訓練開始から制限時間のおよそ半分の時間が過ぎた頃。この対人訓練の舞台となる廃ビルの、その3階にて、彼らは焦っていた。
「……………」
三つあるはずのその影は、一つ少なくなっている。残りの二つの影は、ただ沈黙するだけだった。影の一つ、五条は眉間に皺を寄せて心底困ったようにぼやいた。
「どうすっかな…………」
***
「全然いないねー、
訓練開始から2分足らず。Eチームの三人は無事にビルに侵入し、そのまま何事もなく2階へと歩みを進めていた。
「核の場所は公開されてないけど、ま、どうせ5階でしょ?階段上んのだり」
「でもなんか潜入捜査っぽくてドキドキしない?!コンクリート打ちっぱなしの壁もいい雰囲気出てる感じする!」
「電気ついてるのにチョット暗いよね」
彼らの会話からは慢心が大いににじみ出ていた。自分たちが勝利することを疑わない。そんな彼らの会話が聞こえていたオールマイトは、精神面での減点を考えつつも、訓練開始前の
(まだまだ勝利を確信するには早すぎるぞ、君たち!!!)
そうしてそろそろ3階への階段にたどり着こうという三人の前方から、二つの足音が聞こえてきた。隠そうともしないその音から、正面戦闘がお望みかと三人は想像する。実際、三人を死ぬ気で12分間足止めするのが相手にとっての一番の勝ち筋である。予想できていたことであるから、この会敵は想定通り、どころかドンピシャであった。
「やっぱそうくるよね!しかも一本道の通路、ここを通りたくばって感じ?」
「僕のネビルレーザーがよく通る☆」
「RPGみたいでいいじゃん!ずっと何もないからそろそろ退屈してたんだよ」
「……」
「……散々言ってくれるよなあ……」
慢心する三人、特にその中でも五条は酷かった。まるで遊びであるかのようにのたまい、到底ヒーローを真剣に目指そうとする者の発言ではなかった。事実そうであるのだが。幸いこの発言が聞こえているのは現場の者を除けばオールマイトのみであった。
実際のところ、五条は相手からどれだけ攻撃されようと、無下限で防御を貼れば敵のことなど完全無視で核の元までたどり着けるのであるから、この訓練自体が茶番のように見えていた。術式の強化にすらならない。こんなのは楽勝だ、だから楽しめる分は楽しんでおこう。個性把握テスト前に相澤に指摘されたお遊び気分が最も抜けていないのは、間違いなく五条だった。
そうして思考を緩めている五条はこの訓練に対する認識が甘かった。ルール把握をしていないとか、そういうことではない。この訓練が「チーム戦」である、という自覚が薄かったのである。
「止められるもんなら止めてみなよ」
そうして五条は、相手を煽るように笑みを浮かべながら相手との距離も気にせずドンドン歩みを進めていく。それに対して砂藤がつかみかかろうとするが、当然彼の拳は届かない。そちらに見向きもせずにそのまま進もうと思った瞬間、後方からの声が聞こえた。
「わわっ!ネズミ?!」
振り返れば下を向いて驚く芦戸と青山の姿が見える。その足下にはいつの間にかネズミが何匹も周囲をうろちょろとする様子が見えた。
ふと、自身の足下にも目を見やれば同様に、多くのネズミがそこを這い回っていた。五条が気づくのに遅れたのは薄暗い視界と、ひとえに全身に無下限術式を貼っていたせいで、ネズミに触れることがなかったためだった。
しかし、たかがネズミ。それもこちらを攻撃する気配もなし。その足音と鳴き声がウザい程度で、たいした脅威になることはない。そう五条は断定する。
「これで目くらましのつもりか?甘えんだ、……っ!!!?」
挑発の途中で驚きで息が詰まった。何かゴムが切れるようなブツッという音と共に、五条の視界が一瞬にして黒に染まったからだ。現状はコスチュームでサングラスもしていない。何があったと周囲を見渡しても、漆黒以上の視覚情報は得られない。
「て、停電?!こんな時に???」
(そうか、停電か!これがもし緊急のものであれば、訓練は一時中断だろうが、タイミング的にこれは……)
『Eチームの諸君に補足だ!この停電はれっきとしたFチームの作戦であって、不具合とかではないので、安心して訓練を続行してくれ!許可はしっかり出しているぞ!!!』
五条の懸念は当たっていた。オールマイトの放送の通り、これこそがFチームの作戦であった。
『建物を元々占拠してる
そう試合前にオールマイトに掛け合ったFチームは、その発想と勝利への努力もあってブレーカーの操作を一部許可してもらったのである。後は口田がEチームとの接敵の瞬間に遠隔で動物にブレーカーを落とさせればいい。そして、さらに。
(周囲の状況が全くわからん…!どうすればいい)
周囲を駆け回るネズミのせいで敵も味方も足音などはロクに判別が出来ない状況。それもあったが、五条には暗闇の中で混乱してただ立ち尽くすほどの理由があった。
五条が以前いた世界では至る所に呪力が漂っていた。六眼も保有する五条にとって、空気の流れであったりも、そこいらに存在する呪力の流れを読めば簡単に把握できた。
そもそも全く見えない真っ黒のサングラスを着用していた男である。視界でなく呪力に頼った状況把握などお茶の子さいさいであった。
しかし、この世界はどうか?呪力は自らの体内をもって他に存在せず。正常に機能する側の六眼でどれだけ目を凝らそうとも通常の視覚情報以外が見えることはない。
つまるところ、この瞬間生まれて初めて五条悟は『視覚から全く情報を得られない』という完全な盲目に陥ったのである。
