小さな恋のミステリー:天然探偵と真面目助手が恋の謎を解き明かす話 作:maricaみかん
「すみません、
裏路地に一歩入ったあたりのビルに、男の低い声が響く。玄関口には、ワイシャツを着た中年くらいの男が居た。
彼の声を受けて、ドアが開く。そこから、スーツを着こなした若い女が現れる。そして、頭を下げて挨拶した。
「宗心探偵事務所で助手を務めております、
「そうですね。私は、
「まずは、お話をうかがってからですね。探偵のもとに案内いたしますね」
そう言って、あかりは事務所の中に直人を案内する。その一室に、明るい笑顔を浮かべたワンピースの女が居た。彼女は、入ってきた二人を見て手を振る。
「ときこさん、依頼人です。ご挨拶してください」
「分かりましたっ。私は、探偵の宗心ときこですっ。よろしくおねがいしますねっ」
ぺこりと頭を下げるときこを見て、直人は軽く笑う。ときこはその姿を見てもニコニコしていた。
「ときこさんは、人の気持ちが分かりそうだ。あかりさんも、とてもしっかりしていらっしゃる」
「私達で、必ず依頼を達成してみせます」
「やってみなくちゃ、分からないですけどねっ」
「ときこさんは、話がずれていることもあります。だからこそ、他の人には見えないものも見えるんですよ」
「なら、変わった行動の理由も分かるかもしれませんね」
直人の言葉を聞いて、あかりは依頼の内容を推測していた。おそらくは、不思議なことをしている人が居るのだろう。そして、それは直人の知り合いなのだろう。そこまで考えていた。
ときこはにこやかなまま、弾んだ口調で会話を続ける。
「さて、どんな依頼なんでしょうっ。早速、聞かせてくださいっ」
「では、こちらのジュースを飲んでいただけますか? それが、今回の謎の鍵となるでしょうから」
そう言って、直人はカバーで包まれたペットボトルを取り出す。カバーは膨らんでおり、あかりには保冷剤が入っているように思えた。
ときこは即座に受け取って、ジュースを開封して飲んでいく。そして、すぐに顔をしかめた。
「なんですかこれっ。腐ってるんじゃないですかっ」
「いえ、それが正常なんです。ハッキリ言って、まずいでしょう?」
その言葉を聞いて、あかりはときこのジュースを受け取り、口にする。即座に強い苦味と酸味を感じ、ペットボトルから口を離す。そして、ゆっくりと口に入った分を飲み込んでいった。
「これは、ひどいですね……。というか、飲み込んだ後も口の中に匂いが残る気がします」
「ずっと忘れないですねっ。プルースト効果みたいに、何度も思い出しそうですっ」
「なんですか、プルースト効果とは?」
直人は首を傾げながらときこに問いかける。ときこは変わらない笑顔で質問に答えた。
「匂いを嗅いだら、関係のある記憶を思い出すことですねっ。そうだ。好きな人にさっきのジュースの匂いをつけたら、嫌いになっちゃうんでしょうかっ」
ときこは無邪気な笑顔であかりに聞く。そんな姿に苦笑しながら、あかりは会話を続けた。
「少なくとも、一時的なものなら大丈夫ですよ」
「なるほど。助手ちゃんはいい匂いって感じたことって、ありますかっ」
「ときこさんは、イチゴみたいな香りがしますね」
「そうなんですか? いい匂いだと、嬉しいですっ」
自分の肩のあたりを嗅ぎながら、ときこは笑う。あかりは慣れたものだったが、直人は目を点にしていた。おそらくは、ときこの変わった言動に驚いているのだろう。
まずは、人となりを知ってもらってからの方が話を進めやすいだろう。そう考え、あかりはにこやかに会話を続けていく。
「ときこさんは好き嫌いが激しかったですよね」
「あかりちゃんに食べてもらってたんですよねっ」
「私が嫌いと知って食べさせてきた時は、ちょっと恨みましたけど」
あかりはじっとときこをにらみ、ときこは笑顔で目をそらす。それを見て、直人は抑えきれなかったかのような笑い声を漏らした。
「ははは、お二方は、いい関係のようですね。探偵らしくはないかもしれませんが」
「ときこさんのことなら、変わっていると言ってくれていいですよ」
「もう、ひどいですよっ。この事務所の主は、私なんですからねっ。謎解きは、私がやっているんですからっ」
ときこは頬を膨らませながら、あかりに不満をぶつける。あかりは、ちょうどいい流れだと判断して、直人に話の続きをうながすことに決めた。
「さて、依頼の続きを聞かせていただきましょう。このジュースが、どう関わっているんですか?」
「うちで経営しているコンビニには、バイトが居るんです。その子が、毎回入荷してほしいと頼んでくるんです」
「なるほどっ。こんなにまずいのに、不思議ですねっ」
「ええ。その子以外にも、怖いもの見たさの学生が買っていくので、経営では問題ないのですが。気になるもので」
その言葉を聞いて、あかりは依頼を受けるべきか悩んだ。単なる好奇心であるならば、人の調査など好ましいと思えなかったからだ。あかりが助手をしているのは、謎解きを通して依頼人の周囲を幸福にしたいから。
だからこそ、野次馬根性だけでの依頼なら、受けたくないのがあかりの本音だった。それを確認するためにも、直人に話を聞いていく。
「どうして、その謎を解きたいと思ったのでしょうか。何か問題でもありましたか?」
