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駆け、駆け、駆け。
混沌とした空間。上方、下方、右方、左方、それら全ての方向が機能を果たさぬ世界で、ただ一人が剣を握って駆け抜ける。
「―――」
立ちはだかる緑色の怪物。人の形をした結晶体。エーテリアスと呼ばれるそれらは、混沌とした内部を躊躇なく疾走するソレに戸惑っていた。
なんだコイツは。
なんなんだコイツは。
何故走る。
何故恐れない。
何故躊躇わない。
男は走る。全力で、疾走を続けている。
軍勢が立ちはだかるも、しかし男はそれがどうしたと言わんばかりの表情のまま、決して足を止めない。速度を緩めない。
鯉口を切って抜刀した剣を構え、男はさらに深く踏み込んで軍勢の中へと真っ直ぐに猛進した。
斬り捨て、斬り刻む。炎も、雷も、霜も、エーテルも、何もない純粋で単純な力―――物理。
剣の斬れ味、本人の膂力で以て、エーテリアスの軍勢を男は切り開く。
『Graaaaaaaaaaa!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!』
突如、石の様な何かが群れの中から突き出た。
剣だ。結晶が剣を形作り、エーテリアスの武器となっている。鋭い鋒は皮膚を豆腐が如く容易く切り裂き、その骨まで呆気ない様に断つだろう。
男は人だ。シリオンでもなければ機械でもない。純粋無垢なる人間、純然たる人類だ。エーテリアスの攻撃をその身で受けたならば、決して無傷などでは済まない。
故に、躱す。首を切り落とさんと、一矢報いようと突き出されたそれを首を傾げる様にして躱し、地面すれすれまで引っ提げた刃を全力で振り上げてコアを斬り割く。
『Graaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!』
「……」
奇声の様な何かを発する怪物。それは悲鳴の様にも聴こえる。だが、男は見向きもせずに剣を振り下ろす。
散り散りとなって消えていく。崩れ落ちる様に死んでいく。大した意思も感情も存在しない、理性無き怪物の死を悼む者など何処に居ると言うのか。
元が人でも今は怪物。理性も知性も無き獣畜生、そこにどれ程の違いがあろうものか。
男は斬る。肉を斬って骨も断つ。果てはその魂さえも、躊躇なく斬り捨てる。せめてそれが、怪物へと成り果てた者を
血を払う様にして、刀を鞘へと納めて男は―――石上高幹は、小さく息を吐いた。
「これで軽く20は行ったか? ここまでやっても縮まんとは、どんだけ広いんだよ今回のホロウ。見事にアンビーもビリーも見当たらねぇし……アキラ達に連絡入れといた方が良かったかね」
高幹がこのホロウに入ったのは、治安局の航空隊によって落とされた友人を回収する為だ。
白髪の少女アンビー・デマラ、知能機械人ビリー・キッド。
新エリー都で活動している便利屋「邪兎屋」所属の従業員達であり、邪兎屋のリーダーであるニコ・デマラが雅の『無尾』を騙し取ったのを切っ掛けに関わる様になった者達だ。
初対面から早速斬り捨てる寸前まで行った出会いが、今となっては友人の間柄となったのだ。人付き合いというのは、何とも不思議で先の分からないものである。
「取り敢えずデカイ声出しとくか。―――おぉぉぉぉぉぉぉぉぉいッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
ホロウという空間の中で、高幹は咆哮を上げるがの如く、腹の底から大きく叫んだ。
方向の法則こそ乱れるが、声は届く。
近くに居ればこれで反応が帰ってくるかもしれないし、そうでなかったとしても自分が居るという事を相手に知らせる事が出来る。
しかし……これには、このホロウという空間において致命的なデメリットが存在する。
「ん? おい、アンビー。今、兄弟の声が聞こえなかったか?」
「聞こえた。高幹先生の声だ」
「だよな! おーい、きょーだーい! こっちだー!」
「お、応えた。取り敢えず声がする方に進んでくか」
だいたいの距離にして10mとちょっと。何となくそんなものだろうと考えて、高幹は声がした方を向いて踏み出した。
『Gaaaaaaaaaaaa!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!』
「あー……やっちまったか」
しまった、と高幹は天を仰いだ。全く何をしてるんだ、この馬鹿野郎と自嘲せざるを得ない。
そう、これだ。ホロウで大声を出すというのは、相手に自分の居場所を知らせる行為。つまりはエーテリアスという大勢の敵に対して、『はいはーい、私は此処に居るから皆来てー』と言っている様なものなのだ。
