「釣りって楽しいのね。こうやって竿を持ってのんびりして、釣った魚を後で食べるのも楽しみです」
「私も旅の途中で食料確保の時によく釣りをしました。焚き火で炙って焼いただけでも凄く美味しいんですよね」
この日、メレンにやって来たシルはフェルムと並んで釣竿を手にポカポカと暖かい日差しを浴びていた。
「あの、本当に此処で釣りをしていて良かったのでしょうか?」
そんな二人の様子に戸惑いを見せるのはフレイヤ・ファミリアで治療師のトップの地位に就くヘイズ。
殺し合いに近い鍛錬を続ける団員の治療と食事の世話をする部隊の責任者として日々の激務に追われている彼女からしても半分休暇みたいな物なのだが、普段忙しい者が急に仕事から解放されても落ち着かないものだからだろうか?
「確かに泳がないのも残念な気もしますね。でも、この汽水湖ってモンスターが出るんですよね。フェルムは水着を着た事はありますか?」
「水着ってアマゾネスさん達の服装みたいな奴ですよね? シルはあるの?」
「無いですねー。…うふふふ、酒場の皆とお喋りしたりは毎日の様にしていますが、こうしてお友達と遊びに遠出するのは初めてで本当に楽しいです」
シルは目を細め、幸せを噛み締める様に呟くとフェルムに向き直る。
「……ねぇ、フェルムは私が実は酷い事をしていても友達で居てくれますか?」
「そうですね。シルがどんな存在でも一度友達になったら嫌と言われても友達ですよ。世界を滅ぼそうとしたら殴ってでも止めちゃいます」
「わー、私が神様だったら確実に送還されちゃいそー」
「うふふふふ。実は本気の神様を殴り倒した事だって有るんですよ。な、なんちゃって」
二人の会話する姿に少々思う所がある様子のヘイズであったのだが、シルの笑顔を数秒眺め、静かな溜め息と共に首を左右に振る。
「まあ、結果だけを見れば大丈夫でしょう。ギリギリまでやってるせいで一旦仕上がりを報告に来ないから予定変更が伝わらなかったのですし。……シル様、何も言わないと思ったら完全に忘れていますよね? 別に良いけれど」
それは意思を持つ災害みたいだと感じて、大きく育ったステイタスもレベルの前には無意味だと言われている様に思ったんだ。
「危な…かった……」
足を滑らせた僕の頭上を通り過ぎて行く大剣の刃、もしその場所に僕の首があったら斬られたと理解する間も無く宙を舞っていた事だろう。
でも安心してなんかいられない。剣を振り下ろした姿勢のまま僕への踏み付けを地面を叩いた勢いで避けて距離を取ると何とかナイフを構えながら立ち上がった。
「怖い。でも、近付かないと」
小柄な僕の方が小回りが利くだろうけれど、ミノタウロスはランクアップしたばかりの冒険者でも苦戦するらしい相手、単純な速度は向こうの方が上だ。
なら、魔法はどうなのか。僕の魔法は威力は控えめだけれど出と速度は優秀だとヘディンさんが教えてくれた、ミノタウロスの皮膚が持つ特性を考えればリリの魔剣も含めて目眩まし程度にしかならない。
一撃でも直撃したら即死、掠っただけでも次の一撃を避けられない程のダメージを受けてしまう。でも、だからって遠くからの攻撃じゃ勝ち目は無い上に……。
何時か絶対に乗り越えるべきだとして調べてるんだ。ミノタウロスの最大の武器は強靭な足腰と角を使った突進。前傾姿勢から勢いを付けて放つそれを考えれば逃げるのも遠距離戦も論外。
「……そうだ。何時か、じゃない。乗り越えるのは今だ。今此処でっ! 僕はお前に勝つんだっ!!」
再戦を決めてから何度も何度もイメージして来た。どんな攻撃が通じるか、相手がどんな攻撃をして来るのかを。
ミノタウロスの持つ武器は大型、それはダンジョンから生成される物も変わらない。どうせ一撃で死ぬなら武器の性能なんて変わらない。
アルミラージにライガーファング、連戦のダメージはポーションを数本飲んだ程度じゃ回復し終わっていないけれど、どうせナイフは片手で扱う物なんだから左手は目眩ましの魔法専用で充分だ。
