それと今回の後書きはかなりオリジナル要素が多いので、苦手な方はご注意を。
(……何か今日、やけに静かだな…………?)
リ・エスティーゼ王国のある都市。
フード付きの黒く地味なマントを身に着け、人の目を避けるように路地裏を進むその女は、ふとそんな違和感を覚える。
太陽は数時間前には既に沈み、殆どの人間が寝床に付いたこの時間帯、女一人で出歩くというのはあまりにも無謀かつ危険。
しかもそのマントの下に、ビキニアーマーを思わせる衣装により協調されたしなやかで美しい肉体が隠されていると分かれば、下賤な者達が性欲のままに襲い掛かってくるのも時間の問題だ。
…………が、彼女に対してそんな心配をする必要は無い。
何故なら力の差も理解できず彼女に襲い掛かった愚かな人間は、次の瞬間常人の目では捉えられない速度で繰り出されしスティレットの一撃によって、体を穴だらけにされてしまうのだから。
彼女の名はクレマンティーヌ。
元漆黒聖典第九席次にして、今は秘密結社ズーラーノーン十二高弟の一人。
天賦の才に恵まれながらも、仕事内容、家庭環境、過去のトラウマ、友人の死等々、様々な不幸がその身に降りかかってしまった結果、人を殺し甚振ることを愛するようになってしまった、英雄級の力を持つ性格破綻者である。
(まあいっか。法国からの監視も最近は緩いし、今のうちに逃げれるだけ逃げちゃおーっと)
そんな彼女は、現在法国を裏切った罪人として、風花聖典に追われている最中であった。
しかし戦士としての力量ならまだしも、ただ移動するだけならば彼女の右に出る者は数人しかいない。
それにその数人も法国に於ける立ち位置の関係上、裏切り者の始末という些事に付き合わせられるほど暇ではない筈だ。
…………彼女が巫女姫の神器を盗んだ上で逃亡していたのなら話は多少変わっていたのかもしれないが、この世界にエ・ランテルの共同墓地で、かつて盟主が行ったという邪悪な儀式を行おうとするズーラーノーン十二高弟はいない。
故にクレマンティーヌは──代わりに村一つ分くらいの被害はもたらしたが──『叡者の額冠』を奪っておらず、同時に王国三番目のアダマンタイト級冒険者がいるらしいエ・ランテルにも寄ってはいなかったのである。
まあ、元漆黒聖典という時点で、ソレに狙われる理由としては十分なのだが。
「くれまんてぃーぬ…………?」
己の背後、何の気配もしない路地の端から彼女へと向けて声が掛けられた。
それは霞が掛かったかのようにぼやけていて、そしてどこかで聞いたことのある気がする奇妙で温かい声。
だがそんな違和感は
重要なのは、それが己の求める快楽を満たすに足る存在……要するに、痛めつけたり殺したりしていい存在なのかどうかだ。
クレマンティーヌは国から追われている身。
最も重要視するべきは自身の快楽だが、その結果彼らに居場所がバレてしまっては意味が無い。
…………と説明したが、そもそもこの時間帯に外、しかも人目に付かない路地裏を出歩いているという時点で、人前に出られるような人間ではないのだろう。
そういう存在は、例え事故で死んでしまっても殆ど気に留められない。つまりそれは、クレマンティーヌが
────と、ここで彼女は気付く。
今声を掛けてきたソレは、彼女のことを何と呼んだ?
「くれまんてぃーヌ…………?」
「────ッ!?」
彼女の名を知っている者は、この世界にそう多くは無い。
だというのにソレは、発音や音質がやけに悪いものの、確かに彼女の名をはっきりと口にした。
法国の追手がもう追いついてきたのか、それともズーラーノーンの誰かが仕掛けた悪質ないたずらか。
なんにせよ、その声に不快感を感じたクレマンティーヌは素早く腰からスティレットを引き抜くと、声のした方向へと向けて高速の突きを放つ。
しかしそこには既に何もおらず、魔法の込められたスティレットは虚空を穿つのみ。
「クれまんてぃーヌ……?」
「ッ!!」
後ろから呼びかけられる。
今度はさっきよりも少しだけはっきりと、そして近くから聞こえた。
だがさっきの一撃が当たらなかったという時点で、勢い任せの攻撃が何故か通じないということを、クレマンティーヌは戦士としての本能で感じ取っている。
故に彼女は一度深呼吸し冷静さを取り戻すと、意識をより研ぎ澄ませることで周囲の状況を的確に感じ取るという選択を取った。
どれだけ性格が破綻していようが、優れた戦士であるということに変わりはないのだ。
前後左右、町中だというのに何処からも人の気配がしない。
四方八方、自身の名を連呼する声は途切れることなく響き続けている。
…………そういえば、この路地裏にはどうやって迷い込んだのか?