結果として、高幹の下には先程蹴散らした軍勢と然程の大差もない軍勢が押し寄せて来た。妙な所で抜けているのは、やはり彼女と共に育ってきた弊害だろうか。
まぁ、
仰いだ顔を戻し、抜刀して意識を切り替える。
(ひい、ふう、みい……うわー、めっちゃ面倒。さっきと変わんねぇけど、結局多いんだよなぁ。さっきみたいに我武者羅でどうにかなりゃ良いんだけど)
「さっさと二人回収して脱出したいんだけどなー」
『Gra? Graaaaaaaaaa!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!』
「はいはい分かった分かった。はぁ、やだやだ……―――さくっと
感情を斬り捨て、再び疾走する。
ひゅん、ぶんっ、と。縦横無尽に混沌とした空間内を駆け回り、斬る部位も定めず流れる様に刀を振るう。
高幹は己が剣技を『子供の御遊び』『チャンバラごっこ』と卑下し、彼を知る多くの者がそれを否定する。しかし、ある意味ではその表現は決して間違いではない。
何故なら石上高幹という人間は、剣を握ったその時から今日という日まで―――ただの一度も『修行』というものをした事がないのだから。
単なる棒振り、単なる打ち合い。もはや剣士にしてみれば『修行』と形容する必要もない日常の動作と呼べるそれから、見取り稽古といった様々な内容のものに至るまで、高幹はそれら全てが無経験だ。
故に、己の剣技は剣技に非ず。剣技と呼べるだけの術理や心理が欠片もない、ただ『なんとなく』という曖昧なもので剣を振り回す御遊びだ。高幹はそう断言する。
だが、それにも関わらず―――彼が言う所の御遊びは、しかし御遊びと言うにはあまりにも完成度が高く、卑下するそれは確かに『剣術』として成り立ってしまっていた。
彼の事を最も知り、理解している
「お、居た居た! アンビー、兄弟が居たぞ! 早く助けに「待って」っえぇ!?」
高幹がエーテリアスの軍勢と戦闘している最中、彼の声に応えたビリーとアンビーの方が先に、彼の所まで辿り着いた。
数にして18体。単独で処理するのは困難極まるそれを相手にしている高幹の助けに入ろうとビリーは飛び出そうとしたが、すぐにアンビーに裾を引っ掴まれ、それは未遂に終わった。
「なんで止めるんだよアンビー!」
「今突っ込んでも、私達じゃ高幹先生の足手まとい。普段と違って、周囲の事を考慮しない戦い方をしてる。巻き込まれるわ」
「そ、そうか…。そうだな、なんせあの兄弟だからな」
「石上家、その跡取りの最有力候補。…
―――
新エリー都六分街の端の方に神社を構えているその家系は、半世紀―――50年―――も前の時代に『剣神』と呼ばれる剣士の誕生によって、その名を現代まで轟かせた。
当時、未だ
特別な金属を使った訳でもない、最高の業物と言える代物でもない、極々普通の打刀でエーテリアスを斬り捨て、果てには一つの共生ホロウに存在するエーテリアスの全てを斬り尽くした。
『特殊な武器だ? んなもん
そんな彼に続く様に、多くの剣士達が彼に師事し、その殆どが剣豪と言っても過言ではない実力を得て、ホロウへと狩り出た。
そして、遂にその剣士は自身が認めた弟子達少数のみを連れて、零号ホロウにまで突入し―――瀕死の重傷を負いながらも、生還した。
それを切っ掛けに、その男は『剣神』と呼ばれる様になり、石上家の始まりとなった。それを機に『剣神』の家系として名を馳せたが、現代では単なる伝承としか認識されて来なかった。
だが―――それは、彼の誕生によって塗り替えられた。
「バケモンに名乗りは要らねぇだろうが、人間だった奴も居るだろうし一応やっとくか。今更かもだけどな。石上家八代目当主が息子、
石上土佐高幹。石上家八代目当主、
現在の石上家において、最も剣神に近いとされる男である。
「そうか。では、我々は待機だ。私は吉報を待つ修行をしておく」
「えぇ…自分で言っておいてなんだけど、本当に大丈夫なの? 幾ら高幹君とは言っても…」
「心配は無用だ、朱鳶。確かに高幹は無行の身だが、それ故にあの剣筋は誰にも見破れぬ域に至っている」
「はぁ…よく分からないけど、高幹君なら心配ないって事で、良いのよね?」
「無論だ。私は高幹を信じている。高幹も私を信じている。だから待つ」
「言ってはあれだけど、あんなに逃げられてもその自信を失わないのはとても凄いと思うわ…」
「高幹なら、すぐ終わらせるだろう。問題無い」
「もし終わらなかったら?」
「迎えに行く」
「さっきと言ってる事が違うっ!?」
―――幼馴染と同級生の会話