リカバリーガールは、雄英の保健室で、目の前の紙を見つめていた。ほとんどが白紙であるその紙には、以前役所に頼んだ五条の身辺調査依頼の結果が示されている。
──結果は無。
五条悟という人物の戸籍はそもそも存在せず、それどころか、個性届など全くと言っていいほど彼の存在を証明する資料は見当たらなかった。
身元不明、どころか社会的に認知すらされていない少年。さて、どうしたものか。そうため息をつくと、後ろの方から声が飛んでくる。
「どしたの、ため息ついちゃって。なんかあった?」
若干軽薄さをまとったその声は、五条によるものだ。
あれから一週間ほどが経ち、五条の怪我は着々と快方へ向かっている。体の包帯は未だにとれてはいないものの、発声などは今ではちゃんとできるようになった。そして、時間が経ったためか、リカバリーガールに対しての警戒も薄れ、今ではベットの上できれいに切られたリンゴを元気に咀嚼している。
「一応聞いておくんだけど、五条悟っていう名前は本名であってるかね?」
「ええ?あたりまえじゃん。俺に嘘つくメリットないって、
五条は声が出せるようになった後、リカバリーガールのことは「おばあちゃん」と呼ぶようになった。理由は五条曰く、なんとなくしっくり来るからだそうだ。
同時に口調も軽いものに軟化して、気分も安定しているようだった。初対面の全力で警戒されてピリついていた頃に比べれば、ある程度こちらのことを信頼してくれているようで、リカバリーガールとしては嬉しい限りだった。
しかし、当の本人の素性については、未だ全く知れない。
あの後も行われた、五条の巻き込まれたであろう事件の調査。それも、彼が重体で雄英の敷地内に倒れていたこと以上に、
そもそも彼は倒れていた時点で雄英の学生証や通行許可IDなどを身につけてはおらず、どうやって雄英の敷地内に入り込んだのかすらもわからなかった。雄英バリアーの方に破壊された形跡なども特に見当たらない。
また、調査依頼が引っかからなかったのは、偽名によるものではないかと、脳裏に浮かんだその一つの可能性を詰めてみたが、本人の言い分を信じるならばそれも違いそうだ。
本人に記憶喪失の類いは見られないので、やはりこれ以上のことは五条本人に話してもらわなければ何もわからないだろう。リカバリーガールは一度思考を止めた。
「そういえば五条。そろそろ包帯はとってもいいよ。今までずっと窮屈だったろう」
「えっ、いいの?じゃあ今外していい?ありがとー!」
「まだ返事してないだろ。まあいいんだけどさ。というか一人で外せるかね?」
リカバリーガールの言葉を聞いて早速包帯の端を引っ張り始める五条だったが、案外包帯が絡まって苦戦している。そんな五条を見て、やれやれと笑顔をもらしながら、リカバリーガールは包帯を解くのを手伝ってやった。
そうして顔の包帯がとれたとき、五条は予想外とでも言いたげな表情で固まっていた。その目だけがせわしなく動き回っているのが見える。
「どうしたんだい、五条」
「ああいや、えっと。……
五条がそう言って困惑しているのをみて、そりゃ尤もだとリカバリーガールは脳内で考える。
元々発見した際、五条の左目は大きく貫かれていたような深い傷があった。これはどうしたっても失明は免れない。そうリカバリーガールは判断していた。
しかし、実際治癒を行った後、五条の体は急速に回復しはじめ、左目はもちろん、他の部位の負傷についても多少傷跡を残すだけで後遺症もなしに治ってきている。
リカバリーガールの"個性"でいくら治癒力を高めたとはいえ、それにも限度がある。それでもここまでの回復力を見せるのは、もしかしたら五条は元から治療系の"個性"をもっていたのかもしれない。
「五条、あんた自分の"個性"ってわかるかい?なにかそれっぽいものに心当たりは?」
いくら、元々"個性"の存在を知らなかったとはいえ、もし何かしらの"個性"をもっているのなら、人とは異なる特徴としてある程度察しがつくのではないだろうか。リカバリーガールはそう考え、五条に尋ねてみた。
「……あるよ。ええっと、"個性"?だっけ。それ」
とても歯切れが悪そうだが、「ある」と確かに五条はそう答えた。
それについてリカバリーガールが質問をする前に、五条は目の前の包帯の山を軽く球体にまとめ、自分の胴体に向けて投げた。包帯は五条の体に当たる前に空中で静止し、そのまま浮き続けている。
「なんていうか。ものを止めたりとか、引き寄せたり、みたいな?」
「サイコキネシスみたいな感じってことかね」
「あーうん、……まあそれでいいや。サイコキネシス」
実際には全く異なるのだが、五条はここで呪術について何も知らない相手に無下限術式だの無限だのを説明しても話がややこしくなるだけだと思い、適当にごまかすことにした。
そもそもをいえば、当たり前だが五条は"個性"などもっていない。
だが、似たようなことをできる自身の術式を"個性"と言い張れば、相手はそれで誤認してくれるだろう。おそらく、呪力自体を視認できないようだから、力の原点が異なろうがバレる心配も無い。
ただ、その術式のことで現在五条には懸念点があった。
「あのさおばあちゃん、"個性"を試しに使用できる場所って無いかな。ちょっと使うのが久々だから制御が心配でさ。室内じゃ試すにも試せないし」
これは大体本音である。
先ほど顔の包帯を解いた際に五条が固まっていた理由は、左目に視力が残っていたことだけではない。自身の体を見たときに、