「好奇心というのも、否定はできません。ただ、その子は女子大生なのですが、ジュースを頼み始めたあたりで、キレイな金髪を黒に戻したんです。同時に、元気がなくなったようにも見えて……」
目を伏せながら、直人は語る。おそらく、心配なのが本心なのだろう。確かに、髪の色を変えて元気がなくなるとなると、大きな心境の変化があると考えるのが自然だ。
それなら、依頼を受けても良いかもしれない。その女子大生が、元気になるきっかけを作れるかもしれない。あかりはそう考えた。
ただ、ときこは特に気にした様子もなく、笑顔のまま直人の言葉に反応した。
「髪の色を変えたら感情が変わるのなら、青に変えたら、気分が沈んだりするのでしょうかっ」
「違います。大きく感情が変わったから、色を変えたんですよ」
「髪を染めるだけで元気になれるのなら、それは素晴らしいのか、恐ろしいのか。ただ、きっと美宇さんの、あの子の心は変わっていないのでしょうね」
遠くを見ながら語る直人の言葉から察するに、美宇という子はずっと暗いままなのだろう。あるいは、直人がそう思い込んでいるか。どちらにせよ、ここは自分たちの出番だろう。それがあかりの素直な感情だった。
「なら、直接聞けば良くないですかっ」
「ダメですよ。心の傷があるかもしれないんですから、慎重に進めましょう。それが、結局は近道なんです」
「そうですね。できれば、傷つけない形で終わらせていただきたいです」
直人の心配も当然のことだ。そう考え、あかりはときこの肩をつつく。そして、ときこは相変わらずの笑顔で返す。
「分かりましたっ。なら、別の形にしますねっ。遠回りも、それはそれで面白そうですっ」
「お願いしますね、ときこさん。あなたなら、きっと答えにたどり着けます」
ときこに視線を向けると、笑顔のまま頷いた。そしてまっすぐに直人を見つめ、堂々と宣言する。
「その謎に込められた想い、解き明かしてみせますっ!」
そして次の日の朝早く。ときことあかりは直人に案内されて、目的地であるコンビニに向かっていた。まだ日が昇ったばかりの肌寒さを感じながら、あかりは直人と世間話をしつつ情報を集めていく。
「コンビニとのことですが、他にバイトはどの程度いらっしゃるのですか?」
「合計10人程度でシフトを組んで、基本的には二人一組で対応してもらっていますね。美宇さんは、高校の頃から、かれこれ五年ほどは働いているでしょうか」
五年も一緒ならば、それはある程度親しくなるだろう。直人が美宇を心配していることに、あかりは納得していた。居心地の悪い職場で若い学生が五年も働くことは想像しづらい。直人と美宇は、相応に良好な関係を築けているのだろう。あかりはそう判断した。
「その間は、ずっと金髪だったんですかっ」
「ええ。三ヶ月ほど前でしょうか。急に髪を黒に戻す前までは、ずっと」
「それは、確かに突然ですね。何か大きな事があったと考えるのが、自然でしょうか」
「まだ分かりませんよっ。金髪に飽きた可能性もありますからねっ」
ときこの視点はどこかズレているが、だからこそ探偵として成立するのだろう。自分は素直に考えすぎているのかもしれない。あかりはそう感じていた。
無論、金髪に飽きただけだと思うのなら、直人は探偵に依頼などしない。だから低い可能性ではあるが、それでもあらゆる仮説を想定することは大事だと、あかりはこれまでの日々で思い知っていた。
直人は目を伏せながら話を聞いている。おそらく、美宇のことを気にしているのだろう。ならば、できるだけ早期に解決したいものだ。あかりはそう考えていた。
「真実を知るためにも、しっかりと情報を集めないといけませんね。この時間に呼ぶということは、美宇さんがいらっしゃるんですか?」
「そうです。やはり、本人から話を聞くことも大切でしょうから」
「私としては、あんなにマズいジュースを飲んで平気なのかが気になりますねっ」
「さて、どうでしょうか。彼女はよくジュースを買っていますが、私の知っていることはそれだけです」
直人はときこの言動にも普通に対応している。声も落ち着いているし、表情も穏やかなものだ。あかりはひとまず安心していた。
ときこは独特の態度を取るため、人によっては合わないこともある。そんな形で依頼が崩壊する可能性は低いと、あかりは見ていた。
そのままコンビニに向けて歩き続け、ついにたどり着く。そして、入口から中に入っていった。すると、商品を棚に並べている店員が直人の方を向く。彼女は、長い黒髪をポニーテールのようにまとめている。
「いらっしゃいませー! あっ、てんちょー! 女の人を二人も連れて、いいご身分ですねー」
「おはようございます、美宇さん。こちらのふたりには、コンビニの様子を見てもらおうと思いまして。探偵として、改善点を見つけてくださるかと」
直人の嘘に、あかりは良いごまかし方だと考えた。いきなりお前を調査していると言って、素直に回答することはないだろう。ただ、ときこが事実を言って台無しにする可能性がある。あかりはときこの方を見て、唇に人差し指を当てた。ときこは、にんまりとしながら頷いた。
「直人さんに依頼を受けた宗心探偵事務所のものです。美宇さんと言いましたか。よろしくお願いします」
「そうですねっ。色々と面白いものを見つけたいですっ」
