わが君よ、願わくばなお一条の光を   作:川に揺蕩う論理の箱

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その刃を研げ

       

 

   零号ホロウ暴走まで、残り6ヶ月13日

 

 

 狼のシリオンである執事は長い廊下を渡り、訓練場の前に立った。木製の戸口がきっちり閉じてあった。執事の鋭い耳から音がするのがわかった。絶えず木刀を振る音だった。執事はノックした。沈黙。戸口が開くこともなかった。変わらず木刀を振る音が聞こえる。執事はそこでしばらく立っていたが、許可が出ないので失礼します、といい戸口を優しく開けた。ひとりの少年がそこにはいた。15歳の彼の手には木刀を掴んでいた。手からは木刀で擦れきれ、血が出ていた。血は手のひらから木面へ垂れていき、ぽたりと地面へ落ちていた。夥しい量の汗も流れていた。体には湯気が出ていて、疲れ切っている。が、目は想像で浮かべた敵を睨んでいた。「直嗣(なおつぐ)さま」と、黒田直嗣は声をかけられた。額から流れた汗をふいた直嗣は木刀をおろした。彼は一回深呼吸をした。木刀を置いてタオルで体を拭いた。その体は沈没を知らぬ船のようによく鍛えられている。タオルを首にかけた直嗣は、それで、なにがようだ、といった。

 

「直嗣さま、時間です、お風呂場に案内しますので、準備を」執事はもう一回いった。

「わかった」直嗣はいう。「すぐに向かう」

「お風呂はすでに沸いております、服も用意してありますので風呂を出たらそれをご着用を」

「ありがとう、すぐに入るよ」

 

 執事は直嗣を案内した。ふと、目線を落としてみる。木製の床は朝の陽光できらめていた。道中、たびたび人に出会った。彼らは慌てていて、おはようございます、直嗣さま、というとそのまま走り、すれ違った。彼らの顔はいちようにして口を一文字に結んでいた。廊下の窓から庭をみてみる。雪が積もっていた。庭に植えらえた松の木は白帽子をかぶっていたかのように積もっていた。太陽がしだいに上がってきていて、空は金色に染まっていた。風呂場についた。従者が来て、服を脱がせようとする。直嗣は断った。そのとき、執事は、

 

「直嗣さま、お気持ち察します」といった。

 直嗣は執事に振り返らず「密葬はした、大丈夫だ」

「これはご無礼を」

「いい、俺もすまない」直嗣はいう。「父様が死んだんだ、無理もない」

 

 この日、黒田家11代目、当主・黒田総一の葬式が始まる。

 

 

 

 

            1.

 

 

    観自在菩薩 (かんじーざいぼーさつ) 行深般若波羅蜜多時(ぎょうじんはんにゃーはーらーみーたーじょ) 

 

    照見五蘊皆空(しょうけんごーおんかいくう) 度一切苦厄(どーいっさいくーやく) 舎利子(しゃーりーし)

 

 

 黒田総一の葬式の場所はエリー都の有名な寺に決まっていた。エリー都初代市長、メイフラワー家が訪れたことがあると言われる有名な寺だ。冬の花々が総一の棺の中にしきつまれていて、そこに総一がおさまっている。総一が微笑を浮かべている顔写真が置いてあった。その前に、すすり泣きをしている総一の妻や親族、黒田家の部下たち、───そして星見家がいた。濡烏いろの髪を垂れ流した女の狐のシリオン、星見家現当主がここにいたのだ。読経を姿勢ひとつ崩さず聞いている彼女の横には夫──星見宗一郎とひとりの幼き女児がいる。星見家次期当主、最も有力な跡どり、星見雅である。彼女は母に習って、懸命に姿勢を伸ばして読経を聞いている。が、姿勢はところどころ崩れており、耳はぴくりぴくりとすすり泣く声に反応していた。

 

 読経が終わり、次に弔辞がはじまった。その弔辞で星見家現代目当主が選ばれた。………黒田家は忌まわしきホロウ災害、その鎮圧において活躍した一族である。彼らは星見家は仕えている。主な役割は星見家当主あるいは妖刀、骸討ち・無尾を使いこなせるもの、すなわち「救世の刃」の護衛で、ホロウの調査も行う。その一族の現当主が今回行われたダークウォールの調査において、命の危機であった部下を助け死亡した総一である。星見家当主は彼が行ったことの賞賛、惜しい人材を亡くしたことへのお悔やみ、最後に彼の冥福を祈った。外は雪が降っていた。寺につながる道に季節はずれの花が数輪咲いていた。

