雨が降りしきる運動場についた直嗣たちはオドラデクを睨んだ。絶えず動かしていた怪物の目が定まった。彼らがいる方へ。だら下がったティルヴィングは起き上がり叫ぶ。このときにはイヴァ、モーガン、ルイスが先頭にかけだしていた。触手で彼らを刺そうとする。イヴァが防いだ、モーガンがその触手を切り伏せる。ふたつの触手が赤く光る、ビーム、横にステップすることで回避した。ビームが通った跡はオレンジ色になり白い湯気が漂っていた。ビームは避けた彼らを追う。溶けた地面は雨で冷やされ、黒曜石のように滑らかであった。有効射程についた。イヴァが機構を発動し電気が刀身に走る。さらに大剣は変形し、死神の鎌のような大鎌になる。振り下ろす、黒く黄色い線が走っている星の体は硬い。跳ね返される。その体の先についているまなこが閉じた。すると、そこから黒い涙が流れて流れおちた。宙へ落ちると途中でふわふわと涙がうかびあちらこちらに散った。しばらく経つとそれは爆発した。エーテルの粉末が黒くなめらかになった地面に落ちわずかの月光を反射している。稲光が走った、それを直嗣はみた。その空を覆うように迫りくる触手、雨を切りながら進む弾丸、直嗣は横に飛ぶことで触手を避けた。弾丸は本体に当たった。溶岩のような血が溢れた。体に雨滴があたり服は体に張り付いていた。イヴァは大剣を振った、鋭い音がしオドラデクの肉片が散った。オドラデクは離れる。そこを狙い撃ちするようにニックは銃を撃つ、触手で跳ね返された。ニックは舌打ちをした。触手の先端が輝いた。ビーム、学校にあたりさらに崩れ落ちる。叫び声でエーテリアスが寄ってきた。参謀官がモーガンとルイスに対処しろと指示する。わずか3秒にして殲滅を完了した。イヴァと直嗣が肉薄。刀を振る、が、オドラデクは叫び横に回転する。参謀官とルイスが二度パリィをする。そこにモーガンが突撃し、炎と氷が散らす。風が吹き、彼らの頬に雨があたる。冷たい雨だった。が、彼らはそれをじかに感じる前に動き出す。相手はまだ怯まない。運動場をかこむフェンスが触手によって取られ、それを投げられる。直嗣が一刀両断した。稲光、それは腕をロープでキツく絞ったときに浮き出る毛細血管によく似ていた。オドラデクの足が地面に突き刺さった。下がれ、参謀官はいう。次の瞬間、轟音、それとともに地面からエーテル結晶の針と太い触手が出た。その太い触手が彼らを薙ぎ払う。一回目は避けた。が、つぎにくる衝撃波が彼らを吹き飛ばした。爆発のような音が聞こえた。ソニックブーム、その単語が浮かんだ。カフェテリアで止まった。衝撃、その衝撃ではがれた1週間の献立の予定が描かれているホワイボートが倒れ伏せている直嗣の横におち彼は目が覚めた。月曜日、ご飯、鶏肉とピーナッツのピリ辛炒め、青菜の炒め物、ハチミツ漬けのナツメ、それらの文字が二重にみえた。床に赤い水だまりがおちた。直承は頭から血を流していた。直嗣は立ち上がる、膝が笑っていた。腕時計を確認しようとする。時計は壊れていた。腕には透明な破片が刺さっていて直嗣は右手で引き抜き投げ捨てた。耳からはどこか鐘の音に似たものが聞こえた。誰のために弔うための鐘が、静かに鳴っている。気のせいだ。
「ここはどこだ」誰かがいう。低い声だ。耳元で聞こえる。