ときこの言葉は、間違いなく本音でもあるのだろう。ときこが探偵をしているのは、謎解きに興味があるからでもあるのだろうから。あかりは、ときこが想いを解き明かす時に楽しそうにしている姿を何度も見ていた。
だからこそ、ときこは探偵として仕事をこなせているのだろう。良くも悪くも、興味に忠実な人間だとあかりは考えていた。
美宇は含み笑いをしながら、直人に話を続けていく。
「てんちょーってば、実は経営状態を気にしてたんですかー? 順調だって言ってたのに、潰れたら困りますよー?」
「そこは大丈夫ですよ。実は赤字ということはありませんし、黒字だって減っていません」
明るい様子で美宇は話している。にもかかわらず、直人は美宇が沈んでいると感じていた。つまり、親しい間柄でだけ分かる何かがあったのだろう。
可能性としては、細かい表情や仕草が違うこと。あるいは、ときこやあかりが居るからよそ行きの態度を取っていること。いずれにせよ、まずは美宇と距離を縮めるのが定石だろう。そう考えて、あかりは美宇に話しかけた。
「美宇さんは、直人さんと長いそうですね。あなたから見て、直人さんはどうですか?」
「まー、いい店長なんじゃないですかー? そこまで厳しい要求はしてこないですしー」
「美味しくないジュースも、入荷できるくらいですもんねっ」
「あー、聞いたんですねー。他の店なら、まず無理ですもんねー」
どこかバツが悪そうに、頬をかきながら美宇は語る。その姿に、あかりはほんのわずかな暗さを感じた気がした。もしかしたら、思い込みなのかもしれない。それでも、あかりが美宇の心に寄り添おうと考えるには十分だった。
しっかりと、美宇の表情を見ていこう。そう決意して、あかりは会話に集中していた。
「実は好物だったりするんですかっ」
「それはないですねー。というか、あんなにマズいもの、誰も好きにならないでしょー」
眉をひそめながら言っていた。つまり、美宇はジュースが嫌いだということ。それでも、直人にジュースを入荷するように頼んだ。そこに大きな問題が隠れている。あらためて、あかりは確信した。
「なるほどっ。確かに、吐き出しそうになるくらいマズかったですからねっ」
美宇は頷いて、ときこは笑顔のまま美宇の様子をじっと見ていた。その姿を見た直人は、ときこに問いかける。
「どうでしたか。何か、分かることはありましたか?」
「そうですねっ。強いて言うのなら、ジュースの味は美宇さんも嫌いだってことですっ。つまり、好きでもないものを入荷してほしいと頼んでいるんですねっ」
「もー、てんちょーってば私に興味津々ですねー。ダメですよ? こんな年下に恋をしちゃー」
からかうような口調で、美宇は言う。そこにあかりは、確かな親しみを見ていた。関係が良好だからこそ、直人は美宇の暗い顔が気になったのだろう。なら、自分たちが解決するだけだ。あかりはそう考えていた。
「いくらなんでも、娘くらいの歳の子を異性としては見れませんよ。とはいえ、大事だと思っていることは事実ですが」
「てんちょーと私の付き合いも、長いですもんねー。もう一人の娘みたいなー?」
「そんなところですかね。健やかに育ってほしいものです」
「本当に親みたいな目で見るの、やめてくださいー。私だって、成人なんですからー」
「成人だからこそ、悩みを抱え込んじゃうんですかっ。そういう話、よく聞きますよねっ」
ときこの言葉に、美宇は目をそらす。そしてしばらく黙り、直人に目を向けた。
「てんちょーも、気づいてたりしてたんですかー?」
「何か悩みを抱えていることくらいは。ですが、無理に言う必要はありません。私達はあくまで店長とバイト。言いたいことだけ言うくらいで、ちょうどいいんですよ」
その言葉に、あかりは確かな親愛を感じた。本当は、美宇が心配なのだろう。それでも、自分からは踏み込まない。そうすることで、美宇の心を守ろうとしている。そのように見えていた。
だからこそ、他人が踏み込む必要があったのだろう。美宇と直人に、ある程度の距離を保ったまま問題を解決する。それこそが、ふたりの今後にとって必要なこと。あかりは、そう信じていた。
「分かりましたー。あ、そろそろ大学の時間ですねー。てんちょー、ではまたー」
「はい。お疲れ様でした。では、お二方。他のバイトにも、話を聞かれますか?」
「そうですねっ。あ、そこの人。美宇さんが髪の色を変えたきっかけって、何か思いつきますかっ」
「思いつくことと言えば、最近恋人の話をしないことですかね。ほら、浮かれてた時期、あったじゃないですか」
「ああ、確かに。そのあたりは、直接聞くことは難しいですからね」
直人としては、あまり他人に話したいことではなかったのだろうか。そこまで考えて、あかりはとある可能性に思い至った。娘のような関係だと思っているのならば、恋人の有無について深く聞くのも難しいのだろう。昨今では、セクハラだと捉えられてもおかしくはない。
いくら直人と美宇が親しくても、配慮するべきこと。おそらく直人は、そう判断したのだろう。実際、初対面の時に恋人について直人から聞いていれば、下世話な話だと判断したかもしれない。あかりはそう振り返っていた。
とりあえずは、推理を進める必要がある。そのためにも、今の情報に対する分析を言ってみよう。そう考えて、あかりは言葉を続ける。
「フラれてしまったから、腹いせにジュースを買ったんでしょうか」