 

 

 

 間も無く、火葬場に着こうとするなか、星見雅はひとりの少年のことを思い出していた。総一の息子、黒田直嗣だ。彼の顔には総一と妻の顔、両方の面影を感じさせた。総一は世間的に顔が整っていたし、その妻もまた美女であった。とはいっても、それが理由ではない。雅が彼のことを記憶に留めていたのは彼が火香をするときのあの顔であった。

 

 ───葬主の挨拶が終わり、親族の火香がはじまった。彼は三番目のときにおこうなうことになった。順番が来た。一切揺るぎない足取りで葬壇の前で歩んだ彼は丁寧に香をとった。火をおとし、合掌をした。その動作のすべては無駄がなく、美しかった。しばらくあとに母も火香をしたが、それに負けに劣らない美しさであった。が、それをみて雅は思わず体に力を入れた。火香を終えた後故人の顔写真を眺めた顔は無表情であったのだ。彼はただ総一の顔を眺めていた。やがて立ち上がり、踵を返す。元の席に戻った………

 

 人形みたい、と彼女は思った。そう、人形、意思のない、糸で操られたからくり人形、あれに彼はそっくりだった。

 

「雅」冬の鋭い空気によく響く声がした。

 

 母であった。

 

 うん、と彼女は返事し、車から降りた。母のそばにいき、伸ばした手を繋いだ。母は微笑んだ。雅たちは火葬場へ歩き出す。そのとき、母に聞きたいことがあった。かつて母は雅に英雄とは守るために生まれるといった。なら、総一は英雄であったのだろうか。雅は何度か口をあけ、そのたびにその言葉を飲んだ。彼女は頭がよく、いま話しかけるのはよくないことだと理解していた。

 

「雅?」優しく、小さい声で母はいった。「なにか聞きたいことでもあるのですか?」

「…………」雅はしばらく黙っていた。雪は止んでおり、静寂であった。雪が踏みしめる音がこの静寂のなかで際立って聞こえている。次第に彼女たちは火葬場に着こうとしている。「母上、総一さまは英雄だったのか」

 つぎは母が黙る番であった。「ええ……」母は言葉を選んでいた。「ええ、総一さまは英雄でした」母はそういった。

 

 

 ───火葬がもうすぐで始まる。最後の別れを終えた。そのときでも直嗣は無表情であった。直嗣のその態度に疑問を思うものがいた。が、彼らはとくにそのことを言及しなかった。彼らはもっと論じることがあったからだ。彼らは待機場で待たれることになった。火葬のあいだの会話の主の内容は黒田家の次期当主のことだ。黒田総一の遺言では、『息子はまだ幼いため、当主につとまることはできない。よって我が息子が成熟するまで、わたしが一番信頼を置いている坂口君を代理当主として任せることにする』おおむねこのような内容が書いてあった。正式の就任は1ヶ月後と予定になっている。

 

 坂口は黒田家の親族の長男である。彼はエーテリアスの討伐として働いたとき、黒田総一に出会い、その腕と人柄に惚れ、彼の部下として仕えていた。総一の部下の中でもとびっきり優秀で、彼の補佐官としてつとめていた。坂口はたびたびにだれか話しかけられた。坂口はその質問に的確に答えていた。彼らは最初に当主となったことへの賛美とこれからもよろしく頼むと伝え、各自質問に移っていた。

 

 これからの方針は?

 直嗣さまがお育ちになるまではこれまで通りのことをやっていくつもりです。

 

 いつ直嗣さまが当主になれると思いますか?

 わかりません。それは私が判断します。

 

 直嗣さまの教育は誰が担当する?

 それも引き続き私がやります。

 

 星見家とはどのような関係をお望みですか?

 変える気はありません。ひきつづき当主さまに仕えるだけです。

 

 ダークウォールの調査はどうしますか?

