ときこと自分を比べ続けた時に何も分からなくなった時期があったからだ。ときこはいつも笑顔のままで、悩みなど感じられない。少なくとも、表面上は。

 

 そんな相手に敵わないという事実は、かつてのあかりを追い詰めていた。別の悩みではあるが、同種の袋小路に居るのだろう。あかりは、そう確信していた。ゆえに、慎重に言葉を選んでいく。

 

「あなただって、相手を大切に想う気持ちがあるでしょう? それを伝えることこそが、一番の近道のはずです」

「でも、あの子は俺に視線も合わせてくれない……。どうしても、距離があるんだ……」

 

 うつむきながら、か細い声で話す亮太。きっと、美佳に想いを届けることを諦めてしまっている。あかりには、そう見えた。

 

 だが、きっと亮太の本当の望みは、自分の想いを伝えることのはずだ。亮太本人が伝えられないのなら、謎を解き明かした自分たちが伝えることも一つの手だ。あかりは、いつくしむような気持ちで亮太を見ていた。

 

「好きな人と距離ができたら、近寄りたくなるんですかねっ」

「ときこさん、物理的な距離の話ではありませんよ。結果としては、近寄りたいと思うでしょうけど。その気持ちは、私にも分かるつもりです」

「なあ、俺はどうすれば良かったんだ? 正解があるのなら、その通りにするよ……」

 

 あかりは穏やかな顔と落ち着いた声を意識して、亮太に目を合わせて話していく。少しでも、亮太の気持ちに寄り添えるように。

 

「私達が、美佳さんに話を聞いてきます。あなたの想いが届くように、協力しますから。ね?」

「謎の答えも、気になりますからねっ」

「ははっ、俺の悩みはついでかよ……。でも、頼む。俺じゃあ、きっと無理なんだ」

 

 そう言って、亮太は深く長く頭を下げる。それに強く頷いて、あかりはときこと共に、美佳が登校してくるのを待つために校門に向かった。

 

 美佳は、どこか元気のない様子で登校していた。背が丸くなり、常に下を向いている姿で。ときこは特に気にかけず、話しかけていく。

 

「美佳ちゃんですねっ。亮太くんのことは、どう思っているんですかっ」

「もう、ときこさん。前置きくらいしてください。すみません、美佳さん。話を聞かせていただけませんか?」

 

 美佳は少しの間目を閉じ、深呼吸した。あかりには、心の整理をしているように見えた。おそらくは、複雑な感情を抱えているのだろう。

 

 やはり、亮太と美佳の問題は、自分たちが解き明かす必要がある。そうしなければ、亜子の言う通りに前に進めないのだろう。あかりは、そんな予感を覚えていた。

 

 そして、美佳は決意を込めたような瞳で、ときこの方を見る。心の内を、吐き出すかのように。

 

「亮太くんがテストを破いている姿を見ちゃったんです。それが、どうしても怖くて……」

 

 自分を抱きしめながら、美佳は語る。言葉通りに捉えれば、亮太の暴力性に怯えているというのが素直な解釈だろう。だが、あかりはそう考えていなかった。

 

 なぜなら、美佳の瞳の揺れは、恐怖によるものではなく、罪悪感によるものに見えたからだ。バツの悪そうな顔というのが、あかりの素直な所感だった。

 

 だから、美佳にも何らかの事情がある。それを聞き出すことが、問題の解決につながるだろう。そのために、あかりはゆっくりと言葉を選んで、穏やかに話しかけていった。

 

「怖いというのは、亮太くんが暴力を振るう人だと思っているからですか?」

 

 その言葉に、美佳は即座に首を横に振った。あかりは、自らの感覚の正しさを確信した。何かのきっかけで、ふたりの関係は大きくこじれてしまったのだろう。それを解きほぐすためにも、美佳の心をひらいていくべきだ。そう考え、あかりは屈んで、美佳に視線を合わせた。

 

 美佳は少しだけ視線を下に向けた後、あかりに目を合わせて、ハッキリと話し出す。

 

「亮太くんは、私に怒ってるんじゃないかって……。私が、ダメな子だから……」

 

 亮太も美佳も、どちらも自分を責めている。おそらくは、お互いに優しい子なのだろう。あかりはそう感じた。だからこそ、本心を伝え合うことができれば、きっと関係は改善する。あかりは心から信じていた。

 

 ならば、美佳の核心に触れるべきなのだろう。多少の痛みをともなってでも。そうすることが、結果的に二人の傷を最小限に抑える道筋になるはずだ。あかりは、まっすぐに美佳を見つめながら問いかけた。

