5.
直嗣はスマホから鳴る警報と騒ぎで起きた。目を開けるとすでに駅で止まっていた。窓へ視線をやると機械人とシリオンの駅員が階段の前に立ち、スマホからの情報をみて慌てて駅をさろうとしている人たちに、落ち着いて行動するように、といっている。直嗣は警報が鳴り続けるスマホを見る。ホロウ災害が起きたらしい。拡大速度、活性反応ともに史上最高クラス。突然、ねえ、ねえ、あんた、と誰かに声をかけられた。顔を上げる。スーツをきた社会人の女性だった。彼女は、ここにいたらあぶないからはやく逃げたほうがいいよ、といった。直嗣は頷き、一回背もたれに体重を預けてから立ち上がった。直嗣は、ありがとうございます、というと女性は笑ってホームを降り、階段へと歩き出した。直嗣も歩き出しホームから階段へ、そして改札口を出た。今日は澄み切ったシアン色の空であった。雲ひとつない空に太陽が燦然と光っている。改札口では多くの人がスマホで誰かに電話をかけ、言い争う人もいたが、すぐに彼らは電話をやめ、自身の車があるものは車で、ないものはタクシーを拾って逃げ出していく。ビルに貼ってある虹色の瞳をした女優が香水を宣伝している看板は彼らを無関心に眺めていた。捨てられたゴミは走る人に踏み潰されている。まだ眠っている人が頬を思い切り叩かれ起こされる。そして遠いところではジャーナリストがカメラを構え、この光景を撮影していた。世界が終わる瞬間を、エリー都最後の日を。人々はホロウが発生した反対側に逃げていく中、直嗣はスマホを取り出し電話をした、三度ほどのコールで相手は出た。
「直嗣さまですか」坂口がいう。ときどき、指示が行き交う音や木の床を歩く音が聞こえる。「いまどこにいるのですか」
「香蓮駅だ」直嗣が答える。
「大丈夫ですか」
「大丈夫だ、お前らこそどうだ」
「私たちはいま、ホロウ災害の対処をするために出陣準備を始めてます、事態が事態なので誰を選抜するかはしてません、とりあえず、戦闘部隊はほとんど出場する予定です」
「……わかった、ひとつ聞きたい、暗殺部隊と諜報部隊はどうする」
「え? 彼らですか、被災者を助けるために使おうかなと」
「なら、今すぐにやめてくれ」
坂口はしばらく黙った。が、すぐにスマホから彼が指示する声が聞こえた。「やりました、彼らに何をして欲しいのですか」
「彼らにはホロウ内に潜んで、そこである男たちを探してほしい」
「ある男たち」
「ああ、そいつらの身なりをいうぞ、一人の男はまだ若く、少年ぐらいだ。カウボーイみたいな服装していて、ベルトに拳銃を差してある。もう一人の男はそいつよりもだいぶ年上で、スーツを着ている。灰色のベストと白のワイシャツをきていて、いつもタバコを吸っている。タバコの銘柄は雲煙だ」
「こいつらが潜んでいるかを調べるのですね」
「ああ、いなくても怪しいやつらを見つけたら、報告、できたら捕まえてくれ」
「了解です」
「頼むぞ」
「直嗣さまはどこへ」
「H.A.N.D本部にいって、武器を持ってくる」
「ええ、わかりました、ではご武運を」
「そっちも武運を、この災害終わったら報告してくれ」
そういって直嗣は電話を切って、先に進む。ほとんだのタクシーは埋まっていた。直嗣はまわりを見廻し、パトカーに目がついた。そこには仲間が来るのを待っている治安官がいた。彼はハンドルにトントンと指を叩いたり、汚れていないのに顔を拭ったり、顎髭を撫でるのを何度もしていた。直嗣は彼に近づき、窓を叩いた。治安官は窓を開けた。なんだ、と不機嫌に治安官はいう。直嗣は、H.A.N.D本部まで連れていってくれ、と頼んだ。H.A.N.D本部だって? なんで私がそんなところにいかないといけないんだ、と治安官はいう。直嗣は自身が執行官であることを明かし、武器を取るためにそこへ向かないといけないと伝え、ここから歩いていくには遠すぎるし、緊急事態だから協力してくれといった。治安官は悩み、私はここに離れるなという指令を受けているため、君を連れていくとその指令を背くことになるんだ、といい水をひとくち飲んだ。治安官はフロントガラスに映る景色を眺めた。そこからだんだんと広がっていく虹色の輪郭をしたホロウが音もなく拡大しているのがみえる。鳥は群れをなして一つの生物のように空を羽ばたき、飛行船も悠然とした速度だが、確実にそこから離れていく。ひとりの子供が転び、泣き出した。親は子供を抱え宥めながら走っていく。すべての生き物は目的のない逃走をしている。ラジオからはニュースキャスターが焦った声色で現在のホロウ災害の状況について話している。
治安官はため息をついた。そうして彼は、だが、それでも人が助けれる人が増えるならそれでも構わない、といい、ドアのロックを開けてくれた。直嗣は車に乗る。治安官は仲間に事情を無線で伝え、車を発進した。
一時間後、車は長いトンネルに入った。抜ける。H.A.N.D本部につく。直嗣は礼をいい、車を降りた。直嗣はじっと長い道路を眺め、「あんた、これからどうするんだ」と、訊く。
「さあな」治安官はいう。「クビにならんかもしれないが、こっぴどく怒られるだろうな、職場放棄で」
「怒られても仕方ないだろうな」直嗣はいう。
「なぜだ」
「だって、もしかしたらこれが人類最後の日かもしれないからな」
治安官は笑う。「違いない、人類が滅ぶに比べて、怒られるぐらいなんてクソにならんな」治安官は胸ポケットから取り出したガムを口に入れた。「それで、もう行くのか」
「ああ」
「それじゃあ、俺も行くとするよ」
「じゃあ」
「ああ、また会えるといいな」そういってパトカーは動き出した。