打ち合い? 受け流し? しなくて良い、元から其処まで出来ないんだから。
『モォオオオオオオオ!!』
「行くぞぉおおおおおおっ!」
刃だけじゃない、柄や振るう腕の一部でも当たっただけで終わってしまうと分かっている中、ミノタウロスの懐に飛び込んでの白兵戦。
インファントドラゴンの鱗や肉さえも切り裂いたナイフでも表面を切り裂くだけで精一杯、明確な死が間近を通り過ぎる事に精神が削られて行くのを歯を食いしばって耐え、ミノタウロスの動きを目で追い続ける。
ミノタウロスは人間を大きく越えた性能を持ってはいる、切り裂く事が容易ではない強靭な肉や炎熱に強い皮膚。それでも、それでもだ。
基本的な構造は人間と同じ、速いだけ強いだけで可動域が同じ以上は動きも同じ。何よりも誰かに教え込まれたのか戦士としての動き。
強さでは普通のミノタウロスの方が下(かも知れない)だけれど、最適な動きをしているだけあって読みやすい。ナイフの先が付ける傷は僅かな物、それでも金属を削るみたいに同じ場所を何度も何度も重ねれば傷は深くなって行く。
正確になぞる必要は無い。兎に角思考と足と腕を止めるな、動き続け見続けろ!
あの日、とても恐ろしかったミノタウロス。今だって本音を言えば怖いままだ。でも、恐怖を乗り越える訓練としてタケミカヅチ様が放った神威込みの殺気に比べればまだまだだ。
技だって普通のミノタウロスとは段違いなんだろう。でも……。
「互いに習い立ての付け焼き刃なら僕の先生の方が上だ!」
アイズさんからは冒険者としての立ち回りを、リューさんからは実戦形式の打ち合いを、タケミカヅチ様からは武器の扱いの基礎を習って来た。
このミノタウロスを鍛えたのがどれだけ凄い戦士かは分からないけれど、指導者としては絶対に僕の先生達の方が上、それだけは絶対に言える!
「あの兎、思ったよりもやるな」
「少なくとも僕達が用意した試練は乗り越えた」
「別に死んでも良かったんだがな」
「何処かの猫は確実に死ぬとか言ってたな」
「あぁ? テメェ等の育てたアルミラージが邪魔しなけりゃ死んでただろうが。それに言われてるぞ、脳筋」
「これは殺すのが目的でなく試練を与える事が目的だ。それに強化種のモンスター同士が争うのは珍しくもない。ダンジョンでの試練ならそれも有り得る事であり……流石に俺も武神に指導力では勝てん」
「せやっ!」
振り下ろした大剣が地面を砕いて飛び散った石くれが僕の身体を打つけれどその程度じゃ止まっていられない。止まった瞬間に僕の息の根が止められてしまうから。
何度も何度も荒くなりながらも重ね続けた傷、その場所は剣を握る手の小指。振り下ろして止まったのを狙い開き始めた場所に突き刺せば切っ先に感じる硬質な感触、肉を突き破って僅かだけれど骨まで届いた。
『ヴッ!』
小指を断ち切るまでは行かなくても剣をしっかりと握っていられないミノタウロスは迷い無く剣を捨て、真上から噛み付いて来た。
顔の横を唾液にまみれた歯が通り過ぎ、獣を捕まえる為の金属製の罠が閉じるみたいな硬質な音が響く。食い付かれたら肉を持っていかれそうだ。
続いて両側からの掴み掛かりを更に前へ、ミノタウロスの肉体の上を滑る様に回転を加えて背後に回り込めば透かさず襲い掛かる左足での後ろ回し蹴り。
直撃が骨をへし折り砕かれる事を意味するその一撃に僕が選んだのは迎撃。
狙うのは膝の裏の関節部分、例え肉が他よりも薄くても僕の力じゃ貫くのは難しい。だからミノタウロスの力を利用する。
踏み固められた地面を踏みしめ、相手の蹴りの勢いを突きの威力に加える。それでも突き刺さったのはほんの僅か、勢いに押されて僕の足は地面から離れてしまう。
あの時、ヘディンさんは言った。ミノタウロスの皮膚は炎に強いから当ててもダメージは期待出来ないって。なら、皮膚の下は?