「おそらくここは食堂だろう」同じ声。
「俺は何分気絶していた?」
「わからない、だがそんな長くないはずだ」
「戦闘時間は?」
「多く見積もっても二分、いや一分かもしれない、戦闘のときは時間が恐ろしく遅い」
「はやくゆけ、仲間が死ぬかもしれないぞ」
「仲間? 誰だ」
「参謀官、イヴァ、ニック、ルイス、モーガン」ここで彼自身が言っていることに気づいた。
彼はもう一度いう。「参謀官!」
「いるぞ」うめくようにいう。彼はテーブルに放り出されていた。椅子やテーブルは壊れていた。
「いけますか?」
「ああ、いける」
「他のみんなは」
「大丈夫だ、彼らは」参謀官は指さす。まっぴらに開けた運動場がのぞける大穴には四人の姿がみえる。「あそこで戦っている」
「あと、何分で終わりますか」
「一分、一分が限界だろう」参謀官はいう。
「ええ、俺もそれぐらいが限界です」
「わかったか、それじゃあいくぞ」
外を出るとまた冷たい雨が降り注いだ。今度はしっかりと感じた。同時に背中の熱が鋭くなった。頬と腕、背中と頭の熱、そして頭痛で直嗣は笑いそうになった。この熱がたしかにここにいるのだと、実感させた。恐怖はなかった。死ぬのであれば、それでいい、と彼は思った。ここで死ぬ運命であるならば、この耳に絶えず流れる鐘の音も美しく聞こえる。自身が切り捨て隙間ができたところ、そこにこの熱が埋まっていくように思えた。落雷、さきほど震えていた彼の足取りはいまは一歩一歩確実であった。参謀官はそれを横目に戦っている彼らに指示する。「ルイス! 電気グレネードを使って全員下がれ!」その通りにした。電気グレネードは炸裂し、オドラデクは一瞬怯んだ。彼らは下がった。「ボンプを連れ戻せ、あの木の陰にいるはずだ」直嗣に指示をする。彼は頷き走りだす。雨は彼の輪郭を明瞭にしてくれる。鐘の音が訊こえる。オドラデクは逃げるものを殺そうとする。ビームや触手が直嗣に迫る。避けた。触手は抜刀で切り裂いた。刀の剣筋はみえなかった。触手は打ち上げた魚のように蠕動している。そして枯木のうしろに隠れ撮影している黄色いレインコートを着たボンプトリシュをかかえさらにスピードをあげる。ンナンナナンナ、と驚いている。風が彼とともに吹く。雨がさらに直嗣の体にあたった。視界は悪くなった。が、彼は迷わず参謀官のもとに向かっている。着く、参謀官と目が合うと逃げるぞ! と参謀官はいい、傷と泥で汚れたイヴァたちは同意する。逃げゆく背中を見逃さずオドラデクはエーテルの涙、ビーム、破裂するエーテル結晶を放つ。いくつかはあたった。が、それでも彼らは進み、トリシュが案内する出口につながる裂け目に入った。
目の前は暗黒と染まり、視界が明るくなったとき現れたのは廃墟となった夜の都市であった。月はなく、いくつかのすじ雲が浮かんでいた。参謀官は安否確認をしたあと、回収部隊の要請をしている。みな壁に倒れそのままため息をついている。直嗣も呼吸をしようとすると鋭い痛みが走り眉を顰めた。彼は鎮痛剤を取り出して太ももに打つ。即効性が強くすぐに効き始め、荒い呼吸が落ち着く。あとは回収部隊がくるのを待つだけだった。直嗣は雲の行方を追いながら仲間と違った深いため息をついた。
3.
