1.
3月にH.A.N.D本部は二回目のダークウォールの会議を終え、新種のエーテリアス・コードネーム『オドラデク』調査部隊を結成することが決まった。調査部隊の基準としてはエーテル適性はもちろんのこと、高い戦闘能力と判断能力、臨機応変さといった観点から所属問わず、編成させる。4月13日にこのことを発表すると対ホロウ行動部だけでもいいのでは、と記者に質問された。H.A.N.Dの局長はこれに対し、ダークウォールという特異的なホロウでみつかった新種のエーテリアスではあるため、最大限の警戒が必要と返し、防衛軍・H.A.N.D合同の戦略になることを表明した。前回、一回目で極秘で行われた作戦は失敗に終わったことは伏せられた。不必要な恐怖を煽ることになるからだろう。
エリー都市長がこの件で取材に応じた。エリー都市長は軍とH.A.N.Dの共同部隊について承諾しており、エリー都においてダークウォールの調査はわれわれ人類にとっても利益がある、と肯定的な態度を示した。メディアでも話題になり、座談会でそのことが議論になった。さまざまな専門家や政府関連者が招待された。そこではダークウォールの大規模な作戦が展開しているなか、政府はいまだにTOPSという巨大企業連合の対策をしようとせず、むしろすり寄るような動きを批判するものがいたり、現在起きている暴動への明確な対策を示していないし、近年問題となっている鬼族の差別についても対策もしていない、とあるものはいった。他方で、エリー都はホロウ内で取れるエーテル物質によって発展してきた都市国家であるため、そのダークウォールで障害となるエーテリアスの対策を取るというのは都市の発展において非常に大切なことである、とあるものが反論した。民衆は座談会と同じように今回の政府の動きについて、反対的な意見が多かったようであった。
「どう思う」ザワークラウト入りホットドックを食べている直嗣は坂口に聞いた。直嗣たちはミネルヴァ地区七番通りで有名なファストフード店にいた。店長の趣味なのかジャズが店内に流れていた。
坂口はチーズハンバーガーを一口食ってから「まあ、わからなくもないです」
「へぇ、意外だね、坂口さんは政府擁護派だと思っていたよ」
「実際のところ、司政府はあまり褒めたことはしてません、反対派の意見も的を射ていると思いますし、軍事どうこうよりも生活が苦しいか苦しくないかが民衆にとっては大切なんですよ」
「そうだな、ダークウォールの調査だってもうちょっと遅めでもよいのに、まだ前回のダークウォールの調査から一年も経ってないぜ」オドラデクの一回目の調査はここではいわなかった。
「最近は、軍事行動がとくに多いですからね、増えていくストライキの暴発とかヤクザの対処とか、抑えていくのはいいですが、やっぱり原因療法じゃないと、あきらかにTOPSがプライス・リーダーになりつつある現状を防がないと、暴動は増える一方ですよ」
「たしかに今の政府はTOPSのことを気にしているな」直嗣は口に入ったホットドックをコーラーで流し込み皮肉げに笑う。「公的側のものにそんなに言われるって、そろそろじゃないか」
「しょうがないですよ、ジョナサン財団がいないとエーテル物質がここへ回らないですからね、ゼネコンの、まあもっと広い分野を取り扱っていますから正確には普通のゼネコンではないですけど、とにかくスリーゲートだって私たちの生活にとって必要不可欠です」
「そのTOPSでさえ何かにつながっているという噂が聞くしな」
「そんな噂ありましたっけ?」
「どこかの動画投稿者がそういっていたよ、バズってちまたでささやかれる噂さ」
「へぇ、まあ、政治は汚れてナンボですよ」
「そうだな」直嗣は笑う。「汚れてナンボだ」
「ええ」と、坂口はくすくすと笑った。
直嗣は最後のホットドックを口に入れ、外の景色を眺めた。二人組の子供が走っていた。「それにしても、ファストフード店でジャズって変だな」
「そうですか? 私はあっていると思いますよ」
「まあ、個人店ならまだしも、あくまでここチェーン店だぜ」
「嫌いですか?」
