わが君よ、願わくばなお一条の光を   作:川に揺蕩う論理の箱

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あまりにもプロローグとして親切じゃないではないな、と思ったのでこの章を追加しました。


序章 滅ぼす

 

 

 くるくる光を発していた松明灯台が途だえ、東の海のはるか地平線の先から暁の光がさした。闇が晴れはじめた。波が船底に当たる音が聞こえる。ともづなで繋がれた船はその波に動かされることはなく、その船をはさんでみえる都市よりも大きいホロウは変わらず暗黒であった。大きな橋にはすでに車が何車か走っていた。紺碧いろの海には夜明けの陽光で金色の帯ができていた。たまに吹く潮風が冷たい夜明けであった。ある男は海を眺めていた。朝早く、起きてよかったな、と男はつぶやいた。その男の横にやってきたひとりの老人は軽く挨拶をすると釣りの準備を始めた。老人は老いていた。筋肉は痩せぼせ、手もわずかに震えていた。手伝いましょうか、ときくと、すまないね、と老人は男に向けて微笑した。

 

「うん?」老人はぱちりとまばたたきをした。「きみは、あの対ホロウ六課かい? まさかあんたに会うとは、光栄だよ」

「まあ、そうですが」男はごまかさない。ここに建てられている海の神であるらしい奇妙なモニュメントが陽光できらめていた。

「そうだよね、いつもみなさん、制服を着ているでしょう、だから一瞬誰かわからなかったよ」

「はぁ」男は餌を針にさした。すでに餌は死んでいた。刺しても動くことはなかった。

「あのときは助かったよ」

「やるべきことをやったまでです」男は釣り竿を老人に渡す。

 ありがとう、といい「きみはいまからどこへ行くのかね」

 男は立ち上がり「死人(ほとけ)たちに花と酒を」

 老人は目が一瞬歪み「ああ、そうか、そうか……もうそんなにすぎたのかい」

「ええ」

「それはすまなかった、お礼にお金をあげるよ」ポケットを探り財布を取り出そうとする。

 男は微笑し「いえ、いいですよ、気持ちで十分です」

 すまないねぇ、と老人はいった。

 

 では、といって男は階段を登りはじめた。

 背後からありがとうねぇ、と聞こえ、老人は「零号ホロウのとき、助かったよ」と、大声でいった。

 

 しらみ始めた空を飛んでいる一匹のカモメが、悲しげに鳴いていた。

 

 男の名は黒田直嗣(なおつぐ)という。

 

 

 今日で旧都陥落から十年が経った。だから直嗣は青い花束と酒をもち、車で大地溝帯慰霊へ向かっていた。花は母、織子が好きだったものだ。理由は、直嗣と総一の目と同じ色であるから、といっていた。連なるビルの光景から荒涼とした平原に変わった。周囲にははげた山々が屹立している。しばし車を進め、みえるのは鉄フェンスで隔離された地だ。フェンスには写真や花束が貼られていて、奥には断裂した大地の底にあるブラックホールに似た黒いドーム、零号ホロウがある。直嗣は車から降りた。足元の砂がわずかに舞う。真ん中に位置する慰霊碑には先客がいた。神社のようなデザインをしている髪飾りをつけている女性が彳んでいる。特、と書かれている羽織に刀を片手に待っている。ことに目立つのは長い狐耳である。直嗣はそれが誰なのか、いや彼女の名を知らぬものはいないだろう。

 

「雅さま」と、直嗣はつぶやくようにいう。

 雅は振り返らないまま、「おそかったな」

「車で来たので」直嗣は雅の隣に立つ。慰霊碑の下側には安らかに眠ってくださいと書かれている。花束と酒を置き、黙祷をする。

 しばしの沈黙。

「もう」すこしの間。「十年が経ったな」

「ええ、……過ぎましたね、あっという間に」直嗣はいう。「帰り、どうします?」

「走って帰る」

「修行ですか」

「ああ、どうだ、お前も付き合うか」

「車も置いて行くわけにはいきませんよ」

 

 それで、直嗣は話を終わらせた。これ以上の話はここには必要ない。直嗣は犠牲者の名をひとつひとつ追っていく。馴染みのある名前に辿り着いた。

 

黒田織子、歿年(ぼつねん)XXXX年5月23日、行年(ぎょうねん)41歳

坂口菊之(きくの)、歿年XXXX年5月23日、行年32歳

和夫冬二(とうじ)、歿年XXXX年5月23日、行年45歳

 