回収部隊は彼らを病院に搬送し数週間が過ぎた。ドクターが直嗣に検査をすると退院の許可が下りた。───しかし、きみはすごいね、いくら治療したとはいえ、たった数週間で完治するなんて、……普通、もっと時間かかるんだけど、とドクターはにこやかに笑みを浮かべていった。そうですか、と診察室を出た直嗣は別の病室に入り、挨拶をする。朝の日差しが差す窓際に参謀官がいた。
参謀官、微笑み「もうきみは退院か、はやいな」
「ええ、傷の治りが昔から早くて」
「それで、きみはこれからどこへいくのかね」
「まあ、家ですかね、……いや、そのまえにすこしだけ行きたいところがありますが」
「どこだ?」
「親族の家ですよ」
「いいことだ」
「参謀官は?」
「私かい? 私は酒でも飲みに行こうと思っていてね」
直嗣は苦笑し「宴でもしますか、調査部隊と」
「気がきくじゃないか」
「まあ、彼らとはなんやかんやお世話になりましたし………そういえば」ぐるりと周囲をみやり「どこにいったんですか? たしかここにいたはずなんですけど」
「ああ、彼らなら庭にいるよ」
「ありがとうございます、それじゃあ、───あとで連絡しますから」
「ああ」
庭のベンチに彼らは座っていた。モーガンが話していた。ニックはニコチンガムを噛み、イヴァは缶コーヒーを飲み、ルイスは庭に咲いている朝露がついた黄色の花を見て、聴いていた。話していることは奇しくも宴の話だった。なあ、どこがいいかな、火鍋がいいかな? 火鍋ならいいところ俺知ってるんだ。
「火鍋か、いいね」直嗣はいった。
モーガンはにっと笑う。「ああ、直嗣か、今日退院するんだっけ、おめでとう」
「ナオツグ、おめでとう」ガムを噛みながら「ナオツグは火鍋がいいのか?」
缶コーヒーを片手にイヴァは軽く手をひらひらさせて祝った。
「おめでとう、私はきみのその回復スピードに驚いているよ」
「あれ」直嗣はいう。「ルイスはもう大丈夫なんだじゃないか」
「もちろんだ、私は部品を交換すればいいからね、いまは万全だ、ただ彼らと話したくてね」
なるほどね、と返し「で、どこにいい店あるんだ」直嗣はいう。渡り廊下には車椅子に乗った少年がナースに押され進んでいた。彼は自動販売機で買ったサイダーを口に運んでいる。
「ああ、そうだったな、ルネサス区にあるんだ、ほらあの四番通りにさ、よく行列が並んでいるところあるだろ、そこだ」
「ああ、あそこか」
「そう、ラーメンでも有名なんじゃないか、ちょっと変わった麺を使っているということで」
「あそこ結構辛いけどいけるのか?」直嗣がいった。
「俺は別に、おまえらはどうなんだ」
「あたしは別に、いける」イヴァが答えた。
ルイス、自身の腕をみつめながら「私も大丈夫だ」
「オレも」ニックはいう。
「じゃあ、そこでいいんだな」モーガンはいう。「じゃあ、全員退院したら暇の日であつまろう」
「わかった」直嗣は腕時計をみた。「そろそろ、時間だ、俺は帰るよ」
「ああ、じゃあな」
「じゃあ」
病院の外を出ると猫の声が聞こえ春の温かい空気を直嗣は感じた。迎えの部下に連絡をしようとした。が、途中でやめた。地下鉄へ行くことにした。病院の近くは静かであった。病院の近くにあるサンドウィッチ屋で彼は食事を済ませた。大通りについた。ここには飲食店が立ち並び、地下鉄につながる階段の近くに老婆が経営している雑貨屋がある。彼はそこでお菓子を買ってから階段を降りた。直嗣はうしろから聞こえる人の話を聞き流してホームで待った。ねえ、ねえ今日いきたかった店あるじゃん、そこさ、ホロウに飲み込まれちゃてんだ、……ね、大丈夫かな、え? どこにするって? うーん、わかんない、あ、じゃあ、あそこにしない、ほら───そのとき電車がきた。彼は奥の席に座った。向かいの座席には誰もいなかった。直嗣は本を読む。1章を読み終えてから本を閉じる。そして目的地まで直嗣は外の景色を眺めて時間を潰すことにした。ビルが立ち並ぶ都市風景はトンネルを通るとき、真っ黒に染まりなにもみえなかった。三度ほど駅に止まってやっと住宅地に入った。ビルがめっきりと見えなくなる。朝陽が高く昇り始めていて屋根を照らしていた。四度目のアナウンスが入り電車が止まった。目的地についた。電車を出て改札口を通った。直嗣は歩を進める。葉擦れの音がひびく青々とした木々に囲まれた坂道を下った。