 

「ダメな子というのは、勉強会についてですか? それが、うまく行っていなかったんですか?」

 

 美佳はその言葉にうつむいて、瞳を揺らす。そして、足元をどこか焦点の合わない目で見ていた。しばらくして、目をぎゅっとつむり、あかりに視線を向けた。それから、か細い声で話し出す。

 

「もともと、私が勉強会をお願いしたんです。なのに、私の成績は伸びないままだから……」

 

 美佳の声に力はなく、だからこそあかりには美佳の感情が強く伝わった。自分の無力が悔しいのだろう。手を借りている相手に申し訳ないのだろう。あかりは、かつて自分の成績が伸び悩んだ時のことを思い返していた。

 

 ときこに勉強を教わって、その説明が何も理解できない。一足飛びに結論を告げられて、その過程が全く分からない。それは、自分の頭が悪いからだ。何度も自分を責めた記憶が、つい数日前のことかのように思い出せていた。

 

 だからこそ、自分は美佳に寄り添える。あかりは強く信じていた。自分の気持ちを伝えるべく、優しい声を意識して話していく。

 

「勉強というのは、教わってすぐに伸びるものではありません。教える方だって、教師役は素人だったりするんですから。勉強会を始めて、どれくらいですか? 数学なら、最低でも三ヶ月は見た方が良いですよ」

 

 美佳はその言葉を聞いて、唇を半開きにしていた。そのまましばらくが経過して、あかりに羨望の眼差しを向ける。

 

「私は、まだ教わって一ヶ月なんです。もしかして、焦りすぎていたのかな……」

「あかりちゃんなんて、半年かけても10点伸びただけなんですよっ」

 

 ときこの率直な言葉が、今のあかりにとっては福音だった。おそらくは、思ったことを言っただけなのだろう。それでも、あかりが入った言葉に説得力が出る。

 

 実際、あかりには、美佳は少しだけ明るい顔になったように見えていた。心のわだかまりが、少し解けたのだろう。あかりには、そんな実感があった。

 

「私、数学がとても苦手で……。赤点ギリギリだったんです。数字を見るのも嫌なくらいで……」

「嫌いな授業と嫌いな人なら、どっちの方が嫌なんでしょうねっ」

「人次第ですが、私は好きなもののことを考えたいですね。美佳さんは、どんなものが好きですか?」

 

 美佳は少し目をぱちくりさせた後、ゆっくりと話し出す。

 

「私は、小説が好きなんです。別の世界に連れて行ってもらえそうで。少しだけ、書いたこともあるんです」

 

 その言葉は、きっと美佳がほんの少しでも心を開いた証。そう考えて、あかりは頷きながら聞いていく。心が軽くなることで、未来に繋がるようにと。

 

「私が読みたいと言ったら、読ませてくれますか? どんなお話なのか、気になります」

「読ませるのは、恥ずかしいけど……。初恋を叶える女の子の話です」

「それは良いですね。物語みたいな恋を叶えられたら、きっと素敵だと思います」

「私も、その話の主人公みたいに勇気が出せたらって思うんです。告白するのって、きっとものすごく怖いから」

 

 どこか羨ましそうに遠くを見ながら、美佳は語る。きっと、美佳の中にも勇気があるのだろう。それが陰ってしまっているだけで。だからこそ、自分たちが光を差せたら。あかりはそう考えていた。

 

「小説だと、想いがすれ違ったりしますよね。本当は相手が好きなのに、嫌な言葉を言ってしまったりとか」

「そうですねっ。亮太くんも、隠れた気持ちを抱えていたりしてっ」

 

 あかりはときこの言葉に希望を見た。亮太だって、美佳のことを心配していた。テストを破いたのは、美佳に対してぶつけたい怒りではなかったはずだ。そう信じていた。

 

 だからこそ、それを示すためにも一歩を踏み出す。まずはあかりから。そう決意して、穏やかに言葉を紡いだ。

 

「例えば、美佳さんに避けられていることに気づいた亮太さんが、テストに八つ当たりしたとかはどうですか?」

「それは矛盾していますよっ。亮太くんがテストを破いたから、美佳ちゃんは亮太くんを避けたんですっ」

「はい。だから、どうして亮太くんがテストを破いたのかが分からなくて……」

 

 その答えこそが、ふたりの関係を大きく左右するだろう。だが、それでもきっと未来は明るいはずだ。そうすることが、自分たちの役割だろう。そんな思いを胸に、あかりはときこを向いて口を開いた。

 