それに声を掛けられたとき、何故
いくら自身が強者とはいえ、警戒は怠らないつもりだったのに。
(……っ! まさか、幻覚魔法かッ!!)
瞬間、地面が90度回転する。
周囲の建物は一気に数百メートルはあろうかという黒い柱へと変貌し、夜空を完全に覆ってしまった。
急に力が抜けた足腰を奮い立たせ、彼女は倒れまいとその場で踏ん張る。
そんな間に景色は少しずつ変わっていき、既に歩いてきた筈の道は無く、気付けばそこは、迷路のように暗く不気味な森の中。
そして彼女は、ここまでの怪奇現象を前にして全く違和感を感じられずにいた。
そう、まるで夢の中にいるみたいで…………
「クれまンてぃーヌ……?」
「クれまンてィーヌ……?」
囁かれる声は次第に増えていき、自身の名は徐々にはっきりとした呼ばれ方になってきている。
そして発生源からの距離は、多分1メートルも離れていない。
どれだけ藻搔いても深みに嵌まっていっているかのようなこの感覚は、漆黒聖典時代に法国で行われた戦闘訓練時、相手の魔法詠唱者に〈
と、ここまで色々と考えを巡らしてきたクレマンティーヌだったが、重要なことはたった一つ。
それは彼女が既に幻覚魔法に意識を囚われてしまっている、つまり限りなく敗北しているということのみだ。
「…………ねーえ? 私は別にさー、貴方と敵対したい訳じゃないの、分かるー? だからさー、ちょーっとだけ、この魔法解いてくんない?」
「クれマンてィーヌ……?」
「…………チッ!」
ダメもとで魔法の解除を頼んでみるクレマンティーヌだったが、やはり返ってきたのは先程と変わらない自身の名だけ。
その陰湿な手口に酷い不快感を示す彼女の口からは、思わず大きな舌打ちが漏れた。
彼女にとって魔法詠唱者とは、自身の力で身を守ることのできない弱者だ。
どれだけ高火力の魔法を使えようが、スッといってドスッ! といけばいつだって簡単に殺せる雑魚。
それは例え相手が漆黒聖典だとしても変わらない、確固たる事実。
そんな弱者が、雑魚が、この精神世界の外から、彼女のことを一方的に弄んでいる。
幻覚の世界で慌てふためく彼女のことを、勝った気になったソイツが嗤っている。
「クソがぁぁああッ!!」
憤怒により顔を真っ赤にしたクレマンティーヌは、意味が無いと知りながらも声を上げ、暗い森の中を一直線に猛スピードで走り出す。
いや、意味が無いというのは嘘である。
彼女は心の底から湧き上がる、自分でも絶対に認めたくない本心を隠すために、狂ったかのような怒りを露わにしたのだ。
人を殺すことが大好きな彼女は知っている。人間にとって“死”がどれ程恐ろしいのかということを。
死に瀕した人間の様子はどれも素晴らしい。
悲鳴を上げ逃げる者、頭を下げて命乞いをする者、そして最後まで諦めようとしない者。
恐怖による悲鳴を激痛による絶叫へと上書きし、命乞いを一通り聞いた後笑いながら体をゆっくりと切り刻み、仲間の死体を見せつけ絶望に歪んだ表情を噛み締める。
それは強者たるクレマンティーヌに許された、弱者を好きに遊び犯し喰らえるという絶対の権利。
しかし彼女の今の立場は弱者側、テーブルに座る客ではなくテーブルに運ばれる料理。
幻覚魔法という、仲間のサポート無しには突破が難しい魔法を掛けられてしまった彼女は、もうどうしようもなく詰んでいる。
「クソッ! クソッ!! クソがぁぁッ!!」
そう、彼女は怖いのだ。
これまで自分が殺してきた者達みたいに、抵抗すらできずに弄ばれ殺されることが怖いのだ。
強者になったが故にすっかり忘れていた、被食者が抱く抗いようのない恐怖。
彼女の性格を歪ませる原因となった、弱き頃の思い出したくもない記憶。
そういった彼女の『弱さ』が形となり、すぐ後ろから化物となって追いかけてきている気がする。
今ここで足を止めたのなら、彼女はきっと、『殺される』という恐怖そのものによって殺されてしまう。
嫌だ!