「マズくて飲みたくないようジュースを買う理由としては、足りなくないですか?」
「ですが、他に思い当たることはありません」
「なら、情報が足りないってことですよっ。もう少し、調べてみましょうっ」
あかりは元気いっぱいの笑顔で語る。その様子を見て、あかりは頼りがいを感じていた。ときこならば、必ず答えにたどり着いてくれる。そう信じて、ときこの目を見た。
ときこはにこやかな顔で、直人の方を見る。そのまま、明るい口調で質問をしていく。
「美宇さんは、どれくらいの頻度でジュースを買っているんですかっ」
「週に一度ほどでしょうか。必ず、夕方に買っていましたね」
つまり、時間が重要になる何かがある。そういうことだろう。あかりには、特に理由は思い浮かばなかったが。
美宇にとっては、夕方にマズいジュースを買いたくなる理由がある。そして、週に一度ほどということは、定期的に買う理由もある。あかりに分かったのは、そこまでだった。
ときこはいつも通りの笑顔で、直人の言葉に反応する。
「失恋って、週に一回思い出すものなんですかねっ」
「人によると思いますね。それこそ、毎日思い出す人も居るでしょう」
「私の記憶だと、ふとした瞬間に思い出すものでしたね。とはいえ、美宇さんは女性ですし世代も違います。同じとは限りませんが」
あかりの感覚だと、定期的に失恋を思い出すというのは違和感があった。恋の悩みを抱えていたとしても、きっかけに触れるかどうかの影響も大きいからだ。少なくとも、自分は違う。あかりは、そう考えていた。
ときこは笑顔のまま頷き、質問を続ける。
「ジュースは店の近くで飲んでいるんですかっ」
「どうでしょうか。少なくとも、店の中ではないと思いますね」
「袋を遠くに持って行くの、見たことありますよ。どこに行ったのかは、知りませんけど」
レジで待機している店員の言葉に、ときこは頷く。あかりに分かったのは、その場で飲まないということだけ。ならば、家に持ち帰ったのだろうか。そこまで考えて、自分で飲むとは限らないのだと思い至った。
「そうなると、飲ませたい相手でも居たのでしょうか」
「嫌いなジュースを飲ませるのなら、嫌がらせでしょうかっ」
「美宇さんは、そんな人ではありませんよ。それだけは、確かです」
あかりの疑問に答えたときこに、直人はきっぱりと答える。そう言い切れるあたり、バイトとして真面目に働いていたのだろう。あかりには手に取るように分かった。
やはり、直人と美宇の間には強い信頼関係がある。ならば、そこから攻めるのも一つの手だろうか。あかりは検討して、すぐに捨てた。謎解きが目的なのではない。謎解きを通して、美宇の問題を解決することが目的なのだ。それを見失う訳にはいかない。あかりは拳を握って、再度決意した。
「やっぱり、元気になってほしいですよね。そうなると、もう少し情報を知りたいところですね」
「後は、彼氏さんの情報ですねっ。どんな人とか、分かりますかっ」
「おとなしそうな人でしたよ。とても仲が良い姿を、一度見たことがあります」
店員の言葉に、ときこは笑顔のまま首を傾げる。あかりは、また変な言葉が飛び出すのだと感じていた。
「仲が良い相手って、どうやって判断するんでしょうっ。見た目ですかねっ」
「お互いの態度からです。きっと、素敵な笑顔を浮かべていたのでしょうね」
「そうですね。あのふたりが別れるなんて、今でも想像できませんよ」
それならば、よほどのことがあったのだろう。それが何かは、想像がつかないが。だからこそ、美宇は傷ついていたのだろう。傍から見ても明確に仲が良い恋人の話をしなくなったのだから。あかりは胸に手を当てながら、美宇の心を推測していた。
ときこはにこやかに頷き、あかりの方を向く。
「ここで手に入れられる情報は、もう少なそうですよねっ。一回、戻りましょうかっ」
「そうですね、ときこさん。まずは、今ある情報を整理しましょう」
「お疲れさまでした、お二人とも。また、よろしくお願いします」
直人は頭を下げ、あかりも礼を返す。ときこは軽く手を振りながら去っていき、あかりはときこを追いかけていった。
そして事務所で、状況を整理していく。そんな中で、あかりはときこに説教していた。
「いいかげん、ちゃんとメモを取ってください! 探偵としての仕事ですよ!」
「頭に入っているから、大丈夫ですよっ」
あかりは状況をノートに整理しながら、ため息をつく。そして、ときこに質問する。
「では、ときこさんは次に何を調べるべきだと思っているんですか?」
「まずは、美宇さんの恋人についてですねっ。直接聞ければ、話は早いんですけど」
「それでは、聞き込みをするしかないでしょうね。さてと、美宇さんはどこに住んでいるのでしょうか」
「じゃあ、それから聞いていきましょうっ。方針も決まりましたし、出発ですねっ」
空に赤みが混ざりだした頃、ときことあかりは再びコンビニへと向かう。すると、ビニール袋を持った美宇が出てくる姿が見えた。
挨拶に向かおうとするあかりの手を、ときこがつかむ。そして、ひそひそ声で耳打ちした。
「着いていきましょうっ。そうすれば、答えに近づけるはずですっ」
「家まで着いていくということですか? でも、それは……」
「ビニール袋の中を見てくださいっ。あのペットボトルが入っていますよっ」