「嫌いではないけど、変だなって感じただけ」
「まあ、すこしわかります」
直嗣は坂口を一瞥し「なあ、ふと思ったけど、いっそ、エーテル物質が回らなくてなってもいいじゃないか」
「ちょっと何言っているんですか、それこそ私たちが言っていいことじゃないですよ」
「ごめん、ごめん、なんか嫌になっちゃってな」炭酸が抜けたコーラを飲み切った。ずっずという音がした。「いずれにせよ、俺たちにはどうにもならん話だね」
「私たちはやるべきことをするだけですからね」
「うん、──あ、そうだった、持ってくるのを忘れてたけど坂口さんが貸してくれた本読んだよ」
「本? ああ、あの本ですか、どうでした」
「おもしろかったよ、とくにこの世に現実感を持てない男が、最終的に破滅によって自己を現実へ一体化させようとするところが良かったよ」
「それはよかったです」
「坂口さんは? どう思った」
「悲しい、と思いました」
「え?」直嗣は坂口と目を合わせた。坂口の顔は変わらない。まなこだって変わらない。「悲しい小説かな?」
「いえ、そういう小説ではありません」
「なら、なぜ」
それには坂口は答えなかった。彼は変わらぬ顔で直嗣と視線がぶつかる。何を考えているか、直嗣にはわからなかった。彼は小説の内容を心のなかで整理してみた。この小説では終始、男の絶望とその絶望の矛先を謎の上で描かれていた。現実と己に折り合いをつけることができず、挙句に果てにめざしたのが破滅だった。暴力の世界に身を投じることで、すなわち外部的なアプローチで現実と己にある不確かな境界線を取っ払うとしたのだ。現実。この言葉の言い換えなど、いくらでもできる、ある人はそれをシステムだと呼び、ある人はそれを幻滅だといい、ある人はそれを壁だといい、ある人はそれを絶望だといい、ある人はそれを自己への不安だという。これは決してお涙ちょうだいのような小説ではない。むしろある種のこの社会への警告を描いた作品だともいえる。なのに、彼は悲しいといった。
ここで直嗣は思考をやめた。
「共感を覚えたのか? 男の絶望に」
「いえ」
「………わからないな、教えてくれよ、なぜ悲しいと思ったんだ」
「うまく、いえそうにありません」嘘だ、直嗣は思った。
「………わかったよ、たまにそんなことはあるよな」しかし彼はそのようにいった。「食い終えたし、帰ろう」
坂口は立ち上がった直嗣が店の外へ歩き出す姿を眺めた。会計は私がやります、といい、トイレへいくので先にいってくださいと伝えておいた。喉元まで出た、なぜ悲しいのかという答えを彼は心の中で咀嚼してみた。坂口は紙コップに詰まっていた小さなアイスらを捨て、燃える用のゴミ袋に紙コップを捨てた。そして彼は外の活気がついた景色を眺めたあと、用をたしにトイレへ向かった。センチメンタルな考えだな、と彼は自嘲を交えてひとりごちた。
外は残寒が残っており、車の中は暖房が効いていた。運転は坂口が担当していて、助手席にラジオを聞いている直嗣が座っていた。ラジオからは今月の話題作となった映画を話している。直嗣は先ほどのことを気にしないで、
「ひさしぶりに稽古をしてくれない」と、聞いた。
「いいですよ、どこでしますか」
「家でいいよ、あそこに稽古場あるだろう」
「わかりました。………それにしても、なぜ私なんですか? 和夫に頼んでも良かったと思いますけど。純粋な疑問でして」
「和夫ともいいけど、だいぶやったからなぁ、癖とか互いに把握しているから、読み合いになってしまうんだよ」
「なるほど、わかりました、やりましょう」
家に戻り、稽古用の服に着替えた。直嗣が稽古場に来たときにはすでに坂口が正座をして待っていた。何でしますか、と訊くと竹刀にしようと返事した。時期的に怪我をするのはまずい。普段はしない防具もした。軽く礼だけをする。そして、斬り合いがはじまった。
互い正眼の構えで見合う。竹刀だが、直嗣たちは真剣を持つ気でやる。
隙を、探している。重心の乱れはなかった。
相手の竹刀の先がぴくりと動いた。誘い。動かない。すり足で間合いをわずかに狂わせようとする。相手はすぐに気づき、踏み出す距離を訂正する。