そんな最後は嫌だ!!
こんなところで、惨めに死ぬなんて嫌だッ!!
…………私はただ、両親に実力を認めてもらいたくて────
……………………
「────ッ!? ……あれ、ここは…………?」
気付けば彼女は、自身の住む家の前に立っていた。
時刻は夕暮れ。状況から推察するに、彼女はどこかから家に帰ってきている最中だったのだろう。
頭を捻らせ、何故かぼんやりとしている直前までの記憶を呼び戻す。
(…………そうだ。私は友達の家に遊びに行ってたんだった)
段々と記憶が鮮明になっていくにつれ、彼女は自身の置かれた状況を思い出してきた。
今日は何かのお祝い事があって、クレマンティーヌは友人である■■■■■■の手伝いをしていた筈だ。
その内容はあまりはっきりと思い出せないが、ただ楽しかったことだけは憶えている。
それが思ってたより長く続いてしまったから、彼女はまだ
太陽が沈みかけ、徐々に暗闇が広がっていく。
一人で家に帰るというのはとても心細かったが、幸いなことに彼女は
…………できたのだが、家に入るのは少し躊躇われる。
なんせこんな遅くまで外を出歩いていたのだ。
もしも母親に怒られたらと思うと────
「クレマンティーヌ?」
「あっ……お母さん…………」
クレマンティーヌの気配を感じたのだろうか。
扉を開けて顔を覗かせた母親と目が合ってしまった。
…………とても気まずい。
彼女はどうやって謝ろうか、叱られたらなんて言い訳すれば、と頭を悩ませる。
だが、その考えは全て不要なものであった。
「ほら、早く入っておいで」
「え? あっ…………」
笑顔でクレマンティーヌの手を取った母親に引っ張られ、彼女は家の中へと連れ込まれる。
気付けば彼女は、父親と母親と自身の
「聞いたわよクレマンティーヌ。■■■■■■さんの家でお手伝いをしてくれていたんだって? 偉いわねぇ」
母親がクレマンティーヌの小さな頭を、温かい掌で優しく撫でてくれた。
「そうそう! 前の体力検査でお前、■■■■の中で一番成績が優秀だったんだってなぁ。凄いぞ、流石は俺の娘だ!」
父親がクレマンティーヌの小さな頭を、ごつごつとした掌でわしゃわしゃと撫でてくれた。
何故だろう。
これはいつもと変わらない光景。
これまで何度も繰り返してきた、日常に他ならない。
だというのになんで、こんなにも嬉しいのだろう。
なんでこんなにも、心が泣きそうになっているのだろう。
「ねえお母さん、一つ聞いてもいい?」
「ん? なあに、クレマンティーヌ?」
「…………お母さんは、お母さんだよね?」
突然、不安になった。
だってこれは、何かが違うような気がしたから。
何か私には、妬み恨みながらも超えようとした存在がいた気が────
「あらあら、この子は何を言っているのかしら?」
そう言って母親はクレマンティーヌの傍に寄ると、彼女の体をギュッと抱き締める。
「お母さんは、昔も今も、ずーっと貴方のお母さん。大丈夫、貴方のことを見捨てたりなんて、絶対にしないわ」
何故かその言葉が、スッと心に浸透する。
そうだ、私は怯えていた。
いつか愛情を注がれなくなって、捨てられることが怖かった。
私のことを認めてくれなくなるかもしれないことが、何よりも恐ろしかった。
でももう大丈夫。
お母さんは見捨てないと約束してくれた。
これからはずっと、幸せな毎日。
いつか見た悪夢にうなされることも、きっとない。
私はここでずっと、幸せに…………
「さあ、難しい話はこのくらいにしてご飯を食べましょう? お母さんが腕によりをかけて作ったんだから!」
「…………うん!」
……………………
リ・エスティーゼ王国のある都市。
星の光は濃い雲によって遮られ、故に街灯が無いこの町の路地裏は、何らかの光源を持つか〈
そんな路地裏の奥、周りから丁度死角となっている行き止まりに、一匹の何かが佇んでいた。
それは、竜頭骨を模した頭部と十の尾を持つ異形の化物。