車が去っていくのを見送った直嗣は歩き出し、誰をモデルにしたのかわからないほど抽象的な像からビルの中へ入った。中は静かだった。彼はロッカー室に入り、自身のロッカーから武器が入った箱を取り出した。直嗣は服を制服に着替えた。それから部屋を出て自身が所属している処に向かった。エレベーターに乗り、オドラデク調査部隊、いまの名称は対ホロウ一課と書かれたドアの前まで歩いた。ノックするとそこからひとりの男が出てきた。要件はなんだといい、直嗣は、俺の上司に話したいことがある、といった。男は引っ込んだ。男はまたドアを開け、入れ、といった。そこにはニックだのルイスだの仲間たちが無言で待っていた。男はドアのそばで彳み、参謀官はガラスで囲まれた会議室でマップを睨んでいた。直嗣は失礼します、といい会議室に入った直嗣は参謀官の隣に立って、状況は、と訊いた。参謀官は秘書に目を向け、説明してやれ、といった。秘書は女性だった。彼女は直嗣の横に立ち、説明しはじめる。
「ご存知かもしれませんが、現在暴走を開始しているホロウ、零号ホロウは危険度は史上最大とみていいほどの拡大速度、活性反応を起こしています。その活性反応は驚異的で中で多くの危険エーテリアスが発生していることが報告されています。またエーテル濃度が非常に高く、よほど高いエーテル適性でも場所によっては侵蝕反応を起こす危険性があると報告されています。すべての防衛組織が現在活動及び連携してますが、失敗に終わっています。そのため、目下わたしたちはホロウの脅威を鎮めるのではなく、止める方向にシフトしました、局長は専門家と掛け合い、今回の拡大速度から割り出され、かつ拡大を防ぐことができる一番現実的な地点がわかりました。それが」秘書はマップに目を移す。
直嗣はマップをみた。エリー都のマップにいくつか赤い線が描かれている。おそらく、止まる地点を示すところだろう。スロノス区の近く、エリー都の南西から北東にかける式輿に大きなバツが書かれている。爆発させるということだった。
「この地点です。ですが、お分かりの通り、これではエリー都の全領域の80パーは覆われることになります。局長はそれでもこの作戦を実行することにしました。曰く、我々にいま求められているのは正しいとか正しくないのかではない、迅速な対応だ、すこしでも多くの民衆を救い、被害を最小限に収めることが我々の目的だ。この判断があらゆる観点にみて正しいのではない、この作戦が被害を抑えることができるなら、いますぐにすべきなのだ、と。とにかく、私たちの目標は爆破部隊の護衛なのです」
直嗣は礼をいい、マップへ目線を戻した。「それで」直嗣がいう。「この青い線が我々が進む経路ってわけですね」
「ああ、そうだ、正確にはもっとも望ましいルートだが」参謀官はいう。
「今回の災害のキャロットデータは」
「ルイスが言うにはまだ正確なデータは取れていないらしい」
「つまり、もうすこしで取れると」
「そういうわけだ」
「では、取れたら即座にここにゆくことが求められるわけですね」
「ああ、迂回していたら間に合わない」
「でも逆に時間がかかる可能性もあると」
「そうだな、急がば回れという。取れたデータ次第では回られないといけない」
「その場合は」
「計画を練り回す必要がある、だが、いずれにせよ爆破させるのは変わらない」
「じゃあ、いまは待つしかないってことですね?」
参謀官は頷いた。直嗣はマップをしばらく眺め、会議室を出た。部屋を行き来した。窓からの無機質な景色を見下ろした。駐車場にはいつもはH.A.N.Dの車が並んでいる。が、いまはまだらにしか車は止まっている。ガラス張りとなった会議室から透けてみえるマップをまたみ、時計をみた。現在の時刻、八時十三分。直嗣は開けぱなしの自動ドアの近くに置いてある電気ケトルとボックスに入れられた即席コーヒーの粉、その隣に積んであるコップを取って、コーヒーを作った。コーヒーを右手に直嗣はソファーに座った。そして熱いコーヒーをちびちびと飲んだ。ソファーには直嗣の他にモルガンとルイスが座っていた。モルガンは背もたれに片手をおき、もう片方でコーヒーを入れたカップを持っていた。ルイスは腕を組んで目を瞑っていた。部屋の真ん中には直嗣たちが座り仕事をする席が並んでいる。そこにニックとイヴァが座っていた。ニックはくるくると席を回って、イヴァは背もたれに体重を預けて寝ていた。全員、沈黙を貫きひたすら待っていた。直嗣はコーヒーを半分ほど飲むと白いテーブルに置き立ち上がり、自身の席から本を取り出してソファーに座った。直嗣は見渡す。あの男がいないことに気づく。要件はなんだ、といったあの男が。しかしそのことを気にすることはなく、読書をはじめた。
その男が再び来たのは読書を開始して二十分がたったころであった。本の内容は頭に入らなかった。読書の途中、何度もトイレへいった。失礼する、といい部屋に入った男は直嗣を一瞬だけ、それから他のメンバーの顔を順番に一瞬みつめ、会議室に入った。ガラスからは参謀官が男がいっていることを聞いているのがわかった。何を言っているのかは聞こえなかった。立ち上がった直嗣は本を置いた。テーブルに置いたままの空のコップを手にとって流し台に運び、水で満たす。水がうすい茶色に染まる。捨てる。この作業を二度ほど繰り返して、三度目でようやく透明になった水を飲んだ、生ぬるい。直嗣がコップを流し台に置いた、そのときに参謀官たちが会議室を出ていた。仲間たちは参謀官が口を開くのを待った。参謀官は口をひらく、「予定に変更はない、このまま続行する、作戦はいますぐに始まる、諸君準備を始めよ」と。
直嗣たちは緊急で建てた前線の基地で待つことになっていた。彼らは車でここまできて、茶色のテントの前で変わらず拡大を続けている零号ホロウをみつめることで時間をつぶした。彼らはたびたび腕時計を確認し、そのたびにまだ一分しか経っていないことに苛立った。五分後に爆破隊は来た。男が三人、女が二人、合計五人ほどのメンバーだった。爆破隊が目標としているのはもっとも険しい道のりであると推定されているルートを辿り、零号ホロウに一番近い式輿を爆破させることだった。ボンプも二匹をいた。一匹は白黒のシマウマ模様で、もう一匹は黄色と黒だった。ボンプたちはH.A.N.Dの制服を着ていた。爆破隊の隊長が参謀官と挨拶を交わした、計画の認識に違いがないかをすり合わせる。違いはなかった、そして即座に部隊は動き出した。H.A.N.Dの車に乗り、零号ホロウに向かって走り出した。零号ホロウに入った。
