きょうの桜詰   作:藍原

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きょうの着流し男

  きょうは帰りが遅くなってしまった。

 一ヶ月ほど前からこの鯵田市(あじたし)桜詰(さくらづめ)に引っ越してきた僕は、桜詰南高校に通い、平和な日々を過ごしていた。

 

 僕は不運な人間だ。

 これまでに交通事故8回、捻挫19回、骨折を5回経験している。

 ここまでくると逆に死んでないのだから幸運な人間なのかもしれない。

 そして、怪我をする時、たまに変なものを見る。

 これが幽霊なのかどうかわからないが、嫌な予感を覚えると必ずそういった異形の姿が見え隠れするのだ。それも、左眼にだけそれが確認できる。一度眼科へ行ったこともあるが、原因は全くわからなかった。

 言ったところで信じてくれないので、周りにはひた隠しにしてきた。隠した方が人間関係がうまくいく。小学生の頃はヘラヘラとこの話をしたせいで随分いじめられたものだ。

 なので今回、この転校した際にも普通の高校生として振る舞おうと決めていた。

 最初は転校生ということで馴染めるか心配していたが、同級生たちは都会から来た僕を珍しがったのかよく話しかけてくれ、一緒に遊びにも行くようになった。

 

 今日帰る時間が遅くなったのは、僕の所属している部活動、文芸部が原因にある。

 文芸部といっても、まともな活動をしているのは一部の真面目な部員のみだ。

 この学校には帰宅部がない。しかし全員どこかしらの部活に所属していなければならないということで、不真面目な生徒や、部活に時間を取られたくないという生徒はこの文芸部に入り、即幽霊部員化するという。

 文芸部は半帰宅部として存在していた。

 そして僕も、真面目に詩や小説を書くこともなく過ごしていたのだが、今日のホームルーム後部室に長い間寄った際に忘れ物をしてしまったのだ。

 校門を出てしばらくしたところで思い出し、帰り道を引き返すも部室はとうに閉まっていて、鍵を持った先生を見つけるのにかなり時間がかかってしまった。

 

「ちょっと…怖いな…」

 とっぷりと日が落ちてしまった暗い道は少し先の角も見えず、いつもの帰路とは全く違う道のようだ。

 通学路は住宅地を縫っていくので、街灯もそれほど多くない。

 何もいないはずの後ろから視線を感じる。あるいは上から見ているかもしれない。下から手が生えてくるかも。

 僕は先天性のビビリ症候群が発症していた。

 なんだか嫌な予感がする。

 手のひらに滲む汗をシャツで拭い、肩掛けカバンの紐を胸元で握りしめる。

 そして、同級生の坂山くんの大きな家に差し掛かった瞬間、僕は見てしまった。

「…あ」

「え?」

 3mほどの、大きな赤い目と黒い歯の異形を。

 頭は禿げあがり、手に生えた三本の指は真っ黒な爪がギラリと伸びて、光っている。今にもこちらに振り下ろしそうなそれを見て、僕は喉を情けなくヒュッと鳴らしながら息を吸った。

 悲鳴をあげたかすんでで我慢したのか、目の前が真っ暗になり、僕は素直に意識を手放した。

 

───

 

「おい君、だいじょうぶか」

 無駄にいい声で何か喋っている者が目の前に、いる。

 視界の斜め下にはピカピカ光る街灯。目の前の男の顔はその逆光のせいでよく見えないが、恐らく黒い髪に端正な顔立ち、声からして20代くらいの男だろう。

 そしてその人は──着流しを着ていた。

 

 靄がかかった思考に、先ほどの異形の光景が飛び込んでくる。

 そうだ、あいつは──今さっき見たのは、

「よう、かい…みたいな…」

「なんだって?」

 訝しげにこちらを覗き込む男。

 その時、全て思い出した。僕は確かに、化け物を見た。坂山くんの家の塀にくっついて、何かを待っているような姿でこちらに背を向けていた。

 上半身は何も身につけておらず、腰から下は塀から出てきたみたいににょろりと続いていた。

 そしてそいつを見ている僕は気づかれた。目が合った。

 僕は起き上がり、体に異常がないか腕を回して全身を確認する。

 特に怪我や大きく変わったところはないようだった。

 男はいきなり起きた僕を支えてくれた。

 