その底の松の葉陰に包まれた寺を横目に数匹の鴨が波紋を広げ泳ぐ川にかかる橋を越え、すぐ左のマンションのドア前のパネルに部屋番号を入力してインターホンを鳴らした。はい、どちらさまでしょうか? とわずかに曇って聞こえる女性の声がした。直嗣です、お久しぶりですね、と微笑。嬉しそうに、あら直嗣くん、久しぶりね、といい、ドアの鍵を解除した。山口が居間で待っていた。が、姿は関だった。穏やかな顔つきで、わずかにつぶれた鼻も、泣いているようにみえる濡れたひとみも、関そのものだった。体格も関に似ていた。山口が変装したのだ。現在は関と名乗っている。関の背後にいる組織を暴くためだった。山口は、いや『関』は微笑み、直嗣、という。奥さんからコップとオレンジジュースを受け取った『関』はこれを、といいながら直嗣の前にカップを置いた、その表面には水滴が浮き出ていた。ひとくち飲む、冷たく、うまいな、これ、どこで買ったんだ、と思わずいうと、ああ、これはね、友人に譲り受けたんだよ、と『関』は返し、雑談をしばらく交わした。
「それにしても久しぶりね、直嗣くん」ひとつの話題を終えたときに関の奥さんがいった。「夫から聞いたとおり、ほんと成長したわね」
「いえいえ、まだまだですよ」
「それ、私のときでも言ってたことじゃない?」『関』は笑っていう。
「ああ、そうだった、そうだった、こいつは悪い」直嗣はいう。「そういえば、子供がいるんでしたっけ」
「ええ、8歳になったばっかりなの」
「そうですか、もう、夢を見がちな時期でしょう」
「ええ、こないだだって、息子と旦那と一緒に映画を見に行ったのだけど、それがホロウ調査員の題材にしたもので、すごく面白い出来だったけど、彼ってば、それを見終えたあと、ぼくもホロウ調査員になれるかな? って真顔に聞いてきて、なんて答えるか困った困ったって感じで……」
「ああ」『関』はいう。「私が、できるさって答えたら、あとでひどく怒られたっけ?」
「ほんとうにバカ、あなた、産んだ子を戦場に望んでいかせる人っているものですか」
「あれは、……まあ、反省しているよ」
直嗣はクスリと笑う。「よかった、関さん、奥さんと仲良いんですね」
「え? まあそうだね、一度喧嘩をして、険悪になったことあるけど、まあね」もちろん、これは元の持ち主の日記から得たことである。
「えーと、そのときはなにで喧嘩をしたんです」
「酒よ、酒、飲み会で自身がそこまで強くないってわかってるのに、この人、アホほど飲んで帰ってきてセクハラまがいのことをしてきたの、口調も昔に戻って、僕は君のことが誰よりも好きなんだってバカみたい」
「あはは……すまないね、だけど、最近は違うでしょ」
「そうね」奥さんがいう。「最近は違うわ、あまり酒を飲まなくなったし、あまりに無理をしなくなったし、生まれ変わったみたいで、びっくりしたわ」
「うん、そうさ、生まれかわったんだよ」
………直嗣はその言葉を聞いて、曖昧な笑顔を浮かべた。生まれかわったんだよ、という言葉。再誕の言葉を………
夕暮であった。会話が終わり、奥さんは子供の迎えで、すでにいない。そこにいるのは『関』と直嗣であった。暁の空を羽ばたく鴉がカアカアと鳴き、港へ戻る船のように帰るべき場所へ向かっている。空は濃いピンク色に染まっていた。雲もオレンジの濃淡を刻みこんでいた。ベランダの窓からは車が走る音が聞こえた。机に置いてある直嗣が渡したお菓子の箱は半分ほど食べ終えていた。それを『関』は一個取り、口に運んだ。うん、おいしい、とつぶやいた。直嗣は話を切り出す。「それで、調査の結果は」
「ダメですね、携帯からも連絡が来ない、敵はもう気づいているじゃないんですかね、もうすげ変わっているって、敵はよほど現状ではバレたくないらしいです、直嗣さまがいない間もとくに大きな動きはありませんでした」
「やはりか。山口、調査は一旦中止にしよう、これ以上は無意味だ」
「はっ、それで彼女らはどうしますか」
「彼女は……おまえはどう思う」
「どう思うとは」
「愛しているか、と聞いているんだ」
「ええ、愛しています」
「じゃあ、殺せないか?」
「いえ、殺せます、……しますか」
「いや、しなくていい、だがこれからすることは」直嗣はため息をついた。「同じぐらいひどいことだけど」