「まずは、状況を整理しましょう。そうすれば、手がかりが見えてくるかもしれません」

「そうですねっ。情報は、きっと十分に集まっていますよっ」

「なら、本当の答えが……。そうですね。知りたいです」

 

 美佳は軽くうつむいた後、あかりに真っ直ぐな視線を向ける。その仕草に、あかりは美佳の決意を感じ取っていた。だからこそ、しっかりとときこに情報を伝える必要がある。言葉に力が入るのを、あかりは自覚していた。

 

「まずは、亮太さんが美佳さんに数学を教えていました。そして、亮太さんはテストを破いた。亮太くんは、美佳さんとの関係で何か悩んでいたようです」

「そして、美佳ちゃんは成績が伸び悩んでいましたっ。ダニング=クルーガー効果のように、自信を失っていたんですっ。そうか、自信……」

 

 ときこはあごに手を当て、下を向く。その姿を見て、あかりは安心していた。美佳の成績に目の前で言及した怒りすらも、吹き飛んでしまいそうなほどに。

 

 そして数秒が経過し、ときこは顔を上げる。そのまま、堂々と宣言した。

 

「中村亮太くん。あなたの想い、届きましたよっ」

「亮太くんが何を考えていたのか、分かったんですか?」

 

 美佳はときこに、期待を込めたような目を向ける。だからこそ、あかりは確信した。美佳も、亮太との関係を取り戻したいのだと。

 

 そのためには、亮太を連れてくる必要がある。そう告げようとすると、美佳が口を開く。

 

「私、亜子ちゃんを呼んできます。ふたりを見ていて分かったんです。ひとりじゃ、きっとダメなんだって」

 

 そのまま、返事も聞かずに駆け出していく。その様子を見て、ときこは不思議そうに首を傾げていた。

 

「どうして、亮太くんを呼びに行かなかったんでしょうねっ」

「きっと、美佳さんのわずかな勇気なんです。だから、それを私が支えますね」

 

 そう言い残し、あかりは亮太を呼びに向かった。早足で向かうと、亮太は相変わらず数学の教科書をながめていた。

 

「亮太くん、私と一緒に来てください。あなたの気持ちを、美佳さんに伝えるチャンスです」

 

 その言葉に、亮太は少しだけ下を見る。それから拳を握り、強く頷いた。おそらくは、決意が固まったのだろう。あかりはそう信じていた。

 

「分かった。この機会を活かせないのなら、きっと俺は何もできない。連れて行ってくれ」

 

 そう言った亮太を、あかりは先導する。亮太の強い足音に、あかりは緊張と決意を感じていた。しばらくして、ときこの居場所にたどり着くと、そこには亜子と美佳がたどり着いていた。

 

 あかりがときこの隣に立つと、依頼人達は三者三様といった様子でふたりを見ていた。亮太は真剣な瞳で、亜子は期待を込めたようにまっすぐ、美佳は少し不安そうに瞳を揺らして。

 

 そして、笑顔のときこは元気に話し始めた。

 

「では、今回の依頼について、結論から話しましょうっ。亮太くんは、自分への怒りをテストにぶつけたんですっ」

 

 亮太を指さしながら、ときこは宣言する。亮太は目を見開き、亜子はどこか納得したような顔で頷き、美佳はうるませた瞳で亮太を見ていた。

 

 あかりは、ここからが本番だと理解していた。亮太の本心を明かすことで、3人の関係が大きく動くことになるだろう。そのためにも、ときこの回答をしっかりと聞く必要がある。そう考え、ときこの言葉に集中していた。

 

「それは、私への怒りではなくて、ですか……?」

「はいっ。では、順番に説明しますねっ。まずは、亮太くんは美佳さんに勉強を教えていました。それは、うまく行かなかったんですっ」

 

 その言葉に、亮太は唇を噛み、美佳は目を伏せる。そして亜子は、ふたりを心配そうに見つめていた。あかりは、勉強会がうまく行かなかったことが問題の根源であると、しっかりと理解した。

 

 つまり、勉強会に込められた想いを解き明かせば、ふたりの問題が解決するのだろう。そんな期待を込めて、ときこの言葉が続くのを待っていた。

 

 ときこは笑顔のまま、続けて語りだした。

 

「あかりちゃんは、親しい人のために教えることを、大事な気持ちだと言っていましたねっ。それも重要な情報でしたっ」

 

 ときこには、その感情は理解できていなかったのだろう。だから、あかりの言葉を推測の材料にした。ほんの少しの寂しさを覚えながら、あかりは続きを待つ。

 

 亮太は美佳の方をじっと見つめ、美佳はその亮太と目を合わせられない様子。亜子は、そのふたりの間で視線をさまよわせていた。

 