しばらく膠着状態がつづく。
今度はこっちが誘いをしてみる。わざと構えを崩す。上段の構え。もちろん、動かなかった。兜で狭ばった視界に映る相手しか見えなくなる。音は遠く聞こえた。三度目の相手の誘い。動かない。相手の戻す瞬間の気の緩み。一気に足を弛緩させ、倒れる勢いを使い、相手へ飛び込む。迫る突き。体をひねり、回避する。指を切ろうとする。響くぶつかり合う音、伝わる衝撃、つばで止められた。即座に金的をしようとする。足を前へ動かすことで避けれ、逆に前を詰められる。蛇のように。剣を振る間合いではない。掌底打ちの構え。横斜めへとんで避け、後ろにバックステップで下がる。その瞬間を狙い、ふたたび突きをされる。避けか受け流し、そこからカウンターが最適。が、あえて飛び込んだ。兜の隙間から坂口の目を見開くのがみえた。喉に迫る竹刀の先。恐怖はなかった。ぎりぎりのところでよけ、風切りの音を横に突きを出す。相手の指をかすめ、胸に沈んだ。
勝負は直嗣の勝ちだった。真剣だったら、坂口の指は切れ、胸を貫かれていた。兜を脱ぐと直嗣は自身が汗をかいていることに気づいた。汗は直嗣の身体と服の癒着剤のような役割をした。服は体に張り付き、直嗣は顔をしかめた。同じく汗をかいた坂口はすこしだけ苦しそうにしていたが、礼を終えると嬉しそうに、直嗣さまは強くなられた、といった。
「もう、すっかり勝てそうにありませんね、和夫でも勝てないんじゃないかな」
「ぼちぼちだ、勝ったり負けたりしている」
「嬉しいですね、昔に比べて、本当に………」
「まあ、ありがとう、坂口さん、水いる?」
「ありがとうございます」
「休憩にしよう」
息を整えるあいだ、坂口はいう。「お気をつけて」
「ああ、ダークウォールの調査ね、なんで俺、選ばれたんだろうね?」
「単純に実力だと思います、黒田家の当主は昔から強いで有名ですから」
「ふーん、でも新種のエーテリアスの調査なら、坂口さんみたいな実際会った人を選ぶべきじゃないのか?」
「それは口頭で言えば済む話ですから」
「まあ、一理ある、それにしても当主ね………」
「ええ、もう当主として十分な能力がありますよ」
「歴代でこんな若い当主いたのかな」
「4代目なら」
「4代目ってそうなの? 写真見ても老いたことしかないから、知らなかった」
「逸話としてまとめた本がありまして、そこに彼は13歳で当主として就任したとか」
「俺みたいに教育係が上を務めなかったのか?」
「務めなかったらしいです」
「なるほどね、………まあ気をつけるよ」
「ええ、あなたが当主としてなったことをお忘れにならないでください」
「死ぬとしても後継者ができてからだな」
そのとき、部下が坂口を呼ぶ声が聞こえ、坂口は稽古場を去ろうとする。
「なあ、あいつはどうなった?」その前に直嗣は忘れていたことを聞こうとする。
あいつ、その意味を坂口には分かった。振り返った彼は首を横に振り「ダメですね、全然吐かないです」
「そんなたまの持ち主だと思えなかったけど」
「ええ、とにかく終始、なにかへの信仰心があるらしくて、おそらく何かの宗教団体なのでしょう」
「讃頌会とか?」
「可能性はあります」
「山田、───ああ、たしか今は関さんか、関さんからは情報は」
「まったく、自室の中にも証拠だと思わしきものもないらしいです」
「携帯とかPCにも」
坂口は首を横に振る。
「困ったな、………とりあえず、調査は続けてくれ、以前ほど厳重に調べなくてもいい」
「わかりました、あなたがここに帰ってくるまでには絶対に尻尾を掴みます」
「頼むぞ」
坂口は力強く頷き、部下の元へ歩き出した。
あれから2週間が経ち、部隊の編成が決まり、彼らは作戦概要の説明も受けた。いま、直嗣たちを乗せた車は指定の場所を走っている。向かう場所はダークウォールだ。世界で発生したあらゆるホロウが融合しできた、名称の通りの超巨大ホロウへ彼らは向かっている。ダークウォールは地球の内部構造のように球状の層がいくつも重なっていると推測され、ある地点を中心にダークウォールは広がっている、とホワイトスター学会は発表したことがある。これまで人類が探索できたのは一番外側であり、総一たちが探索したのは最外殻の一番奥である。そこで新種のエーテリアスが発見されていた。今回の作戦概要はその周辺の調査及び『オドラデク』の生態調査である。