その言葉を聞いて、今が夕暮れ時であることをあかりは思い出した。そして、あごに手を置いて考えていく。覗き見のような形になるが、それでも美宇を追いかけるべきだろうかと。
細かく美宇に質問するよりも、傷つけなくて済むかもしれない。あるいは、自分たちが美宇を調査していることに気づかれて、直人を疑われる可能性を減らせるかもしれない。
そこまで考えて、あかりは決断した。ふたりの関係を思いやるのなら、着いていくのが最適解に近い。そんな思いを込めて、ときこに頷いた。
ときことあかりは、こっそりと美宇を追いかける。笑顔のときことは裏腹に、美宇はずっとうつむいているように見えた。やはり、マズいジュースに答えがある。そう考えて、しばらく美宇の後を追うふたり。
そこで、美宇は寺の中に入っていった。あかりは、追いかけようとするときこの肩をつかんで制した。ときこはずっと笑顔のまま、首を傾げる。
「あかりちゃん、どうして止めるんですかっ」
「少なくとも、今はひとりにしてあげましょう。話を聞くにしても、美宇さん以外の人にです」
仮説が正しければ、美宇を傷つけるだけだ。あかりはそう判断していた。そして、その仮説を口に出すことをためらっていた。きっと、とても残酷な現実が美宇を襲ったのだ。そう考えただけで、あかりは胸が締め付けられるように感じて、胸を抑えた。
「謎の答えが、待っているのにですかっ」
「そうです。遠回りも悪くないと言っていましたよね? それで納得してください。しばらく、待っていましょう」
ときこは貼り付けたような笑顔で頷き、そのまま待つ。あかりは、何も言葉に出来ないままだった。
しばらくして、美宇が寺から出てくる姿が見えた。それから見えなくなるまで待って、あかりはときこと目を合わせて頷いた。
「住職さんに、話を聞くんですねっ。さて、何を聞きましょうかっ」
「まずは挨拶からですよ。忘れないでくださいね」
ときこはニコニコとしながら頷き、境内へと足を踏み入れる。そのまままっすぐに進み、本堂へと入っていった。
そこでは老齢の住職が仏壇に祈りを捧げており、物音でときことあかりに気づいた様子。そして真剣な顔から笑顔に変わり、ふたりに声をかける。
「入門にいらっしゃったのでしょうか。お若い方が、珍しい」
「いえ、私達は探偵事務所のものです。少し、お話をうかがってもよろしいでしょうか」
「美宇さんは、どんな用でここにやってきたんですかっ」
「もう、ときこさん。言いにくいこともあるんですから。それに、まだ返事をうかがっていませんよ」
「いえ、お構いなく。彼女は、恋人の墓参りにいらっしゃいました。よほど恋人が大事だったのでしょうね。毎回、とても丁寧に墓の手入れをしていらっしゃいますよ」
その言葉を聞いて、嫌な予感が当たったと理解できた。やはり、美宇は恋人を失っていたのだ。だから暗い顔をしていた。だから髪の色が変わった。どんな理由で恋人が死んだのであれ、それは苦しいだろう。
ただ、あかりは美宇の心を解き明かしたいと感じた。心に踏み込むことこそが、美宇の傷を癒やすと信じて。おそらくは、美宇は誰にも内心を語っていない。だからこそ、苦しみが消えないのだ。美宇が感情のすべてを吐き出す機会を作るには、答えを提示するのが近道だろう。そう考えていた。
「お墓参りをしたら、死んだ人は喜ぶんですねっ」
「分かりません。それでも、喜ぶと願いたいんですよ」
「そうですね。我々にできることは、ただ冥福を祈ることだけ。それこそが救いなのだと、信じることだけです」
住職の言葉には、どこか実感がこもっているように見えた。老齢であることもあり、大切な人を失った経験は多いのだろう。あかりは、もしときこを失ったらと想像すると、それだけで何も考えたくなくなってしまう。
実際に大切な人を失った美宇は、想像より遥かに強い苦しみを味わったのだろう。だからこそ、あかりはなんとしても美宇の心を癒やしたいと感じていた。
そのためにも、今は情報を集めることに徹するべきだ。そう考え、続けて質問していく。
「美宇さんの恋人は、どんな形で亡くなられたのですか?」
「交通事故でした。きっと、彼女も予想していなかったのでしょうね。だからこそ、心の整理がつかないのでしょう」
「新しい恋人を作るのは、ダメなんでしょうかっ」
「私なら、簡単には割り切れないです。誰かは誰かの代わりにはならないんですよ」
「そうですね。だからこそ、一期一会の考えが大事なのです。大切な相手との一瞬一瞬を、心に刻みこむことが」
自分自身は、そうできているだろうか。あかりは、住職の言葉に考え込んだ。そしてきっと、美宇にはできていなかったのだろう。おそらくは、自分も。
当然だ。いま隣にいる人間が急に死ぬなどと考えて生活する人間など、ほとんど居ない。だからこそ、美宇は突然の喪失に心を凍らせてしまったのだろう。あかりとて、ときこを失えば同じになる可能性が高い。その気持ちが、前に進む決意をさせた。少しでも、美宇の心を溶かすのだと。
ときこは穏やかな笑みを浮かべている。場にそぐわない姿に、あかりはどこか安心感を覚えていた。同じような気持ちを、美宇が感じることができたら。
おそらく、きっかけは直人になるだろう。あかりはそう信じていた。
「あのジュースは、お供え物ですかっ」
「そうですね。真面目な彼女が、どうしてあのようなものを供えるのか。きっと、深い理由があるのでしょう」