「そして私は、今回の件で計画書を書けと言われて、完璧にこなせるから大丈夫だと返しましたっ」

 

 亮太と美佳は、同時にうつむく。その姿を見て、あかりは直感した。亮太も美佳も、勉強会に自信を持っていたのだ。それが壊れたことが、きっかけだったのだろう。詳細までは、まだ分からないが。

 

 つまり、ふたりともが真剣だったことこそが、ふたりの関係をこじらせてしまった。悲しいすれ違いだという思いを、あかりは抑えきれなかった。その気持ちのままに、胸に手を当てていた。

 

 ときこは相変わらずの笑顔で、話を続けていく。

 

「確認しておきますねっ。美佳ちゃんは、勉強会をすれば、すぐに成績が伸びると信じていた。だけど、うまくいかなかったんですねっ」

「……はい、そうです。私が、バカだったから……」

 

 美佳はうつむき、亮太は心配そうに美佳を見つめる。亜子は、ときこをじっと見ていた。あかりには、亜子はときこが更なる答えを出すことを期待しているように見えた。

 

 そのまま、ときこは笑みを浮かべて話を続ける。

 

「まとめると、勉強会でうまくいかなくて、ふたりとも自信を失ったんですっ。最初は自信を持っていたにもかかわらず」

「それなら、亮太くんは自信を失った怒りを、テストに叩きつけていたんですか?」

 

 亜子はそう問いかけ、美佳は瞳を揺らしながら亮太を見つめ、亮太はふたりから視線をそらした。

 

 ただ、あかりは信じていた。亮太は、美佳のことを大事に思っている。その発露の形が歪んでしまっただけなのだと。その気持ちを伝えるために、亜子に笑顔を向けた。

 

 そのまま、ときこは満面の笑みで結論を語る。

 

「正確には、美佳ちゃんが悲しんでいる怒りを、ですね。美佳ちゃんの役に立てない気持ちを、テストにぶつけたんですっ。美佳ちゃんの成績が伸びないことに苦しんだ、その感情を」

 

 亮太は頭を右手でガシガシとかく。その反応を見て、あかりはときこの推理が正しいのだと直感した。もともと、ときこの推理が外れた姿は見たことがない。それでも、安心できる瞬間だった。あかりは、ほっと息をついた。

 

 美佳は、亮太の顔を見て、口を半開きにしていた。しばらくして、軽く首を振ってから、ゆっくりと言葉をもらす。

 

「それって、私のため……? でも、どうして……?」

 

 美佳に問いかけられて、亮太は頬をかいていた。おそらくは、気恥ずかしくて口に出せないのだろう。そんな姿を見もせず、ときこは言葉を続けていく。

 

「亮太くんは、自分の無力感を言葉にしていましたっ。きっと、美佳ちゃんの役に立てない無力感なんですっ」

「なるほど。亮太くんは、ずっと美佳さんとの関係に悩んでいましたから。納得できます」

 

 あかりが視線を向けると、亮太はうつむいて視線をさまよわせた。その様子を見て、亜子が問いかける。

 

「亮太くん、答えてほしい。そのために、私はふたりに依頼したんだから」

 

 亜子の強い視線を受けて、亮太は瞳を閉じて息を吸う。そして、ぽつりぽつりと話しだす。

 

「美佳から勉強を教えてほしいって言われた時は、嬉しかった。こんな俺でも、誰かに頼られるんだって思えたよ 」

 

 わずかに頬を緩めながら、亮太は語る。その姿を、亜子はまっすぐに、美佳は悲しそうに見ていた。あかりには、亮太の言葉は悔い改めているかのように見えていた。

 

「それに、美佳は俺の話をよく聞いてくれた。面白い話なんてできなかっただろうに、笑顔で頷いてくれていたんだ」

 

 その言葉を最後に、亮太は拳を握る。歯を食いしばりながら、悔しさを隠せないかのように。

 

「でも、それは最初だけだった。だんだん、美佳の顔から笑顔は失われていったよ」

 

 亮太も美佳もうつむく。亜子は二人から目を離さない。そして、亮太はすべてを吐き出すかのように叫びだした。

 

「必死に教え方を考えても、美佳の成績は良くならない。顔も暗くなるだけ。好きな子を笑顔にできないのなら、本当に欲しいものが手にはいらないなら、あんな紙切れの点数に何の価値があるんだよっ!」

 

 絞り出すかのような言葉に、あかりは強く共感していた。好きな人を幸せにできない自分になど、何の価値もない。そんな気持ちは、あかり自身も体験していたことだった。

 