誰も喋っていなかった。集められたメンバーは五人である。部隊のメンバーの装備は統一していない。武器も各々が最も得意とするものだ。唯一の共通点はH.A.N.Dと防衛軍の共同で作られたエンブレムと黒で統一された服装である。彼らは参謀官から渡された作戦のシナリオが書かれている紙を再度確認している。最新のキャロットから導き出される最適のルートの確認、『オドラデク』の確認された情報、休憩所の候補、裂け目の場所とそれがどこへ繋がるのか、ダークウォールで確認されたエーテリアスの種類並びにその習性……… 直嗣が今回の作戦のシナリオの確認を終えたとき、参謀官は各員に確認を終えたことを聞く。みな、頷いた。
「現在の時刻、午前七時四十分、目的地まで五分前だ」助手席に座っている参謀官は静かにいう。「諸君、準備をしろ」
直嗣は手にもつ刀を撫でた。滑り止めの布はぼろぼろだが、それが直嗣の手に馴染む。腰に感じるバレルが二つある特異なリボルバーの重さ。後アオリからは紺碧いろの空が見える。鷹の羽のような形をした雲が空を泳いでいて、燦然たる太陽が浮かんでいる。帆から陽光が直嗣たちを照らした。鯉口を切った。研ぎ澄まされた刃に直嗣の顔が映る。直嗣は仔細に自身の顔をながめてみる。鋭く青い目は父ゆずり、顔の輪郭と鼻は母ゆずりだという。髪は灰色に近い、いつだったか直嗣は忘れたが、あなたさまの髪色は総一さまの黒い髪と織子さまの白い髪が混じったようだ、と部下が笑いながらいわれたことがある。顔の表情は変わらず無表情だ。戦闘になると直嗣は不必要だと思ったものを切り捨てることができる。それは感情だの顔の表情だの痛みだの疲れだの恐怖だの、とにかく戦闘になると枷となるものだ。これは父と極寒の山にハンティングをしにいったときに身につけた能力だ。………刃を鞘に収めた。他のメンバーも自身のルーティンをこなし、目の前に集中することに成功していた。ボンプが不安そうに震えている。深閑としていた。車が地面を走る音とたまに凸凹をこえるときこえる揺れる音、
あるとき、車が止まった。
目的地についたのだ。彼らは車の窓を開け、外を出る。誰もいない都市がそこに広がっていた。ここはかつてダークウォールの領域だった。虚狩りがダークウォールを後退させ、住めるようになったが、今でもここに住む人はいない。街にいたるところで植物が無数に生え、ジュースの広告板にはつるが絡まっていた。道路もひび割れていた。建物の隙間から虹の輪郭を持った黒い壁がみえた。ダークウォールだ。空気が抜けた自転車が前へ乱雑に置かれている煉瓦造りの家から錆びた鉄骨が剥き出しになっている工事途中の建物を抜けるところにある辻で彼らは立ち止まった。奥へ続く道通りの右端には半壊した学校が建てられていた。右へゆくと廃駅があり、左へゆくとあるのは商店街だ。裂け目はこの辻にある。そこへ近づいてみる。夜の星空いろの裂け目が現れた。風がふく音が聞こえた。空のボトルが軽やかな音を立てながら、裂け目へ入っていった。それが入るとき、音はしなかった。
迷わず、彼らは裂け目に入った。目の前が暗黒に染まり、やがてあたりがはっきりとした。体が重たく感じた。薄暗い。灰いろの雲が空を覆っているからだ。漆黒のエーテル結晶に侵されている建造物がいくつも空に浮いている。道は崩壊しており、それぞれの足場が独立し、宙を浮かべている。空には海月のようなエーテリアスが飛んでいて、宙を浮かぶ足場にはエーテリアスがうろついていた。ボンプは眼帯をした金髪の男の後ろに隠れた。金髪の武器は炎と氷の機構を入れてある双剣である。エーテル濃度、異常なし、と大剣をもっている女がいう。総員、全員います。直嗣はリボルバーの激鉄を起こした。その音がダークウォールに響く。
参謀官は一文字に結んでいた口を開く。
「総員、作戦開始」