ある少女の想いにより生み出された、この世界にただ一人しか存在しない、母親代わりのアンデッド。
「お……母、さん────」
そのアンデッド……グリムと主人から呼ばれている者の細い腕には、一人の女……クレマンティーヌが抱きかかえられている。
その体勢はお姫様抱っこというよりかは、親の胸に抱かれた赤子のようなものであり、彼女の口から発せられたその声は、普段の彼女を知っている漆黒聖典やズーラーノーンに所属する者達が聞けば思わず自身の耳を疑ってしまうような、か細く寂しそうな声であった。
グリムが彼女の顔を覗き込むと、半分程目を開いているクレマンティーヌの瞳にはうっすらと涙が浮かび、その手は迷子になった幼子が親を求めるかのように、グリムの方へと伸ばされている。
驚くべきことに、彼女は自身の想いをグリムに曝け出していた。
悲しかったこと、怒れたこと、怖かったこと、その全てを。
「フシュォォ────」
グリムは頭部から生えた無数の触腕を器用に使い、クレマンティーヌの全身を包み込む。
『怖がらなくていい、ずっと傍にいるよ』と彼女の魂に直接語り掛ければ、その顔には純粋な笑みがうっすらと浮かぶ。
すっかり安心したのだろうか。
クレマンティーヌの全身から徐々に力が抜けていき、その瞼もゆっくりと閉じられていく。
…………やがて彼女の体は夏場に放置されたアイスクリームのように溶け、しかし地面には一滴も滴ることなく、グリムの肉体に魂ごと全て吸収されてしまった。
「オォォ────」
グリムのスキル〈業万なる触種〉は、触れた対象の精神に“種”を植え付けるという効果を持つ。
植え付けられた種が宿主に行う行動は主に二つ。
一つは魂から栄養を吸い取ったり、逆に種に蓄えられた栄養を与えることによるレベルの操作。
そしてもう一つは、自身の半分以下…………50レベル以下の存在に対する魂の完全支配。
ただし、他者の魂を完全に支配するというのはとても難しい。
それはプレイヤーの力を以ってしても例外ではなく、事実アインズですら他者を支配する〈
しかしこのスキルは、対象となった者の魂を見ることができる。
どのような人生を歩んできたのか、何を好むのか、そして何を求めているのか。その全てを把握することだって可能なのだ。
だからこそグリムは、種を経由して対象に夢を見せる。
穏やかで温かい、愛に溢れた甘い理想の世界を見せる。
自我までもが深い眠りに付いてしまえば、残るのは形だけの魂が入った肉体だけ。
そんな状態の肉体から魂を抜き取ることなど、魂の扱いに慣れたグリムにとっては造作もない。
それはどんな死に方よりも苦痛を感じない、まるで夢に誘われるかのような優しい死である。
……………………
ユグドラシルには、世界一つを覆い尽くせる量の悪魔を呼び出せるワールドアイテムがあるらしい。
昔流れ込んできた記憶でそれの存在を知ったとき、私は人間を容易く滅ぼしてしまう力に対して恐怖と、同時にその圧倒的な力に対する憧れを抱いた。
とはいえそれも昔の話。今はそのワールドアイテムに恐怖などこれっぽっちも抱いていない。
何故なら、私の戦闘能力が大幅に増大し、同時に自身の価値観が人間種だった頃から変わってしまったから。
昔の私にとって悪魔とは凄まじい力を持った怪物であり、人間の守護者たる自分が全力で滅ぼすべき存在。
今の私にとって悪魔とはその大半が片手で捻りつぶせる雑魚であり、グリムに吸収させるための餌、もしくは上手く利用するべき動物。
これが成長ってやつなのかしら。
私の肉体に成長なんて概念はもう無いから、どうにも成長とか変化とかいうものの実感が湧きにくい。
「フシュォォ────」
「そう、見回りご苦労様。……さて、それじゃあ始めましょうか」
探知対策(防ぐタイプじゃなくて逆探知するタイプ)の結界を張り、その上で侵入者がいないかを確認し戻ってきたグリムの言葉を聞いた私は、私の隣に控えていた