 直嗣はゆっくりとその刻み込まれた名を撫で、そのたびに心を締め付けられる感覚に襲われた。が、涙は出なかった。顔がすこし歪んだだけだった。一瞬、無意識にポケットに手を突っ込み、煙草を探そうとした。直嗣のいつもの癖だった。が、途中でやめた。かわりにため息をひとつついた。太陽がのぼり、慰霊碑の影は右へ傾き伸びていた。影は直嗣をつつみ、陽光は雅にあたる。砂を運んだ夏の生暖かい風が直嗣たちの上を通り過ぎた。直嗣は時計をみた。午後からH.A.N.D本部へ行くことを柳に伝えてあった。現在の時刻は十一時四十三分。昼を済ませないといけない。帰りますか、と直嗣はいう。そうだな、帰ろう、と返し、雅と直嗣は踵を返した。空を見上げる。そこには鷹が飛んでいた。数秒だけ旋回し、太陽の逆側へ羽ばたいていった。楕円形の分厚い雲が地面へ影を落としながら直嗣たちを通り過ぎ、陽光が直嗣たちを照らした。そのときに直嗣は雅に顔を眺められていることに気づいた。

 

 直嗣は立ち止まって「どうしたんですか?」

 雅も立ち止まる。「いや、ただ単におまえの顔を見ていただけだ」

 少し考え直嗣はどういうことを理解した。「ああ、これですか」と、いい顔の傷跡を撫でた。「あんまみてて楽しいものではないでしょう」

「楽しくはない」

「だったら」

 と、直嗣が言葉を続けるまえに雅は手で彼の顔の傷を覆い、撫でた。夏に触れる氷のように心地よかった。彼女は直嗣をみつめ、

「だが、それはわたしの戒めだ」

 しゃがんでいた直嗣は立ち上がって数秒だけ黙った。また煙草を吸いたくなってきた。「困りましたね、この傷は雅さまとは関係ないのに」と、いいまた歩き出した。

 

 直嗣たちは車の前にたどり着いた。ここで、別れることになっている。しかし、彼らは立ち止まった。雅の赤いまなこが直嗣をつらぬく。先代当主もこのような目をしたことがあった。

 

「直嗣、否、黒田直嗣」毅然と雅はいう。

「はっ」

「これからも我が右手として仕えてくれるか」

「言うまでもないです」

「除悪務本、悪たるを定むるは……我らだ、このことを忘れるな」

「御意」

 

 そういうと雅は、それでは、また会おう、というと消えた。遅れて風が吹き、直嗣の前髪を揺らした。直嗣はポケットから煙草を取り出した。ライターで火をつけ煙草を()んだ。直嗣は紫煙を吐き、雪を思い出した。かつて父と狩猟をいき、真冬の山へいったときにみた人が踏み入れていない雪。が、それとは違う。太陽も思い出した。夏のあらゆるものをつらぬくような鋭い陽光。雅をみると、この二つを直嗣はいつも連想する。いつのまにか煙草は短くなっていた。ぽつりとうなじに冷たい雨粒を落ちた。また空へ視線を移してみる。灰色の雲が空を覆っていた。直嗣は煙草を地面へ落とし踏み火を消した。直嗣は車の中へ入った。窓に楽器のように軽い音を立てながら、雨が落ちていく。雨はだんだんと銀色の針のように激しく降りついに横なぐりになる。砂をかぶったコンクリートは雨で黒くなっていく。直嗣は車を動かす。ワイパーを起動する。

 

「除悪務本、悪たるを定むるは……我ら」数回ほどワイパーが往復したときに直嗣はつぶやいた。「傲慢な言葉だな、だけどそれが雅さまらしい」

 

 すこし直嗣は黙る。やがて直嗣は口を開く。

 

「このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ。

 どちらが立派な生き方か、このまま心のうちに

 暴虐な運命の矢弾をじっと耐えしのぶことか、

 それとも寄せくる怒涛の苦難に敢然と立ちむかい、

 闘ってそれに終止符をうつことか」

 

 ある有名の詩人の言葉をうたう。直嗣は雅のその言葉とこの格言が好きだった。直嗣の心はすでに決まっていた。そして、雨でぼやけた視界の中、十年前のことを思い出した。今日は、チーズバーガーを食べようと思った。

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