■ ■
「ふぅ……やっと一息つける」
白祇重工の工業地帯にて一閃を交差させ、大気を揺るがす程の鍔迫り合いを済ませた高幹は、何とか雅から逃げ遂せた。
大気を揺るがして視界が歪んだその刹那、最後の力を振り絞って全身全霊で逃げ出した結果として、もう彼には疾走する体力は欠片もなかった。
2kmのマラソンを最初から全力疾走でゴールまで続け、それを維持したまま帰宅するのと大差無い様な無茶をすれば、そりゃ力尽きるのも致し方ないというもの。
そんな完全に体力尽きてガクガクと震える足を頑張って進めて辿り着いたのは、六分街にあるとあるビデオ屋だった。
「はい、お水どーぞ!」
「おぉ、ありがとう。ごくっ、ごくっ……あぁっ! やば水美っ味!? 嘘だろ水ってこんな美味かったけ? 幾らでも飲めるんだが」
ビデオ屋の店員の一人である少女―――リンから手渡されたコップを有難く受け取り、ごくりごくりと一気に呷ぎ飲み干した。
視界が透き通り、喉が潤い、あまりの水の美味さに意識が一気に覚醒する。
なんて美味しいんだ…! 水とはなんと素晴らしい! 高幹は勢い有り余って水を信仰してしまいそうになっていた。いえ、水の女神(笑)は帰って。どうぞ。
あまりにもオーバーリアクションで水を飲み干す高幹に、ビデオ屋の店長を務める青年―――アキラは、若干引いていた。
「そんな大袈裟な……」
「大袈裟な訳あるか! こちとら丸三時間ぶっ通しで全力疾走してたんだぞ!? 休日なのにだぞ!? 休もうにも休めんし、水分補給なんざしてたらすぐ追い付かれるんだよ! お陰で顔見知りが増える一方だわ!」
雅からの逃亡劇を始めてから約数年。ぶっちゃければ高幹は既に人が暮らしている部分のみであれば、新エリー都を網羅していた。
何処に逃げ道があるのか、何処に抜け道があるのか、何処に何があるのか、何処に何が居るのか。それらを全て完全に把握出来る様になっていた。
その頃には既に色んな派閥と顔見知りになっていた。アキラとリンの二人もまた、そういう過程で面識を持ったのだ。
ある時は何でも屋の仕事に遭遇し、それを手助けしたり。
ある時は工業地帯に立ち寄り、匿ってくれた代わりに仕事を手伝ったり。
ある時はとある家政組織の敷地に侵入してしまい、一戦交えたり。
ある時は郊外近くまで出て、そこでの暮らしを知ったり。
ある時はH.A.N.D.の人達と関わり、同級生や雅の部下と関わったり。
「お前も彼奴に追い掛けられれば嫌でも分かるよ! やってみるか、おぉん!?」
「それは遠慮願いたいな……」
水を一杯飲んで回復したのか、涙目になりながら叫ぶ高幹。その姿はどこか上司に疲れるサラリーマンを彷彿とさせた。
星見雅。虚狩りの称号を与えられた英雄。そんな人に三時間も追い掛け回されるなんて、アキラとしても考えたくもない悪夢である。是非ともご遠慮願いたい。
しかも捕まったら強制的に六課に入れさせられるという、嬉しくない合格発表が待っている。虚狩りの英雄の権限は伊達ではない。
そんな彼女から毎日逃げているというのだから、高幹の疲労は想像を絶するものだ。
「でも、いつもそれをこなしてる高幹さんも凄いよね。やっぱりH.A.N.D.に入った方が良いんじゃない?」
「嫌だよ、面倒臭い。六課でなくともH.A.N.D.に入っときゃ荒事確定じゃんか。俺は争い事とか面倒事はしたくないんだよ、断固として。んな事するくらいなら一人で神社掃除してた方がマシだね」
「そんなに!? そこまで行くと潔いね!?」
「当たり前じゃないかリンの助。俺の武士道は『平和満喫』だから」
「それ武士道って言う? ていうかリンの助って何!?」
怪我するのも死ぬのも怖いので戦いたくないし、普通に面倒臭いのは勘弁したい。剣士だけど剣士らしからぬだらしなさ、しかしそれを人は武士道と言うらしい。
残念ながら、そんな事は全くないのだが。それは武士道ではなく単なる言い訳の類である。
戦いたくない方は兎も角として、面倒臭い云々は単純に高幹本人の性格の問題以外の何者でもないのだ。幼い頃から彼女と過ごしてきたにも関わらず、そこの所は一切変わらなかったらしい。
「でも、僕も勿体無いとは思うな。貴方の身体能力は勿論だけれど、その剣技も卓越している。星見さんの剣技を実際に目にした訳ではないけれど、貴方の剣技は彼女に劣らないそれだと思うよ」
「えー、アキラまでH.A.N.D.に入れ催促すんのか? 勘弁してくれよ。だいたい、俺の