 続けます。それがわれわれの役割なので。

 

 

 

 

 ………………………………………

 ………………………………………

 

 

 

 

 火葬が終わり、骨上げが行われ、かくて葬式は終わった。朝からはじまり、終わったのは昼下がりであった。多くの人が帰るなか、坂口は星見家と黒田家のこれからについて話すことを提案した。星見家当主はそれを受け入れた。坂口はさっそくその力量を発揮した。坂口は直属の部下に会議で最適なところを探させた。その条件はこうだ。

 

 1.この周辺、つまり車で一時間以内でつくところであること

 

 2.VIP制があるホテルで、個室であること。そして、その個室はこの人数で入っても窮屈でない広さであること。

 

 3.個室には防音でカギをかけ、カーテンがあること。

 

 4.そこにいる従業者が信頼できる人物であること。

 

 5.セキリュティ的に申し分ない。

 

 以上の五つの条件を満たすホテルを部下は探した。数分して、見つかった。部下は急いで裏を取り、従業者が信頼できるのかを調べた。問題なかった。部下は伝えようと坂口を探した。坂口はいま外に出ていた。そこにはジャーナリストが集まっていたからだ。黒田総一死亡というイベントに興奮しきった彼らはフラッシュを焚きつづけていた。口から白い息を吐き出している坂口は表情を操り、相手に気持ちがいいように話していた。「くそパパラッチどもが」部下は悪態をついた。彼も外を出、耳を打ちをした。坂口は頷いた。それじゃあ、これから用事がありますので、わたしは帰ります。坂口はそういった瞬間、部下がジャーナリストを押し退け、車まで案内した。あ、あの! あの! その用事とは何時ですか? すいません、すいませんー! マフラーを身につけたネズミの尻尾と耳がある女ジャーナリストがそういった。坂口は無視した。車に乗った。坂口は直嗣さまを連れていくように、といった。直嗣がきた。そのことにジャーナリストはさらに興奮し、フラッシュの数が増えた。直嗣さま、大丈夫ですか? 坂口は聞いた。直嗣は「直嗣さま、今のお気持ちを一言お願いします!」というロボットのジャーナリストをみつめながら、

 

「大丈夫だ」直嗣はそう呟いた。

 

 車は主発し、数時間で目的地についた。

 

「どうする?」直嗣は坂口に聞いた。

「わたしひとりでも大丈夫です、直嗣さまはお好きなことをしても構いません」坂口はいった。

 直嗣、うなずき「じゃあおれはここら辺を歩いていくよ」

「ええ、ではまた」

「ああ、また」

 

 そこで彼らは別れた。

 

 ───青白い光が清潔な白布を照らしていた。椅子に座った坂口は布から窓の景色へ視線を移した。地の底は白く、底にはさまざまな種族の人が出歩いた。絶えず車がその交差点に走っていた。「もうすぐか」坂口は思わずひとりごとを言った。坂口は水をまた一口飲んだ。星見家と黒田家はばらけた時間で合流することになっている。星見家は黒田家がジャーナリストを相手をしている隙に裏口から出ていた。星見家はあと数10分したらそこに行くと連絡されていた。そのあいだにテーブルには肉料理、魚料理、パン、ブドウや梨、メロンなどのフルーツを用意した。最期に従業者はワインも持ち運び、どのワインがいいのかを決めてもらっていた。決まった。そのワインのラベルには天使の羽を生やした女性が口に果実を運んでいた。裏には筆記体で文字が書かれている。ノックが聞こえた。どうぞ、と坂口はいった。部下であった。「当主さまがつきました」

 

 

        2.

 

 

 当主は宗一郎をつれて、入ってきた。部下は当主たちを席に案内した。当主は坂口の正面に立つ位置に夫はその横に座った。部下はフルコースのメニューを見せ、前菜がとどいた。それじゃあいただきますか、と坂口はいい、食事がはじまった。食事の時間は無言であった。デザートを食べ終えると部下たちを下がらせた。

 