その言葉から察するに、住職もジュースのマズさを知っている。にもかかわらず、美宇の行動を止めようとしていない。それだけ、普段の美宇が真面目なのだろう。つまり、それでもマズいジュースを供えるだけの理由がある。あかりはそう推測した。
おそらくは、答えこそが恋人への想いなのだろう。どんな形かは、推測しかできないにしろ。
「まずいジュースを供えられたら、あかりちゃんは怒りますかっ」
「それこそ、理由次第です。いたずらなら、怒りますね」
「少なくとも、彼女はイタズラで供えたわけではないでしょう。それくらいのことは、この老いぼれにも分かります」
頷きながら、住職は語る。そこには、強い信頼が見えていた。おそらくは、美宇は周囲の人間に好かれていたのだろう。きっと、恋人にも。あかりには分かった。
だから、恋人を忘れさせようとは思わない。そっと、心を軽くすることができればいい。あかりはそう信じていた。
「ときこさん、情報は集まりましたか?」
「とりあえず、一度帰りましょうっ。分からなければ、また聞きに来ればいいんですっ」
「はい、歓迎させていただきますよ。入門もしていただければ、なお嬉しいですね」
「突然の訪問にも関わらず、今日はありがとうございました」
あかりは深く頭を下げて、ときこは軽く礼をして、ふたりは曇り空の中を去っていく。それから事務所に戻り、集まった情報を整理していた。
「まさか、お墓参りのためにジュースを買っていたとは……」
「だとすると、故人を悼むために買っているのでしょうかっ」
ときこの予想は、当たっているだろう。だが、なぜマズいジュースなのか。あかりは、そこだけが気になっていた。とりあえず、思いついた意見を口にする。
「それなら、恋人の好物だったんでしょうか」
「違いますよっ。彼女は、あんなジュースは誰も好きにならないと言っていましたっ」
「だとすると、いったいなぜ……」
「それが、最後の謎になるでしょうねっ」
笑顔を浮かべて、ときこは語る。その謎を解き明かすことができれば、きっと美宇は少し前に進めるだろう。そう信じて、あかりは情報を整理していく。
「美宇さんは、なぜかマズいジュースを供えています。その恋人が亡くなったのは、事故だったみたいですね」
「はいっ。だから、マズいジュースが大事だと思うんですっ。それを満たす可能性は……」
ときこは目を伏せて、考えに浸っていく。その様子を見て、あかりはときこが問題を解き明かすだろうと考えていた。
いつも、ときこがうつむくと答えが出る。それが宗心探偵事務所のお決まりのパターンだった。
あかりはいつも通りに、ときこの答えを待つ。まっすぐに、ときこのことを見ながら。きっと、美宇が亡くなった恋人に抱えている想いこそが、マズいジュースを買う最大の理由なのだろう。それはどんなものなのだろうか。あかりは想像しながらときこを見つめていた。
だが、10分経っても、20分経っても、ときこは目を伏せたまま。そんな姿を初めて見たあかりは、ときこが体調が悪いのかと疑った。だが、顔色はおかしくないし、触れても体温は正常だ。
なら、何があったのだろう。そう考えていると、ときこはあかりの方を向いて、切なそうに言葉を漏らした。
「あかりちゃん、お墓参りって、亡くなった人を悼むためのものですよねっ。その情報と全部の仮説に、どうしても矛盾ができてしまって」
ときこの言葉に、あかりは一般的な常識だけでの判断なら正しいと感じた。そして確信した。ときこは感情を理論で解き明かしているのだと。だから、今みたいなところで悩むのだろうと。
ただ、あかりは知っている。ただの常識ではないところに、本当の心が隠れているのだと。だから、あかりは自分の知っていることをときこに伝えると決めた。ほんの少しの、胸の痛みを隠しながら。
「違うんです、ときこさん。お墓参りは、自分の感情を整理するためのものなんです。冥福を祈るなんて、ただの建前。本当は、生きている人のためのものなんです」
きっとあかりは、ときこを失った時には自分のために祈るのだろう。なにせ、ときこは亡くなった人間を悼むことに共感などしないのだろうから。死人は何も思わない。そんな想いを抱えているのだろう。
それでも、あかりは墓参りをするのだろう。理由なんて、自分のため。ときこはきっと、喜びも悲しみもしない。そんな感情を乗せつつ、ときこに言葉を伝えた。
ときこはあかりの言葉を受けて、再び考え込んでいく。思考を言葉にして、整理しながら。
「自分の心を整理する。つまり、故人を思い出すということ。プルースト効果のように。あのジュースの匂いが、味まで思い出させるように。そうか……」
数十秒ほどときこは考えに浸り、そして顔を上げた。あかりの方を向きながら、堂々と宣言する。
「美宇さん、あなたの想い、届きましたよっ」
ときこが答えにたどり着いた次の日、まずふたりは直人に報告することにしていた。そしてコンビニに向かい、バックヤードに通されて直人と話をする。凍えるような寒さを感じながら。
「直人さん、依頼された件について、答えが分かりました」
「そうですか。少し怖いような気もしますね。美宇さんも、呼んできます。きっと、必要なことでしょうから」
そう言って、直人は少し離れ、美宇を連れてくる。美宇は不思議そうに三人を見ていた。