零号ホロウが暴走したときに最初に飲み込んだこの地域は想定されていた通りの険しい道のりだった。太陽は曇天模様の空に覆われていた。薄暗い街。その街のあらゆる場所に血脈のような紫の筋が走ったエーテル結晶が生えていた。中には建物を貫き破壊しているものや門の形状をしたエーテル結晶があった。道路はひび割れ、隆起をしていた。そこを車を揺れながら走らせているとフロントガラスにぶつかるのは宙を浮かぶ芥やガラクタだった。遠くからみえるタワーも宙を浮かんでいた。それを横窓からみたイヴァが、いよいよエリー都も終わりね、といった。が、誰も口を開くことはなく、直嗣たちは明かりがついた後ろ座席で裂け目にはいるのを待っていた。爆破隊のひとりがキャロットデータを使ったナビを何度もチェックし運転していた。直嗣は鯉口を切り、刀身を見て、自身が抱える煩わしい不安を捨てる。車内からはかすかに血の匂いがした。ニックが運転手に、なあここ怪我人が運ばれたのか、と訊くと爆破隊のひとりは、まあ、そうですね、いました、だけどいまはそのことは関係ないでしょ、と咎めた。それっきり、彼らは口を開くことはなかった。
寄ってきたエーテリアスを殺し予定より一分遅れて裂け目に入った。そこの壊れた道路はで参謀官は運転手にここで捨てるといった。運転手が先に降りる。直承たちも次々に降りてゆく。剥き出しになった下水道から噴き出てできた水だまりに車は止まっていたので、足を降ろすと濁った水飛沫が起きズボンにかかった。空に走る稲妻を直嗣は眺め、先へ走りゆく部隊の背についていった。数分して曇った空からぽつりぽつりと一粒一粒雨が降ってきて、やがて本降りとなった。雨粒は道に落ちては砕ける音は重なりざー、ざーと歌う。滅びゆく都市の悲しみの涙。歌は溶けた鉛のような沈黙に響く。雨で輪郭が曖昧となった世界。世界が青みがかる。破滅の道を進むものたちを嘆くように。ここからでもみえるエーテル結晶が生えた細いタワーは我々人類の永遠の敗北の証の風情であった。並木を植えてある土から漂う甘い匂い。その匂いが慣れる、そのときにエーテリアスがきた。走っていた直嗣たちは足を止めた。エーテリアスは一匹のトラキアンに率いてられていた。浮かぶトラキアンは自身の槍で直嗣たちを指し、地獄の番犬のような狼型のエーテリアスであるハティが二匹かける、それともにティルヴィングが不安的な体制で獣のように走っていく。爆破隊は応戦をしようとする。それを直嗣たちは止めた。参謀官が配置につけ、と声をかけ、即座に彼らは戦闘体制に入る。ハティを迎え撃ったのはルイスとイヴァだ。籠手と具足でルイスは相手を爪を受け止める、大剣でイヴァは噛みつきを止める。パリィ。直嗣とモーガンがハティの横を切る。そして、脚。ハティは吹き飛ぶ。そこをニックがショットガンを連続で全弾撃つ。リロード。弾は当たる。多くはコア付近に当たる。参謀官が怯むハティを一掃するようにハルバードを横に縦に四度振る。マグマのような黄色い血が噴き出た。噴き出た血に隠れて飛び出たティルヴィングは直嗣とニックが撃った銃弾に止められる。モーガン、ルイス、イヴァがそれらを蹴散らす。ハティは後ろへ飛び下がる。そして口を大きく開けて、コアをみせ、そこからエーテルエネルギーの集合体ができてゆく。もう一匹のハティは建物の自動ドアを破壊して、中へ入った。そのときトラキアンが動き出した。稲光が走る空を背にして、槍を肩の高さまで水平にして掲げると槍の先端にエーテルエネルギーが溜まり、それが電気へと変わった。トラキアンは電気を纏う。槍を構えた。直嗣たちは回避の体制をとる。次の瞬間であった。一気に物事が進む。エティはエネルギービームを吐き出す、建物の中に入ったもう一匹のエティは上の窓を突き破り襲いかかる、トラキアンが神速のスピードでつく、直嗣たちはそれぞれが爆破隊を抱え、横に飛ぶ、参謀官の頬が切られる、血が遅れて流れ出す、地面に電気の筋ができる、数秒してそこに薄い電気の壁が立つ、消える、ビームが誰かが捨てた車にぶつかって砕け爆発する、叩きつけたエティの周囲に破片が飛ぶかう。時が元に戻った。直嗣たちが感じていた背筋を這う冷たい感触が弱まった。直嗣たちは爆破隊のメンバーを下ろす。エティたちは各自左右をゆき、囲むように歩き出す。トラキアンは槍をだらりと下げ、直嗣たちを正面にみつめる。参謀官、と、爆破隊の隊長がいう。私たちも戦えます、守る必要はないです。──参謀官は振り返らず黙然としていた。数秒が経過した。さながら地獄の門を通り抜けようとする死人を殺そうとするエーテリアスたちは再び攻撃をする準備を開始しはじめた。そして参謀官はいう。「ここからできるだけ離れろ、倒したら呼ぶ」爆破隊が急いで離れていく。その背後をエーテリアスたちは見送る。ずいぶん、お利口さんじゃないか、え? とニックがいう。直嗣は鼻で笑う。エーテリアスはその煽りには無言で返した。稲光が再び走る、雷が近くに落ちる、轟音とあたりは真っ白に染まった瞬間を狙ってエーテリアスは動き出す。トラキアンが空へ飛び雲の中へ入ってゆく。その行為が何をするのかを考える暇を与えんようにエティは飛びかかる。今度はモーガンと直嗣がパリィをし、劇の再上映のように参謀官とイヴァが横から攻撃し、最後はルイスがフックを二発打ち、一匹を天へ、もう一匹を地へと。天へ打ち上げられたエティはニックのショットガンで殺される。地へ堕ちたエティはイヴァが大剣で脳天を突き刺し、絶命した。青い飛び火。そして間髪もないうちに空から大量の雷が降り注ぐ、直嗣たちに神の怒りを届けんとばかりに雷は彼らを狙ってくる。何度か目の雷の末、参謀官にむけてトラキアンが槍を刺そうとする。避けた。地に蜘蛛の糸のような電気の脈が浮き出る、直嗣たちは後ろに飛び去る、電気が弾け、地が破壊される。その破壊力に絶句することはなく、彼らは動き出した。時間はかける気はなかった。モーガンが双剣の機構を出力を全開にし振り下ろす。腕が切り落とされ、体が焼かれる。イヴァの大剣が変形し、鎌となる。次に足が切り落とされる。直嗣は刀を頭上に掲げる。今度はトラキアンは防ごうと槍を構えるが、それさえ斬り伏せ胴体を切断され、首も瞬時に切り落とされる。そしてトラキアンは絶命した。