この異世界において、呪力というものが存在していないのは確かだ。しかし、五条の体内では、変わらず呪力が生成されている。その呪力の流れが左目では視認出来なかった。予想できたことだ。やっぱりな、とも言いたくなった。
五条の左目の六眼の機能は完全に失われていた。部屋の鏡を見れば、かつて空色に輝いていたその瞳はいまや白色に濁っているのだった。
六眼は、呪力の流れの観測だけがその機能の全てではない。この眼によって、精密な呪力操作を行うことができるようになる。特に、五条のもつ無下限術式においては、使いこなすのに原子レベルで緻密な呪力操作が要求されるため、この六眼なしではまともに術式を扱えないのである。
そんな六眼の片目の破損。はたして自身の術式操作にどれほどの影響が出てしまっているのか。それを五条は早く確かめたかったのだ。
「そうさね……、この雄英高校の体育館だったら、どこか課外の時間なら空いているかも知れない。ホントは部外者が使っちゃあいけないんだけど、外では大々的な"個性"の使用は基本禁止だし、事情が事情だからねえ。……少し上と掛け合ってみるよ」
どうにかなりそうで助かった。
五条はありがとうと告げると、そのまま包帯からようやく解放された体の様子を眺めていた。傷跡がたびたび見えるが、ほとんど元のように回復している体。
転移直前、反転術式を行おうとしたなごりなのだろうか。わずかに呪力が元となる正のエネルギーが体内を回っているようだった。
だが、あくまでなごりはなごりだ。呪力の核心を掴めなければ、結局自由自在に回復などは難しい。せいぜいがわずかな治癒力バフ程度だ。
だがそれによって五条の今の命が繋がれていることも確かであり、そのわずかとはいえ、反転術式が成功しているのも事実だ。この成功を糸口に、いずれ、感覚を掴めるようになるのかも知れない。
まあ、まずは直近の課題である呪力操作の確認をしなくては始まらない。それまでは、しばらくゆっくりとした時間をすごすのも悪くないだろう。
そう考えた五条は、ゆっくり欠神をしながら、窓の外へと目を向ける。
外のグラウンドでは、雄英の生徒達が授業なのか"個性"らしき能力を駆使してあちらこちらで動き回っている様子が見れる。
五条が療養しているのは雄英高校の保健室である。
元々雄英の敷地内で倒れており、その体は死の淵を彷徨っていた。そのため、下手に他の病院に行くよりは、設備も良くなにより近い雄英高校内の方がいいと、こちらに運び込まれたのだ。
五条としても普通の病院で延々と壁のシミを数える生活よりは、雄英高校の授業風景が見れたり、たまに保健室にやってくる在校生にちょっかいをかけたりと、なかなか刺激のある雄英の方がまだ良いだろうと感じている。
さて、再び窓の方へと意識を移す。
パッと見ただけでも、なかなか"個性"というのは多種多様で見ていて飽きない。炎を使う、だなんていう王道の"個性"もあれば、何が起きているのかさっぱりわからない謎の"個性"を持っている奴もいる。術式とは異なり、呪力に頼らない"個性"は、六眼でその仕組みを一発で看破することができないことも、新鮮な感覚として楽しい。
そのとき五条が窓から眺めていて、気に入っていたのは、度々全裸になって高速で移動する金髪の男だった。
いやなんで全裸になるんだよ。実際の戦闘での強さとは裏腹な、珍妙すぎるその姿に、五条は思わず笑ってしまう。
しかし、その"個性"の仕組みについてはまだよくわからない。見たところ、すり抜けとワープのような高速移動と二つの"個性"を使っているように見える。だが、リカバリーガールが前に"個性"は基本的に一人一つだけだと言っていた。なにかその二つの動作には共通点があるはずである。
五条は思案する。これまで当たり前にわかっていたことがわからない。故に自らの頭のみで分析を行う。謎解きのようで存外悪くない経験だ。
「でもこっからだと遠くて見づらいんだよなあ。もうちょい近くで見れればもっとわかる気がすんだけど」
そうぼやきつつ、どうにか目を凝らそうとしているところで、授業終了のチャイムが鳴り響く。見れば外での戦闘もいつの間にか終わっており、ぞろぞろと校舎の方へと戻ってくる姿が見えた。もう少し見ていたかったが、終わってしまったものはしょうがない。
雄英高校はヒーロー育成のトップクラスの学校らしい。あの金髪の男のように面白い個性をもった優秀な奴らがごろごろ集まるのだろう。いやまああの金髪は面白さでは明らかに群を抜いているが。
また、ヒーローという職業もなかなか面白い。病室にテレビはないので映像では初めに見たあの動画しかないが、新聞やラジオなどを見聞きしていても、本当に様々なヒーローがいるようで、俄然面白く感じる。
元の世界について、五条はこの期間である程度折り合いをつけていた。傑達のことが心配なのは変わらないが、現時点では戻ることは不可能に近い。出来ないことについて永遠に考えていても何にもならない。
ただ、いずれ自力で戻る為にも、どうにか呪術を鍛えなくてはいけないとも感じている。その為の具体的なプランはまだ何も出ていない。普通に外で大々的に"個性"を使うのは駄目だそうなので、どこか代わりの場所を見つけなくてはいけない。
やらなきゃいけないことばかりじゃねえか。呆れたようにため息をついた五条は、一度思考をぶん投げた。そうして軽く疲れた目を休ませるように瞼を閉じてしばらくそのままぼんやりしていた。
この時点で五条はそれにぴったりの場所を知っているのだが、それに彼が気づくのはもう少し後の話である。