「君、道端で倒れていたけど、大丈夫なのかい?何かあったのか?」

「あ、いや。別に何も…」

「本当に?」

「え?」

 

 僕はしつこく聞いてくるこの男に違和感を覚えた。

 大事なことが、気づかなきゃいけないことが、ずっと引っかかっている。

 

「何かあったんじゃなくて、“何か見た”とか」

 その男は、赤い目をしていた。

 

───────

 

 

 

 体を起こしてみて気づいたが、どうやらここは公園の近くらしい。

 先ほど見えた街灯はその公園のものだった。

 男の赤い目から逃げるように飛び退き、二歩ほど後ずさる。背中が、尻が、そして頭が痛い。アスファルトに寝かせられていたせいだろうか。

 

 そう、僕は“寝かされていた”。引っかかる点の一つ目はそれだ。

 普通なら、倒れている人がいたら救急車や警察を呼んだりするだろう。わざわざこんな場所に移動させる必要がない。

 

 二つ目はその真っ赤な瞳だ。なぜ気づかなかったのだろうか。

 僕は恐らく、その真っ赤な瞳を見て、先の化け物のことを思い出したのだ。

 

「あなた、何者ですか」

 震える声で問いかける。僕の鞄はあちら側にあるが仕方ない。

 

「君が先に見た妖怪さ」

 飄々と答える。群青色の着流しが夜風に揺れた。

 赤い目が、光る。

「記憶を失っていることに一縷の望みをかけたが、どうやら叶わなかったらしい」

「ぼ、僕を、ととととって食うつもりですか」

「そうだよ」

 終わった、と思った。妖怪の姿を思い出す。やっぱり4mあったかもしれない。

 勝てるわけがない。その辺のヤンキーにも僕は力で敵わないのだ。

 頭では諦めているのに、体が震えて動かない。怖い、嫌だ、痛いのはやだ、怖い、怖い、死にたくない!

 恐怖でキィン…と耳鳴りがしている僕の鼓膜に、場違いな笑い声が響いた。

「ぷ、ははは、冗談さ」

「へ…?」

「驚いたか?ふふふ、俺は人の驚いた姿を見るのが好きでね」

「な…」

「そういう妖怪なんだ」

 あ、やっぱり妖怪は妖怪なのね…。

 僕は今までの経験から、幽霊や妖怪の類はそっくり信じることにしている。なぜなら、信じないと意固地になっているともっと怖いからだ。

 居るはずのないものがそこに居るより、居るだろうものが普通に居るだけと考えれば多少怖さは軽減される。はずだ。 

 一度いると認めてしまえば、この世に存在しているものがありのままあるだけなので、何も不思議なことはないのだ。

 

「君が先に見たものは全て真実だ。起こったことを一から話そう」

「起こったこと?」

 男は公園へ入るよう促す。いくらさっきのやりとりがあったとはいえ、相手は妖怪だ。いつでも逃げられるように身構えてはいる。

 男もそれを察したらしく、こちらをニヤニヤ笑って見ては、さもおかしいといった面持ちで「そんなに怯えるなよ」などわけのわからないことを言っていた。

 

「先に言ったように、俺は人を驚かすのが好きだ。名をうわんと言う。聞いたことは?」

「ありません…」

「あはは、不勉強なやつだな」

「はぁ、すみません」

「まぁいい。それで今夜も人を驚かせようと家々を物色していたのさ」

「そこに僕が居合わせてしまった、と」

「そう。居合わせた、と言うより俺が引き込んでしまったのかもしれない」

「引き込んだ?そういう能力があるんですか」

「俺にではなく、君にさ。幾時代か過ごしているとわかるが、そういった人間がたまに生まれ落ちるんだ」

 そう言って男─うわんは、目を細めて空を見上げた。目にかかる黒髪がそよ風になびく。僕が続きを促すつもりで口を閉じていても、それ以上を語る気はないようだった。

「君は俺の、うわんとしての姿を見て、驚いて気を失った。失禁もしていたなぁ」

「してないです!」

 絶対にしていない。

「それで、姿を見られこれ危ないと俺は君を明かりの下へ連れて行き、口止めの妖術を君にかけようとしたんだ」

「よ、妖術…」

「簡単なものさ、痛みだって少しもない。この町のルールで、人を傷つけてはいけないことになっているからね。俺は真面目なんだ。…でも、妖術はかけられなかった。ダメだった」