その後、直嗣たちは爆破隊を拾った。彼らはビルの中にあったビームフェンスで待っていた。直嗣たちは先に進む。次の裂け目では住宅街の川沿いで彼らは休みを取り、対侵蝕薬を飲んだ。その次の裂け目は爆破隊がひとり怪我をし、その応急処置をした。そして最後の裂け目にはいるところで直嗣たちは助けを呼ぶ声がきこえた。最初は気のせいだと思った。
「参謀官、聞こえませんか」ニックがいう。
「聞こえないな、何が聞こえたんだ」
「助けを呼ぶ声を」
参謀官は耳を澄ませる。たしかに助けを呼ぶ声がした。
誰か、というその声はひどく弱々しかった。直嗣たちは任務があったが、それでも彼らは助けないという選択はなかった。直嗣たちは強風で揺れる木々が生えた公園の出口を抜け、声がする方へ────倒壊した住宅地へと向かう。倒壊した住宅地の中には火が燃えており、それはだんだんと広がっていた。まだ声がする。直嗣たちはさらに足を早めた。助けを求めたものはふらふらと道路を歩いていた。女で着物を着ていた。手を当てている肩から血が出ていて、着物は赤く染まっていた。女は気づくと直嗣たちに、ああ、お助けください、後生ですから、お願いします、と懇願した。モーガンがもう助けてやる安心してくれというが、女は首を横に振った。違うのです、違うのです、とうわ言のように女をモーガンは背負う。とにかく、いきましょうとモーガンは言おうとする。が、女がこの先に瓦礫に埋まってるお方がいるのです、と伝えると直嗣たちは顔色を変えた。参謀官は、女はモーガンとイヴァとルイスで爆破隊に任せる、といい先を進もうとする。そのときであった。直嗣は既視感を覚えた。夢の冒頭によく似ていた。不吉な予感を覚えた。直嗣は止めようとするが、もはや遅い。進むしかなかった。10メートル進む、まだ何も起こらない。15メートル進む、瓦礫に埋まったひとはいない。35メートル進む、以前何も起こらないし瓦礫に埋まった人はいない、そして50メートルを超えると直嗣たちは背筋に冷たいものが這う感覚を強く覚えた。両端に倒壊した建物が爆発し、そこからオドラデクが出てきた。驚く暇もなく、触手が彼らに向けて振った、直嗣たちに当たり彼らは吹き飛んで気絶した。
⁂
燃え盛る炎の熱気と痛みで彼は二度目の目覚めをむかえた。支柱と瓦が落ちてゆき砕ける音が遠くからした気がした。手でなにかないを確認した。刀がなかった。彼は目をあけ、刀がどこにあるのかを探す。左の視界が真っ黒に染まっていた。狭ばった視界の世界は泳いで、向かい側にある建物も2重にみえ、また揺れていた。波動の軌道によく似ているそれをただ眺めていると彼が気絶していた倒壊した建物が燃えているのにやっと気づいた。彼は立ち上がる。ささくれた木が彼の服に引っかかり、わずかに肌を刺す、彼は右手でそれを抜いた。前を進もうとする。が、彼は倒れ伏せた。地面に血が顎からぽたりぽたりと流れてゆくのわかった。そこでようやく彼は左顔が怪我をしていることに気づいた。その部分を触ってみる、ぬらついた感触とともに激痛が走る。左手の指先をみるとドス暗くなった血がついていた。しゃがんだまま直嗣はH.A.N.Dの装備を外し、上着を脱いだ。上着は左手で握りしめた。またもや激痛が走った。腹と腕に切り口があった。すっぱりと切られ、傷口には赤く染まったシャツの一部が張り付いていた。直嗣は地面へと目を走らせる。刀は数メートル先にあった。それを取りに歩く。体を一歩進めるたびに痛みが走り、冷や汗が流れでた。刀を取った。傷がついてない方で腕で汗を拭った。それをそばに置き、腰に収めているナイフを鞘から取り出した。激痛。腹が痙攣した。血がどくどくと出ていた。水だまりにナイフを持った手を突っ込む。血は濁った水に隠された。雨は止んでいた。直嗣は細やかに震える手でナイフを握り直して上着を細く切った。包帯ができた。直嗣は包帯を左目に巻き、怪我した部分にも包帯を巻いた。応急処置をした直嗣はナイフを納め、刀を取った。それを支えに起き上がりぼんやりとあたりを眺める。
あたりは真っ黒で空は変わらず曇りだった。暗闇の中、燃え盛る炎はかつて人類がそこに希望を見出したように明るいが、それはいまは人類を燃やさんとする炎だった。その炎を眺め、直嗣は思考をめぐらした。いやいや、直嗣何を考えるんだ、と独言た。直嗣は腰を下ろし、また思考を巡り直した。が、悠長に考えている暇はなかった。直嗣はなんとか立ちあがってキャロットで現在の座標を確認した。まっすぐ行ったら、爆破隊に合流できるだろう。うしろをゆくとやがて黒田家の屋敷につくはずだろう。直嗣は炎から空へ、最後にエーテル結晶を眺めた。直嗣は踵を返し、刀を杖代わりにして黒田家へ向かった。
───何度も立ち止まって、元の場所を振り返りまた歩き出すうちに火事で燃えている堀で囲まれた建物がみえた。黒煙が曇り空へと昇り消え、建物は炭となり崩れはてはじめている。返り血を浴びた直嗣は門の前に立ち、黒田、と墨でかかれた木製のネームプレートを撫でた。彼は門を通る。熱気に包まれ、汗が吹き出た。右へ歩き、庭についた直嗣は丸石で囲まれた水にしゃがみ込み、そこに生えている六個のハスの葉の隙間から両手を水の中へ入れた。冷たい水。その水を掬い、頭からかぶった。全身がずぶ濡れとなるまで水を体にかけた。流れ落ちた水は血の糸を含みながら土へ吸い込まれていた。直嗣は建物を眺めた。蛇が獲物をしめころすように屋敷にまとわりつく焔。火がついた芙蓉の木。炭から灰となっている建物。直嗣は、誰かいないか、と叫んだ。三度ほど叫んでやめた。水で濡れたハンカチを口に当てて開けぱなしの戸口を通った。