「【ファイアボルト】!」
ナイフを通してミノタウロスの体内で弾け飛ぶ炎。それで蹴りの勢いは弱まるけれど咄嗟に防御に使った左腕の骨は完全に折れた。右手だって何とかナイフを握ったままだけれど力が入らない。
地面が近付くけれど受け身は取れないだろう。だから、ミノタウロスが動き出す前にもう一発。
「【ファイアボルト】!!」
狙いはさっきの魔法で内から弾け飛んだ場所。炎に強い皮膚は大きく広がり、肉と骨が見えている。其処に再びファイアボルトが命中したのを見た瞬間に僕の身体は地面に叩き付けられて、ミノタウロスの足は膝から下が失われている。
「ぐぁ……」
全身に走る痛み、薄れそうな意識、それを気力だけで堪えればミノタウロスは此方を見て踞る。……違うっ!
両腕を地面に付き、残った足で何度も地面を削るように蹴り続け角の先が地面に擦れる程に下げる。あれは突進の構え!? 片足を失った状態で!?
「不味いっ!」
立ち上がろうとした時、足の先に触れたのはリリが落とした魔剣。……やるしかない。
ダンジョンは甘い場所じゃないって最初にミノタウロスと遭遇した日に理解した筈だ。
相手は格上、最強の武器を使わせないなんて理想でしかない、実際にそんな風に立ち回っても蹴りの一発で覆された。
片足を奪ったから大丈夫だろうなんて考え、モンスターの闘争本能の前では楽観的過ぎたんだ。
「ベル!」
遠くで誰かに呼ばれた様な気がしたけれど、僕が見ているのはミノタウロスだけで、聞いているのはミノタウロスが発する音だけだ。
片足を失った事でバランスを崩しながら、それでも迷い無く僕へと突っ込んで来る相手に対し、口にナイフを咥え右手に魔剣を握り締める。
互いに相手へと向かって全力で全身。見据えるのは激しく上下する角。それが地面を削って振り上げられた瞬間に魔剣を振るう。
吐き出されたのはミノタウロスにとって煩わしい程度の威力の炎。良い、それが狙いだ。
鬱陶しげに炎を振り払いながらも止まらないミノタウロス。魔剣を放り投げ、その赤熱した角に向かって右手を伸ばして跳躍、激しく動く角を掴めば熱した鉄を押し当てられた様な熱が伝わるけれど離さない。
角を支点にしてミノタウロスの肩に飛び乗り、足を掴まれる前に首に絡めて口から受け取ったナイフをミノタウロスの目に突き刺した。
「【ファイアボルト】!」
魔法の発動と同時にミノタウロスの腕が僕の足を掴む。
「【ファイアボルト】! 【ファイアボルト】! 【ファイアボルト】!」
これ以上は何もさせちゃ駄目だ。足の骨を潰される以前に簡単に投げ飛ばされて。それで終わってしまう。
目に突き刺したナイフをより奥へ、ただ魔法を使い続ける事だけに意識を向けよう。
漏れ出す熱が自らを焼く痛みも、足に掛かる力も全部無視して、逃げるだけだった悔しさも再戦の誓いも誇りも何もかも今は忘れ去れ。
ただ、今の戦いに勝つ事を、此奴に勝つ事だけを考えるんだ。
「【ファイアボルト】ォオオオオオオオオオッ!!!」
喉が枯れる程に叫び、精神力の全てを注ぎ込む。足を握り潰しそうな程の力が消え、浮遊感の後に落ちていく中で僕の意識は閉ざされる。
最後、誰かが受け止めてくれた気がした……。
「はっ! 中々やるじゃねえか。トマト野郎から兎野郎に昇格してやるよ」
「私が受け止める気だったのに……」
認めて欲しい人に少しは認められて嬉しい気も、少し惜しい気もしたのは何故だろう?