「恐れ入りますが」坂口が切り出した。静とした空間にその声はよく響く。「単刀直入でいきます、なにぶん緊急のことなので」

「ええ、わかってます」当主はいう。彼女の赤いまなこが坂口をみつめる。坂口の手に汗が流れた。「それでは話しましょう。私たちのこれからのことを」

「では、はじめにダークウォールの調査について話しましょう」坂口はいう。

「わかりました。それで、結果はどうでしたか?」

「芳しくありません、根源はいまだに見つからずです」坂口はグラスに入った水を飲んだ。

「なるほど、総一さまが対峙したエーテリアスについて教えてください」

「新種だと思われます、姿はある作家が書いた架空の辞典に記載されている『オドラデク』にそっくりでした」

「なるほど、では名前はオドラデクでよろしいでしょうか?」

「ええ、大丈夫です」

「その危険度は」

「黒田家の精鋭部隊が殺されそうになるぐらいには、……かなり危険と見ていいでしょう」

「わかりました、そのことは上に伝えておきます。ダークウォール内部での不穏の動きはありましたか?」

「とくには、……讃頌会もすっかり活動はありません? どうしますか?」

「調査はつづけてください」

「もちろんです」

 当主はありがとうございます、と礼をいい「では、次について話しましょう」

「次は敵対組織についての情報交換をしましょう」坂口はいった。

()()を」それを言ったとき、当主は目を伏せた。一瞬であった。彼女はすぐにいつも通りの顔に戻った。「狙っていた組織はどうなっていました」

「すでに尻尾をつかみました、これが終わり次第、潰す予定です」

「わかりました、そこらへんの指揮はあなたにお任せします。わたしたちの方でも手助けをします」

「ありがとうございます」坂口はつぎの言葉をいうのを迷った。しかしこれもまた重要なことである、と思い直した。「あなたの娘についてですが───」

「ダメです」

「え?」

「ダメですと言ってるでしょう」

「わたしはまだ何も」

「彼女は妖刀などいりません! 彼女にはただ平凡な………」ここで、当主ははっと気づいた。顔を伏せた。「すいません」

「すまんが」当主の夫、宗一郎が代わりにいった。「それについてはあなた方でも無理なご相談だ」

「いや、こちらこそすいませんでした」坂口は頭を下げた。彼は自身の足が震えるのを抑えるのに必死であった。「大変ご無礼を……」

「……これで一旦終わりにしよう、伝えるべきことは終わったか」宗一郎はいう。

「いえ、ありません」と、坂口はいい、会議は終わることになった。

 

 

 ………誰もいない場所で坂口はため息をついた。頭を抱え、背もたれに体重をかけた。テーブルには何も置いてない。あれほどあった食事は従業者が回収した。そこにあるのは真っ白い布をかぶったテーブルに、それを照らす月光だ。話しているあいだに日がくれはてた。空には雲ひとつさえなかった。街に立ち並ぶビルには灯りがつき、車は光芒をのこし走っている。今宵の月は三日月であった。椅子から立ち上がった坂口は部屋を出た。近くに部下がいた。彼らは無言でついていく。坂口の秘書がこれからの予定について教えてくれる。ありがとう、と坂口はいい、エレベーターに乗る。1階につき、外へでた。そこには直嗣がいた。直嗣は手袋をはめていた。彼のそばには執事がたち、傘をさしている。直嗣は大丈夫だよ、といい傘をもらおうとする。執事は、いえいえ、それでは格好がつきませんといい、譲らない。しばし街の人並みを見ていた直嗣が坂口に気づいた。その目には亡くなった父への悲しみはなかった。ただ冷然としていた。

 

「坂口」直嗣はいった。

「……すいません、失態を演じました」坂口はいう。「当主さまをご不快させるような真似をしてしました、どうか、私を罰してください、こんなことでは代理として立場はございません」

「いや、いらない」

「ですが」

「そんなことをしても無駄だ、まだ就任して1日目なのにおまえはがんばった。これ以上ない働きだ」直嗣はいった。「いいか、俺が聞きたいことは別にある」

「……わかりました、なんでしょうか?」

「妖刀を狙うやつはどうする」

「あ、それはそうでした、すっかりと忘れていました」

「いますぐにシナリオ作りをしろ、おまえの部下に頭が切れるやつはいるか」

「ええ、います」

「じゃあ、そいつにシナリオ作りを任せろ、それが成功したなら部隊長に任命しろ、わかったか?」

「わかっています」

「それ以外は?」直嗣は坂口をみた。黒田総一のような鋭い目だ。

「まかせてください」坂口は自信を取り戻した。「すでに候補は決めてありますし、当主さまにはボディーガードをつけておきます」

「なら、いい」それだけ言うと直嗣は踵を返した。執事にいくぞ、といった。執事はそれについていく。

「あの!」遠ざかる背中に坂口は声をかける。「ありがとうございます、絶対今回の作戦成功させます」

「やってみろ」後ろを振り返らず直嗣はいった。

 

 直嗣は迎えに来た車に乗った。車は走り出し、黒田家へ向かった。直嗣は流れゆく景色から空をみつめていた。そこには星が見当たらない。月がいつまでも直嗣を追いかけていただけであった。

 




 
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