廊下には五人ほどの使用人が倒れていたが、それは一酸化中毒によるものではなく、誰かに腹を滅多刺しにされたとか頭を硬いもので殴られ砕けたとか胴体を切断したとかそのように殺されていたからであった。床も壁も赤く染まっていた。一口食われた肝臓を刺したナイフは壁に突き立ていた。そのナイフのまわりには腸が巻かれていた。腸はうつ伏せとなった老齢の使用人の腹から伸びたものであった。吐かれた肝臓の肉片は炎で焼かれ、生臭い匂いが漂う。直嗣は先に進む。襖はめった切りにされ、部屋にある道具は悉く破壊をされていた。2階に上がる。そこにも死体があった。目をそむけ、直嗣は急いで母の部屋にむかった。母の部屋を開ける。天井が崩れていた。瓦礫で部屋の半分は埋まっていた。直嗣はぞくりとした感触を覚えてた。あの老婆が言った予言がここに実現されていた。彼がみた夢がここで実現されていた。直嗣は口を開き、母の名を叫ぶ。うめくような声で「直嗣………?」といった。母は蓄音機の近くにいて、そこで彼女は瓦礫で埋まっていた。直嗣は駆け寄り早く助けようとしたが、それはしなかった。直嗣は母を黙ってみつめた。レコードはひしゃぎ壊れていた。火の粉が舞い、そのレコードについて消えた。「直嗣? そこにいるの? わたしいま見えないの」と彼女は言った。直嗣は両手で顔を覆い爪を突き立てた。左側に激痛が走る。が、そのことは気にしない。包帯から血が滲みでた。それでもやめない。気のせいかしら、と母がもう一度言ったときにしゃがれた声で直嗣は返事をする。彼はしゃがみ彼女の手をそっと触れ、
「ここにいるよ、母さん」と、いった。
「あら」母はいう。「いたのね、直嗣」
「うん、心配で」直嗣はいう。
「直嗣、ごめんなさいね、私いま見えないの」
「うん」
「だけど、それでもここは危ないわってわかるわ、直嗣、はやく離れなさい」
「わかっているよ」彼女の手を離さない。
「直嗣」優しく彼にいう。
それでも母の手を離さない。彼は神に懺悔する信者のように両手で彼女の手を挟み、天へ掲げた。目を瞑った。
炎が焼く音が聞こえる。彼女が呼吸が浅い声とたびたび血が混じった咳の音もした。
「───直嗣」母が沈黙を破った。「やめなさい、あなたがやらなくてもいいわ」
「それじゃあ、───」直嗣は口をつぐんだ。
「直嗣、あなたがこれをやる必要はないわ、ここにいてもこのことは解決することなのよ」
長い間黙った。直嗣は彼女の手を離した。彼は窓をみた。そこには花の蕾に似た下半身の女性型エーテリアスが舞っていた。鱗粉のように、あるいは星々のようにキラキラと光る紫の粉が夜の都市に落ちていた。そのエーテリアスははじめて確認する個体だった。その女性型のエーテリアスに蜂のようなエーテリアスがついていた。直嗣は視線を元に戻し、母の額に張りついた髪を左右にどかして、額にキスをした。チクチクとしていた。刀を取り、ゆっくりと抜刀した。その音で彼女は気づいたようであった。
彼女は寂しそうに微笑む。「するのね」
「ごめんなさい」
「いいのよ、こちらこそごめんなさいね」
直嗣は何も言わなかった。
そして彼女を殺した。
直嗣は家を出て、外を歩いた。直嗣は焼け落ちていく家を坂道を超えた先で眺め、そこで彼は倒れた。彼のそばにはエーテリアスに殺された治安官がいた。背中には大きく切り裂かれた痕があった。その治安官の手にはタバコがゆるく持っていた。直嗣はそのタバコを奪い、それを怪物の叫び声のように唸る建物にむけた。渦巻く黒煙は空に溶けていき、炎は天にも届かんばかりの高さに到達し、隣の建物まで手を伸ばしていた。世界が止まることはなかった。もちろん、タバコも火がつかなかった。直嗣は治安官の手元にタバコを戻した。治安官は目を開けたままだった。そのまぶたを閉ざす。不意に涙が出てきた。涙はとめどなくあふれていく。が、その涙は血の糸を含んでいて、血涙か返り血か判断はつかない。直嗣はアスファルトに顔と両手を押し付けて静かに泣き、ああ、もう、だめだ、と思った。彼は再び願う。いっそこの心が鋼鉄であるのなら、いっそこの体が硝子であるのなら。そしてこの体にエーテル結晶が生えていくなら、どれほどいいか。が、エーテル結晶は生えてくることもなかった。侵蝕反応の症状もなかった。体の輪郭はこれ以上ないぐらいはっきりと感じた。
あるとき、彼が動き出した。それは黒田家の屋敷以外にももうひとつ武家の屋敷が燃えていたからであった。星見家の屋敷だった。直嗣は立ち上がって幽霊のようにふらふらと坂道を進んだ。
何も考えていなかった。ただ体がいくままについていた。途中、人に出会った。そのほとんどが死にかけで助かる見込みがないものだった。星見家についた。そこも同様に燃えていて、エーテリアスが歩き回っていた。エーテリアスは次の敵をみつけ、直嗣に襲いかかった。抜刀、首が跳ねて青い飛び火となった。次々にエーテリアスが襲いかかる。その数、十三。一掃するには時間はかからなかった。最後の一匹の頭を両断しようとする。が、誰かに首を切られ、細切れにされた。青い飛び火。直嗣は斬撃が飛んだ方角へ目をむける。星見雅が妖刀を持っていた。直嗣は、さあ、帰りましょう、と言おうとしたが、その刀に血が滴っていて、涙を流していることに気づいた。青い狐火が彼女を纏った。伝説の九尾の狐のような形状で燃える狐火に彼女は包まれていた。針を刺すような殺意。直嗣は全てを理解した。直嗣は刀を構える。雅も構える。狐の慟哭のように叫び声をあげて踏み出したのは雅だった。すぐさまに五つの剣筋が走る、手首、首、太もも、腹、足。最初の三撃は防ぎ、のこりの二つは跳び下がって避ける。激痛。ようやく塞がりはじめた傷がまた開きそうだった。隙。雅は胸への突き。それも防いだ。誰もいない屋敷に刀同士が撃ち合う音が響く。彼は後ろ後ろへ下がっていく。死角を狙われた。体に切り口ができ、血がそこから噴き出た。激痛。腹が痙攣した。乾いた口の中を舌で舐める。血の味と錆びた鉄の匂いがした。やがて堀に体がついた。