「リベンジ達成おめでとうさん。さて、此処で全回復させてやるのは簡単なんだが、それだと痛みを伴う反省が薄れるからな。一旦応急処置だけな【キュア】」
目を覚ましたら寝ていたのは治療院のベッドの上で、目を覚ました途端に抱き付いた神様が泣いたり、騒いで怒られたり、リリに無茶し過ぎだって泣きながら怒られて、今はギルにも怒られている。
そうだ。最初にアルミラージを見てからライガーファングは出て来るまでの間に撤退を決意すべき場面は幾らでもあった筈なのに、あの時の僕は自分がやらなくちゃ駄目だって考えに囚われてしまっていて、それが周りを心配させて泣かせる事に繋がったんだ。
「ごめん……」
「反省だけなら犬でも出来る。英雄になりたいってんなら次はもうちっと楽勝で勝て。三日後には治しに来てやるが、それまでは痛みに耐えとけよ。……お前の先生方はだいぶお怒りだったからな」
その一言で僕は血の気が引くのを感じ取った。あの普段は優しいタケミカヅチ様もリューさんも指導してくれる時は別の誰かみたいに厳しくなるんだ。
次はもっと楽に勝て、それは無茶に聞こえるけれど、ギルはそれが英雄の条件だと思っている。
敵を倒してボロボロになって倒れている奴を見ても、人は心配したり次が不安になったりするだけで心は救えない中途半端だって、助けた相手に泣きながら無茶させた事を謝らせる奴が英雄に相応しいのかって。
まるで最強の英雄をその目で見続けたみたいに彼は英雄について厳しくって、英雄になりたいなら、なった後も生き続けて、その後の人生はどうなるかも考えろって言うんだ。
ギルにとって英雄ってのはどんな存在なんだろう……。
「左腕は骨の一部が砕けていますし、全身に至る所で骨が折れているかヒビが入っていますよ。流石に私でも完治は難しいです。ギルさんが居なければ冒険者引退でしたからね?」
三日後、ギルが回復してくれるまで激痛やら心配掛けた人達からのお説教やらで大変だったよ、本当に。
あっ、完治した後にステイタスを更新してもらったらランクアップしてたんだって。
「ベルについて知りたい? へぇ、春姫も興味を持ったのか」
春姫の膝枕を堪能していた最中、話題に出たのはランクアップの世界最速記録を成し遂げたベルについてだった。一日中魔法を使い続けたのに俺のステイタスは微量も上がらないってのに面白いよな、彼奴。
それで春姫の方に情報が入って来るルートっつったら限られてるよな、どう考えてもな。
客が俺だけな以上はファミリアの仲間かイシュタルで……。
「おいおい、俺と過ごしている時に他の男の話題かよ。春姫にも春が来たか?」
「違います。私はイシュタル様から探って来る様に……あっ」
ベルの名前は前に交わした会話で出している、其処からイシュタルにでも伝わって、春姫を使って情報を仕入れようって所だろ。
実際、俺がちょっと弄くったらポロっと漏らすし絶対に其処まで期待せずにやってるよな。慌てて口を手で塞ぎ、俺がニヤニヤと笑みを向けていると意図に気が付いたのか春姫は頬をつまんでムニムニと動かして来た。
「まあ、何処かの女神の持つ爆弾の起爆装置に繋がっているとでも伝えてくれ。じゃないと気軽にお前に会いに来れなくなる」
多分少し前のイシュタルなら対抗心から面倒な事になったんだろうって思いつつ起き上がると手元に置いてあったブラシを取る。
「ほら、約束してたし毛繕いしてやるよ」
前の別れ際、尻尾の毛繕いをしてやる約束をしてたし、今日会いに来たらブラシが既に用意されていたしな。俺も春姫のどっちも嬉しい。
「あ、あの、それでは今日は趣向を凝らしまして……」
そしてもう一つ用意していたのは幅の広い鉢巻き? 何故か俺に向き直る感じで自分の目を隠すと首に手を回して抱き付いて来た。
「こ、ここ、こここれならば春姫でも大丈夫だろうとアイシャ様に言われまひて……」
「既に限界だよなあ……」
春姫を真正面から抱き止めている姿勢のせいで身体の感触がモロに伝わって来て俺も限界なんだよなぁ……。床に寝かせるわけにはって今更な意見で布団の上での膝枕だったから……。
ブラシを尻尾に伸ばす事に意識を持って行かないと頭が沸騰しそうになる中、外が騒がしくなって……。
「わあっ!?」
ベルが窓から突っ込んで来た。完治早々に何やってるんだ、この馬鹿?
フレイヤ入団編は今度
多分アーニャがヒロイン オッタルは脳筋
フレイヤ様ったらお友達とのお出掛けが楽しみで予定変更を伝え忘れてベルに戦う時の輝き見逃した