「てんちょー、店の改善案って、私も聞く必要ありますー?」
「まずは、美宇さんに謝らないといけませんね。本当は、こちらの方々を呼んだ理由は違うのです」
「じゃあ、なんで探偵さんをー? ……っ! そうか、私……!」
美宇はどこか不安そうに直人を見ていた。おそらくは、直人が探偵を呼んだ理由が気になっているのだろう。美宇の何を調べていないのかまでは、たどり着けていない様子に見えたが。あかりは、一度美宇を傷つける覚悟を決めて、話を進める。
「ときこさん、まずは結論から話していただけますか?」
「分かりましたっ。美宇さん、あなたがマズいジュースを買うのは、亡くなった恋人に抱えている怒りを発散するためですねっ」
美宇も直人も、目を見開いていた。察するに、美宇は正解を当てられた驚きで、直人は美宇の事情が重たいものだったからなのだろう。あかりから見て、ほぼ確実な答えだった。
直人は美宇の方を何度か見て、そして目をさまよわせている。なんと言葉をかけていいのか分からないのだろう。だが、この答えこそが、美宇にとっても直人にとっても、良い未来を迎えるためのものだ。明かりは心から信じていた。
美宇は目を伏せながら、暗い声でときこに問いかけていく。
「どうして、分かったんですか? 誰にも、気づかれなかったのに……」
「簡単ですよっ。誰も好きにならないジュースを供えるからには、ただ素直に悼むだけの気持ちではあり得ないですからっ。美宇さんは、生きている自分の気持ちをぶつけたかったんですっ」
言われてみれば、その通りだ。あかりはときこの言葉に、強い納得を覚えていた。きっと、美宇は強く傷ついていたのだろう。なにせ、急に恋人を失ったのだから。
あかりには推測しかできないが、とても苦しかったのだろう。つらかったのだろう。それを証明するかのように、美宇は歯を食いしばっているように見えた。ときこはさらに、言葉を続ける。
「そして、マズいジュースのことを感じるたびに、美宇さんも恋人のことを思い出していたんですねっ」
美宇はじっと目を伏せた。そのまま数十秒ほど黙り込む。それから、美宇はうつむいたままで、ぽつりぽつりと言葉をこぼす。
「あの人が死んだ日は、デートの約束をしていたんだ……。それで、今日は遅刻したなって怒ってて。そうしたら、あの人のお母さんから電話がかかってきて」
かすれた声で、ゆっくりと語っていく。おそらくは、思い出すだけでも傷ついているのだろう。だが、ここで本音をすべて吐き出すことができれば、少しは心が軽くなるはずだ。そう信じて、あかりはただ頷きながら聞いていた。
ときこの方を見ると、相変わらずの笑顔だ。だが、あかりは注意しようとも思わなかった。きっと、その言葉を発してしまえば、美宇が気持ちを閉じ込めてしまうだろうから。
直人は、痛ましそうな顔で美宇のことを見ていた。
「死んだなんて言われても、冗談だって思ってた。あの人がジュースを買ってきた時みたいに、からかってるだけなんだって」
美宇の瞳は潤んでいた。それは泣きたくもなるだろう。あかりには、美宇の苦しみが手に取るように分かった。大事な人が死んだと急に告げられて、心が追いつくはずがないのだ。だから、髪の色を変えてからの3ヶ月間も、ずっと心の怪我が癒えなかったのだろう。
そのまま美宇は、だんだん声を大きくしていく。
「ふざけてるって言ってくれたら、どれだけ良かったか。デートの約束のせいだって責められても、納得したのに。あの人のお母さんは、私を慰めるだけだった」
声は大きいのに、平坦なまま。それこそが、美宇の感情を示していたのだろう。今でも、心は凍りついたままなのだ。だからこそ、美宇が抱えている怒りを爆発させることを、あかりは期待していた。その熱が、心を溶かすように。
あかりの願いに応えるかのように、美宇は語気を強くしていった。まるで呪詛を吐き出すかのような声で叫びだす。
「楽しい思い出になるはずだったのに、あのジュースみたいに苦い思い出になった! だから、その恨みを思い知ってもらいたかっただけ!」
髪を振り乱しながら、美宇は感情を叩きつけていた。あかりは胸を抑えながら美宇の言葉を聞いていた。ふと視線をずらすと、直人は拳を強く握りしめていた。
そんな姿に気づいた様子もなく、美宇は言葉を重ねる。
「私が味わった苦い感情を、あのジュースで味わってもらいたかっただけ!」
その言葉と同時に、美宇は息を荒らげていた。おそらくは、思い出すたびに美宇だって傷ついていたのだろう。それでも捨てきれない想いを、どうにか吐き出そうとしたのだろう。あかりはそう推測した。
しばらくして、美宇は再び言葉を紡ぐ。先ほどとは違い、わずかにこぼすように。
「……いや、違うよ。本当は分かってたんだ。彼は何も悪くないって。私が、納得できなかっただけなんだ。どうしてなの……。ずっと、幸せで居られるはずだったのに!」
顔を手で覆いながら、最後に叫んでいた。それから、しゃくり声だけが部屋の中に響く。誰もが無言のまましばらくの時が過ぎ、直人は一度下を見て、ゆっくりと美宇に向き合った。
「美宇さん、今まで気づけなかった私が言うのも何だが、美宇さんの想いはきっと届いているよ。抱える怒りだって、本当に大切に思っていた証だってことは」