雅は横に振る。しゃがむことで避け、前へ進む。目の前を迫る前蹴り。斜めに転がって避けた。彼女から血の匂いと甘い香りがした。間合いをとる。彼女は納刀した。寒気。直嗣は肉薄する。刀を左右逆に持ち、彼女を切らないようにしてから振る。が、遅かった。神速であった。気づいたときには彼の体が切り裂かれ、血潮が空中を飛んだ。焼けるような痛みと恐ろしい寒さが体を走った。左手を胸に当てた。血でぐしょりと濡れていた。斬筋が見えなかった。手加減をする余裕がなくなった。このままだと雅は人殺しをしてしまう。雅はトドメを刺そうとまた納刀をした。陽炎で彼女が揺れて見えた。また狐火が彼女を包む。直嗣はできるだけ間合いを取る。寒気で判断するしかなかった。自身の勘を信じろ、とそう直嗣はつぶやいた。寒気。横に飛ぶ。自身の背にあった壁が一刀両断された。左腕に新しい血が流れていた。前へかける。雅も前へ進む。直嗣は拳銃を撃った。三発。火花が散らばる。弾いた。その火花に紛れ腹を蹴るふりをして逆袈裟斬りで彼女の手を叩こうとする。当たった。片手になった。直嗣は首を叩こうとした、が、雅はそれでも振った。止まることはできない、さらに足を進め、前へ。肩に当たった。避けることはできた。直嗣は掌底で彼女のみぞうちを撃った。そして前蹴り。
彼女は吹っ飛び壁に当たった。そこで彼女はぱたりと倒れた。直嗣は視界が揺れているのを感じながら、彼女の元へゆっくりと歩んだ。が、狐火。糸に操られるように起き上がった。直嗣は刀を構えた。雅が瞬時に肉薄した、が、刀が振るわれることはなかった。その前に彼女が倒れたからだった。直嗣は納刀し彼女の体を抱えた。直嗣は無言で星見家を出て、道路を歩いた。キャロットデータはもう古い、役に立たないだろう。流れ出る血。それはポタポタと道路に落ちていく。直嗣の視界がさらに狭ばり、スパークが走った。とうとう直嗣は道路に植えてある並木に寄りかかった。直嗣は足を一歩進める気力はなかった。そこで彼女を抱えながら座っていると誰かが声をかけてきた。が、その声はひどく遠く聞こえ、何を言っているのか分からなかった。
「彼女を」直嗣はいった。「彼女を助けてください」
「────」何かをいった。
直嗣は視線をめぐらした。H.A.N.Dと思わしき服装をしたものに囲まれていた。ライトを当てられた。目を細める。直嗣はもう一度同じことをいった。
また彼らは何かをいった。
危篤状態に陥ちいていると判断した彼らは雅を直嗣から受け取ると別の人が担架で直嗣を運びホロウの外まで運んだ。外へ出ると緊急車に乗せ、そこで応急処置を加えた。どの病院が空いているかを調べ、数分してみつけた病院に連絡を取った緊急車は先に進む。郊外へといき夜の闇に覆われた荒野を走り抜けていく。道路の近くにいた兎は顔を上げ車が別の棲家へ走らせるサソリのような鎧をした生物を眺め、見なくなると岩に生えたわずかな草をはんだ。緊急車はいま星空を駆け巡っている流星群の落下点の逆を進んでいき、別の都市に入った。緊急車は軍人病院に運び、そこからその病院の医者たちに交代することになる。直嗣は運ばれ、緊急手術室に入り扉は閉じられた。赤くランプになり、手術が開始された。
6.
個室で直嗣は1週間寝込んでいた。直嗣が目覚めたのはナースが点滴を変えるときであった。医者が呼び出され、彼の意識レベルをチェックした、問題がなかった。医者は満足そうに頷き、傷の具合もチェックし、彼に、順調に回復しているよ、うまくいくば、今月中には退院できるかもしれないよ、といった。医者はメガネをかけていた。医者は立ち去ろうとし、直嗣はその前に、あの雅さまは、と訊いた。医者はぱちりと数回瞬きをして、ズレたメガネを直し、ああ、彼女ですか、ごめんなさい、私は彼女の担当をしていなくて、このあと聴いてみますね、といった。直嗣は礼をいい、医者が立ち去るとベッドに体重を預けた。直嗣は喉を渇きを覚えたのでナースコールを押した。ナースがきた。ナースにそのことを伝えると彼は頷き、踵を返し、部屋を出て、戻ると紙コップに水を入れてそれを渡してきた。礼を言う。ナースは帰る。足音が遠ざかっていった。静寂が広がった。直嗣は水を飲んだ。ぬるかったが、久しぶりの水は美味しい、と感じた。そしてこれが現実だという実感が湧き、涙が出そうになった。
それから三日眠り起きるのを繰り返した。一日目は起きたときと変わらず健康チェックがされ、暇つぶしに読書をした。まだ途中だった本で最後まで読んで面白いと感じた。二日目で直嗣に雅が無事でもうすぐで退院できると伝えらえれた。テレビから式輿の爆破は成功し、その影響で大地が割れたことわかった。三日目で来訪者が訪れた。来訪者は治安官であった。二人組で、夏の陽光で汗を流していて、ワイシャツの両袖をめくっていた。互い名前を紹介した。ひとりは
「すまないね」柏木がいった。「まだ、起きて間もないだろうけど、聴きたいことがあってな」
「聴きたいこと───」直嗣はその言葉を繰り返した。
「緊張しなくても大丈夫ですよ、何かをいっても捕まるとかそんなわけじゃないですし、それにもし嫌なら答えなくてもいいんです」レッドがいった。
「はぁ」
「まあ、すぐ終わるさ」
「わかりました」
「そうだな………」柏木は鼻を触った。何度か挟むように鼻を撫でると「そのまえに、きみはたしか16歳だよね」
「ええ」
「そしてH.A.N.Dに所属で名前は直嗣だと」
「ええ」
「わかった、なら君はあの日、零号ホロウに入ったわけだ」
「そうですね、まあ式輿の爆破隊の護衛で」
柏木は鼻を撫でた。レッドが取り持とうとしたが、手でそれを制止した。「わかった、ありがとう、───すまないね、まわりくどいことを言って、つまりね、俺たちが聴きたいことはきみは誰に襲われたか、ということなんだよ」
「誰に?」
「そうだ、───まあ、誰にという表現は適切じゃないかもしれないが、───きみが発見されたとき、傷だらけで、その傷の中で鋭い刃物で斬られた跡があったんだ、そこで俺たちはある可能性を考慮したんだ、エーテリアスじゃなくて、人に襲われたんじゃないか……… 直嗣くん、どうなんだい」