グリムの分身体はそれを生み出した魔法の制約上、魔力は本体やその他分身体と共用なので、わざわざ二匹も呼び出す必要などまず無い。
だというのに今日彼らを呼び出したのは、今回の法国襲撃を大いに盛り上げるための軍勢を、グリムの分身体一匹分、つまり尻尾十本から放てる魔法の全てを使って召喚するためだ。
「使用するのは第十位階魔法〈
〈
悪魔と対を成す天使を大量に召喚する魔法だ。
その詳細は、10レベル台の天使を64体、20レベル台の天使を32体、30レベル台の天使を16体、40レベル台の天使を8体、50レベル台の天使を4体、60レベル台の天使を2体、70レベル台の天使を1体召喚、召喚者の周囲から順次召喚していくというもの。
召喚される天使達は召喚主の指示に従うことはなく、召喚主を除く周囲の者の中で、よりカルマ値が高い者を優先して襲うという性質を持つ。
また60、70レベルの天使召喚をキャンセルすることで、10、20、30レベルの天使の召喚数を倍に増やすこともできる。
そんな魔法を三重化し、全ての尻尾から一気に放つ。
第十位階魔法を同時に三十発放つことによる魔力消費は馬鹿にならないけれど、正直なところ私は魔力消費に関してあまり気にしていない。
前提として今のグリムは、そのステータスの大半を魔力量に当てているので、これだけの魔法を放ったところでまだまだ半分弱くらいは魔力に余裕がある。
それに魔力補充が行える人員だって多少はいるし、何なら私が魂関連の研究中に生み出せた魔力回復ポーション──時間があるときに適当な素体へ魔力を込み、それを液体にして保存したもの──を全て使用すれば、私達の持つ魔力総量はアインズ様が十人いたとしても超えられない程になるだろう。
要するに魔法使用後の隙を突かれたところで、逃げる程度なら私達にとって全く問題は無いということね。
それに────
「楽しみね。……ああ、本当に楽しみね」
脳裏に思い描かれるのは、千を優に超える天使達が人間達を蹂躙するという、まさに神話の如き滅びの光景。
本来の世界で王国や聖王国に魔皇が行った、殺戮の再現をしようとしていることに対して、私の心に浮かんだのは怒りや悲しみではなく、どれだけ魂の収集ができるのだろうかという好奇心と、それによりもたらされる利益のことのみ。
まあ、これに関してはもう仕方が無いわ。
私の精神性は当の昔にアンデッドへと変貌してしまっている。
今の私にとって人間とは、本来の歴史で見た一部の者以外には憐憫すら抱けない、道端に転がる石か風に吹かれる羽虫程度の存在。
そんな存在が潰れたところで、一体どうして怒り悲しまなければならないのか。
その理由を、私は理論的に納得することはできても、肝心な本能──心で既に理解できない。
────〈
グリムの尾先から魔法陣が消えると同時に、どこからともなく照らされた光が周囲を包む。
やがてその光は形を成していき、美しき天使達を次々と生み出していった。
巨大な剣を持つ者、炎の盾を構える者、両手に魔法の杖を握る者。
光の中から神聖なる気配を纏った彼らが出てくるその光景は、まさしく神話の再現と呼ぶに相応しい。
それらに対してグリムは、頭部から生えた触腕を素早く動かし、全ての天使に片っ端から触れて種を植え付ける。
60レベル台はともかく、70レベル台の天使はレベル吸収を用いても支配できるかは微妙なのだが、それを見越して今回は彼らの召喚をキャンセルしているので問題は無い。
そうして待つこと数分、私の前には総勢七千にも及ぶ天使の大軍勢が並んでいた。
半分以上が英雄級の人間にすら勝てない雑魚だけど、これだけ集まれば迫力は満点ね。
「さて、それじゃあ仕上げに────」
全ての天使が揃っていることを確認した私は、〈
瓶の中に入っていたのは、独特の輝きを持つ毒々しい見た目の粉。
私はそれを大きく振り被ると、天使達へと向けて瓶ごとぶちまけた。
これは私が魂の研究をした結果生み出すことに成功した、『レベル上限を解放する薬品』…………の、試作品である。