 美佳は亮太の言葉を受けて、瞳を閉じて胸に手を当てる。ゆっくりと息を吸ってから、穏やかに話し始めた。

 

「亮太くん……。私のことを、好きで居てくれてたんだ……!」

「あっ……。いや、そうだ。ごめんな、美佳。俺が情けないばかりに、お前を悲しませて」

 

 亮太は憑き物の落ちたような顔で、落ち着いた声で語りかけていた。対する美佳は、涙を瞳ににじませながら微笑んだ。

 

「ごめんね。私を大切にしてくれていること、気づかなかったよ。私がバカだから、イライラしてるんだとばかり…….」

「そんなことはない。俺の教え方が悪かったせいなんだ。あげく、我慢もできずに……」

 

 亮太はうつむいて、強く拳を握る。自分のこれまでを、強く後悔しているのだろう。おそらくは、美佳を恐れさせたことも、美佳の成績を伸ばせなかったことも。

 

 ただ、美佳の穏やかな顔を見る限りでは、きっと大丈夫なはずだ。あかりは、そう願っていた。

 

「ううん。ときこさんとあかりさんを見ていて、分かったんだ。私たちは、ひとりで解決しようとしていたからダメだったんだって」

「美佳……。そうだな。俺だって、ずっとひとりで解決策を考えていた。本当は、相談すべきだったんだよな」

 

 亮太は、美佳の方を見ながら、一度頭を下げた。美佳は亮太に手を差し出した。それを亮太がつかむと、美佳はそっと微笑んだ。亜子は、そんなふたりを優しい顔で見つめていた。

 

 これで、ふたりの関係が良い方向に進むだろう。あかりは、そう確信していた。胸が暖かくなっているのを、強く感じながら。

 

 美佳は亮太の手を両手で握り、微笑みながら話し出す。

 

「こんな私で良ければ、また勉強を教えてくれないかな? 私のことを本気で考えてくれるあなたとなら、もう一度頑張ってみたいんだ」

「もちろんだ。それこそが、俺の望みだったんだから」

 

 亮太は頷き、美佳は亮太の手を優しく握りしめていた。亜子はその様子を見て、何度も頷いていた。

 

「これで収まるところに収まったかな。もともと、彼に教えてほしいって言ったのはあの子だったんですよ。私だって成績がいいのにね。つまり、お互いを大切に思っていたずなんです」

 

 亜子の顔からは、強い安心が見て取れた。亜子は、亮太と美佳の関係を心配したからこそ宗心探偵事務所に依頼を出したのだと、あかりは強く実感した。

 

 亮太と美佳はお互いに微笑み合い、亜子の方を向く。そして、ふたりは頭を下げた。それに対し、亜子は胸の前で両手を横にふる。

 

 そして、亮太は亜子に笑いかけながら話しだした。

 

「悪かったな、心配させて。おかげでうまく行ったよ。お前に金は出させられないし、俺に払わせてくれ」

「ううん、気にしなくていいよ。私が気になっただけだからね」

「心配してくれたんだから、そのお礼だよ。それに、私達はこれからも手を取り合うっていう、おまじないだから。私だって、出しちゃうよ」

「ふふっ、仲がいいことだね。なら、お願いしちゃおうかな。一月くらいは、おやつが食べられなさそうだったから」

 

 その言葉を受けて、亮太も美佳も笑っていた。これで一件落着だ。これからも、ふたりの未来が、いや、三人の未来が明るいように。あかりはそう願っていた。

 

「ありがとうございました、ふたりとも。私たちは、ふたりみたいに支え合っていきますね」

「それは良かったです。素敵な思いでしたっ」

 

 最後に三人は頭を下げて、笑いながら去っていく。亜子はゆっくりと距離を取っていたが、亮太と美佳に気づいた様子はなかった。そんなふたりは、夕日に向かって歩いていく。

 

 ふたりを見送った後、ときことあかりは事務所に帰った。そして、今回の依頼を振り返っていた。

 

「良かったですね、亮太くんと美佳さんがうまくいって。依頼がなければ、きっと関係は改善しませんでしたよ」

 

 そう語る明かりに、ときこは笑顔で返す。

 

「自分より相手の能力が高い方が、嬉しいこともあるんですねっ」

「違いますよ。能力は本質ではありません。大切な人の努力は報われてほしい。そんな気持ちなんです」

 

 ときこには、その感情が理解できるのだろうか。いや、できるようになってほしい。あかりは、そんな祈りを込めて、ときこをじっと見ていた。

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