亡くなった恋人にだろうか。あるいは、その家族にだろうか。どちらでも良い。あかりはそう感じていた。なぜなら、美宇は直人の目をじっと見て、涙を拭いながら頷いていたからだ。
直人の言葉は、きっと美宇に近しい相手だからこそ言えるものなのだろう。出会ったばかりのあかりには、その詳細は分からないが。だが、きっと美宇には伝わった。だから、細かいことなんて気にする必要はない。それが、あかりにとっての正しい答えだった。
美宇は赤い目を腫らしながらも、それでも憑き物が落ちたかのような顔をしていた。おそらくは、思いの丈をすべて吐き出したことで、気持ちが整理できたのだろう。その手伝いをできたという事実が、あかりには誇らしかった。
ときこは笑顔でふたりを見ながら、そっと言葉を残す。
「美宇さん、素敵な思いでしたよっ」
そんな言葉を聞いて、美宇は少し笑った。
「怒ってるのに素敵って、意味が分からないですー。でも、褒めてもらってありがとうございますー」
「いえ、あなたが亡くなった恋人を大切にしていたのは、昨日出会ったばかりの私にも分かります。そんなあなたが好きになる人なんですから、きっと素敵な人なんでしょうね」
その言葉が、美宇の心を軽くできたなら。あかりはそう祈っていた。直人すら、恋人が死んだことに気づいていなかったのだ。だから、美宇は誰にも気持ちを語ることなどできなかったのだろうから。
少しでも恋人への気持ちを言葉に残すことが、今の美宇に必要なことだと、あかりは信じていた。
それを証明するかのように、美宇はほんの少しだけ笑顔を見せながら、思い出を語っていく。
「ずっと買ってたジュースも、ふたりで飲んだものだったんですよー。あの人が言い出して、でも私が先に一口飲んで。それでも、残りは全部飲んでくれたんです」
「とっても、良い思い出だったんですね。今の美宇さん、笑っていますよ」
その言葉に、美宇は自分の口元に手を当てる。そして、一度目をつぶった。そして目を開き、ゆっくりと話を続ける。
「そっか……。つらいことばかりだと思ってましたけど、やっぱり楽しかったんですね。それを知れただけでも、良かったです」
「私も、あなたが笑顔になれて嬉しいです。直人さんも、そうですよね?」
あかりの言葉に、直人は迷わず頷く。そして美宇は直人の方を見て笑った。
「うん、全部叫んだら、ちょっとだけスッキリしたかもですー。てんちょーのおかげですねー」
「私は何もしていないさ。みんな、探偵さんの成果だよ」
「いえ、直人さんの想いがあったからこそ、今の結果につながったんだと思います」
「謎を解いたのは、私ですけどねっ」
「もう、ときこさん! 空気を読んでくださいよ!」
そんな流れに、美宇も直人も笑顔を見せていた。ときこは狙っていないだろうが、結果的には良い流れになった。あかりは、ときこを褒めたい気分だった。
美宇と直人は向き合い、美宇は落ち着いた様子で言葉を続ける。
「今はまだ、新しい恋なんて考えられないですけど……。でもいつか、絶対に幸せになります。あの人は、私の笑顔が好きって言ってくれてたから」
「そうでしょうね。美宇さんほどの人が、好きになった方なんですから。きっと、美宇さんの幸せを祈っていますよ」
直人の言葉に、美宇はまっすぐに頷いた。これで、ひとまずは解決だろう。あかりは胸をなでおろしていた。ときこは相変わらずの笑顔のままだった。
「興味本位で変なことを聞いて悪かったよ。今月の給料には、依頼料程度を上乗せしておこう」
直人の言葉は、きっと美宇にお金を受け取らせるためのものなのだろう。なにせ、依頼の時には心配だったからだと言っていたのだから。おそらくは、美宇を慰めるためのようなことを言えば、美宇は受け取らないのだろう。直人の言葉から、あかりはそう推測していた。
対する美宇は、涙の跡を残しながらも、きっと心からだろう笑顔を見せた。
「なら、新作のワンピースを何着か買っちゃいますね。あの人に、久しぶりのおしゃれを見てもらおうかな」
「それはいい。きっと、目を離せなくなるはずさ」
「ついでに髪も切っちゃいますかー。見たら忘れられないくらい、綺麗になっちゃいましょー」
晴れやかな顔をした美宇を見て、あかりは確かな満足感を覚えていた。これからは、きっと美宇は前を見て進めるだろう。暗い感情が落ちることもあるかもしれないが、直人のような身近な人間が支えてくれるはずだ。
つまり、あかり達の仕事はこれで終わりだ。そう考え、ときこを連れ立って去っていった。朝陽の暖かさを感じながら。
そして、事務所でふたりは今回の依頼を振り返っていた。
「良かったですね、美宇さんが心の整理をできて。これからは、きっと引きずることは少ないでしょう」
「少ない、なんですねっ。でも、依頼が解決できたのは良かったですっ」
「素敵な想いでしたというセリフは、ちょっとどうかと思いましたけど。でも、今回の依頼があったから、美宇さんは一歩進めたんでしょうから」
そんなあかりに頷いて、ときこは興味深そうな笑顔でこぼす。
「それにしても、亡くなった人を思い続けるような気持ちって、どんなものなんでしょうね」
「きっと、自分を削り続けるようなものでしょうね。私は、経験したくないものです」
そして、ときこは経験することのないことかもしれない。あかりは邪推と知っていても、その考えを抑えることができなかった。