というのもこの薬品、ユグドラシル由来の100レベルを超えたプレイヤーやNPCに掛けると、システムが誤作動を起こしてしまうらしく、結果的に強くなるどころかむしろ弱体化してしまうのだ。
だが今回これを天使に振りかけたのは、彼らのレベルを底上げする為ではない。
これを摂取した存在は、この世界との確固たる繋がりを得られる。つまり本来であれば一定時間の経過後に消滅してしまう召喚物を、いつまでも現界させ続けられるのだ。
レベルの上り幅も0.1レベル未満なのでグリムの種から逃れられる心配も無く、量産も他の物に比べれば安価で可能。
私はこの薬品を、『ヨモツヘグリ』と名付けた。
六大神の遺した書物に書かれていた、食べるとあの世から出られなくなるという果実をモデルとしている。
これで後は、今回の作戦の要である魔皇を待つだけだけど────
「お待たせしました、アンティリーネ殿」
上空から私達へと向けて、思わず聞き入ってしまいそうな心地よさを含んだ声が響く。
声のした方向へと視線を向けると、そこには六体の天使に囲まれた人型実体の姿。
純白のスーツに身を包み、美麗な装飾を施されしマントをたなびかせる彼は、並の貴族と比べても遜色がない程の気品さを備えている。
だがその顔には青を基調とした、不気味な笑顔にも見える怪しげな仮面を被り、真紅の長髪が特徴的な頭部の上には、眩い光を放つ天使の輪が回っていた。
彼こそが
この世界を支配するべく天使の軍勢を連れてこの地に降臨した天使の長、という設定で世界を掻き乱す予定の敵役だ。
…………無論、その中身はデミウルゴスである。
「おお…………見た目といい気配といい、元が悪魔とは思えないですね」
「そうでしょうとも。何と言ったってこの衣装は、私の創造主たる御方が私の為にわざわざ用意してくださった、とても素晴らしい衣装なのですからね。……ああそれと、アインズ様が護衛用にと私に預けてくださったこの天使達にも、貴方の持つヨモツヘグリを掛けておいてほしいのですが」
そう言った彼の背後に付き従っているのは、荘厳な獅子の顔が特徴的な、穂先に炎を宿した槍と目の模様が記された盾を持つ天使。
その名を〈
タンクとしての優秀な性能に加え、索敵能力もある程度持ち合わせている、80レベル台の強大な天使だ。
それが合計六体となると…………さてはアインズ様、デミウルゴスのことを心配して、わざわざ護衛召喚のために超位魔法〈
クレマンティーヌ
叡者の額冠を盗まなかった元漆黒聖典第九席次。
強さ的には放置していてもいいのだが、前職の関係上『アインズ・ウール・ゴウン神話』によって塗り替えられた法国の歴史に違和感を覚える可能性が高いため、ここでひっそりと排除された。
ズーラーノーンの盟主さんにはお詫びとして、今度彼が欲しがっていた魔法の記された魔導書を渡す予定。
グリム
難度300を超える激ヤバアンデッド。
最近は法国支配の一環として、法国外部に出ている『法国の歴史を知る者(六色聖典以上の階級が基本)』に対し、魂に干渉することで洗脳もしくは排除を行っていた。
〈ソウル・アドラー〉の扱いに関してはアンティリーネよりも長けており、〈業万なる触種〉により支配した魂を抜き取り即死させるという離れ業を習得している。
ちなみにこの世界での蘇生魔法は魂に呼びかける必要があるため、グリムに殺され魂を吸収された場合、ワールドアイテムでも使わない限り蘇生は不可能。
抵抗力の関係上魂を支配できるのはレベルドレインを併用しても精々60レベル台が限界だが、それ以下の相手とはそもそも戦いにすらならない。
この魂干渉能力を応用した結果、グリムは『相手の魂=レベルに直接ダメージを与え、最終的にその存在を消滅させる』という効果を自身の攻撃全てに付与することができるようになった。
レベルダメージは100レベルの相手にも十分通用するため、グリムと戦うときはタイマン勝負を避けるか一瞬で勝負を決めることが最低条件。