「それは、なんですか?」
「まあ、簡単だ、おまえが死ぬということだ、より正確にいうなら、『関』という人物が死ぬということになるってことだな」
「なるほど」
「シナリオはこうだ、おまえはいつものように勤務をしていて、暴力団の鎮圧へ向かうことになる、しかしそこには強力なパワースーツを着た敵がいて、そいつに頭を粉砕され、即死、おおまかにこんな感じだ」
「ダミーを用意するってことですか」
「ああ、もちろん、ダミーの『関』を用意させる、暴力団もだ、あいつらのことだから金を出したら、協力するだろう」
「これじゃあ、どっちが正義の組織なのかわからないですね」
「まあな、だが、それが俺らだ、そうだろう」
「ええ」
「悪とか正義とか、そういうところに俺たちは所属していない、世間体的にはホロウ災害で危機に窮する人たちを助けるという意味で正義だろう、結果的にもみても、悪の組織をつぶしていることで正義だろう、しかし、それでも俺たちがやっていることは依然、悪だ、俺たちは目的のために悪の行為で、今のように幸せな家族を壊すようなことに走る組織なんだよ。これは、歴史が血肉の土層でできているから、それも仕方ないとか、そんな理屈をこねても転げても厳然たる事実に変わりないんだ、それ以上でもそれ以下ではない、だからこそ俺たちはその目的を絶対に完遂しないといけない、それが筋というもので、それが俺たちが豚箱に入っていない理由だ、いまさら罪悪感で、折れることなんて許されないんだ、ケジメをつけないといけない、俺たちは暴力という絶対的な力の神に属する人間なのだから」
「重々承知しています」
「………シナリオは来月から開始する、それじゃあ俺は帰るぞ」
「はっ、ではこれを」といい、山口はある本を渡す。
直嗣はぱらりとページをめくる。「わかった、ありがとう、参考にするよ」
そこには敵組織の考察が書かれていた。
⁂
帰り、直嗣は商業地に寄った。ルミナスクエアと呼ばれるところで、ここ最近ニュースでも話題となっている新しい街の商業地帯であった。直嗣はフェンスに腕を乗せ、夜の海を眺めている。そこには灯がついている客船が月光の海道をなぞるように流れていて、波がぶつかる音が何度も響いていた。向こう側には光る都市が立ち並んでいる。夜のジョギングをこなす男が直嗣のうしろを通った。道をかける音は徐々に遠ざかっていく。この街はまだ都市といえるほどの規模ではない。が、このままいくならエリー都を並ぶ都市になるに違いなかった。実際、あとにその通りとなった。
潮の匂いが鼻を突き抜けるのを感じながら、彼はさきほどもらった本を目を通し、この道中の人たちを思い返していた。帰りのサラリーマン、部活帰りの高校生の集団、パトロールをしている治安官、子供を連れた母親、彼はそれを見るたびに関が尋問室へ連れて行く直前の光景がよみがえり、その光景が重なった。ホロウの中でも笑顔と希望をたえさない平和な日常。その日常を怯えかす存在となりうるのが今回、長らく謎の敵組織だ。本にはこう書いていあった。
潜入したときに、まず気づいたのは関の部屋の質素さだった。ミニマリストなどではないかと思わせるほど質素であった。無駄なものはおいていない。生活を送る上で、必要な最低限な家具が置かれているぐらいだった。しかしそのようなことがありえるだろうか。いくらミニマリストといえ、そこには自身の趣味といえるものを置くのが普通であろう。ならば、彼の趣味はアウトドア系なのだろうか? そう思い、私は彼の奥さんに食事の際、その内容を引き出すように誘導させてみると彼はかなりの酒豪のようで、よくウィスキーを買い、その瓶を保存している、といった。また、彼は心理学に興味を寄せていたようで、その学術書を取り寄せていたことがわかった。はて、そうなるとおかしいものだ。なぜ、彼の部屋にはそのようなものがないのであろうか。そこにあるのは、机とデスクライト、pc、一個だけの本棚、それだけだ。家のどの部屋にもウィスキーの瓶や心理学の学術書はなかった。