見えるのが当然のものが全く分からない。どうにか打開策を練ろうとして情報を得ようとしては、役に立たない眼を細めようとするだけ。
他の器官においても、聴覚はネズミ共の雑音が酷く、触覚も無下限術式を発動しているせいで何にも触れることも出来ず、情報を得られない。かといって、ここで術式を解除するのはあまりにも危険すぎることも分かっていた。
完全に前後不覚の状態に陥った五条だったが、突然彼の目の前に青い光が一直線に横切った。その発生源を見れば青山がレーザーを放っていたのが見えた。周囲が青い光で照らされる。
「ナイス青山!!!」
僅か一秒ほどの時間だったが、五条にはそれで十分だった。体に呪力を巡らせ、身体強化を行う。同時に先ほどまでとは逆方向に走り出し、青山を抱えてその場から離脱する。
芦戸に関しては、先ほど僅かに見えた光景で、ロープのようなものが巻き付けられていたこと、そのあと「ゴメン!!!」という大声が聞こえたことで確保テープを巻かれてしまったと判断した。
恐らく彼女も自らに確保テープを巻き付けられたこと自体、青山のレーザーの時に初めて気づいたのだろう。仕方がない。
そのまま日の当たる窓側の部屋まで離脱した二人は、来た道を振り返った。追うつもりはないようだった。完全な待ち伏せ、それが相手の作戦らしい。
事実、彼らが待ち受ける階段付近の通路はそこまでに幾度か曲がり角があったのもあって、外からの光はほとんど射さない場所だった。再び行ったとしても、そこには暗闇が佇んでいるのだろう。
『残り時間は6分!あと半分だぞ!!!』
「……どうすっかな…………」
そうして冒頭の五条のつぶやきに戻る。
***
一番手っ取り早いのは階段付近を「蒼」で破壊して無理矢理日の光を通すことだが、以前の爆豪が建物の大幅な破壊を行った際に減点されていることを考えると、あまり良い手段とは言えなかった。
かといって無策で再び突っ込めば、状況把握も難しいこちらに対して、動物の力を借りているであろう口田と純粋な腕っ節の強い砂藤に対し不利に立ち回らざるを得ない。
「ねえ」
一人で核の元まで無下限を使って突っ切る手もあったが、芦戸が捕まって2対2の状況になった今、自分が離れれば青山が先に1対2で確保されてしまうリスクも大きく伴う。
そもそも、核をすぐに見つけられるかどうかも不明であるし、3階以降の階が同様の妨害がなされていないとも断定できない。
「ねえってば」
「ん?何だよ」
ああでもない、こうでもないと思案を続ける五条に横から声がかかる。不機嫌を隠そうともしない五条の声色に少しひるんだようだが、そのまま青山は話しかける。
「今度は頑張って何秒も照らすから。君はその間に2人を倒しちゃって」
そうやって話す顔は普段の笑顔と変わりない。しかし、五条は個性把握テストの時の青山の発言を思い出していた。
『一秒以上射出すると、腹を壊す』
承知の上らしい。それでもやるのだと。
「……俺が二人を倒せるっていう根拠は何なんだよ」
「ンー。……君ってすごく強いんでしょ?あの自信を見たらそう感じたよね。だから君を信じる。というかそれ以外思いつかないしねっ」
「俺が数秒以上かかったら?」
「…………ものすごく頑張る☆」
少し驚いて、ついつい重箱をつつくような発言をしてしまった。どう考えても数秒以上は、いやその数秒さえも彼の根拠ない根性論に過ぎないことは明らかだった。
それでもどうにかこちらの役に立とうと、事態を解決しようとする彼なりの姿勢をそこには感じた。
同時に自らが、彼のことをただの足手まといとしか見ていなかったことにようやく五条は気づく。彼は脳なしのマネキンでもなければ、ルールに関わるただのオブジェクトというわけでもない。共に考え、戦うチームなのである。
「……ははっ!ああそう、オマエ意外と覚悟決めるタイプだったんだ?口先だけのナルシだと思ってたよ」
「フフ……そんなことはないよっ☆」
「まあいいよ、何でも。だけど残念ながらオマエの案は却下だね」
「えっ」
五条はケラケラと笑いながら、そうサラッと言い放った。思いもよらない発言に流石に顔が固まる青山に、五条は向き合う形で立ち、手の平を下にした状態で左手を横に出した。
「この手の平の下に向けてレーザー出して」
「?どういう」
「いいから」
言われるがまま青山はネビルレーザーをそこに向けて放つ。すると五条の手の平の元までたどり着いたレーザーが、そのまま吸い込まれるように手の平の下に集まり、そのまま青い光球のような状態で静止した。
「うん、明かりとしては十分だな。よし、行こうぜ青山」
「……君、それの負担は」
「当然ある。この状態でも多少動けはするけど、何もしてないときに比べたら流石に動きは劣ると思う。だからその分、
「……!勿論だとも」
青山の策では、青山自身がほとんど動けなくなる。そんな彼を庇いつつの戦闘である。五条自身に不調が無くともどうしても動きは悪くなるし、いつ青山の光源が切れるともわからない。
それならば、五条が「蒼」の引力によってネビルレーザーの光をずっと手の平に維持し続ける方が良い。自身の絶対的な安全は無くなり、その上で五条に多少の負担がかかるものの、誰かを庇いつつでは無くなるし、何より青山自体が完全フリーになることが大きい。
自らの動きが鈍った状態で、どこまで敵二人に対応できるかは、全くの未知数。だけども五条は、"彼"を信じることにした。
「まじか。そういう使い方できんのかよ……!」
「こっから反撃開始ってことで、お二人さん」
こうして再び二人は通路へ戻ってきた。あれだけ懸念していた暗闇も、もう恐れる必要はない。