魔力回復ポーション
ユグドラシルには存在しなかった凄いアイテム、その一。
この一件が終わったら、デミウルゴス経由でアインズに献上する予定。
生成には魂関連の技術が必須なので、実のところナザリックのNPC達では生成することができない。
ヨモツヘグリ
ユグドラシルには存在しなかった凄いアイテム、その二。
世界に留まるための素体を後天的に含ませることができる。
原作にてガゼフが装備していた『竜の秘宝』をモデルに、レベル上限を突破した強さを他者に与えるために開発されたものだが、結果は失敗となりむしろ弱体化させてしまうことが判明した。
天魔皇ヤルダバオト
純白の衣装に身を包んだ、推定難度300にも匹敵するとされる伝説の天使。
その正体はかつて六大神がその命を賭して撃退したという八欲王の生き残りで、天使を神の使者として偽り、法国の情報を集め滅ぼす機会を伺っていた。
…………という設定。
見た目の雰囲気は『るし★ふぁー』にちょっと似てるかも。
デミウルゴス
今回は天使の長に扮しての登場。
原作『ゲヘナ』では悪魔の軍勢を連れていたが、本作ではアンティリーネの『ヨモツヘグリ』により召喚物の長期滞在が可能となったため、天使の軍勢を連れ法国民の天使信仰を踏みにじりながら侵攻する。
ちなみに今回着用してきた衣装は、アインズがデミウルゴスの話を聞いて、『そういえばウルベルトさんが用意していた衣装の中に…………』と、インベントリの奥から引っ張り出してきたもの。
デミウルゴスの忠誠心は天元突破した。
アインズ
この世界に転移してから既に二週間が経過しているが、アンティリーネから渡された資料を読み込んだり、魔法の実験を色々とし始めた結果、ナザリックから未だに出ようとしていない。
ただ『どこかの国がナザリックの後ろ盾になってくれないかな』なんて考えデミウルゴスにそれとなく相談したところ、『スレイン法国支配計画』などというとんでもない計画が飛び出してきてたまげた。
…………が、『スレイン法国とは敵対の可能性があるから先手を打っておいた方がいいってアンティリーネも言っていたし、法国を支配すればアンティリーネとの連携も簡単になるのでは?』と考え承諾した。
ちなみにこの侵攻により出るであろう一千万以上の死者に関しては、肉体に残った魂はグリムが吸収し、残りの死体はナザリックが好きなだけ持っていく手筈となっている。
アンティリーネ
主人公というよりもラスボスみたいになってきた本作主人公。
自身の生まれ故郷である法国が滅びようとしているのに何も感じていない。
まあ、大切なナズルの墓は既にアンティール共和国へと移動させてあるので、ナズル以外の存在は基本どうでもいい彼女からすれば仕方のないことではあるが。
原作での彼女がこの世界の彼女を知ったら、多分ドン引きすることだろう。
そんな人間に殆ど興味を示さない彼女だが、原作キャラに対してはそれなりに優しい。
ベイロン姉妹は悪い貴族の手から逃れられたし、カジットは(これから死ぬかもしれないけど)母親と別れずに済んでいる。
ただこれに関しても、基本は彼女が有用だと感じた者限定であり、故にアルシェやザックは放置されている。カジットの場合はちょっとした気の狂いで救っちゃったけど。
何が言いたいのかというと、彼女はアインズとよく似た『非常に我儘な性格』だということ。
……………………
「では、ご武運を祈っていますよ。貴方がいなくなると、此方としても世界征服に支障が出てしまいますので」
そう言い残して法国へと進軍していったデミウルゴスの言葉を反芻する。
ナザリックの仲間以外には冷酷な彼が、道具である筈の私にそんなことを言ったというのは、知識により彼の性格を知っている身としてはかなり衝撃的だった。
確かに私ほど世界征服に都合の良い駒は他に殆どいないとは思うけど…………あれ? もしかして私、デミウルゴスからそこそこ信用されてる?