直嗣は口を閉じた。窓から木に止まった蝉の鳴き声がする。沈黙。やがて彼は口を開いた。「誰にも襲われていないですよ、エーテリアスに不意打ちを喰らったんです」
柏木は眉を上げた。「きみが?」
「かなり強いエーテリアスだったんです」
「本当だね?」
「ええ」
直嗣と柏木はみつめあった。そのひとみから秘密を読み取るかのように。柏木の目は黒曜石のように黒かった。彼は何度かワックスをつけた髪をかいた。
柏木は立ち上がった。手を差し伸べた。「ありがとう、聞きたかったのはこれだけだよ」
直嗣は手を眺め、握手をする。「柏木さん、聞きたいことがあるんです」
柏木は直嗣をみた。そして彼は座り、「それで、何が聞きたいんだ、変なことを訊いてしまったし、なんでも言ってもいいぜ」
「あなたって俺のことを知っている感じですよね」
「まあ、きみはかなりの有名人だし」
「では俺の所属している課のメンバーは大丈夫だったんですか」
「ああ、問題ないよ、全員無事だよ」
「なら、アケローンの奴らは」
柏木は動きを止めた。彼は黙然とし、時が動き出したかのように急にポケットを漁った。取り出したのはタバコ入れの箱だった。一本、片手で取り出して、火をつけずにタバコを咥えた。上下に動かした。
「あの」
「ああ、アケローンね、わかるよ、もちろん知っているよ、彼らも有名な人たちだからね」柏木は顔を顰め、「ああ、くそっ」という。柏木はメモ帳から何かを書きなぐり「ここに書いてるところにいきなさい、そしたらわかるはずだから、………もちろん退院したらだけど」といい、破り渡した。
「ありがとうございます」直嗣は紙が何を書かれているかをみた。場所の座標が書かれていた。
「それ以外に聴きたいことは」
短い間。直嗣は口を開く。「俺は母を殺しました」
「それは君の責任じゃない」間髪入れないでそういった。
直嗣は窓を眺めた。「柏木さんは知っているんですか」
「まあね、仕事柄ね」
「捕まえないですか」
「いや、捕まえないさ」
「え?」
「それ以外に方法がなかった、それにそのことは法でも特例で無罪だ、となっている」
直嗣は黙った。
時計を確認した柏木は立ち上がり、いう。「すまないね、これから用事があるんだ」と。
彼らはそれじゃあ、といい部屋を出た。レッドは直嗣をみつめ、何か言おうとしたが、そのまえに柏木がとめた。扉が閉まる。それから沈黙が広がった。喉が渇き、水を注いで飲み渡された紙をじっとみつめた。蝉の声がうるさかった。
四日目、固形物を食える許可をくれた。薄いお粥を直嗣は食べた。そして黒田家の部下がきた。直嗣は坂口菊之、和夫冬二が死んだことを知った。直嗣はどのように死んだのかを訊いたが、彼らは曖昧な答えをいうだけだった。直嗣が探せといった男たちの姿は見かけなかったという。
1ヶ月が経ち、夏の陽光が鋭さがました日に直嗣は退院した。直嗣は新エリー都と名付けられたこの都市を歩き回った。 ルミナスクエアについた。直嗣は紳士服専門店に行き、そこで喪服を買った。喪服を着て川沿いに建てられた喫茶店の屋上のテラスへ登るとそこに座っている老人が流しているラジオからまだ救助活動は続いているとわかった。郊外にばらばらと逃げたものを捜索しているらしく、その活動に参謀官たちも参加していると入院中に彼らに聞いた。その喫茶店の店主に柏木に渡された紙に書かれた座標はどこなのかを訊いた。コーヒ豆を曳いている店主は郊外の近くにそれはあるといい、道のりを軽く教えてくれた。車が必須だね、と彼はいう。あそこまでかなり遠いから、車を使いなよ。直嗣は持っていないといった。すると彼はレンタルカーができる場所を教えた。直嗣は新聞紙を買ってからそこに向かった。
新聞紙では零号ホロウの救助の進捗具合以外に1ヶ月放浪していた男が著名な科学者、トーマス・スミスの最後の声を収めてあったボンプの記録を売ったこともピックアップされていた。売られた後、警察はトーマス・スミスの死体をみつけ、それが他殺であることが判明していた。警察はその男に事情聴取をし、それは二人組の男からもらったものだ、といった。ひとりはカウボーイで、もうひとりはスーツを着た大男であるらしい。彼らは馬に乗っていたのだという。直嗣はこの二人組の男の噂をあちらこちらで聞いた。
正午でそのレンタル店についた。レンタル店の隣にはジャッキスタンドで車体を上げてある修理中の車が置かれていた。中にはいる。店員は2階に上がる階段で休み、義手でコーヒーを持って飲んでいた。訪問者が来て、彼は慌ててずれ落ちた黄色のサングラスを掛け直し、カップを受付テーブルにおいた。豊かな顎鬚にはコーヒーの雫がついていた。
「よお、何か困りごとか」
「レンタルをしたくて」
「あ、レンタル? ……ああ、なるほどな、わかった、鍵ね、ほらこれだ」店員は鍵を渡した。
「いくらかかりますか?」
「いらん」
「え?」
「いらん、って言っているだろう、ここ最近車を借りに行くやつは大概同じだ、墓参り行くやつに金をたかるほど俺は腐ってねぇ」
「ありがとうございます」
「いいんだよ、お互い様だ。───車はガレージにある、ここの裏手だ」
直嗣は礼をもう一度いい、店内の奥へ進んだ。部屋の隅ではボンプが眠っていて、壁には改造する用の道具が吊るされていた。店員がドアを開け、ガレージに入り車の鍵を開ける。車のエンジンをかけようとする。が、うまくいかない。まだ直嗣は車を運転するには若すぎる。店員は木製キセルにタバコをつめ火をつけ、俺が運転するから、目的地をいいな、といった。座標をいい、車は発進した。