 風が強くなっていくのを足元で感じた。

 土埃が浮き、フェンスを打っている。

 木々がざわめき、電線が揺れている。

 葉が舞い上がり、遠くのブランコからこちらへ滑るように吹かれている。

 しかし台風の目のように、僕とうわんの間には一転して穏やかな風が流れていた。

 

「なぜ、だめだったんですか」

 

 うわんの目が再び赤く光った。今度はもっと深く、もっと濃い何かを含んだ“緋”だった。

 うわんは僕を──いや、僕の左肩を指さして言う。

 

「それのせいだ」

 

 その瞬間、僕の視界はぐるんと反転する。腕が痛い。強く掴まれたのだ。引かれたのだ。誰に?うわんに。

 つまずきながらなんとか体勢を立て直すも、うわんの左手に首根っこを押さえられ抱かれているせいで身動きが取れなくなってしまった。

 頬にうわんの胸板が押し付けられる。全く嬉しくない。

 見上げるとうわんは正面を睨んでいる。僕もそちらを見やる。

 

 ───目玉だけがギョロギョロと浮いている黒い靄がそこに、あった。

 大きさは僕の顔くらいか。楕円の餅のような形に、左側からは手らしきものが一本生えている。

「あっあれ、ななななんですか」

 恐怖ですくみだした足を紛らわせるように、うわんの着流しを握り込む。

「君に憑いていたものだよ。正確に言えば、君の“左半身に”だ」

「ひ、左に?」

「心当たりはあるかい?左だけ怪我をするとか、左眼が見づらいとか」

 僕は今までした怪我の数々を思い出していた。そうだ、そういえば、怪我をするたびに見ていたあいつは──左眼にだけ現れていた。

「あります!」

「じゃあ多分これが原因だな。一旦君から離したが、こいつはまだ君の“左側”を狙っている」

「ひっ…」

「俺の手が君の首から離れてしまうと、君にまた入ってしまう」

「ど、どうするんですか」

 一層強く首あたりを押さえられる。

「俺があちらの世界に還す」

「どうやって!」

「人の君が知る必要はない。俺は君の記憶を消さなければならないから、君もこいつも逃がすわけにいかない。だから大人しくうちへ帰ってもらうんだ」

 そう言うとうわんは息を整え、左手で変わらず僕の首を押さえながら、右手で何やら二、三、変な動きをして、よくわからない言葉を呟いた。

「〜〜〜〜〜!」

 今度は一定の声量でお経のような呪文のようなことを発し、黒い靄を睨む。

 そいつはというと、なんとうわんの攻撃のようなものが効いているらしく、目を一層ぐるぐるさせて悶えているようだった。

「〜〜!」

 うわんがそう一言叫ぶと、黒い靄は「ぎゃあ」だの「ぴぃ」だの苦しそうな声を上げ霧散していった。

 あっけに取られている僕をよそに、「平気かい?」などと言いながら僕の首から手を離す。

「す、すごい…本当に倒しちゃったんですか」

「倒してはない。もうこの世にはいないだけさ」

「それ、大丈夫なんですか」

「少なくとも向こう100年ほどは大丈夫だろう」

「あ、ありがとうございます」

 本当に大丈夫なのだろうか。いまいち、このうわんという男は掴みどころがないし、あと妖怪の規模はよくわからん。

 …しかし、これでようやく妖術を使ってもらえる。僕に取り憑いていた何かを追い払ってくれたのは感謝しかないが、うわんのあの恐ろしい姿は一刻も早く記憶から消したかった。

 そして僕は、明日からも何事もなかったかのように学校生活を楽しむのだ。

「あの…なんか、こんなの変ですけど…お世話になりました」

「こちらこそ」

「では、その、記憶の方を…」

「そうだね、その前に君に伝えなければいけないことがある」

 僕は首を傾げた。

「どうやら俺の力じゃ、君の記憶を消せないみたいだ」

 平穏な学校生活が、あと少しのところで、僕の手をすり抜けていった。

 

 

 

 

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