私は隠し部屋について疑った。だが、結果からいうと徒労だった。どこにもそんなものなかった。ならば、奥さんにいっている趣味は嘘なのだろうか、それは違うといえる。pcを調べるとそこにはたしかにウィスキーの銘柄や心理学の本を調べている履歴があった。………ここからわかるのは、彼が徹底的に情報が第三者に知られるということを嫌っていたことだ。もちろん誰だって第三者に知られるのは嫌がるだろうか、これを日常的にやっているとするならそれは異常の領域ではなかろうか。やはり、彼はなにか知られたくことがあるのは間違いないだろう。秋幸からの情報からして彼は宗教というものにハマったのではないかと考えられる。その傾向は、すなわち、宗教にハマる可能性は前々からあったのだろう、履歴には宗教にのめり込む心理を語る本を買っていたし、宗教学を取り扱った本、あまつさえ小説さえ買っていた。しかし、現代でそれほどのめり込むほどの力を持った宗教はあるのだろうか? ホロウという絶望的災害が日々を襲う危険性をひめるなか、その心の支えとして宗教へ倒錯していくことはよくわかる。されど、現在でそれほど過激な活動をしようともくろむ宗教組織は存在しないはずだ。一体、どのような組織なのだろうか。謎は深まるばかりであった。関は相変わらず用心深い人物であるのは間違いない。おそらくそのような活動は家でさえしなかったのだろう。
考えてみた結果、讃頌会ではなかろうか、と結論づけた。初代虚狩り、3代目星見家当主はその組織の司教を切ったことで大幅な弱体化に成功させた。讃頌会はホロウに神秘性を導き出し、そこに順応することこそが神の導きである、ということをいったことで有名だ。その過激さとダークウォールでみつかった爆弾自殺した女と、それに引き寄せられるように来たオドラデク、彼女はホロウというものを信仰するものなのだろう。おそらく何かしらの方法でオドラデクを引き寄せることができたのだろう。そうすると、そのようにホロウとエーテルの特性を活かした犯罪をしたテロ組織、讃頌会が濃厚ではなかろうか。それならば、私に連絡を取ろうしないわけだ。おそらく、きわめて厳格に決められた時間と場所、日付で彼らは集合しているのだろう。だから、この部屋にはそのような組織とのつながりということを見つけらえれなかったのかもしれない。
直嗣は読み終えたときには、客船が消え、つぎに流れてくるのは輸送船だった。暗い中、赤いコンテナが積み立てられている。直嗣はベンチに座り、静かに項垂れた。そこには誰かが捨てたチューハイの空き缶が転がっていた。アルコールの匂いが潮の匂いと混ざった。彼は軽く蹴る。軽やかな音。奥には飲み会の帰りの上着を脱いだ白シャツの男が海に向かって吐いていた。そのこまかな分子へ分解、沈殿していく吐瀉物に引き寄せられ、魚がいくども跳ね、口を何度も開け閉めしてそれを食べていた。隣にいる介護の男は眉を顰め、ほら早く帰るぞ、ったく終電間に合うかな、といって彼の肩を抱え、しなる音がする木の床から街灯が灯る場所へゆっくりと階段を登っていった。静寂が訪れた。波の音。彼は顔をあげ、半月が沈みゆくさまをみた。雲ひとつない夜空に一等星の星がぽつりぽつりとあらわれ、なにかしら暗号を暗示する信号を送るように点滅していた。宇宙との交信、そのようなくだらないことを書いたオカルト雑誌。雑貨屋で売られているUFOチップスを食べたくなった。電話がポケットから鳴った。それを無視した。彼は立ち上がり、海のそばにしゃがむと手を海へ沈めた。海水は冷たく、まだ泳ぐには寒すぎる。あの男の頭にこれをかけたら、もしかしたら、酔いが覚めるかもな、とつぶやいた。真っ黒な波は直嗣の手をやさしくあやす母親のように包み、たびたび海の底へ引き込むように腕にかかる。いっそこの心が鋼鉄であるのなら、いっそこの体が硝子であるのなら。
直嗣は階段を上がり、家へ帰ろうとするとこの時間にまだ開店している占い屋があることに気づいた。とはいっても店というほど立派ではない。新聞紙をひいていてある床に濃紺の布を被せた段ボールが置いてあり、そこにタロットカードと水晶玉があるだけだった。老婆で彼女はローブを着ないで白いワンピースで呆と都市の喧騒を聞いていた。が、突然直嗣を目におさめるとわなわなと震え、ちょっとちょっとあんた、来なさいという。落ち着いた声だった。直嗣は断ることもなく向かう間、彼女はタロットカードをいじり、なにかをつぶやき、水晶玉もじっとみていた。ああ、やっぱあなた、
が、その予言は1ヶ月後あたることになった。零号ホロウの暴走という災害。それは星見雅の誕生日が近づきはじめた日であった。