親指で鍔を押し、右手に持った打刀の刀身を僅かに出して高幹は己を嗤う。
星見雅に匹敵する剣技? 何を馬鹿げた事を。一族の想い、母親から託されたものを背負って剣を振るい、研鑽を積み重ねて得たアレとは全く違う。
己の剣技はただの真似事。子供のお遊び。修行も研鑽も全てを怠っている己でも、ただ剣を見真似て振るう程度の事ならば出来る。
ただそれが、偶々上手かったというだけの話なのだ。
「そういう訳なんで、俺は絶対にH.A.N.D.にも六課にも入りませんッ! 仕事してまで彼奴の訳分からん修行に付き合うとか御免被る!」
「えー? じゃあ、雅さんの事嫌いなの?」
「いや? 別に雅自体が嫌いな訳じゃないよ。六課の皆も良い奴ばっかだし、一緒に居て寧ろ楽しいくらいだ。ただ彼奴の修行に付き合うのと戦うのが嫌ってだけさ」
「ふーん……高幹さんって、こう……面倒臭いよね」
「はぁぁぁぁぁぁ???????」
リンの一言がぐさりと突き刺さった。
「だーれが面倒臭いってぇ!? 生意気な事を言いおってからに…! 俺だって色々考えてんだよ! それをおまっ、面倒臭いだぁ!?」
「だって面倒臭いんだもん! オトコならこう、シャキっとしようよ!」
全く以てその通りである。思春期の男子学生ではあるまいに、さっさと諦めて入れば良いものを。
だが、高幹は決して認めない。自分は面倒臭くなんかない。いや寧ろ、諦めず催促してくる雅の方が面倒臭い。そうだ、そうに決まっている。俺は悪くねぇ! 俺は悪くねぇ!
俺は悪くねぇ! という訳で、高幹は激怒した。必ずやかの邪智暴虐なテレビ屋の店員を叩かねばならぬ。
高幹には乙女心が分からぬ。しかし、面倒という概念には人一倍敏感であった。
「お前そこ動くなよ!? その頭ゴリゴリしてやるからな! 拳でやってやるからな!」
「きゃー、お兄ちゃん助けてー! 高幹さんに襲われるー!」
「おいその言い方やめろぉ!? このご時世女子のそういう発言は男の社会的命を奪うんだぞ!」
どちらかと言えば現代よりも未来ではあるのだが、まぁ何時の時代も男は女の発言には弱いものだ。特にそういった発言には。
年齢差があるなら尚更である。ちなみに年齢差が無くても問題にはなる。皆も発言には注意しよう。
ただし高幹は例外である。あの雅は勿論の事、治安局の特務捜査班であり同級生だった朱鳶といった、そこらの女性にも強気に出れる、新エリー都で数少ない存在なのだ。
まぁ、強気に出れるからと言ってそれに成果が伴うかは言わずもがなである。
まぁ、
わちゃわちゃとする二人に、アキラは呆れ混じりの溜息を吐いた。流石のアキラも、実の妹に手を出されるのは我慢ならなかったのだろう。
「はぁ……二人共、店内では暴れないでほしいな。外でやってくれ」
「うっしゃ実兄からの許可キタコレ! くっくっく、もう逃げ場はねぇぞ…!」
訂正、どうやら兄として妹が乱暴されるのを見過ごすつもりでいるらしい。
悪役みたいな凶悪な笑みを浮かべながら、ジリジリと距離を詰める高幹。リンに逃げ場はない、絶対絶命である。
彼は本気だ。必ずやリンのその頭を、両手のこぶでグリグリとする名称不明のアレをやる気満々である。
「お兄ちゃーん!? こんなに可愛い妹が一人の男の人に乱暴されそうなのに見捨てるって言うの!?」
「リン、高幹さんにも色々とあるんだよ。だからあの物言いは良くない。そういう訳で、罰として大人しくやられなさい」
「そんなー!」
「おら覚悟しろ! 俺も散々親父にやられて泣かされたからな! たまには痛い目見ろやァ!」
「イアス、イアス助けてー!」
「
最後の抵抗として、ボンプであるイアスを掲げてガードしようとするも、抵抗虚しく高幹に背後を取られ、呆気なく頭をグリグリされてしまったのであった。
暫く、テレビ屋から悲痛な叫びが聞こえたとか何とか。
石上高幹(幼馴染から取り敢えず逃げ切った男)
抜刀のぶつかり合いでさりげなく大気を揺るがした一般剣士。すぐに逃げ出して、プロキシの下まで辿り着いた。二人がプロキシ、パエトーンである事は知らない。
アキラ&リン(パエトーン)
ゼンゼロの主人公達。新エリー都でビデオを集めていた所、雅に追い掛けられていた高幹と遭遇し、そこから面識を持つ様になった。
パエトーンである事は隠しているが、高幹の人柄はしっかり信頼していて、リンもかなり懐いているしアキラもそれを許容している。