かつて火神が使っていて、あるとき投げ捨てられた金床のようなビュートが点在する荒野を過ぎ、岩が剥き出しになった山々に囲まれた峡谷を通り抜けると墓場はあった。直嗣と店員の他にここにはいなかった。巨大な墓に添えられた、たくさんのヒペリカムの花束が涼しい風で揺れていた。直嗣の伸びた髪も左右に揺れる。直嗣は鋭い陽光が数々の犠牲者が刻まれた灰色の墓を照らすのを眺め、大きな雲が落とした影に隠されるまで目を閉じなかった。目をつぶると直嗣の瞼の裏で思い出がフィルムのように駆け巡った。ふと、タバコの匂いがした。目を開ける。隣にはエンゾウという名の男がいた。キセルを吸い、鼻から煙を出していた。鉄フェンスには家族の睦まじい写真、笑い合う恋人のツーショット、紺碧色の海を背景にした女性の写真、等が貼られていた。そこでようやく直嗣は父が死んでから家族と写真を撮ったことがないことに気づいた。直嗣のひとみがうるんだ。エンゾウが背中を軽く撫でた。直嗣はエンゾウを見るが、サングラスで目を隠されていたので彼の表情は見えなかった。
そして直嗣は墓に刻めまれた坂口菊之、和夫冬二、黒田織子、そして多くの仲間の名前を撫でて、「さようなら」といった。
エンゾウが「帰るか」と訊いたが、直嗣は首をふり、行きたいところあるんです、といい、彼らはそこへ向かった。エンゾウは途中にあったタバコ屋で車を止め、ここで待ってろ、というとそこに入った。数分して戻ってきて、タバコの箱をひとつ、片手で持って帰ってきた。エンジンをかけた。エンゾウは、これをくれてやる、といいタバコ、マッチ、そして携帯灰皿を直嗣に渡した。直嗣は自身が未成年であることをいうが、そんなことなんてすでに知っている、ただし人生ではそのように何かに寄りかかる瞬間というのは必要で、それが今なんだ、とエンゾウはいった。さらにエンゾウは、吸いたくないなら吸わなくてもいい、いつか吸いたくなる日が来たときにすうばいい、と付け加えた。直嗣はそのタバコとマッチをポケットに入れた。
港についた。ここの灯台は零号ホロウの影響で壊れていて、上では故障部分を探っている作業人がいた。車から降りた直嗣はエンゾウにここで帰ってもらっても構わない、といった。というのも、それはエンゾウがしきりに腕時計を確認していたからで、そのことに気づかられたことを恥じるようにエンゾウは頬をかいた。すまなねぇ、というとエンジンをかけ直した。が、車を走らせる直前にエンゾウは直嗣をみて、またいつか、といった。直嗣も同じことをいった。潮の匂いが漂うのを嗅ぎ、潮が砕ける音を聞きながら直嗣は足を進めた。穴あき金属板が敷かれたところで海をみることにした。細かい突起が浮き出た海はどこまで続いていた。風車が建てられた海面には地平線から湧き出た積乱雲を背負って船が数隻渡っていた。青い海水の底は暗く、魚の影はそこで溶け込んでいた。等間隔に建てられた白い風車は潮風で悠然と回っていて、その下にはカモメが止まっていた。それはあたかも海の海蘊となったものを弔う慰霊碑のようであった。直嗣はタバコを取り出した。開封して一本取り出した。タバコをくるくると回し、光で透かしてみる。無論、何も透けてみえない。タバコを口に咥えた直嗣はマッチを取り出して、燃やした。一本目は潮風で消えた。2本目は手で覆ったが、火がつく前に消えた。4本目でついた。消えたマッチは携帯灰皿に入れた。タバコを吸う。肺まで紫煙に入る。直嗣はむせた。そこで直嗣は和夫が酔ったときにタバコの吸い方のコツみたいなものを教えてくれたのを思い出した。直嗣は弱く吸い、口の中で煙を溜めた。口を開け、煙が自然と口から出ていくのを待った。タバコの甘みとえぐみ。まずかった。直嗣は笑った。が、彼はそれでもタバコを吸い続けた。えぐみがひどくなり、タバコの先が短くなったので火を消し携帯灰皿に入れ踵を返した。
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……………フロントガラスを打つ雨の音に混じった雷の音で直嗣は意識を戻した。直嗣は新エリー都に着いていた。交差点で信号機は赤色になっていた。直嗣は時計をみた。まだ昼飯食う時間はあった。直嗣は運転して、駐車場の隣のハンバーガー屋にいくことにした。直嗣は車を止め、店内に入った。店員にチーズバーガ、ポテト、コーラを頼んだ。直嗣は窓際の席に座った。
あれから10年が経ち、あのときのようにもう少年じゃなくなった直嗣は対ホロウ六課に移籍した。仲間から惜しまれたが、それでもそのことを祝福した。10年の間、さまざまな出来事が起きた。零号ホロウの救助のときに飢餓と戦う放浪の末、友を喰らったものを逮捕しないといけなかったこと。侵蝕反応を起こしたものが最終ステージまでいき死ぬと体に生えたエーテル結晶が爆発し、感染するというデモを信じたものが患者を殺したこと。反乱軍の存在が発覚したこと。鬼族との戦争が始まり、最終的に和平を結んだこと。星見雅が執行官となることを決意し、妖刀をあらためて手に取りそのときまでいた高校を中退し、執行官治安官養成学校に編入し、飛び級で最速で卒業したこと。その同級生にかつて彼が助けた朱鳶で、彼女と友人の関係であったこと。星見雅が数年前に暴走したホロウ『アルゴス』を単騎で鎮圧し、虚狩りの称号をもらったが、その叙勲を欠席し勲章を郵送でしたこと。そしてその後対ホロウ六課を設立したこと。
番号を呼ばれた。直嗣は商品を受け取り、席に戻りチーズバーガーの梱包を開けた。一口、食べ、コーラを飲んだ。直嗣は雨が降り続ける都市を見ながら、スマホでこれからの予定をみた。こりゃ、残業確定だな、と直嗣はつぶやいた。
これで一部は終わりです。長い前日譚でしたが、ようやく次の話から現代にいけます。………正直の話、現代から書いて、この一部での出来事は仄めかせ読者に想像の余地を与える程度にしてもよかったですが、それでも書いてみたかったので、こんな長くなちゃいました。それにしても一部の物語の不満点は多々ありますが、それでもとりあえず初の長編物語の一幕を終わらせることができてよかった。これからも話が書き続けようと思います。話の構成は考えていて、ダブル主人公でそれぞれの視点を交互に書こうかなと思ってます(星見雅と黒田直嗣の視点を)。それではまた。