…………調子に乗るつもりはないけど、案外私の最終目標達成は近いのかもしれない。
「そのためにも、貴方のことはしっかり殺しておかなくちゃね」
私の発動した武技〈可能性超知覚〉と〈空間把握〉、さらには例の魔力回復ポーションを飲んで全回復したグリムの転移探知結界により警戒はバッチリ。
それにルーファス様の方からも、アレの操作は完璧との連絡を既に受けている。
これとグリムの開発したあの魔法に私の全力を合わせれば、正史の彼程度ならば瞬殺だ。
まあ、この世界の彼は頼れる味方が
「〈疾風超走破〉、〈能力超向上〉、〈防御超強化〉────」
思えばここまで長かった。
あの日突然未来を知って、母親からも解放されて、アンデッドの魂が混じって。
生き残りたいという本能はいつしか消え、代わりにグリムと永遠を過ごすことが一番の目的になって…………。
そんな理想の世界に、私の脅威となる存在はいらない。
ナザリックとは上手くやっていけるかもしれないけど、貴方は別。
プレイヤーを嫌う貴方は、きっといつか私に牙を向く。
だから今のうちに、邪魔者はお掃除しておかなくちゃね。
「〈
魔力回復ポーションを数本消費し、効果のありそうなバフを何重にも掛けていく。
私のクラスは魔法職中心ではないので、シャルティア戦のアインズ様と比べるとその内容はお粗末なものだけど、元の肉体が凄まじければ能力の上り幅にもある程度期待が持てる。
さあ、仕上げといきましょう。
これからもグリムと共に過ごすため、私は今日だけ人間であることを辞める。
「〈
私と一体化してしまった装備〈カロンの導き〉に内蔵された魔法。
その中でも私の魔改造によって組み込むことに成功した、アンデッド化の魔法(習得条件が厳しい分〈
これまで感じていた高揚が強制的に抑えられ、あらゆる感情が平坦なものになる。
凄く不愉快だが、彼に挑むなら精神的動揺なんてあってはならないし、これも幸せのための必要経費として我慢しよう。
「グリム、アレをお願い」
「フシュォォオオ────」
続いて私はグリムが開発した、『他者の魂に入り込み肉体を融合させることで、肉体制御を一時的に乗っ取る魔法』を使わせた。
聞くだけでは強そうに感じられるかもしれないが、実のところこの魔法は殆ど役に立ったことがない。
というのも、通常の精神状態下で体の中に異物が入り込み、勝手に操作されるという体験は常人であればそれこそ発狂ものであり、また魂は結構デリケートなので意識がはっきりとした状態では格下相手にも簡単に抵抗されてしまう。
それに肉体を乗っ取るなら〈業万なる触種〉で十分だということでことで、疑似的な融合を果たせるという点を除けば、スキルの劣化品でしかなかったのだ。
…………が、私はその魔法に可能性を見出した。
「武技〈双絶一体〉ッ!! ────これで完璧ね」
自身の仲間と完全に動きを同調させる、元々はエインヘリヤルとの連携を取るために生み出した武技〈双絶一体〉。
これを使用し私とグリムの肉体動作、そして魂の揺らぎまでもを連携させれば、私は200レベル分の戦闘能力──勿論実際はそう単純な話ではないけど──を得ることができる。
名付けるなら、
正気のままグリムと融合して問題無いのかと思うかもしれないが、今の私はアンデッドなので精神は既に人間からしてみれば異常だ。
その証拠に私は今、母親の肉体に魂ごと回帰できたことに対し、理性が溺れてしまいそうな程の快感と興奮を覚えている。
きっと精神抑圧が無ければ、この体から元に戻ることすらできない程度には依存してしまう。
黒粉依存症の人間も、きっとこんな気分なんでしょうね。
「そういえば、スルシャーナ様の日記に合体に関する話が書いてあったわね。確か…………フュージョン、だったかしら?」
さて、後は十発同時に放たれた〈
ん? アーグランド評議国に行けばすぐ見つかるって?
…………実は彼、私の存在を確認して以降、鎧でしか表舞台に姿を現さなくなったのよ。
多分私の存在を警戒しているんでしょうね。
でも悪しきプレイヤーと戦うには、この世界はあまりにも戦力不足。
だから私を殺すのはリスクが大きいと判断して、とはいえ見つかると不味いから本体をどこかに隠して────
────ああ、やっと見つけた。